◎エリック・R・カンデル著『なぜ脳はアートがわかるのか』

 

 

本書はReductionism in Art and Science: Bridging the Two CulturesColumbia University Press, 2016)の全訳である。著者のエリック・R・カンデルは、脳科学関連のポピュラーサイエンス書に親しんでいる読者であれば、少なくとも名前はよくご存知のことであろう。とはいえ本書はアートファンも手に取ることが予想されるので、簡単に彼の経歴を紹介しておこう。カンデルは戦前のウィーンでユダヤ系の家庭に生まれているが、一〇歳のときにアメリカに移住している。その後ハーバード大学に進学し、アメリカで脳科学研究に従事するようになる。とりわけ記憶の研究で知られ、本書でも「第4章 学習と記憶の生物学」で、アメフラシを用いた記憶の研究で得られた知見がかなり詳しく取り上げられている。ちなみに彼はこの業績により、二〇〇〇年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。アートと脳に関する本のなかで、いきなりアメフラシの実験の話が登場するのを訝しく思う読者もいるかもしれないが、そのような経緯があることに留意されたい。彼の記憶の研究については、残念ながら訳者は未読であるが、『In Search of Memory: The Emergence of a New Science of Mind』(W.W. Norton & Company, 2007)に詳しく書かれているようである。

 

ちなみに記憶を含めた脳神経科学の知見を芸術の受容の理解に適用するという本書のテーマは、前著『芸術・無意識・脳――精神の深淵へ:世紀末ウィーンから現代まで』(須田年生,須田ゆり訳、九夏社、二〇一七年)でも展開されている。こちらは、原書の『The Age of Insight : The Quest to Understand the Unconscious in Art, Mind and Brain, from Vienna 1900 to Present』(Random House, 2012)が刊行されたときにさっそく購入して読んでみたが、六〇〇頁を超える大著でもあり、また、取り上げられている画家が、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカという、主流の画家とは言いがたい三人におおむね焦点が置かれていることもあって(クリムトは、その独特の表現様式から相応の人気があるとしても)、一般読者が気軽に読めるたぐいの本ではないという印象を受けた。それに対し本書は、原書で本文が二〇〇頁もなく(しかも図版が多いため文章量はそれよりはるかに少ない)、また、取り上げられているのは、印象派からニューヨーク派の画家、さらには現在でも活躍しているアーティストに至るまできわめて多彩である。また前著同様、絵画作品のカラー図版がふんだんに挿入されている。それゆえ脳科学にそれほど関心がなくても、とりわけ現代アートに関心のある読者なら審美的、美学的観点のみならず、いつもとは異なる脳科学の視点から芸術の受容の問題について考えることができるという点からも、新鮮な感覚を持ちつつ興味深く読み進められるはずである。もちろん、芸術の受容に関するカンデルの見解は、脳科学の知見のみに依拠しているわけではなく、アロイス・リーグル、エルンスト・ゴンブリッチ、クレメント・グリーンバーグらの美学者や美術史家、エルンスト・クリスらの精神分析家、さらにはジョージ・バークリーやジョン・ロックなどの哲学者たちの考えにも依拠しており、きわめて幅広く領域横断的にとらえられている。つけ加えておくと、本書の原書は二〇一六年に刊行されており、現時点ですでに、カンデルの最新刊ではない。最新刊は二〇一八年に刊行された『The Disordered Mind: What Unusual Brains Tell Us About Ourselves』(Farrar, Straus and Giroux, 2018)だが、こちらは前二作とは異なり、基本的にアートとは無関係である。

 

ところで「領域横断的」という点に関して重要な指摘をしておくと、原書の副題に「Bridging the Two Cultures」とあるように、本書の大きな狙いは、二つの文化のギャップを埋めることにある。ここで言う二つの文化とは、「世界の物理的な本質に関心を抱く科学の文化」と、「人間の経験の本質に関心を抱く、文学や芸術をはじめとする人文文化」を指す。「はじめに」と「第14章 二つの文化に戻る」という冒頭と掉尾を飾る二つの章では、C・P・スノーの見解を取り上げつつ、これら二つの文化の橋渡しをすることの重要性が強調されている。端的に言えば、本書は前著とともに、芸術という人文文化に属する一つの分野を、科学の一分野たる大脳生理学の観点から見ることで両文化の橋渡しを試みる本だと言える。のみならず、その逆に芸術の観点から脳科学を見る可能性も論じられ、画家が行なっている視覚的な実験が、科学の知見の発展に役立つことも示唆されている。たとえば、ノーベル賞に輝いた記憶研究で用いた海のカタツムリ、アメフラシ(sea snail)に言及して、「実のところ、還元主義的分析にカタツムリが有用であることは、すでにアンリ・マティスによって示されていた(p54-55)」と述べられている。もう一つ例をあげると、「脳科学者は現在、クリムトとデ・クーニングが絵に描いた性と攻撃性の融合を探究しているところだ(p98)」などといった記述は、それらの脳科学者が、実際にクリムトやデ・クーニングの絵を見て研究に着手したのではなかったとしても、絵画から脳研究のヒントが得られる可能性を指摘していると見ることができる。何しろ著者の最終的な結論は、「科学と芸術のおのおのが独自の視点を提供して、人間の本質に関する根本的な問いの解明を促すことができる(p187)」というものなのだから。

 

