◎ロブ・ダン著『世界からバナナがなくなるまえに』

 

 

本書はNever Out Of Season: Now Having the Food We Want When We Want It Threatens Our Food Supply and Our FutureLittle, Brown and Company, 2017)の全訳である。著者のロブ・ダンはノースカロライナ大学教授で、進化生物学者である。既存の邦訳には、『アリの背中に乗った甲虫を探して――未知の生物に憑かれた科学者たち』(田中敦子訳、ウェッジ、二〇〇九年)、『わたしたちの体は寄生虫を欲している』(野中香方子訳、飛鳥新社、二〇一三年)、および拙訳による『心臓の科学史』(青土社、二〇一六年)がある。

 

大ざっぱに言うと本書では、(灌漑、機械化、および化学肥料、殺虫剤、殺菌剤、除草剤の大量投与などにより)資本を集中投下し、遺伝的に均質なたった一種類の作物を大農場で栽培する現代の作物栽培方式(工業型農業、モノカルチャーなどと呼ばれる)が、私たちが生きていくためにはなくてはならない作物をいかに危機的な状況に追い込んでいるかが、また、そのような状況に直面している私たちは、それにどう対処すればよいのかが論じられる。一六の章と「エピローグ」から構成され、具体的なストーリーを語ることで、これらの主題が浮き彫りにされる構成がとられており、内容の複雑さとは裏腹に非常に読みやすい。『心臓の科学史――古代の「発見」から現代の最新医療まで』(青土社、二〇一六年)を翻訳したときにも感じたことだが、著者のロブ・ダンは研究者であって決して専門のライターではないにもかかわらず語り口がきわめて巧みで、彼の著書を読むと、読者を引きつけるコツを十全に知ったうえで書かかれているということがよくわかる。

 

次に各章の内容を簡単に紹介しておこう。本書の前半にあたる第1章から第11章までは、各主要作物を対象に、それらがどのような危機に陥った、あるいは陥っているのかがストーリーを語ることで具体的に解説される。取り上げられている作物は、第1章がバナナ、第2、3章がジャガイモ、第4、5章がキャッサバ、第6、7章がカカオ(チョコレート)、第10章がコムギ、第11章が天然ゴムである。第8、9章では、農業の発展のために世界各地で作物の種子を収集し一大種子コレクションを築き上げたロシアの植物学者ニコライ・ヴァヴィロフの業績と、ドイツ軍に包囲されたレニングラードでヴァヴィロフの種子コレクションを死守した人々のストーリーが語られる。したがって個人的には、構成上第8、9章はむしろ後半にまわしたほうがよかったのではないかという印象を持っているが、特に大きな問題ではない。

 

後半にあたる第12章以後(および第8、9章)は、作物やそれと相互作用する生物の保管、保護、研究の必要性が論じられる。したがって前半よりも理論的な側面が色濃く見られるようになるが、第12、13章を除けば、ストーリーが中心になる点に変わりはなく、難度はさほど上がらない。第12章では、作物やその近縁野生種のみならず、花粉媒介者などの共生生物、さらには害虫や病原体などの作物に害を及ぼす生物を含めて野生の自然を救わなければならない理由が論じられる。第13章は、害虫や病原体と作物が互いに一歩先んじようとして行なう進化的な競争を、(ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に登場する)赤の女王のレースにたとえる。第14章では、万一に備えて世界各地の種子を永久保存ずることを目的として創設されたスヴァールバル世界種子貯蔵庫を設立した立役者の一人キャリー・ファウラーの苦闘が語られる。第15章は、内戦が勃発してからもシリアで貴重な種子コレクションを守り続けてきた人々に関するエピソードを取り上げる。第16章とエピローグでは、著者自身の経験を織り交ぜながら、作物を救うにあたり私たちの一人ひとりに何ができるかが提示される。本書の内容全般に関して一点重要な指摘をしておくと、著者は進化生物学者であり、本書全体に進化生物学によって得られた知見が反映されている。そのおかげで本書は、単なる時事的なドキュメンタリーにとどまらず、ポピュラーサイエンス書のファンにとっても読み応えのある一冊に仕上がっている。

 

ところで、各章の紹介で列挙した主要作物の名称を見てお気づきになっただろうか? そう、日本ではもっとも重要な作物であるコメがそこには欠けている。そもそもアジアが主産地であるコメは、欧米の大農場や、列強国がかつて植民地支配していた地域の大規模プランテーションにおいてではなく、おもに零細農民の手で栽培されている。したがって、コメは本書が警鐘を鳴らす作物の危機の対象にはならないのではないかと考えたくなるかもしれない。だがコメも例外ではない。これに関しては、日本ではなくインドネシアの事例ではあるが、{進化発生生物学/エボデボ}の第一人者ショーン・B・キャロルの最新の著書『セレンゲティ・ルール――生命はいかに調節されるか』(拙訳、紀伊國屋書店、二〇一七年)で取り上げられているのでここに紹介しておこう。インドネシアの稲田を壊滅させたのはトビイロウンカと呼ばれる害虫であり、その様子は次の記述でよくわかるはずだ。

 

