◎アラン・アルダ著『全米最高視聴率男の「最強の伝え方」』
本書は、『If I Understood You, Would I Have This Look on My Face?』(Random House, 2017)の全訳であり、現在ではサイエンスコミュニケーターとしても活躍する俳優のアラン・アルダが、俳優として、そしてサイエンスコミュニケーターとして得た自己の経験を踏まえながら、最適なコミュニケーションを行なうにはどうすればよいかを論じる。著者が研究者ではないことからもわかるように、本書は、サイエンスコミュニケーションやコミュニケーション一般に関する理論的な側面を解説した専門書ではなく、大学生、大学院生、さらには一般読者を対象とする、より日常感覚に沿い実践面に即したポピュラーサイエンス書と見なせる。取り上げられている内容は、おもにサイエンスコミュニケーションに関するものではあるが、本書の知見は、ビジネスシーンなど、より一般的なコミュニケーションにも適用できるだろう。とはいえ本書は単なるハウツー本ではなく、著者自身の経験に基づくエピソード的な記述のみならず、アルダセンター(後述)で行なわれているコミュニケーションに関する実験の成果や、他大学/機関の研究者の手で行なわれた実験の成果もふんだんに取り入れられており、ポピュラーサイエンス書としての実証性も十分に備えている。
まず著者のアラン・アルダについて、少し詳しく紹介しておこう。彼は、一九六〇年代に俳優としてキャリアをスタートさせている。ちなみに彼の父ロバート・アルダも、著名な俳優であった。アラン・アルダの名がアメリカで広く知られるようになったのは、一九七二年から一一年間放映されたTVシリーズ『M*A*S*H』に、ホークアイ・ピアス役で出演したことによってである(なお、ロバート・アルトマン監督の一九七〇年の映画化作品には出演していない)。TVドラマの他にも映画への出演が多数あり、一九七〇年代には珠玉のオカルト小品『悪魔のワルツ』(米・一九七〇)、日本劇場未公開ながら彼とオスカー女優エレン・バースティンの、ときにほのぼのとした、ときにトゲのあるすばらしい会話がほぼ二時間にわたって続く『Same Time, Next Year』(米・一九七八)、オスカー女優ジェーン・フォンダとの辛らつなやりとりで魅せてくれる『カリフォルニア・スイート』(米・一九七八)などに、また一九八〇年代および九〇年代にはウディ・アレン監督作品にも数本出演している。七〇年代、八〇年代の彼は、映画にしろ『M*A*S*H』にしろ、やや形容矛盾になるが、シリアスで張り詰めた会話主導のコメディパフォーマンスを得意としていた。その点では名優ジャック・レモンと似たところがあった。アルダは現在でも、俳優としてTVドラマシリーズや映画に出演しており、最近ではスティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の『ブリッジ・オブ・スパイ』(米・二〇一五)などに顔を見せている。また一九七〇年代後半からは、映画の監督や脚本も手がけており、本書にも言及のある『くたばれ! ハリウッド』(米・一九八六)はそのうちの一本である。余談になるが、個人的には、本書で言及されている戦闘シーンよりも、女優のミシェル・ファイファーが、キャベツをテーブルに叩きつけて芯を抜き、そのせいでアルダが演じる主人公の浮気がバレるシーンのほうが最高におかしく忘れられない。
しかし名門校フォーダム大学の出身で、もとより科学に強い関心を持つ彼は、科学ドキュメンタリー番組「サイエンティフィック・アメリカン・フロンティア」(一九九〇〜二〇〇五)の司会を務めるようになってから(そのいきさつは第1章に詳しい)、サイエンスコミュニケーターとしての活動を開始し、俳優業を続けながらも、むしろそちらに軸足を移すようになった。このシリーズや「ザ・ヒューマン・スパーク」などの科学ドキュメンタリーシリーズの司会はもちろんのこと、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校にアルダセンター(Alan Alda Center for Communicating Science)を設立する支援を行なうなど、サイエンスコミュニケーターとして多面的な活動を続けている。しかも本書を読めばわかるように、単に資金を出すだけでなく、コミュニケーションに関する実験を自分で考案したり(ただし実験自体は、ストーニーブルック校の教授が行なっている)、オンラインで「炎のチャレンジ」と呼ばれるコンテストを主催したり(第16章参照)など、実に多様な活動を繰り広げている。アルダセンターの活動の詳細については、https://www.aldacenter.org/を参照されたい。あるいは最近他の本で読んだ例を一つあげておくと、物理学者マックス・テグマークの近著『Life 3.0』(Knopf, 2017)によれば、テグマークらがAI関連の新たな組織の立ち上げイベントをMITで開催したおりに、アラン・アルダはその分野の第一人者とともにテクノロジーの未来について語り合ったとのことである。このように彼は、現在でも科学の普及に貢献するためにさまざまな活動を続けている。
