◎スタニスラス・ドゥアンヌ著『意識と脳』

 

 

本書は『Consciousness and the Brain: Deciphering How the Brain Codes Our Thoughts』(Viking, 2014)の全訳である。著者スタニスラス・ドゥアンヌは、フランスの神経科学者で、コレージュ・ド・フランス教授(実験認知心理学)などを務める。すでに邦訳のある著書に、『数覚とは何か?――心が数を創り、操る仕組み』(長谷川眞理子・小林哲生訳、早川書房、二〇一〇年)がある。この前作においては、「数覚」という、脳内での数の処理にテーマが絞られていたが、本書では、意識(および無意識)全般に探究の対象が広げられている。

 

まず本書の構成を簡単に説明しておこう。本書は全部で七章から構成される。序とともに導入部と見なせる第1章では、意識の詳細な意味、とりわけ本書のキー概念である「コンシャスアクセス」が最初に定義される。そして「トレクスラー効果」「両眼視野闘争」「注意の瞬き」などの現象を巧みに利用する実験によって、無意識から意識への(そしてその逆の)移行の観察、およびそれを通じて意識が生じる条件の探究が可能になったことが説明される。第2章では、意識を論じる前に、その手前に存在する無意識の働きに焦点を置き、その能力を明確化しつつ、意識との相違を際立たせる。つまり無意識の守備範囲を明確化することで、意識の輪郭を浮き彫りにする。第3章および第4章は本書の核心とも言える部分で、意識の役割を考察し、さらにはいかなる神経生理学的事象が出現したときに意識が生まれるのかを、さまざまな実験例によって検証しながら四つの「意識のしるし」を特定していく。第5章は、第4章までの実証的なアプローチによって得られた成果をもとに、「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」仮説と著者自身が呼ぶ、意識に関する独自の理論を提起する。第6章は、第5章までに得られた実証的、理論的成果の実践面への応用を、意識がありながらその事実を伝える能力を欠く「閉じ込め症候群」患者の特定の例に見る。第7章は、乳児や動物に意識があるか否か、精神障害のメカニズム、人工知能、さらには意識に関する哲学的な議論などの雑多なテーマを、第6章までに得られた知識をもとに検討する。したがって第七章のとりわけ後半のみには、思索的な側面もかなり見受けられる。

 

このような構成からもわかるとおり、意識を論ずるにあたって、本書では実証を最重視する、非常に明快なボトムアップ的アプローチがとられている(これについては、あとでもう少し詳しく述べる)。ここで訳語に関して一点だけ述べておきたい。「コンシャスアクセス」「グローバル・イグニション」などの、キーワードになる著者の造語については、さまざまな候補を検討した末、最終的には無理に漢字表記による訳語をあてないことにした。というのも、たとえば「コンシャスアクセス」は非常に微妙な概念であり、多義にとれる訳語をあてると誤解が生じる可能性があったからである。もちろんそれらの用語の詳細な定義については、初出時に著者の説明があるので、この点に関してはご了承願いたい。

 

ところで、『意識と脳』はタイトルが示すように、意識と脳の関係を実証的に考察する本だが、ここ数年のあいだに、海外の著名な神経科学者が著した類書が、次々に邦訳されるようになってきた。たとえば、新しいところでは、ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ著『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』(花本知子訳、亜紀書房、二〇一五年)、クリストフ・コッホ著『意識をめぐる冒険』(土谷尚嗣・小畑史哉訳、岩波書店、二〇一四年)、アントニオ・R・ダマシオ著『自己が心にやってくる』(山形浩生訳、早川書房、二〇一三年)、V・S・ラマチャンドラン著『脳のなかの天使』(山下篤子訳、角川書店、二〇一三年)などである。これらは神経科学者の著書であるだけに、実証を重視するボトムアップ的アプローチがとられていると見るべきだが、それに対し、トップダウン的アプローチをとる、哲学者や認知心理学者の手になる意識の本も、二〇世紀の終盤頃から続々と登場し始めている。たとえば、この手の本ではすでに古典と言ってもよい、ダニエル・C・デネット著『解明される意識』(山口泰司訳、青土社、一九九七年)をいの一番にあげられるだろう。他にも著者として、『コウモリであるとはどのようなことか』(永井均訳、勁草書房、一九八九年)のトマス・ネーゲル、あるいは本書でも言及されているネッド・ブロックやデイヴィッド・チャーマーズらをあげられる(本書では、チャーマーズによる意識の「イージープロブレム」と「ハードプロブレム」の区別は批判されているが)。

 

