藤原忠房 ふじわらのただふさ 生年未詳〜延長六(928)

京家浜成の裔。信濃大掾是嗣(興嗣とも)の子。母は貞元親王(清和天皇の皇子)の娘。子の千兼も後撰集に歌を載せる。
播磨権少掾・遣唐判官・蔵人・右近将監・左兵衛権佐・近江介などを経て、延喜二十二年(922)、大和守。延長三年(925)、従四位上山城守。同五年、右京大夫。
歌人としては醍醐朝歌壇で活躍。延喜六年(906)の「日本紀竟宴和歌」、延喜二十一年の「宇多法皇春日行幸名所和歌」などに出詠。また「京極御息所歌合」では判者を務める。紀貫之とも親交があった。中古三十六歌仙の一人。勅撰入集は古今・後撰・拾遺に計十七首。
歌舞や管弦にも長じ、胡蝶楽・武徳楽などの舞楽を作ったという。なお、娘が大納言源清蔭と交わした歌が拾遺集に収められている(741番)。

京極の御息所、春日にまうで給ひける時、国司のたてまつりける歌あまたありける中に

鶯のなきつるなへに春日野の今日のみゆきを花とこそ見れ(拾遺1044)

【通釈】鶯の鳴くにつれて、春日野に降る雪を、今日の御幸の花と見ましょう。

【語釈】◇京極の御息所 藤原時平の娘で宇多天皇の后、褒子。◇春日(かすが) 奈良県奈良市の春日大社。藤原氏の氏社。◇みゆき み雪・御幸を掛ける。

【補記】宇多天皇とその后藤原褒子が春日大社に参詣した時、大和国の国司が奉った歌のうちの一首。忠房は延喜二十二年(922)に大和守に就任している。

人のもとにまかれりける夜、きりぎりすのなきけるをききてよめる

きりぎりすいたくな啼きそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる(古今196)

【通釈】蟋蟀よ、ひどく鳴くな。秋の夜長の物思いは、私の方がまさっているのだ。

【語釈】◇きりぎりす コオロギの総称と言う。今言うキリギリスは夏に鳴く虫で、古名は機織(はたをり)と言った。◇いたくな啼きそ ひどく鳴くな。

【主な派生歌】
ねにたてて秋の夜かこつきりぎりす長き寝覚の枕にぞ聞く(藤原為家)

貫之が和泉の国に侍りけるときに、大和より越えまうできてよみてつかはしける

君を思ひおきつの浜になくたづの尋ねくればぞありとだに聞く(古今914)

【通釈】あなたを気にかけながら、おきつの浜に鳴く鶴のように、こうして尋ねて来たので、ご無事だとだけは聞いたのです。

【補記】「おきつの浜」は夫木和歌抄に「おきつの浜、和泉」とあり、和泉国の歌枕か。今の大阪府泉大津市。「思ひおき」を掛ける。「なくたづの」までが「たづねくればぞ」を起こす序。貫之の返歌は「おきつ浪たかしの浜の浜松の名にこそ君をまちわたりつれ」。

【主な派生歌】
こと問へよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でしあとの月影(*藤原定家[新古今])
しるべなきおきつの浜になくたづのゑをあはれと神はきかなむ(兼好)

兼輔朝臣、左近少将に侍りける時、武蔵の御馬迎へにまかりたつ日、にはかに障ることありて、代りに同じ司の少将にて迎へにまかりて、逢坂より随身をかへして言ひ送り侍りける

秋霧のたちのの駒をひく時は心にのりて君ぞ恋しき(後撰367)

【通釈】秋霧が「たつ」と言う立野の駒を牽く時には、あなたが心に乗っているかのように恋しく思われるよ。

【語釈】◇御馬迎へ 駒迎え。毎年八月十五日、諸国から献上される馬を逢坂の関まで迎えに行く行事。◇逢坂 歌枕紀行近江国参照。◇秋霧の 「立ち」にかかる枕詞。◇たちのの駒 武蔵国立野産の馬。立野は不明だが、横浜市に同名の地がある。◇心にのりて 心にかかって。

寛平御時に、もろこしの判官(はうかん)にめされて侍りける時に、東宮のさぶらひにて、をのこども酒たうべけるついでによみ侍りける

なよ竹の夜ながきうへに初霜のおきゐて物を思ふころかな(古今993)

【通釈】なよ竹の長い節(よ)の上に置いている初霜のように、秋の長い夜を起きていて、遠い国への旅に物思いをするこの頃です。

【語釈】◇もろこしの判官 遣唐使の三等官。この時の遣使は結局中止となった。◇夜 竹の節(よ)と掛詞。◇おき (霜が)置き、と掛詞。

【補記】「よ」は「竹」の縁語、「おき」は「霜」の縁語。

女のもとに、はじめてつかはしける

人を見て思ふ思ひもあるものを空に恋ふるぞはかなかりける(後撰601)

【通釈】人と逢って、その人に思いをかけるという思いもあるというのに、私の場合、確かなあてもなしに恋をしているのです。これはまあ、はかないことです。

【語釈】◇空に恋ふる この「空に」は確かな内容などが無い状態をいう。噂などだけで相手を恋しているという状態。

【主な派生歌】
人を思ふ思ひを何にたとへまし室の八島も名のみ也けり(源重之女[続後拾遺])
忍ぶれど思ふ思ひのあまりには色に出でぬる物にぞありける(大江嘉言[風雅])
さてもわが思ふ思ひよつひにいかに何のかひなき眺めのみして(永福門院[〃])
君ゆゑに思ふ思ひは大海の波をば袖にかけぬまもなし(公蔭[〃])

題しらず

いその神ふりにし恋の(かみ)さびてたたるに我はねぎぞかねつる(拾遺862)

【通釈】古びた恋が祟り神になって俺を苦しめるので、お祈りして鎮めようとするのだけれども、一向に鎮まらなかったよ。

【補記】「いその神」は地名「布留(ふる)」、動詞「古(ふ)る」の枕詞。「ねぎ」は神の心を慰撫するために祈ること。古今集には読人不知とし結句「いねぞかねつる」として出ている。

延喜廿年、亭子院の春日に御幸侍りけるに、国のつかさ廿一首歌よみて奉りけるに

めづらしき今日の春日(かすが)八乙女(やをとめ)を神もうれしとしのばざらめや(拾遺620)

【通釈】法皇の御幸なさる喜ばしい今日、春日社で神楽を舞う乙女たちを、春日の神も嬉しいことだと賞美なさらないわけがありましょうか。

【語釈】◇亭子院 宇多法皇。◇国のつかさ 大和国の国司。◇八乙女 神楽を舞う、春日神社の巫女たち。◇しのばざらめや 賞美しないわけがあろうか。

【補記】拾遺集巻十、神楽歌の巻末歌。


最終更新日:平成16年02月15日