◎マイケル・ニールセン著『オープンサイエンス革命』
本書は『Reinventing Discovery: The New Era of Networked Science』(Princeton University Press, 2011)の全訳である。但し、一部の何度も繰り返される記述については、エージェントの許可のもとで数行削除した。
まず著者について簡単に紹介しておこう。マイケル・ニールセンは、量子コンピューター研究のパイオニアの一人で、同氏のホームページによると、量子テレポーテーションの実験を最初に行なった研究者の一人でもあり、また、マサチューセッツ工科大学のアイザック・ツァン氏との共著『{Quantum Computation and Quantum Information/イタ}』(Cambridge University Press, 2000)は、すべての物理学書のなかでも、引用数でベストテンに入る(グーグルスカラーによる調査[二〇一二年三月])。現在の彼は、研究の軸足を科学におけるオンラインコラボレーションやオープンサイエンスに移しており、その成果が本書にまとめられている。
最初に明確にしておくと、本書『オープンサイエンス革命』の目的は、原題の「Reinventing Discovery(発見の方法の再発明)」が示すように、科学的発見の方法そのものの変化にメスを入れることにある。より具体的に言うと、一九九〇年代以来急激な成長を遂げているインターネットを基盤とするオンライン科学プロジェクトの発展によって、技術的、制度的な面で、科学がどのように変わりつつあるかが解説されている。それにあたって著者は、オンライン科学プロジェクトの発展のカギとして以下のポイントをあげる。
●オンラインプロジェクトに参加する不特定多数のメンバーの注意と専門知識を、集合知として活用できるよう効果的に誘導する「注意のアーキテクチャー」の構築(第2、3章)
●モジュール化、再利用など、成功したオンラインコラボレーションに共通して見られるパターン(第4章)
●コラボレーションが成功する条件としての共有プラクシス(第5章)
●データのオープン化(「データウェブ」の実現)、及びそれに伴って発生する膨大なオンラインデータから意味を掘り起こす「データドリブン・インテリジェンス」の構築(第6章)
●科学の民主化(第7章)
●オープン化を妨げている現行制度(発表した論文の数を基準に研究者の業績を評価するあり方など)をどう変えていくべきかという実践的な問題(第8、9章)
これらはいままさに現実に起こりつつあるできごとに関するものであり、本書では根拠の薄い希望的観測が並べ立てられているわけではない。本文の最後にあるように、私たちは「(第二次)オープンサイエンス革命の夜明けの時代に生きている」のだ。
ところで、インターネットの発達によって時代の様相がどのように変わりつつあるかを解説する本は、たとえば梅田望夫氏のベストセラー『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書、二〇〇六年)を筆頭に、日本でも数多く刊行されているが、それらのほとんどは社会一般やビジネスにおける変化を主に扱っている。それに対し本書がユニークな点の一つは、科学という文脈でそれをとらえているところにある。
では、科学者ではない一般の読者には、あまり関係のないことが書かれているのかというと、そうではない。というのも、インターネットに接続できる誰もが、科学に対して何かしら貢献できる「科学の民主化の時代」が、オープンサイエンス革命の一つの局面として今まさに到来しつつあるという主張が本書のテーマの一つだからだ。しかも抽象的な理論に頼らず、たとえばオンラインプロジェクトのギャラクシー・ズーに参加して、未知の天体「ハニーのフォアウェルプ」を発見したオランダの女性教師ハニー・ファン・アルケルの活躍など、豊富な具体例を取り上げることで、とてもわかりやすく解説されている。いわばズブの素人が重要な科学的発見をしたことを示すこれらの事例を通して、つい一〇年前まではまったく考えられなかったような状況が、現在では生じつつあることを実感できるはずだ。
