◎アダム・フランク著『地球外生命と人類の未来』
『地球外生命と人類の未来――人新世の宇宙生物学』は、Light of the Stars: Alien Worlds and the Fate of the Earth(W. W. Norton & Company, 2018)の全訳である。著者のアダム・フランクはロチェスター大学に所属する天体物理学者であり、強力なコンピューターの力を借りて星の誕生や死について研究している。また本書の第5章を読めばわかるとおり、数理モデルを用いて惑星と文明の共進化の探究を行なっている。既存の邦訳には『時間と宇宙のすべて』(水谷淳訳、早川書房、二〇一二年)がある。なおこれから説明するように、本書は天体物理学や宇宙生物学の観点から、現在私たちが直面している温暖化などの気候変動の問題を分析するという領域横断的な試みがなされており、そこに独自の斬新さが認められる。地球外生命体や地球外文明を単独で扱った本や、気候変動の問題を単独で扱った本は和書でも多数刊行されている。しかし、細かく調査したわけではないので確言はできないが、前者に関する視点を後者に適用する領域横断的な本は、これまでのところ本書以外にはほとんど存在しないのではないだろうか。
次に本書の概略を紹介しよう。本書は具体的なストーリーを織り交ぜながら、非常に平易な言葉で書かれている。したがってその概略を紹介するにあたっては、ポイントとなる著者の言葉を引用しつつ、各章の内容をやや詳しく述べるという方式をとりたい(なお導入部をなす「はじめに:惑星と文明プロジェクト」は除く)。
「第1章 エイリアン方程式」はまず宇宙生物学に焦点を置き、以後の各章の論を進めるにあたって指針となる基本概念を提示する。その中核をなすのは、地球外生命体の存在可能性を問うドレイクの方程式である。第1章のタイトル「エイリアン方程式」とは、このドレイクの方程式を指す。ドレイクの方程式は、地球外生命体を少しでも取り上げている本では、必ずや参照される概念であると言っても過言ではなかろう。この方程式の詳細については第1章を読まれたい。一点だけ捕捉しておくと、著者は自身を「evangelist of science」と呼んで一種のサイエンスコミュニケーターとして位置づけており、本書も一般読者に読みやすくなるような工夫が凝らされている。そしてそのことは、さっそく第1章から十分に見て取れる。物理学者のフェルミが「彼らはいったいどこにいるのかね?」とつぶやいたという、有名なフェルミのパラドックスに関するエピソードから説き起こし、フランク・ドレイクが、赴任先のグリーンバンク天文台の電波望遠鏡を用いて地球外文明の探索を行なう計画をグリーンバンク会議で提出する次第になったいきさつを描くエピソードへとつなげていくといった、ストーリー主導の構成がとられており非常に読みやすい。
「第2章 ロボット大使は惑星について何を語るのか」は、太陽系における金星と火星の探査のストーリーをもとに、惑星の状態と気候の関係を探り、そこから人新世に突入せんとしている地球の気候変動が今後何を引き起こし得るのかを考察する。たとえば、金星については次のように述べる。「金星は、惑星の気候に対する正と負のフィードバックループの効果について教えてくれる。惑星に独自の特徴を与えたり、その特徴の変化を引き起こしたりしている物体やエネルギーの循環について、深く考えるよう促してくれるのだ。マリナー2号以来、私たちが金星に送った探査機は、地球に瓜二つになり得た惑星が、いかにモンスターになり果てたのかを教えてくれた(七九頁)」。また、火星については次のように述べる。「火星における劇的な気候変動に関する知識は、人新世に対する必要不可欠な宇宙生物学的視点を与えてくれる。火星は私たちに、居住可能性が永続するわけではないことを教えてくれる(……)。惑星は、居住可能な状態を変え得るのだ。完全に失うことさえある(九六頁)」。そして本章の結論として次のように述べる。「金星に送ったロボット探査機から送り返されてきたデータがなければ、現在のように十分に温室効果について理解することはできなかっただろう。また、火星の表面を移動するローバーが存在しなければ、現在私たちが理解しているような気候モデルのプロセスを知ることはなかっただろう。木星や土星などの太陽系の他の世界が持つ大気は、おのおの独自の教訓を与えてくれた。つまり宇宙空間を数十億マイル旅したあと、私たちは地球と人類の苦境を高解像度で目のあたりにする結果になったのである(一〇一頁)」。これらの例からも見て取れるように、著者は天体物理学や宇宙生物学の知見を紹介しながらも、つねにそれを人新世に突入して気候変動を被り始めた地球の状況の理解へと役立てている。そしてこの姿勢は、本書を通じて変わることがない。邦訳の副題にある「人新世の宇宙生物学」とはこのような著者の視点の取り方を指している。なお本章で紹介されるエピソードにはカール・セーガンが登場するが、彼はのちの章でも何度も顔を見せ、本書のいわばメインキャラクターの一人として登場している。