このように本書は、科学から見た芸術、そして芸術から見た科学を論じることに主眼が置かれているが、脳について詳しく論じる章と、アートについて論じる章が比較的明確に分かれているので、アートファンが本書を読んでも、脳科学関連の詳細な情報に圧倒されることはないはずである。ちなみに脳について詳細に論じる章は、第2部「脳科学への還元主義的アプローチ」を構成する三章、ならびに「第8章 脳はいかにして抽象イメージを処理し知覚するのか」「第10章 色と脳」くらいで、それ以外の章では、以上の章で取り上げられた知見をもとにして議論がなされる部分も当然あるとはいえ、脳に関する細かな説明はほとんどない。

 

そう前置きしたうえで、次に、本書では脳科学の観点からアートがどのようにとらえられているかについて簡単に触れておこう。基本は非常に単純である。それは、「風景画や肖像画を始めとする具象画は、脳のボトムアッププロセスに沿って処理されることを前提として制作されているのに対し、抽象画は脳のトップダウンプロセスの介入を核に処理されることを前提としている」というものだ。もちろん脳科学の知識を持たない画家たちが、そのような前提を意識していたはずはなく、あくまでも「直感的に」という意味であることに留意されたい。もう少し説明しておくと、ボトムアッププロセスとは、網膜から入って来た視覚情報が、外側膝状体を経て一次視覚皮質(V1)、V2、V3・・・と徐々に高次の脳領域へと送られていく過程を指す。トップダウンプロセスはその逆であり、高次の脳領域が持つ機能が低次の脳領域に干渉する過程を指す。「ボトムアップ情報は、視覚システムの神経回路に組み込まれた、たとえば顔認識能力などの計算ロジックによって提供されるが、トップダウン情報は、期待、注意、学習された関連づけなどの認知プロセスによって提供される(p112)」とあるように、ボトムアッププロセスはおもに生得的な能力に基づくのに対して、トップダウンプロセスは学習された情報に依拠し、そこに著者が本来専門としている記憶機能(と記憶を形成する学習機能)が関わってくる。そして学習や記憶機能を基盤とするトップダウンプロセスを通じて、鑑賞者の情動や想像力、あるいは創造力が喚起されるという点を、視覚システムが持つ海馬(記憶を司る脳組織)や扁桃体(情動を司る脳組織)との結合、あるいはデフォルトモードネットワークなどの脳科学の知見を動員しながら説明する。これらの点を抑えておけば、脳科学にそれほど馴染みのない読者でも、著者が提起するアートの脳科学を十分に理解できるだろう。

 

さて本書は文章量の少ない非常に簡潔な本なので、これ以上訳者がつけ加えることはあまりないが、一点だけ脳神経科学の観点からアートを見ることが今後いかなる知見をもたらし得るのかについて、訳者が最近読んだ脳科学書を参考にしつつ指摘しておこう。最近の脳科学書では、身体、感覚皮質、運動皮質、外界によって構成される精緻なフィードバックを通じて、認知や情動の一種のキャリブレーションが行なわれることが論じられている。ちなみにここで言う外界とは、自分が行なった随意的、もしくは不随意的な動作によって生じた環境の変化も含まれる。不随意的な動作のもっとも単純な例としては眼球によるサッケードがあげられようが、もっと複雑な身体器官の動きも含まれる。さらには、海馬のような記憶を司る脳組織は、もとは空間ナビゲーションを統御する役割を担っていたが、それが内化されることで記憶機能を担うようになったとも論じられるようになった(ジェルジ・ブザーキなど)。

 

これらの知見を総合すると、たとえば本書にも登場するジャクソン・ポロックらの、カンバス上に身体の動きをとらえたとも見なせるアクション・ペインティングの受容の基盤も、脳科学で説明できる部分がかなりあるように思えてくる。もちろんこれは脳の専門家などではない訳者の勝手な想像にすぎないのではあるが、今後もさらに、脳科学を適用することでアートの受容に関してさまざまなことがわかってくると期待できるのではないだろうか。その証拠に、「人間の経験の本質に関心を抱く、文学や芸術をはじめとする人文文化」に属するさまざまな事象が、脳科学や進化論の観点から、一定の範囲内で説明されるようになりつつある。たとえば拙訳では、脳科学の観点から犯罪を分析したエイドリアン・レイン著『暴力の解剖学――神経犯罪学への招待』(紀伊國屋書店、二〇一五年)や、部分的にではあるが進化論の観点から道徳や政治を論じたジョナサン・ハイト著社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』(紀伊國屋書店、二〇一四年)、そして脳科学と現象学の両方の観点から意識の問題にアプローチしたゲオルク・ノルトフ著『脳はいかに意識をつくるのか――脳の異常から心の謎に迫る』(白揚社、二〇一六年)があげられる。また拙訳以外では、やや恣意的になるが個人的に最近読んで感銘を受けた本をあげておくと、神経科学の観点から創造性という能力に切り込んだレナード・ムロディナウ著『柔軟的思考――困難を乗り越える独創的な脳』(水谷淳訳、河出書房新社、二〇一九年)や、エルコノン・ゴールドバーグ著『Creativity――The Human Brain in the Age of Innovation』(Oxford University Press, 2018)などが思い浮かぶ。このような流れを見るにつけても、アートの受容を脳科学の知見によって分析する本が刊行されるのはむしろ必然と言えるかもしれない。なお、個人的に読んだことがある類書(和書)としては、川畑秀明著『脳は美をどう感じるか――アートの脳科学』(ちくま新書、二〇一二年)があげられる。なお川畑氏の論文「Neural Correlates of Beauty」は、本書(一七七頁)でも言及されている。

 

 いずれにせよ本書は、脳科学関連のポピュラーサイエンス書の読者にも、アート関連の本の読者にも等しく楽しめるはずである。

 

 

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