もちろん大発見をして自分の名前を世界に知られることが重要なのではなく(アルケルのようにそれも不可能ではないが)、たとえわずかでも科学の進歩に貢献したという充足感が得られ、またそのような活動を通して自己啓発的な意義を体得できるところにこそ、「科学の民主化」の真の価値はある。「フォールド・イット」というたんぱく質の構造解析ゲームのプレイヤーが、「社会が抱えている難題の一つを解決し、世の中に貢献する機会を与えるフォールド・イットは、タンパク質の折りたたみ構造の解明と同じくらいの〈報酬〉をもたらすわけではない〈ゲーム〉に無駄な時間を費やすよりも、はるかに有益な時間の過ごし方を提供してくれる」といみじくも語っているように、金銭とは違った、大げさに言えば社会における自己の価値の再発見という重要な〈報酬〉が得られるオンラインプロジェクトは、私たちの生活態度を変えるポテンシャルを秘めている。本書で取り上げられているオンラインプロジェクトは、すべて英語で運営されているサイトなので、参加には多かれ少なかれ英語の能力が必要とされるが、その点に支障がなければ実際にチャレンジしてみるとよいかもしれない。
だがもちろん、バラ色の未来を約束すると著者が謳う「オープンサイエンス革命」にも問題がないわけではない。本書では、第一次オープンサイエンス革命で重要な役割を果たした科学雑誌が、今やネットワークをベースとするオープン化の足かせになっているという問題が主に指摘されているが、ネットワーク化に伴って生じる一般的な問題のほとんどは、当然オンラインプロジェクトでも障害になり得る。それには、荒らしやスパマー、プライバシーの侵害、詐欺等の不法行為、不要な情報の氾濫、衆愚などの、メディアが伝達するデータの内容や量に起因する基本的な問題ばかりでなく、メディアそれ自体の特質によって無意識裏に及ぼされる、情動やものの見方への影響という、目には見えないながらも相当に深刻な問題も含まれる。ちなみに、そのような問題を具体例に即して解説する書籍としてシェリー・タークル著『つながっているのに孤独――人生を豊かにするはずのインターネットの正体』(渡会圭子訳,ダイヤモンド社,2018年)がある。
『オープンサイエンス革命』では失敗したオンラインプロジェクトの例はわずかしか紹介されておらず、この点に関する分析が不足していると感じる読者もいるかもしれない。とはいえ本書は、ネットワークと科学の接点で現在何が起こりつつあるかを示す見取り図が描かれた本として第一にとらえられるべきであり、実践的な問題の解決については、ネットワーク論や、それを可能にする技術一般の今後の進展とともに図られていく必要があるだろう。
ところで、訳者が本書に注目した理由の一つには、翻訳家に転向する以前、IT企業のエンジニアだったということがある(オープンソースプロダクトやXMLなどに関連するコンソーシアムに参加してそれらの有効活用を検討したり、諸技術の社内共有(再利用)を実現するシステムを開発したりしていた)。本書はシステム開発ではなく科学を対象にしているとはいえ、最初に読んだとき、訳者の個人的な経験を通して得られた問題意識に近いものを感じ取ることができた。たとえばIT業界では、科学哲学者マイケル・ポランニーの用語を拝借して、「おのおのの開発者が持つ〈暗黙知〉を、〈集合知〉として効果的に取り出すにはどうすればよいか」などという、一見すると大仰な議論が真剣に繰り広げられていた。このように、個々の開発者が持つ(暗黙の)専門知識を効率的に吸い上げ、プロクジェクト全体で、あるいはその企業全体の知識として共有する方法の確立は、IT企業でも一つの大きな課題であった。さらに言えば、本書で言及されている、既存の技術的知識の有効活用である「プログラムコードの再利用」や、オブジェクト指向技術の本格的な導入(その目的の一つには「注意のアーキテキクチャー」の構築がある)、膨大なデータから実践的な意味を引き出す「データマイニング」システムの構築などが急速に進んでいった一九八〇年代から二〇〇〇年代を、IT系エンジニアとして過ごした訳者には、本書にまとめられた著者の展望が手に取るようにわかった。
とはいえもちろん、本書を読むのにIT系エンジニアとしての経験が必要とされるわけではなく、今後の科学のあり方に少しでも興味があれば、本書から多くの洞察を引き出せるはずだ。またそれのみならず、「自分もオープンサイエンスの流れにうまく乗ってみたい」という、自己啓発的な衝動さえ覚えることだろう。著者が主張するとおり、私たちは激動の時代にいるということを訳者は実感している。論文のオープンアクセス化や、オンラインのオープンプロジェクト、クリエイティブコモンズなどの議論や実践は、欧米のみならず日本でも活発になってきている。オープンサイエンスの夜明けはほんとうに近いのではないだろうか。
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