「第3章 地球の仮面」は、太陽系の他の惑星ではなく過去の地球に焦点を絞って気候変動について考える。ちなみにここでいう「地球の仮面」とは、大気を含めた地球の表層は過去何度もその様相を変えてきたこと、そして各バージョンの地球の様相が固定されたものではなく着脱可能なものであることを意味する。ここで過去の地球を振り返る理由は、著者の言葉を借りれば、「{過去の/傍点}地球を知ることは、新たなストーリー、つまり私たちを近未来の地球の一部としてとらえるストーリーをつむぎ出すための語彙を手にすることでもある(一〇四頁)」からだ。本章では、何度も仮面をつけ替えてきた地球の歴史の概略が語られるが、そのなかでもとりわけ強調されているのは、光合成を行なう能力を持つ生物が出現することで、大気中の酸素含有率が飛躍的に高まった「大酸化イベント(GEO)」である。このできごとが現代に生きる私たちにとって非常に重要なのは、それを引き起こした生物の状況が、現代の人類の状況によく似ているからである。ここでやや長くなるが、重要なポイントなのでそれに関する著者の結論を引用しておく。「このように多大な変化をもたらしたGOEは、人新世に関して何を教えてくれるのだろうか? それは、生命が地球の進化のつけ足しのようなものではないことを示している。生命はたまたま地球に出現して、ただ単にその背にうまく乗ったのではない。GOEは、地球の歴史の初期の時点で、生命が惑星の進化の道筋を完全に変えたことを明らかにする。また、人新世の到来を駆り立てている今日の私たちの営為が、新奇なものでも、先例のないものでもないことを教えてくれる。しかしそれと同時に、地球を変えることが、当の変化を引き起こした生物種にとってよい結果につながるとは限らないことをも教えてくれる。酸素を生成する(が呼吸しない)細菌は、GOEを引き起こした、それ自身の活動によって地球の表面から追い払われてしまったのだ(一二二〜三頁)」。そして本章は、このような地球の歴史を考慮に入れた生物圏(バイオススフィア)の概念が、いかに登場したかにまつわるストーリーが紹介され締めくくられる。この生物圏の概念は、以後の章でも重要な役割を果たす。
「第4章 計り知れない世界」は、系外惑星に焦点を絞り、七つの項の積で表されるドレイクの方程式の最終項以外の諸項が検討される。惑星によって人生を台無しにした男トーマス・シーのエピソードから始まり、系外惑星の探査に用いられているいくつかの方法が解説され、系外惑星が次々に発見されるようになる系外惑星革命が起こるまでの経緯が紹介される。次に、ドレイクの方程式の諸項のうち、生命が誕生し先進文明が発達する可能性を表す三項を「生命と先進技術の出現可能性」として一つにまとめ、それがどの程度の数値になるのかを検討していく。その際、宇宙の全歴史を通じて誕生した文明が人類文明のみである最低限の確率を、系外惑星に関する最新のデータに基づいて一〇のマイナス二二乗分の一(一兆×一〇〇億分の一)と見積もってそれを悲観主義的限界と呼び、その意味するところを、反論に対する反論を交えながら検討していく。
「第5章 最終項」は、ドレイクの方程式の最終項「技術文明の平均寿命」にスポットライトを当てる。それにあたって著者が着目するのは、生物圏における特定の生物の個体数と、その生物が利用できる資源の量(これらは互いに相互作用し合う)を継時的に追跡する数理モデルである。まず、そのような数理モデルの例として、アドリア海におけるサメの数とその餌食の数をモデル化した「捕食者/被食者モデル」、ならびにイースター島の森林伐採による環境破壊の事例をあげる。とりわけこのイースター島の事例が本書の文脈で重要なのは、「孤島の生態系や住民に関して真であることは、宇宙の孤島たる惑星にも当てはまるはずだ(一九〇頁)」からである。次に、このようなモデルの延長として著者らが考案した、惑星と文明の共進化を継時的に追跡する数理モデルを実行した結果、「集団死」「軟着陸」「崩壊(資源の転換無)」「崩壊(資源の転換有)」という四つのパターンが得られたことを報告する(これらのパターンの詳細は本文を詳細されたい)。