◎ショーン・B・キャロル著『セレンゲティ・ルール』
本書は『The Serengeti Rules: The Quest to Discover How Life Works and Why It Matters』(Princeton University Press, 2016)の全訳である。著者のショーン・B・キャロルはエボデボ(進化発生生物学)の第一人者であり、現在はウィスコンシン大学マディソン校の教授を務めている。ただし本書は、直接エボデボをテーマとしているわけではない。既存の邦訳には、『シマウマの縞 蝶の模様――エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源』(渡辺政隆,経塚淳子訳、光文社、二〇〇七年)などがある。本書の主張はきわめて単純で、一言でまとめると「遺伝子のレベルから生態系のレベルに至るまで、抑制の抑制という二重否定論理に基づく調節メカニズムを介して、システムの安定性が保たれている」というものになる。しかも各章とも、一人もしくは数人の人物に焦点を置くストーリーを紹介しつつ、それと並行して理論的な側面を解説するという一貫したアプローチがとられているので、一般読者にも非常に読みやすく仕上がっている。
まず全体の流れを簡単に紹介しておこう。第T部では調節の概念が包括的に説明される。第1章ではホメオスタシスの概念を提起した生理学者ウォルター・キャノンの業績が、第2章では食物循環(のちに食物網と呼ばれるようになる)の概念を提起した生態学者チャールズ・エルトンの業績が紹介される。第U部では、身体の生理的調節が取り上げられる。具体的に言うと、第3章はジャック・モノーらによる酵素生産の調節の研究、第4章はコレステロールレベルの調節の研究と、コレステロール合成阻害薬コンパクチンの開発(この章には日本の菌類学者遠藤章氏が登場する)、第5章は遺伝子調節の不備によってがんが生じることを示したジャネット・ラウリーの研究と、抗がん剤グリベックの開発をそれぞれ取り上げる。第V部では、生態系における調節が取り上げられる。第6章では海岸における生態系の、第7章ではタンザニアのセレンゲティ国立公園における生態系の調節が論じられる。そして第7章では、本書のタイトルでもある六つの「セレンゲティ・ルール」が提示される。第8章は、第7章で提起されたセレンゲティ・ルールが破られると何が起こるかを、また、第9章と第10章は、セレンゲティ・ルールが破られために破綻した生態系の回復の試みを、実例をあげつつ紹介する。
なお、第4章に登場するアンセル・キーズと遠藤章の業績に関しては、摂訳、ロブ・ダン著『心臓の科学史』(青土社、二〇一六年)で、それぞれ一章を割いてかなり詳しく解説されているのでぜひ参照されたい。また、第8章で取り上げられている作物の害虫(や病原体)の問題に関しては、拙訳によるロブ・ダン著『世界からバナナがなくなるまえに――食糧危機に立ち向かう科学者たち』(青土社,2017年)でまるまる一冊を費やして検討されているので、そちらもぜひ参考されたい(ただし二重否定論理に基づく調節メカニズムという観点ではなく、進化論的観点から論じられている)。
ところで、著者が強調する二重否定論理に基づく調節メカニズムは、生命の基本をなすメカニズムであり、本書でもさまざまな事例が紹介されているが、もちろんこれらの事例に限られるわけではなく、探せば至るところに見つけることができる。個人的にも、生物学や生態系に関する本で、このメカニズムの現われと見なせる例を何度か読んだことがある。一例をあげよう。摂訳、スタニスラス・ドゥアンヌ著『意識と脳』(紀伊國屋書店、二〇一五年)に次のような記述がある。
(……)前頭皮質から線条体、淡蒼球、視床へ、そしてその逆方向へと活動を伝えるこれらのループを介して、皮質は間接的に自身を興奮させることができる。しかしこれらのうちの二つの接続は、興奮ではなく抑制に依存する。線条体は淡蒼球を、淡蒼球は視床を抑制するのである。ところで、脳が酸素の供給を絶たれると最初に損なわれる組織の一つは、どうやら線条体の抑制性細胞らしい。すると、十分な抑制を受けられなくなった淡蒼球の活動は増大し、視床と皮質の活動を過剰に抑制し、意識的な活動を保てなくするのだ。(p321)
この記述を本書の図式を用いて簡略化すると、正常時の流れは「線条体┤淡蒼球┤視床(→意識的な活動)」と、また異常時の流れは「(酸素の供給不足┤)線条体┤淡蒼球┤視床(→意識的な活動)」と表現できる(┤は抑制を意味する)。このように、二重否定論理に基づく調節は、意識までを含めた生命の基本現象を支える一般的な原理の一つとして作用しているのである。このことからも本書の主張の重要性を理解できるだろう。
では、一見すると不自然に思えるが、生命や生態系の安定性の維持になくてはならない二重否定論理に基づく調節メカニズムが、金太郎飴のごとく個体のレベルから生態系のレベルに至るまで作用するようになったのは、なぜ、そしていかにしてか? 実のところ、この問いに答えることは本書の意図にはなく、したがってそれについては読者が自分で考えるしかない。そもそもこの問いにまともに答えようとすれば、本書の量は膨大なものになっていたことだろう。とはいえ、そう言っただけでは身も蓋もないので、この場を借りて訳者の考えを述べておこう(よって著者の見解ではないので留意されたい)。
私たちは一般に、生命や生態系の発達や進化について考える際、本質的に何か新しいものが追加されると見なす、いわば加算モデルを直感的に前提にしているのではないだろうか。もちろん発達や進化によって、新たな組織や機能があとから生じることは確かだが、もしかするとそれは結果、あるいはこう言ってよければ副産物であって本質ではないという可能性はないのか? 実際にはその逆で、普遍的な可能性、もう少し思い切った言い方をすると万能性が徐々に制限(抑制)され、部分がいわば浮き彫りにされることで分化し専門化していくことが、発達や進化の本質をなすのではないだろうか? 言い換えると、生命や生態系は本質的な側面では、加算モデルではなく、いわば除算モデルでとらえるべきものではないのか? 個人的には、その点に気づかせてくれるのが本書『セレンゲティ・ルール』だと考えている。
