藤原範永 ふじわらののりなが 生没年未詳 号:津入道

生年は正暦四年(993)頃かという。正四位下尾張守中清(仲清)の子。母は従三位藤原永頼の娘。但馬守能通の娘との間に良綱(周防権守)・清家(皇太后宮大進)をもうけた。また小式部内侍との間には女子をもうけた(後拾遺集に「範永女」として歌を載せている)。
長和五年(1016)、蔵人。春宮少進・尾張守・大膳大夫・但馬守などを経て、天喜四年(1056)、正四位下。阿波守のあと、康平八年(1065)、摂津守。延久二年(1070)頃、出家したらしい。
永承五年(1050)の「永承五年六月五日賀陽院歌合」、天喜四年(1056)の「皇后宮寛子春秋歌合」等に出詠。天喜六年(1058)と康平六年(1063)の「公基朝臣歌合」では判者を務めた。平棟仲源頼実源兼長・藤原経衡・源頼家ら家司・受領層歌人と和歌六人党を結成し、そのリーダー的な立場にあった。能因法師相模を先達と仰ぎ、藤原道雅・橘俊綱邸に出入りしたほか、藤原家経・津守国基ら歌人との幅広い交遊をもった。家集『範永朝臣集』がある。後拾遺集初出。勅撰入集三十首(金葉集は二度本で計算)。

  3首  5首  1首  3首 計12首

俊綱朝臣の家にて、春山里に人をたづぬといふ心をよめる

たづねつる宿は霞にうづもれて谷のうぐひす一こゑぞする(後拾遺23)

【通釈】ようやく辿り着いた屋敷は、春霞の中に埋もれていて、山里は静寂に包まれ、ただ谷の鶯の一鳴きが聞えるばかり。

【語釈】◇俊綱朝臣の家 修理大夫橘俊綱の伏見の家。風趣を凝らした邸宅で、盛んに歌合・歌会などが催された。

【補記】『袋草紙』で藤原清輔はこの歌を範永の「第一の秀歌」とする。古老の語り伝えによれば、範永自身「我身の今生の秀歌はこの歌なり」と称していたという。定家もこの歌を『八代抄』に採っており、広く秀歌と認められていたらしい。

【他出】範永朝臣集、和歌一字抄、定家八代抄、題林愚抄

後冷泉院御時、后宮の歌合に残雪をよめる

花ならで折らまほしきは難波江の(あし)の若葉にふれる白雪(後拾遺49)

【通釈】花ではないのに折り取ってみたくなるもの――それというのは、難波江の蘆の若葉に降り積もった雪だよ。

【語釈】◇后宮の歌合 ◇難波江 いまの大阪市中心部あたりには、水深の浅い海や、蘆におおわれた低湿地が広がっていた。その辺を難波潟とか難波江とか呼んだ。

【補記】天喜四年(1056)の皇后宮寛子春秋歌合に「残雪」の題で出詠した歌。

【他出】皇后宮春秋歌合、範永朝臣集、栄花物語、古来風躰抄、歌枕名寄、題林愚抄

藤原兼房朝臣の家にて、老人惜花といふことをよめる

散る花もあはれと見ずやいそのかみ古りはつるまで惜しむ心を(詞花40)

【通釈】散る花も、憐れと見てはくれまいか。すっかり年老いてしまってまでも、花を惜しむ人の心を。

【語釈】◇藤原兼房 1001-1069。中納言兼隆の息子。数寄の歌人。◇いそのかみ 枕詞。もともと地名「布留(ふる)」にかかる枕詞であったが、同音の動詞「古(ふ)る」にもかかるようになった。◇古(ふ)りはつる すっかり古びる。花を雪に見立てれば、「降り果つる」の意が掛かろう。

橘俊綱朝臣、伏見にて歌合し侍りけるに、晩涼如秋といふ事を

松風の夕日がくれに吹くほどは夏すぎにける空かとぞ見る(新拾遺1585)

【通釈】夕日が山の端に隠れる頃、松の梢を鳴らして風が吹く――そんな頃合いの空は、夏も過ぎたように涼しげに見えるよ。

【語釈】◇橘俊綱 前出。

【主な派生歌】
軒ちかき山下荻の声たてて夕日がくれに秋かぜぞふく(藤原家隆[新拾遺])

広沢の月を見てよめる

すむ人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり(後拾遺258)

【通釈】住む人もいない山里の秋の夜は、さやかに照らす月の光も寂しくみえるなあ。

【語釈】◇広沢 広沢の池。京都市右京区、北嵯峨の地に古くからある灌漑用水。月の名所とされ、池のほとりに遍照寺があり、月見堂があった。◇すむ 「澄む」の意が掛かり月の縁語となる。

