◎ジョナサン・ハイト著『社会はなぜ左と右にわかれるのか』

 

 

本書は『The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion』(Pantheon, 2012)の全訳である。まず著者について簡単に紹介しておこう。ジョナサン・ハイトは、ニューヨーク大学スターンビジネススクール教授を務める道徳心理学者であり、彼の研究の焦点は、道徳の情動的、直観的な基盤、およびリベラルと保守主義のあいだなど、党派間や文化間での道徳のとらえ方の違いを探究することにある。研究領域は、科学的な基盤としての進化生物学から、心理、哲学、道徳、社会、宗教、政治、さらには経営に至るまで多岐にわたる。これらの研究の成果は、本書および前著『しあわせ仮説』(藤澤隆史,藤澤玲子訳、新曜社、2011)にわかりやすくまとめられている。なお、本書にもあるマークとジュリーの道徳ジレンマは、有名なトロッコ問題ほどではないとしても、英米の倫理関係の書籍のなかでは昨今ときに見かけ、彼の名は海外では急速に知られつつある。また彼は、インターネット上でいくつかのサイトを運営している。その一つYourMorals.orgでは、訪問者が質問に答えるQA形式のコーナーが設けられており、それを通して得られたデータを自身の研究に活用している。

 

次に本書の構成を簡単に述べておこう。本書は三部に分かれ、そのそれぞれが著者の提起する道徳心理学の三つの原理のおのおのに対応する。

 

第一原理「まず直観、それから戦略的な思考」を提起する第一部では、道徳的な判断が理性的な思考のみに基づくと考える理性偏重主義を批判し、道徳における直観や情動の重要性を強調する。それにあたり著者は、「理性が主人」とするプラトン流の観点、「理性は情熱の召使いにすぎない」とするヒューム流の見方、「理性と情動は共同統治する」と見なすジェファーソン流の視点を対置させ、著者自身や他者の研究の成果から、ヒューム流の見方が正しいという結論を導く。著者のこのような考え方は、社会的直観モデル(図2・4)としてうまくまとめられている。

 

第二原理「道徳は危害と公正だけではない」を提起する第二部は、第一部で得られた知見をもとに、自身の提唱する道徳基盤理論を詳しく解説する。この理論は、味覚が舌を刺激する甘さ、辛さなどの基本成分から成るように、道徳が人の心に訴えるいくつかの基本要素から構成されると見なす。そして、そのような道徳基盤の候補として〈ケア/危害〉〈公正/欺瞞〉〈忠誠/背信〉〈権威/転覆〉〈神聖/堕落〉、そして〈自由/抑圧〉をあげる。さらに第二部の最終章、第8章では、道徳基盤理論を適用して、アメリカでは、これまで共和党が民主党より有権者をうまく引きつけてこられた理由を分析し、その要因として、後者がもっぱら〈ケア〉〈公正〉基盤のみに基づいて有権者にアピールしているのに対し、前者は六つの基盤すべてを動員してきたことをあげる。リベラルが二基盤のみに、また保守主義者が全基盤に依存しながら考える傾向を持つことは、著者らが、前述のウェブサイト(YourMorals.org)を通して一三万人以上の被験者を募って実施した調査でも実証されている(図8・1、2参照)。なお、道徳基盤理論を提起する著者は、遺伝によってすべてが決定されると見なす生得論の立場を取っているのではないかと思われるかもしれないが、そうではなく、将来への傾向性を導く生物学的な要素(著者の言葉では草稿)は存在するが絶対的なものではなく、言い換えると、生物学的に予備配線はされているが固定配線されているわけではなく、実質的な内容は環境によって満たされ、草稿は変わり得ると考える。

 

第三原理「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」を提起する第三部は、道徳がどのような進化的な過程を通じて発達してきたかを、進化生物学や進化心理学の最新の知見を援用しながら検討し、さらに道徳の持つ長所と短所を明確にする。とりわけ著者は、長く否定されてきた集団選択を含むマルチレベル選択の考えを重視し、個体間ではなく集団間の争いのなかで、集団内での協力関係、およびそれを可能にする道徳が、人々に適応的な優位性を与えるようになったと指摘する。しかしこの結びつきは、あくまでもある集団が別の集団に勝つための手段を提供するものであり、よって必然的に自集団中心の{郷党的/パロキアル}なものにならざるを得ず、かくして「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」のだと主張する。最終章は、これらの問題を踏まえて、今後のあり方を検討する。

 

このように全体的な流れはとてもスムーズであり、また、たとえや実例が豊富に用いられているので、とても読みやすく、かつおもしろい。これは、読者にアピールするには〈乗り手〉より〈象〉に訴えたほうが効果があがるという理解を、著者自身がうまく実践に結びつけている証左だとも見なせる。

 