まず個体発生(発達)に関して言えば、そのことは比較的容易に見て取れよう。というより、むしろ自明であろう。中学や高校で学んだように、未分化の状態のたった一個の細胞が、次々に分裂し制限を受けることで、最終的にきわめて複雑な一匹の動物や、一人の人間が完成していくのだから。多分化能(pluripotency)、ES細胞、iPS細胞などについて考えてみればよい。
しかし、より包括的な系統発生(進化)にも同じことが当てはまるのだろうか? 実はこの問いに答えることは、当然ながら非常にむずかしい。だが、訳者の知る限り一つだけ、この問いに答えるのに必要な手がかりを与えてくれる驚くべき本がある。それは神経科学者テレンス・ディーコンの著書『Incomplete Nature: How Mind Emerged from Matter』(W. W. Norton & Company, 2012)である。訳者は、最初に『セレンゲティ・ルール』を読んだとき真っ先にディーコンのこの本を思い出した。哲学者のダニエル・デネットでさえ、最新刊『From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds』(W. W. Norton & Company, 2017)で「むずかしいが重要な本」として言及している、ディーコンの恐ろしく難解な大著をここに要約することは不可能だが、この本は、物質から生物さらには意識、そして最終的には一種の合目的性に至る進化のプロセスを、まさに「制限(constraint)」の概念を一つの基本原理として解明している。誤解を招かないよう付言しておくと、ここでいう合目的性とは、神様のような超越的な存在が、発達や進化を導いているなどということを意味するのではむろんない。そうではなく、合目的的に振舞う人間のような生物が現に存在する以上、なぜそのような生物が進化し得るのかは問われてしかるべきであり、ディーコンは壮大にもそこまでを視野に入れて、それを可能にするメカニズムを解明しようとしているのである。合目的性とは少し違うが、先にあげた哲学者のダニエル・デネットも、最新刊のなかで「理解をともなわない能力(Competence without Comprehension)」という基本概念を提起し、特定のプロセスを通じて、当のプロセスにあらかじめ組み込まれていない能力が動的に創発する可能性について述べている。たとえば、「if, then, else」を基盤とするルールベースのアルゴリズムを脱して、ニューラルネットワークなどの最新の知見を組み込むようになった昨今のAIや、遺伝的アルゴリズムの応用について考えてみればよいだろう。それと同様ディーコンは、特定のプロセスを通じて、当のプロセスにあらかじめ組み込まれていない意識や合目的性が動的に創発し得ること、そしてそのメカニズムの基盤の一つに「制限」の作用が存在することを明らかにしているのである。
さてその「制限」についてだが、ディーコンの著書の巻末に掲載されている語彙集には次のように定義されている。
制限(Constraint)とは、あらかじめ規定された境界内に限定され拘束されることをいう。それは、存在するものではなく存在し得たものによって示される。実のところ、制限の概念は秩序、習慣、組織などといった概念を補完する。というのも秩序立てられたものや、組織化されたものは、変動の範囲や次元が限定されることによって冗長性や規則性を示す傾向が付与されるからである。動的システムは、変化の自由度が限定され、アトラクター〔力学系が時間経過のなかでそこに向かって収斂していく状態のパターン〕へと誘引される傾向を示すことにおいて制限される。制限は、かくして限定されるシステムに対して内在的でも外在的でもあり得る。
この定義からも、生命や生態系などの組織化された事象の根底には、その基盤となる動的システムの機能の一つとして、「制限」の働きが作用していることがわかる。ディーコンは、この「制限」の概念を一つのカギとして、恐ろしく錯綜した理論を展開しているが、本書『セレンゲティ・ルール』が提起する二重否定論理に基づく調節メカニズムは、ディーコンの提起する普遍的なメカニズムの、具体的な現われの一つとしてとらえることができるだろう。前述のとおり、二重否定論理に基づく調節メカニズムは、意識を保つメカニズムにおいてさえ作用しているのである。
このように書くと本書も難解な本であるかのような印象を与えかねないのでつけ加えておくと、すでに述べたようにストーリー性が重視された本書は、理論一辺倒のディーコンの著書と違って非常に読みやすい。分子生物学や遺伝学の知見が紹介される第U部だけは少し丁寧に読む必要があるかもしれないが、それ以外の章はまったくリラックスして読んでも楽に理解できるはずである。また、生態系の破壊は、言うまでもなく今日の大問題の一つであり、本書を読めば、生命や生態系の基盤となる調節の論理を無視した人間の営みによって予期せぬ破局が引き起され得るという環境倫理の問題を、具体例を通じて十分に理解できるはずである。いずれにせよ、いくつかのルールをミクロのレベルからマクロのレベルまで一貫して適用し、生命や生態系の謎の一端を鮮やかに解明しようとする試みは、ポピュラーサイエンス書の読者にとってはこたえられないだろう。
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