しかし一九七〇年代中頃になると、フィリピン、インドネシア、スリランカなどの熱帯アジア諸国の鮮やかな緑の稲田は、オレンジがかった黄色、さらには茶色へと変化する。一九七六年には、大災害がインドネシアを襲う。一〇〇万エーカー〔およそ四〇〇〇平方キロメートル〕を超える耕作地が損害を被ったのだ。一年を通じて家族を養うのに必要な食料や、年間収入のほとんどを農産物に頼る地域では、状況は最悪であった。

凶作の原因は、トビイロウンカと呼ばれる小さな昆虫であった。大きさは数ミリメートルにすぎないが、稲にとまったメスのおのおのが数百個の卵を産む。そして卵から{孵/かえ}った腹ペコの幼虫は、育ちつつある稲から栄養分をかすめとる。水分を吸われた稲は、典型的な「ヨコバイ焼け」〔トビイロウンカはヨコバイ亜目〕を引き起こし、乾燥して黄色くなり、やがて{枯死/こし}する。温暖で湿気の多い熱帯地方では急速に世代交代するために、稲穂が実るまでには三世代のトビイロウンカが交代する。最初は稲一本あたり一匹以下だった個体数は、やがて五〇〇〜一〇〇〇匹へと爆発的に増加し、稲田を襲う。

当然ながら、その光景を目にした農民は、空から地上から大量の殺虫剤をまいて退治しようとしたが、トビイロウンカのアウトブレイクを抑えることはできなかった。かくして、年間三〇〇万人を養うに足る三五万トン以上の米が失われ、農民の多くはほぼすべてを失い、インドネシアは世界最大の米の輸入国にならざるを得なかった。

 

では、なぜトビイロウンカは大量の殺虫剤の投与に耐えられるようになったのか? この問いに対して著者は、殺虫剤に対する抵抗力の獲得などいくつか理由をあげているが、それには本書にも関連する以下のような理由が含まれる。

 

(……)稲田に殺虫剤を散布することで、なぜウンカが爆発的に増加したのか? 実は、ウンカはクモなどのいくつかの昆虫を天敵にしている。たとえば、コモリグモはかなりの数のトビイロウンカとその幼虫を食べる。殺虫剤は、ウンカの数をコントロールしているこのクモ(やその他のウンカの天敵)を殺す。かくして殺虫剤を散布された稲田では、ウンカの捕食者の数が減り、殺虫剤に対する抵抗力を持つウンカが増えたのである。

 

本書の著者ロブ・ダンが進化論に基づく動的な視点から害虫や病原体の被害を考察しているのに対し、『セレンゲティ・ルール』は、生態系の調節という構造的な視点から考察しているという違いはあるが、基本的に生物の生態に無知な、あるいはそれを無視した人間の営為によって主要作物に多大な被害が出るという点で、コメも何ら変わりはないということが、以上の記述によってわかるはずだ。日本はインドネシアと同じようになったりはしないと、はたして言い切れるのだろうか?

 

しかも作物の危機への対処の緊急性は、近年とみに高まっている。というのも、二一世紀になって以来、世界各地でテロが頻発するようになった今日の世界では、農業テロリズムによって、すなわち作物を破壊するために意図して害虫や病原体が持ち込まれるリスクが急激に高まりつつあるからだ。第6章「チョコレートテロ」では、たった五、六人の不満分子によって実行された驚くほど単純な破壊活動で、ブラジルのカカオ産業が完全に崩壊してしまった経緯が紹介されているが、殺虫剤や殺菌剤に対する耐性を備えた害虫や病原体にはなはだ弱いモノカルチャーが基本となる現代農業は、テロによっていとも簡単に壊滅する可能性があり、悪くするとチョコレートテロの例のように一国の主要産業が崩壊をきたす場合すらある。もちろん害虫や、害虫(あるいはネズミなどの小動物)が媒介する病原体は、すでに古代から戦争の手段として利用されていた(これについては、昆虫学者ジェフリー・A・ロックウッドの著書『Six-Legged Soldiers: Using Insects as Weapons of War』(Oxford University Press, 2009)に詳しい)。しかし現代農業のテロに対する脆弱性、ならびに農業テロによってひとたび被害が生じたときの損失の程度は、かつてよりはるかに高まっている。もっぱらアメリカの農業を対象とした記述ではあるが、前述のロックウッドの著書から、現代農業のテロに対する脆弱性について論じた箇所を、やや長くなるが引用しておこう。

 

現代世界における昆虫兵器の役割は、戦争の性質とともに急激に変わりつつある。航空機や戦車の支援を受けながらも情報を持たない軍隊同士が、領土の確保を目指してぶつかり合う従来の戦闘は、即席の武器を用いて文化的、政治的な勝利を目指す非正規勢力との戦闘にとって代わられつつある。その勝敗は、〔非正規勢力側が駆使する〕隠密行動、{破壊工作/サボタージュ}、欺瞞によって拮抗する。そして昆虫こそまさに、「非対称的な」戦争を遂行するための理想的な手段になり得る。

