藤原仲平 ふじわらのなかひら 貞観十七〜天慶八(875-945) 通称:枇杷左大臣

関白太政大臣基経の次男。母は人康親王(仁明天皇の皇子)の娘。時平の弟。忠平・温子(宇多天皇女御)の兄。系図
寛平二年(890)、宇多天皇の加冠により元服。蔵人頭・春宮大夫・左近大将・右大臣などをへて、承平七年(937)、左大臣。のち正二位。皇太子傅を兼ねる。伊勢との恋愛は有名。
古今集初出。勅撰入集十一首。

題しらず

花すすき我こそしたに思ひしかほに出でて人にむすばれにけり(古今748)

【通釈】私の方こそ、ひそかに強く思っていたのに。あの人は、思いをあらわした別の男と結ばれてしまった。

【語釈】◇花すすき 穂を出したススキ。下句の「ほ」に掛かる。◇ほに出でて 表だって。恋情をおもてにあらわしたことを言う。◇人に この「人」は自分以外の男。

法皇、伊勢が家の女郎花を召しければ、たてまつるを聞きて

をみなへし折りけむ枝のふしごとにすぎにし君を思ひいでやせし(後撰349)

【通釈】折り取った女郎花の枝の節ごとに――折節折節、去って行かれた法皇様のことを思い出したでしょうか。

【語釈】◇法皇 宇多法皇。伊勢を御息所としたが、寛平九年(897)、譲位と共に伊勢との関係は解消された。

【補記】伊勢の返しは「女郎花折りも折らずもいにしへをさらにかくべきものならなくに」(大意:折るも折らないも、女郎花は昔のことを思い出させる花では全くありませんのに)詳しくは伊勢の秋歌参照。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日