さて、科学から始まって道徳、宗教、政治にまで至る雄大な構想を持つ書物は、激しい批判にさらされるのが世の常であり(本書で言及されているE・O・ウィルソンに対する批判などはその最たるものであろう)、本書もその例外ではない。訳者が気づいた本書に対する批判を二例ほどあげる。一つは科学哲学者パトリシア・チャーチランドの著書『Touching a Nerve』(Norton, 2013)に見られ、そこでは、ハイトの理論は確たる生物学的基盤を欠き、都合よくでっちあげられたストーリーにすぎないとされている(彼個人に対してというより、彼をやり玉にあげ進化心理学全体を批判する)。還元論的な立場をとる彼女からすれば予想される批判であり、進化生物学から宗教や政治までを一貫してとらえようとするハイトの議論は、大道芸人が大風呂敷を広げているように見えるのであろう(本書が抜群のエンターテインメント性を持つことに間違いはないが)。だが、その見方を厳密に適用するなら、消去されるべき研究領域は他にもかなりあるはずだ。いずれにせよ、確たる生物学的基盤を示せなければ、心理や行動の進化的な説明はすべて単なるストーリーだと決めつけるのは行き過ぎに思える。そもそも科学は、絶対に確実なことのみならず、ある程度の仮説の提起によっても進展するのだから。もちろんその基準が甘ければ、キップリングの言う「なぜなぜ物語」に堕する危険はあるが、この点はまさに、第6章で著者自身が自戒を込めて指摘している。

 

それよりも建設的な批判は、ハーバード大学の心理学者ジョシュア・グリーンの著書『Moral Tribes』(Penguin, 2013)に見られる(彼の業績は本書でも援用されている)。グリーンは基本的にハイトの議論の多くは認めながらも、道徳における理性的な思考能力を過小評価していると批判する。たとえば、アメリカの保守主義者は権威を重視するとハイトは主張するが、彼らの権威は普遍的なものではなく、キリスト教の神から両親に至るまで、自集団(アメリカ人)が正しいと信じる権威に限られ、要は部族的なものだとグリーンは指摘する。では郷党的な部族主義を脱するにはどうすればよいか? グリーンは次のように答え、彼がマニュアルモードと呼ぶ理性的、実践的思考の重要性を強調する。「短期的に見れば、確かに道徳的思考は、まったくではないとしてもあまり有効ではない。それゆえ、ハイトは道徳的思考の重要性を過小評価しているのだと思う。(……)しかし長い年月をかけて雨や風が地形を変えていくように、すぐれた議論はものごとを徐々に変化させていくものだ」。おそらくは、欧米における長い理性主義的な潮流に反旗をひるがえすために、著者は道徳における理性の役割を軽視しすぎているのではないかという印象を受ける読者もいることだろう。

 

確かに訳者もそのような印象を受けないわけではないし、グリーンの批判もまったく正当だと思う。しかし誤解のないよう一つつけ加えておこう。それは著者自身も述べるように最終章を除いたほぼすべての議論は、記述的だという点である。つまり現状分析が意図されているのであり、基本的にはべき論が展開されているのではない。そもそも「である」から「べき」は導けないと言ったのは、著者が強く依拠するヒュームであり、その教えを忘れているはずはない。したがって、六基盤すべてに依存する保守主義の優位性を指摘しているのは確かとしても、本書は決して、理性を無視し情動や感情に焚きつけられたポピュリズムやナショナリズムの勃興を擁護しているわけではない。あえて指摘するまでもなく、情動の裏づけのない理性の暴走と同様、理性の裏づけのない情動の暴走もきわめて危険である。本書を読むうえで、この点は特に留意されたい。

 

その意味では、本書は、現状分析を提示する一種のたたき台として見たほうがよいかもしれない。最終章の著者の提言をどうとらえるかは別として、今後どうすべきかに関しては、著者のみならず読者の一人ひとりが考えるべきことであろう。二〇世紀終盤以後、グローバリゼーションが逆説的にもグローカリゼーションを生み、さらには、(ぷち)ナショナリズム、ポピュリズム右派の台頭などの部族主義的な傾向が、昨今世界中で色濃く見られるようになった(もちろん右傾化が指摘される日本も例外ではない)。現代世界が抱える大きな問題の原因の一端を明晰に解明する書として、本書の意義は非常に大きい。

 

つけ加えておくと、著者は、現在ニューヨーク大学の経営関係の学部で教鞭をとっており、「謝辞」にあるように、道徳心理学への経営倫理の知見の応用を意図している。ならば、その逆の道徳心理学の経営倫理への適用も考えているはずであり、もしかするとビジネスを道徳心理学の立場から分析した興味深い研究書が今後刊行されるのかもしれない。このように、彼が現在注目すべき研究者の一人であることに間違いはない。

 

 

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