次に、俳優アラン・アルダの手になる、サイエンスコミュニケーションをテーマとする本という、少々変わった本を今回取り上げた理由を簡単に説明しておく。一つには、日本の大学でもサイエンスコミュニケーションが、取り上げられるようになったことを知った点があげられる。それを知ったのは、昨年(二〇一六年)、訳者の卒業校である同志社大学において、関西では初となる文理横断型サイエンスコミュニケーター養成副専攻を立ち上げた野口範子教授が、同校東京サテライト・キャンパスで行なった講演で、サイエンスコミュニケーションについて簡単に紹介されたことを通じてであった。ポピュラーサイエンス書の翻訳をしていることもあって、科学を一般の人々にわかりやすくかつ的確に伝えるサイエンスコミュニケーターの養成が重要視されるようになったことを知って、大いに好奇心が煽られたのである。ちなみに、サイエンスコミュニケーター養成の試みはイギリスではすでに二〇世紀中に始まっており、日本でも二〇〇五年に東京大学、北海道大学、早稲田大学の三大学で最初に導入されている。サイエンスコミュニケーションに関する本は和書でもかなり出ているようであり、日本におけるこのような流れを少しでもあと押しできるのではないかと考え、一般の読者でも楽しみながら読める本書を取り上げることにしたのである。ちなみに本書は、ニューヨークタイムズ・ベストセラーに入っている。
もう一つの理由はきわめて個人的な話になるので手短に述べよう。訳者がIT業界から翻訳者に転向したのは、海外の知識や情報を日本へ伝えるという、いわば一種のサイエンスコミュニケーター的な役割を果たしたいと考えたからである。もちろん著者の活動を真似ることはほとんど不可能であるとしても、本書に見られる著者の姿勢は、訳者にとっても、サイエンスコミュニケーターを目指す人にとっても、格好のモデルになる。そう考え、また俳優としてのアラン・アルダの昔からの大ファンであることも手伝って、ぜひとも本書を取り上げたいと考えたのである。
次に本書の内容を簡単に紹介しておこう。ただし本書は多数(二一)の比較的短い章から成るので、章ごとに内容を紹介することはせず、キーワードを三つあげ、それらについて簡単に説明しておきたい。三つのキーワードとは「即興(improvisation)」「共感(empathy)」「ストーリー(story, narrative)」である。
まず「即興」についてだが、著者は若い頃、俳優として演劇のトレーニングを受けており、本書でもシアターゲームなど、演劇のトレーニングで行なわれているエクササイズがふんだんに取り上げられている。そのように言うと、一部の前衛劇を除けば台本に沿って演技する俳優のトレーニングが、基本的に当意即妙を要するコミュニケーションにどう関係するのかと{訝/いぶか}る読者もいるかもしれないので説明しておくと、俳優のあいだでは、舞台にあがった役者同士が互いにシンクロしてうまく関わり合えるようになるために、訓練の一つとして、当意即妙で、言い換えれば「阿吽(あうん)の呼吸」で演技する能力を磨く、即興のトレーニングが導入されているのである。なお、著者が依拠する即興トレーニングは、第1章に書かれているように、『即興術――シアターゲームによる俳優トレーニング』を著したヴァイオラ・スポーリンによるものである。ちなみに日本語版ウィキペディアの「サイエンスコミュニケーション」の項には、「俳優アラン・アルダは科学者と博士課程学生が演劇コーチの指導を通じてコミュニケーションに習熟できるようにする活動を行っている(ヴァイオラ・スポーリンの演技法を用いている)」とある。
次に「共感」だが、これについては少し詳しく述べておこう。というのも、第14章で共感に反対する心理学者ポール・ブルームの議論が取り上げられているが、訳者は彼の『反共感論――社会はいかに判断を誤るか』(白揚社、二〇一八年)も訳しており、共感に関して正反対の見解を開陳する二冊の本を同時期に取り上げたかのように思えるかもしれないので、両者は実際には対立しないことを述べておきたいからである。まず指摘しておきたいのは、共感には「情動的共感」と「認知的共感」があり、これら二つは明確に区別する必要があるという点である。「情動的共感」とは他者が感じていることを自分でも感じることをいう。それに対し「認知的共感」は、他者の立場に身を置いて、他者の視点でものごとを考えることをいう。したがって「情動的共感」が情動的、感情的な働きであるのに対し、哲学者や心理学者が「心の理論」とも呼ぶ「認知的共感」は、認知的、理性的な働きである。