【補記】金葉集三奏本の詞書は「遍照寺にて秋晩のこころをよめる」。

【他出】金葉集(三奏本)、玄々集、新撰朗詠集、時代不同歌合、十訓抄、沙石集

【類想歌】藤原定頼「定頼集」
  広沢に人々いきて、月のいみじうあかう池にうつりたりけるに
すむ人もなき山里の池のおもはやどる月さへさびしかりけり

月を見て遣はしける

見る人の袖をぞしぼる秋の夜は月にいかなる影かそふらむ(新古409)

【通釈】秋、夜空を見上げていると、袖は涙に濡れ、しぼらなければならないほどです。月にどんな面影がだぶってくるからでしょうか。貴女の面影が重なるのです。

【語釈】◇見る人 秋の夜空の月を見る人。自分のことをぼやかして言っている。

【補記】相模に贈った歌。相模の返しは、「身にそへる影とこそ見れ秋の月袖にうつらぬ折しなければ」(大意:秋の月を、身に添って離れない貴男の面影と見ているのです。いつも涙に濡れた袖には月の光が映っているので)。恋歌の贈答のように見えるが、新古今集では秋歌の部に収め、恋歌めかして秋の夜の情緒を詠み交わした歌としている。

草むらの露をよみ侍りける

今朝きつる野原の露にわれぬれぬうつりやしぬる萩が花ずり(後拾遺304)

【通釈】今朝、歩いて来た野原の露に、衣がびっしょり濡れてしまった。萩の花の汁に擦られて、美しい色は染みついただろうか。

【語釈】◇花ずり 花摺り。花の汁をすりつけて色を染めること。

【本歌】作者不明「万葉集」巻十
わが衣摺れるにはあらず高松の野辺行きしかば萩の摺れるぞ
【参考歌】催馬楽「更衣」
ころもがへせんや さきんだちや わがきぬは 野原しのはら はぎの花ずりや さきんだちや

九月尽日、秋を惜しむ心をよみ侍りける

あすよりはいとど時雨やふりそはむ暮れゆく秋を惜しむ袂に(後拾遺372)

【通釈】冬となる明日からは、ますます時雨が降って、袖にかかるだろうよ。今日、暮れてゆく秋を惜しみ、もう私の袂は涙で濡れているのだけれど。

【語釈】◇ふりそはむ 袖はすでに涙で濡れているが、そこへさらに時雨が降って加わるだろう、ということ。

女に遣はしける

つらかりしおほくの年は忘られて一夜の夢をあはれとぞ見し(新古1162)

【通釈】思いを遂げるまでの辛かった年月も、忘れてしまいました。たった一夜、あなたと結びついた夢は、それほど素晴らしかったのです。

【補記】後朝(きぬぎぬ)に女に贈った歌であろう。「あはれとぞ見し」の「あはれ」はしみじみとした喜びの感情。

題しらず

有明の月も清水にやどりけり今宵はこえじ逢坂の関(千載498)

【通釈】有明の月も、逢坂の関の清水に宿っているよ。我々も、今夜は関を越えまい。清水のほとりで旅寝して明かそう。

【語釈】◇有明の月 ふつう、陰暦二十日以降の月。月の出は遅く、明け方まで空に残る。◇清水 逢坂の関にあった泉。参考「相坂の関の清水に影みえていまやひくらん望月の駒」(貫之[拾遺])。◇逢坂の関 山城・近江国境にあった関。畿内と東国を隔てる。

【補記】千載集巻八羈旅歌の巻頭。金葉集三奏本の詞書は「宇治前太政大臣白河家にて、関路暁月といへることをよめる」。

【他出】「金葉集三奏本」「新撰朗詠集」「続詞花集」「古来風躰抄」「定家八代抄」「時代不同歌合」

ぬしなき家の桜を見てよめる

植ゑおきし人のかたみと見ぬだにも宿の桜をたれか惜しまぬ(千載547)

【通釈】この家に桜の木を植えた人は亡くなってしまった。その人の遺した形見だと知らない人でさえ、誰が愛惜しないだろうか。故人の死を悼む私は、なおさらだ。

【補記】哀傷歌。範永集によれば、吉野川で水死した藤原義忠(享年三十八)から贈られた桜の木を詠んだ歌。

後朱雀院うせさせ給ひて、上東門院白河にわたり給ひて、嵐のいたく吹きけるつとめて、かの院に侍りける侍従内侍のもとにつかはしける

いにしへを恋ふる寝覚やまさるらむ聞きもならはぬ峰の嵐に(後拾遺902)

【通釈】亡き院を恋しく思って過ごすこの頃、普段よりまして寝覚めがちではないでしょうか。聞き馴れない、峰の嵐のはげしい音にも。

【語釈】◇後朱雀院 寛徳二年(1045)崩御。◇上東門院 藤原彰子。後朱雀院の母。◇白河 白河殿。今の京都市左京区岡崎あたりにあった御所。◇侍従内侍 上東門院に仕えた女房。上東門院に直接歌を差し上げるのを憚り、代りに女房に送ったのである。

【補記】後朱雀院崩後、白河殿にあった上東門院に宛てた歌。後拾遺集巻十五雑一の巻軸。


最終更新日:平成17年04月24日