最後に著者はこのような数理モデルを考案し実行することの意義を次のように述べ、本章を締めくくる。「私たちは文明の平均寿命に関する問いに限らず、同様にモデルを使って、人類文明を救える可能性がもっとも高い選択肢は何かを検討することができる。モデルによって描かれたさまざまな軌跡のなかで、持続可能な文明に至るものはどれか、あるいは崩壊を招くものはどれかを問うことができるはずだ。症状が顕著に現われている症例を研究することで病気の治療法を見出そうとする医師のように、文明を滅亡に至らしめる共通の要因を見極めることができるのである。モデルは、地球だけを対象に不確かな未来を予測しようとするような狭い了見では決して知ることのできないさまざまな知見を、私たちにもたらしてくれるだろう(二一〇頁)」
最終章の「第6章 目覚めた世界」は、「健全な長期的文明プロジェクトを擁する健全な惑星は、いかに機能しているのか?(二一二頁)」という問いを検討する。それにあたり著者はまず、「星間惑星に関する史上初の真の星間会議(つまり国際会議)(二一二頁)」であったビュラカン会議をカール・セーガンとともに主導した、ソ連の電波天文学者ニコライ・カルダシェフが提起したカルダシェフ・スケールを取り上げる。これは文明の発展の度合いを測る尺度であり、エネルギー消費の様態に基づいてタイプ1からタイプ3に分類される。次に著者は、エネルギー消費に焦点を絞るこの尺度には欠陥があると指摘し、そうではなく地球という惑星システム内でエネルギーがいかに変換されるかに着目すべきだと論じる。著者は次のように述べる。「ここでも私たちは、人類文明のような文明を、それを生んだ世界から切り離してとらえる見方を捨てなければならない。他の世界で起こり得るものも含め、あらゆる文明は、それを宿す惑星の進化の歴史の表現でもある。この観点から見れば、人類の文明プロジェクトは未来の主人などではなく、地球の歴史における結果の一つにすぎない。どんな文明も、その惑星で生じる変化や進化の歴史の内部で生じる、新たな形態の生物圏の活動としてとらえられねばならない(二二〇頁)」「したがって、単にエネルギー消費(カルダシェフ・スケールの焦点はそこにある)のみを考慮すればよいというものではない。そうではなく、エネルギー変換という観点から考えることを学ばなければならない(二二〇頁)」「エネルギー変換の限界は、人新世の基本的な教訓である。惑星を自分の思いどおりに利用することなどできない。つまり、文明構築のためにエネルギーを利用すれば、必ずや惑星からフィードバックが戻ってくる。その代わり私たちは、生物圏と文明を相互作用し合う惑星システムの一部としてとらえるよう理解を深めていく必要がある。(……)このように、長期にわたって存続できるエネルギー集約型文明の発達は、生命とそれを宿す惑星の相互作用という観点から考察されねばならない(二二〇〜一頁)」。最後に著者は、そのような新しい見方に沿った文明の発展の尺度として、惑星(世界)をクラス1から5に分類する独自の尺度を提唱する。
ということで、本書の概略を紹介するだけで長くなってしまったが、前述のとおり本書は非常に読みやすい本であり、ここまでの説明以上に訳者として補足しておくべきことはほとんどない。ただ一言だけつけ加えておくと、著者も述べているように気候変動の問題は、ある意味で地球自体が困る問題ではなく、人類(と他の生物)が困る問題である。というのも、人類が地球の気候を滅茶苦茶にしても、地球は、人類や他の生物にとっては滅茶苦茶になってしまった気候や環境を抱えて泰然自若として存続していくだけだからである。そして生命と惑星は相互作用し合っている点に鑑みれば、人間が活動すればそれは必ずや生物圏に、そしてそれを通して、地球が提供するその都度の環境に影響を及ぼさざるを得ない。著者の言葉を借りれば「タダメシなどない」のである。だからなおさら私たちは、この事実を念頭に置きながら日々の活動を営んでいかねばならない。人間の日常的な活動でさえ最終的に地球にフィードバックを与えざるを得ないのだから。宇宙生物学という壮大な観点から気候変動の問題を考察した本書は、決定的な科学的証拠こそまだ得られていなかったとしても、台風やハリケーンの被害の増大を始めとして、二酸化炭素の排出に起因すると思しき気候変動を示すさまざまな徴候が世界各地で目立ち始め、その影響が実感として感じられるようになった今日において、ぜひ読まれるべき本だと言えよう。訳者が本書に着目した理由もそこにある。
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