◎エイドリアン・レイン著『暴力の解剖学』
本書は『The Anatomy of Violence: The Biological Roots of Violence』(Pantheon, 2013)の全訳である。著者エイドリアン・レインは、ペンシルベニア大学で犯罪学、精神医学、心理学の教授を務めている。また本書でも取り上げられている殺人犯ドンタ・ページの裁判などに弁護団の相談役として参加し、磁気共鳴機能画像法(fMRI)などで撮影した脳画像を法廷に提出するなどの実践的な活動も行なっている。
本書は、「神経犯罪学(neurocriminology)」と呼ばれる、脳や自律神経系などの生物学的な構造や機能の欠陥が、いかに反社会的性格を生み、ひいてはその人を犯罪に至らしめるのかを研究する学問分野について包括的に解説する。ただし著者は、生物学的要因と環境要因の複雑な相互作用を前提とするバイオソーシャルな観点を強調し、遺伝や生物学的特徴によって犯罪者の性格が先天的に決定されると主張しているわけではないし、ましてやオブラートに包んだ優生学を展開しているのでもない。なお著者の言では、「神経犯罪学」という用語は、著者らが論文でこれまで何度か用いてきたが、現在でもそれほど一般的に使われているわけではなく、『暴力の解剖学』が、この用語を広く世に知らしめる最初の機会になるとのことである。よって本書は、まさに史上初めて読者を「神経犯罪学」に招待する本だとも言えよう。
次に本書の構成を簡単に説明しておく。本書は一一の章から成るが、もう少し大きくとらえると訳者の見立てでは三編に分けられる(著者自身は章単位にしか分割していない)。「はじめに」「序章」を含めた第2章まではいわば導入編をなし、「第1章 本能の働き」では進化の観点から、「第2章 悪の種子」では遺伝の観点から暴力を考察する。この導入編は、著者の専攻分野とはやや離れており、内容もかなり理論的な側面が勝っている。ちなみに著者はオックスフォード大学の学生時代にリチャード・ドーキンスの教えを受けており、遺伝的な説明に関しては明らかにドーキンスからの影響が色濃く見られる。訳者宛の著者のメールにも、ドーキンスは確かにメンターの一人であると書かれていた。
第3章から第8章までは本書の中心となる実証編をなし、神経犯罪学の基本的な考え方を、順を追って丁寧に解説する。これらの章では暴力の生物学的要因を、脳の機能的欠陥(「第3章 殺人にはやる心」)、自律神経系(「第4章 冷血」)、脳の構造的欠陥(「第5章 壊れた脳」)を軸に検討する。それに続く第6、7章は環境要因に焦点を移し、「第6章 ナチュラルボーンキラーズ」ではおもに母親の養育方法や、出生前の妊婦の喫煙、アルコール摂取の影響が、「第7章 暴力のレシピ」では、栄養不良や重金属への暴露、さらには精神病の影響が論じられる。そしていよいよ「第8章 バイオソーシャルなジグソーパズル」では、生物学的要因(第3〜5章)と環境要因(第6、7章)がいかに相互作用を起こしてのちに反社会的性格や暴力を生むのかが解説される。
残りの三章は実践編を構成し、導入編、実証編で述べられた理論的、実証的な基盤をもとに、より実践的な側面が検討される。「第9章 犯罪を治療する」では、暴力を抑制するための介入手段が、「第10章 裁かれる脳」では神経犯罪学の知見が、法の現場(裁判)においていかなる意味や影響を持ち得るのかが、そして「第11章 未来」では未来シナリオを用いて今後犯罪にいかに対処していくべきかが倫理問題を含めて検討される。
以上の構成からもわかるとおり、本書は分量こそかなり多いながら、説明の筋道が明確なのでとても読みやすい。のみならず、各章の冒頭には(およびそれ以外の箇所でも)、その章の内容に見合った凶悪殺人犯の具体的な事例が取り上げられており、専門家のみならず一般の読者にも論点がとらえやすいよう工夫されている。また個々の記述を単独で取り上げても、たとえば子どもの養育に関してすべきこと、してはならないことなど、日常生活で非常に参考になる知見が随所にちりばめられている。