これまで長いあいだ、軍事計画者は人間が攻撃の主要なターゲットであることを前提にしてきた。だが二一世紀の不正規戦争における敵との戦いでは、安全保障や防衛の計画者は、これまでとは異なるシナリオに直面しなければならない。テロリストの観点からすれば、アメリカの農業は、「貴重な(valuable)」「必須の(vital)」「脆弱な(vulnerable)」という三つのVを備えた格好の標的なのである。

               (……)

官僚や政治家には、〔昆虫兵器の出現を〕懸念しなければならない理由が十分にある。偶然によってであろうが、無知のためであろうが、悪意によってであろうが、侵襲的な生物が持ち込まれれば、アメリカの経済と社会にばく大な損失がもたらされ、その健全性が失われる可能性が高いことは、歴史をひも解けば明らかなのだから。

一九〇六年から一九九一年にかけて、五五三種の外来生物がアメリカに持ち込まれたと見積られている。ちなみに、その三分の二は昆虫である。これらの侵入者によってもたらされた損害額の正確な見積もりはなされていないが、入念な分析が行なわれた四三種の昆虫に関して言えば、それらによってこれまでに九三〇億ドルの損失がもたらされたことがわかっている。この額は、それ以外のすべての外来生物種による損害額の二〇倍以上だと考えられている。もちろん昆虫はたいがい、人間ではなく作物や家畜を攻撃する。しかし狡猾なバイオテロリストも、先見の明のあるリーダーも、欧米社会は、大勢の人々を殺さなくても、あるいはそもそもただの一人も殺さなくても、由々しきダメージを受ける可能性があることを知っている。(……)

アメリカの農業はバイオテロリストにとって格好の標的だ。アメリカの農場や牧場は無防備に等しい。農業は広大な地域に広がっているのだから、効果的な攻撃は不可能だと主張する分析家もいる。敵が核兵器や化学兵器を用いているのなら、その見方は正しいだろう。だが、放射性同位体や神経ガスに半減期があるとするなら、生物には倍増期(doubling time)がある。単純に言えば、生物は、自ら広がって生殖するのだ。しかも非常に効率的に。

 

放射性同位体や神経ガスに半減期があるとすると、生物には倍増期があるというのはまさに言い得て妙だが、核兵器や化学兵器が自ら進化することはないのに対し(もちろん人間の手で進化?させることはできるが)、生物兵器は勝手に倍増しつつ進化する。だからこそ、チョコレートテロの事例が如実に示すように、最初は誰にも気づかれずに、わずかな人数でこの究極の兵器をばらまくことができるのである。

 

ここまで述べてきたように、本書はもちろん「作物がやばい!」という警鐘を鳴らす警告の書でもあるが、それにどう対処すべきかについてもおもに後半部で考察されている。その方法の一つは作物の伝統品種、ならびに近縁野生種の種子や塊茎の収集(コレクション化)、永久保存で、それに尽力した人々の例として、ニコライ・ヴァヴィロフと彼のコレクションを死守した人々(第8、9章)、スヴァールバル世界種子貯蔵庫を設立したキャリー・ファウラー、混乱を極めるシリアで種子コレクションを守り続けているアーメド・アムリら国際乾燥地農業研究センター(ICARDA)のスタッフの苦闘が紹介されている。著者はさらに、作物のみならず作物が相互依存する生物(花粉媒介者、共生生物、さらには害虫や病原体でさえ)も、保護すべきだと主張する。もちろん避難栽培のような農法に加え、クリスパーなどの最新の遺伝子操作技術にも触れられているが、それらの技術によって病害抵抗性を備えた作物の育種が迅速に行なえるようになったとしても、伝統品種、近縁野生種、作物が相互依存する生物の保護、収集の必要性がなくなるわけではないと力説する。ちなみにクリスパーを始めとする遺伝子操作技術に関しては、本書でも簡単に説明されているが、より詳しく知りたい読者は、小林雅一著『ゲノム編集とは何か』(講談社新書)がわかりやすいので参照されたい。

 

また読者にとってより重要な提言として、最終章とエピローグで、自分たちでも農業の発展に貢献できることが強調されている。もちろん訳者のように大都市のマンションで暮らす都市住民にはむずかしいのかもしれないが、庭つきの家に住んでいる人は、自分で作物を植え、その成長を観察しそれに付着した害虫などに関する情報をオンラインで報告することが可能である(最後には自分で食べることもできる)。本書では、その種のオンライントサイトの一つとして、プラントヴィレッジが紹介されている。このような科学に対する市民の貢献は市民科学と呼ばれており、ここ一〇年ほどでインターネットサイトを中心に急速に発展しつつある。現在では作物の危機に対処するにあたっても、一般市民が、一人ひとりの貢献はわずかであっても総体的には多大な貢献を行なうことができるのである。なお、市民科学に関してより詳しく知りたい読者は、拙訳、マイケル・ニールセン著『オープンサイエンス革命』(紀伊國屋書店、二〇一三年)を是非参照されたい。

 

このように、私たちが普段あるのがあたり前と考えている作物が、現在大きな危機にさらされていることを教えてくれる本書は、まさに今必読の書だと言える。なぜなら、コメやコムギが全滅したら世界が同じままでいられるわけはないからである。

 

 

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