ごく単純化して言えば、良好なコミュニケーションを保つためには共感力が必須の要件になるというのがアルダの主張だが、彼はここで言う共感に情動的共感と認知的共感の両方を含めている。ただし情動的共感は、それを行使する人を、精神科医ヘレン・リースの言う「情動の底なし沼」(第7章参照)に陥れる場合がある。つまり共感を抱く人は、コミュニケーションの相手が抱いている、恐れなどのネガティブな情動を取り込んで、それに圧倒される場合があり、たとえば医師が患者の情動を取り込んでしまった結果、患者に必要以上の不安を与えるなどといった不都合が生じる。したがって著者は、ヘレン・リースの考えに従って、情動的共感の基盤として認知的共感が必要とされ、「情動の底なし沼」にはまらないようにするためには、理性的な自己統制力を駆使する必要があると述べる(第11章参照)。
ポール・ブルームも、共感を情動的共感と認知的共感に分ける。彼が『反共感論』のなかで問題視しているのはそれらのうちの情動的共感のほうであり、認知的共感については善い行為にも悪い行為にも適用できる中立的なツールと見なしている(認知的共感に関してはアルダの考えも同様である)。とはいえブルーム自身、情動的共感を全否定しているわけではなく、それが道徳的な判断や公共政策をめぐる判断に適用された場合に問題が生じると主張する。なぜなら、情動的共感は射程が短く、見知らぬ人々より身内や知り合い、あるいは身元がわからない匿名の被害者より身元が明確にわかる被害者を優先する郷党的な先入観が、無意識のうちに反映してしまうからである(ブルームはこれをスポットライト効果と呼ぶ)。だから、井戸に落ちたたった一人の少女には全米が注目するのに、アフリカで飢えている大勢の子どもたちにはほとんど誰も目もくれないというおかしな状況が生まれるのである。しかしこの主張は、アルダが対象としているコミュニケーションのツールとしての共感には当てはまらないと見なすべきだろう。両者の著書を何度も読み返した訳者の目からすると、ブルームとアルダの考えが明確に異なるのはただ一点だけで、ブルームが例としてあげる、井戸に落ちた少女のようなたった一人の犠牲者に対する共感であっても、それをきっかけに世の人々を善き行為へと動機づけることができるという点を、アルダがとりわけ重視していることのみである(第14章にあげられている、家族と一緒にシリアを脱出し、トルコからギリシアに筏で渡ろうとして溺死した少年アイランの例を参照されたい)。
最後に「ストーリー」であるが、アルダは、ポピュラーサイエンス書を含め、サイエンスコミュニケーションにおいてもストーリー性が非常に重要になることを、専門的な理論を持ち出すことなく実践に即して論じている。「ストーリー」については、訳者自身の経験から一点だけ述べておきたい。科学者が書いたポピュラーサイエンス書を翻訳していて気づいたことだが、ジャーナリストのように、もの書きで生計を立てているわけではないにもかかわらず、ストーリーを巧みに織り込みながら本を書くのに非常に長けた科学者がいる。このタイプの科学者が書いたポピュラーサイエンス書は、非常に読みやすくわかりやすい。たとえば最近訳した本のなかでは、ロブ・ダン著『世界からバナナがなくなるまえに――食糧危機に立ち向かう科学者たち』(青土社、二〇一七年)、同『心臓の科学史――古代の「発見」から現代の最新医療まで』(青土社、二〇一六年)、ショーン・B・キャロル著『セレンゲティ・ルール――生命はいかに調節されるか』(紀伊國屋書店、二〇一七年)、ノーマン・ドイジ著『脳はいかに治癒をもたらすか――神経可塑性研究の最前線』(紀伊國屋書店、二〇一六年)が、それに該当する。
このように、本書では、これら三つのカギ概念を中心に、科学を始めとする専門的な知識を一般の人々に伝えるにはどうすればよいかが論じられる。しかし最後に一点指摘しておくと、これらの内容とは別に、著者のアラン・アルダその人にも、すなわちなんとしてでも最新の科学的知見を世間一般に広めようとする著者の強い姿勢にも注目すべきである。コミュニケーションは、通常はあくまでも何らかの目的を達成するための手段であり、それ自体が目的になることはほとんどない。その意味で言えば、著者の本来の目的は科学知識の普及にある。本書を読めば、この大きな目的に向けられた著者の真摯な姿勢が、ひしひしと伝わってくるのがわかるだろう。八〇歳を超え、アメリカで俳優としてすでに大きな名声を手にしている著者は、楽隠居して、たまに映画やテレビドラマに昔の名前でカメオ出演する程度の活動しかしなくなっていてもまったくおかしくはない。それにもかかわらず、科学の普及に資金や時間を惜しみなくつぎ込み、のみならずアルダセンターの運営を支援する、自らコミュニケーションの実験を考案する、著名な科学者にインタビューする、オンラインで「炎のチャレンジ」を主催するなど、科学の普及に多大な貢献をしている著者の姿勢は、先に述べたことの繰り返しになるが、サイエンスコミュニケーターを目指す人に格好のモデルを提供してくれるはずだ。
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