ちなみに最近では、神経科学者の著書でも、創意を凝らし、必ずしもボトムアップ的アプローチにこだわらない本も散見されるようになった。たとえば先に言及した神経科学者ジュリオ・トノーニの英語による最新作『Phi: A Voyage from the Brain to the Soul』(Pantheon, 2012)では、ガリレオが現代にやってきて現代の科学者と対話するという文学的(対話篇的)とも言えるおもしろい形式で、彼独自の意識の理論が敷衍されている。あるいは、本書に賛辞を寄せている、ノーベル生理学・医学賞受賞者エリック・R・カンデルの『The Age of Insight: The Quest to Understand the Unconscious in Art, Mind, and Brain』(Random House,2012)は、クリムトやシーレなどの絵画に言及しながら美的経験における心と脳の関係を探求する。

 

このような昨今の脳意識関係の諸著作のなかに位置づけると、『意識と脳』は、第7章の一部を除けば、ボトムアップ的アプローチを徹底して採用する、世界的な神経科学者ならではの著書としてとらえられる。しかも、意識の定義(第1章)→無意識の働きの実証的考証(第2章)→意識の働きの実証的考証(第3、4章)→意識に関する理論的仮説の提起(第5章)→臨床現場への応用事例(第6章)→哲学的議論を含めた諸問題の考察(第7章)と淀みなく流れる本書の構成自体が、みごとにボトムアップ的に統合整理されているため、意識という、えてして思弁的になりやすいテーマが扱われているにもかかわらず、きわめて見通しがよく、わかりやすい。もちろん扱われているテーマのゆえに、誰でも気軽に読めるというタイプの本ではないが、本書を読み進めていけば、科学的な観点から見た場合、意識という現象がどのようにとらえられるかが手に取るようにわかるはずである。

 

学者や心理学者の書いた意識に関する本を読んでいると、意識の作用を可能にする脳の基盤がほとんど説明されていないために、「なぜなぜ物語」のように聞こえて不満を感じることがときにある。しかし、それらの本も、本書に照らしてみれば、より理解が深まるはずだ。個人的な経験から一例をあげよう。訳者は、ロバート・クルツバン著『だれもが偽善者になる本当の理由』(柏書房、二〇一四年)という、心のモジュール理論をテーマとする本を訳したが、著者が専門の神経科学者ではないこともあり、全体としては非常に興味深い説が展開されていながら、神経生理学的な根拠の提示がほとんどなく、その点には不満を感じざるを得なかった。しかしドゥアンヌの著書を読んで、クルツバンの著書のすぐれた点(そして問題になり得る点)をより深く掘り下げて理解できるようになった。

 

このように述べると、『意識と脳』が神経科学の実証的、理論的な側面に終始しているかのように聞こえるかもしれないが、そのようなことはない。本書の構成で紹介したように、第6章は、実験によって得られた実証的知識や、それをもとにした著者独自の仮説の実践面への応用を、閉じ込め症候群の患者の特定を例にあげながら紹介する。誰もが知るように、現在脳科学は、日進月歩の状況にある科学分野の一つであり、しかも発達した脳、そしてそれによって生み出される意識が、人間の大きな特徴であることを考えれば、脳科学の進歩が人類の福祉の向上に直接貢献できることに疑いはない。それはもちろん、閉じ込め症候群の患者の特定のみならず、本書の例で言えば、神経工学による脳とコンピューターのインターフェースの拡張、光遺伝学の応用、感覚代行アルゴリズムなどによる認知機能の改善という形態でも、実現の期待が膨らむ。著者によれば、「今後一〇年以内に、私たちの心を支える神経コードを解読する突破口が開けるかもしれない(第4章)」のだ。

 

本書では直接的には取り上げられていないが、最近になって脚光を浴びるようになった脳神経科学の注目すべき応用分野の一つに、「脳の可塑性」を巧みに動員する、外傷性脳損傷(TBI)や進行性脳疾患の治療がある。これらの疾患が意識の問題でもあり得る点に鑑みれば、その治療の根本原理を理解するにあたっても、本書で提示されている脳の理解がきわめて重要になることがわかるはずだ。ちなみに、非常に興味深い、この「脳の可塑性」に依拠する治療というテーマに関しては、他の拙訳にノーマン・ドイジ著脳はいかに治癒をもたらすか――神経可塑性研究の最前線(紀伊國屋書店、二〇一六年)クラーク・エリオット著『脳はすごい――ある人工知能研究者の脳損傷体験記』(青土社、二〇一五年)があり、それらも本書と合わせて是非参考にされたい。いずれにせよ、実践への応用という側面も含め、今後の脳科学の発展は、目が離せないものとなるはずだが、その水先案内役たる『意識と脳』は、読者に最高のガイドツアーを提供するだろう。

 

 

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