本書の概略の説明を終えたところで、お詫びと補足を記しておきたい。まずお詫びから。本書では本文中に、基準率(base rate)、効果量(effect size)、統計的なコントロール(statistical control)、分散(variance)、ばらつき(variability)、変動(variation)などの統計学の専門用語がたまに出現する。これらのような専門用語がときに出現する理由は、本書が一般読者と専門家の両方を対象にしていることの他にも、比較実験からのデータを統計的に処理して得られた相関的な観察結果を、因果関係を示すものとしてとられないよう著者が細心の注意を払っているからだとも考えられる。それは「これは因果関係に近い」などの言い回しからもわかる。これに関して、一般読者のためにこれらの専門用語を一般的な言葉で統一してよいかを著者に尋ねたところ、そこは正確に訳してほしいという回答を得た。そのような経緯があり、統計用語はそのまま本文中に残した。初出箇所にはある程度の訳注を加えたが、なにぶん訳者自身統計学の知識には疎いため、十分な説明にはなっていないケースがあるかもしれない。しかしそれらの用語の意味を正確に把握しなければ内容を理解できないなどということはないので、この点に関してはどうかご容赦願いたい。
さて補足に移ろう。一点目はフェミニズムへの言及に関してで、米アマゾンのユーザーコメントにも、著者がフェミニズムを攻撃していると誤解したと思しき書き込みが見られる。しかし本書をよく読めばわかるように、著者はフェミニズムの考え方そのものを否定しているわけではない。フェミニズムに関する著者の批判は、「家父長制などの文化的装置だけに焦点を絞っていては、男性の暴力の現実的な解消にはつながらない」という点に尽き、あくまでも手段を対象にしてのものである。したがって、本書はむしろフェミニストにも大いに参考になるはずだ。
二点目は次のとおり。レイン氏の業績に触れて、彼が「反社会的な人の血液の温度は低い」という主張をしたように記されている他の著者の本があった。この言い方は反社会的な人が爬虫類等の下等動物への退行であるかのような印象を与える。しかしこれはまったくの誤解で、著者の言う「cold-blooded」は、「冷酷な」という一般的な用法以外では「安静時心拍数の低さ」という意味でしか使われていない。この点については著者に確認したが、いかなる論文、著書でも犯罪者の血液の温度に言及したことはないし、そのような研究があることも知らないとの回答を得た。
さて、実践編(特に最後の二章)に関してもう少し補足しておく。そこで述べられている見解に対する読者の反応は間違いなく分かれるはずだ。というより、そもそも著者自身が大きく揺れている。最終章の未来シナリオを読んで、そこに描かれているような方法で暴力を抑制する未来社会を、著者は肯定しているのか否定しているのか、もっとはっきりさせてほしいと思う読者もいることだろう(最終的には肯定的と見なせる回答を出してはいるが)。だが、そのような不明瞭さは決して本書の弱点ではない。むしろ今後の社会はこうあるべきとはっきりと断言していれば、そのほうが眉唾ものだと言えよう。実践編で論じられている問題は読者の一人ひとりが考えていくべきことであり、とりわけ二〇〇九年から新たに裁判員制度が始まり、読者自身が殺人事件の裁判に関わる可能性が出てきた現在の日本では、そのことは特に言える。裁判員として殺人事件を担当しなければならなくなったとき、最終的にいかなる判断を下すかは別として、本書にあるような知識を持っているかいないか、そして、神経犯罪学が明らかにした事実から生じる、倫理面を含めた種々の問題について一度でも考えたことがあるか否かは、いろいろな面で重要な相違をもたらすはずだ。このように、犯罪についてじっくりと考える機会を与えてくれる本書は、世界でも犯罪発生率がきわめて低い日本においても非常に大きな意義を持つと、訳者は考えている。
ところで二一世紀に入った今日、科学的知識が倫理を含めた実践面にますます強く関与するようになった感がある。その顕著な科学分野の一つが脳研究であり、脳研究と、倫理、心理、司法、教育、環境などの問題が複雑に交錯する本書もその一例と見なせる。このような傾向を持つ脳科学の本は、ここ数年で間違いなく増え続けており、脳科学の進歩とその発見の応用に多大な関心を寄せている読者も多いことだろう。そこでスニークプレビューも兼ねて、最新の脳科学とその実践的な応用がわかりやすく論じられている本を一冊紹介しよう。それは、脳科学者スタニスラス・ドゥアンヌの著書『意識と脳――思考はいかにコード化されるか』(紀伊國屋書店,2015年)である。タイトルが示すとおり、この本は、脳にいかなる活動が起きたときに意識が生じるのかを、さまざまな実験の結果を参照して検討したうえで「グローバルニューロナルワークスペース理論」と呼ばれる仮説を構築していく。そしてさらに、それを閉じ込め症候群患者とのコミュニケーションの回復や、長期にわたり意識を喪失している患者の意識の回復などの実践面に応用する。ドゥアンヌの本も、ぜひ一読されたい。
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