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映画の思い出について

 

<映画寸評>
日本の作品
欧米の作品
アジアの作品
ATG作品
文芸作品(原作もの)

 

<ドラマ寸評>
日本の作品


<注目する女優>
イングリッド
     ・バーグマン
コン・リー

ジャンヌ・モロー

ジーン・セバーグ
ニコール・キッドマン
フェイ・ダナウェイ

浅丘ルリ子

芦川いづみ
栗原小巻

黒木瞳

関根恵子

高峰秀子

中谷美紀

成海璃子

樋口可南子

真木よう子
宮沢りえ

吉永小百合

若尾文子

 

<注目する男優>

石原裕次郎

<注目する監督>
イム・グォンテク

チェン・カイコー

大島渚

小栗康平

小津安二郎

黒澤明

木下惠介

熊井啓

イングマール
    ・ベルイマン

<最近観た映画>

無伴奏

キャロル


 

<最近観たドラマ>

コントレール〜罪と恋〜
(NHK ドラマ10)

ガラスの家
(NHK ドラマ10)

 

<トピックス>

八重の桜の史実と創作

「三國連太郎」で逝く

 歴史物ではあるが、平清盛などという有名な人物が主人公ではないので久しぶりにNHKの大河ドラマを見る気になった。
綾瀬はるか演じる八重は、将来、新島襄の妻となる人物である。
〈第一回〉
 アメリカの南北戦争からドラマが始まるというのも奇異な感じがしたが、初回としては盛り上がりに欠けるような気がした。大河ドラマなるものを本気で見た記憶がないので、これが普通なのかそうでないのかは分からないが。
 初回の視聴率は関東地区で21.4%であったそうだ。過去の初回視聴率データを見ると余り良い方ではなさそうだ。
 西島秀俊、長谷川博己、奥田瑛二、風吹ジュン、秋吉久美子、綾野剛、西田敏行、小栗旬などキャスティングは豪華だ。二回目以降に期待したい。

〈第二回〉
 佐久間象山、吉田松陰が蟄居させられてしまった。照姫や敏姫も登場した。背景となる史実はその程度で、流される時間は短く丁度良い。
 そしていよいよ綾瀬はるかが登場し、砲術を習い始めることになる。スタートはややのろい感じがするが、その分、期待は未だ大きい。
〈第三回〉

 ようやく八重が鉄砲を習い始める。川崎尚之助との出会いもある。江戸ではアメリカから通商を求められる。しかし、会津は田舎で新しい世の中に対する藩の体制改革はなかなか進まない。そんな中、八重の兄、覚馬は出過ぎた発言から謹慎を命ぜられてしまう。ドラマは遅遅として進む。
〈第五回〉
 覚馬の禁足が解かれ、日進館の教授としての職に就く。しかし、世の中は攘夷が荒れ狂う様になる。そんな中、松蔭が安政の大獄で捕らえられ、処刑される。井伊大老も水戸浪士に暗殺される。少しずつではあるが、覚馬、尚之助、八重は、歴史の渦の中に捲き込まれ始める。
〈第十回〉
 冒頭、佐久間象山が上洛した意味を山本覚馬に言う。「止まっている歯車を動かすため」と。いよいよ時代は動き始める。尊皇攘夷か開国か?
 そして「池田屋事件」が起きる。八月十八日の政変で失脚した長州が天皇を拉致し、都に火を放つ、という噂を基に新選組が尊王攘夷の急進派の浪士を襲った。しかし、そのため、長州の軍勢が大挙して復讐のために京に上り始める。会津の容保は慶喜の協力を得ようとするが断られ、会津藩は窮地に陥る。
 天皇拉致や都への放火などの噂は本当にあったのか?新選組の考えはどうであったのか?容保の考えはどうであったのか?慶喜の考えは?
 シナリオは史実に沿っているかどうかは分からないし、史実といっても分からない事も多いだろう。歴史は勝者の都合で作り替えられる、とも言う。本当のところは分からない。もっと、勉強しないと行けない。でも、このシナリオを楽しめば良いという考えもある。
<第十九回>
 毎週欠かさず見て、5ヵ月半経った。そして、ようやく御一新だ。進み方が余りに遅い。
第十九回は”慶喜の誤算”という題が付いている。慶喜は土佐藩の進言によって大政奉還し、徳川家の影響力を残そうとする。しかし、慶喜が出席しなかった朝議で、薩長及び岩倉具視は徳川家の領地を半分に減らす事で力を弱めてしまい、慶喜の思惑は外れてしまう。
 ところで、最近、スポーツジムで読んだ週刊誌に、最悪と言われた前回の大河ドラマ「平清盛」に並ぶくらい視聴率が下がってきている、と書かれていた。これは綾瀬はるかの出番が少ないせいであるという。ネットでも同じように報じられている。それもあるだろう。しかし、そうとばかりは言えない面もあるのではないか?見ている人すべてが綾瀬はるかのファンではないだろう。今、出番の多い、綾野剛や西島秀俊、吉川晃司のファンもいるだろう。それでも何故視聴率が下がるのだろうか?そもそも、視聴者はこれまで余り世に知られていなかった日本のジャンヌ・ダルク、新島八重の生涯を見たいのではないだろうか?それにしては、進展が遅い。いつ、八重はジャンヌ・ダルクの様に銃を持って戦うのだろうか?いかに八重の記録(資料)が少なくても1年間のドラマであることは最初から分かっているのだし、もっと早く幕末編は終わらせ、明治維新のドラマに移るべきではなかったか?視聴者はそれを望んでいるのだ。新島襄だって、未だ殆ど出ていない。おまけに京都の場面では殆どのキャストが男だ。会津の場面では女の出る場面が多いが、鉄砲の練習か、長刀の稽古風景ばかり。長谷京や稲村いずみはもう殆ど顔を見せない。何と華やかさのない大河ドラマなんだろう。
<第二十回>(開戦!鳥羽伏見)
 いよいよ戊辰戦争である。八重の生涯を見たい私たちにとっては、何とも歯がゆい進捗であるが、歴史の話しなので幕末のできごとは避けて通れないのであろう。
 このドラマは、新島八重の生涯を知らしめるとともに、(どちらかというとこちらがメインなのだろうが)震災や原発事故の影響で苦しむ福島県民へのエールなのだ。だから、幕末における会津の立場を精一杯良く見せなければならない。この150年間とまでは言わないが、長い間、会津は賊軍として虐げられてきた。その汚名をこの機に挽回する必要があるのだ。
 それにしても、薩摩の西郷や下級公家の岩倉は悪い。避けられる内戦を避けずに多くの死者を生み出したのだから。おっと、これはドラマである。つまり作り物であるので、余りシナリオに乗せられてはいけない。事実はどうであったのか、後日、正確に書かれている本を当たらなければいけないだろう。
 因みに西郷よりも大久保が良いイメージで描かれていると感じるのだが、どうしてだろうか?私は大久保利通が麻生副大臣の高祖父*(ひいひいおじいさん)だから余り悪くは描けない、西郷ならいずれ西南戦争で賊軍になるのだから多少悪者にしても問題はない、と穿った見方をしているのだが。
*大久保利通の次男が牧野伸顕、牧野の長女が吉田茂の妻雪子、その三女が麻生多賀吉の妻和子、すなわち麻生太郎の母

 ついでに勝手な事を書くが、慶喜を演じている小泉孝太郎はミスキャストではないだろうか?眼がギョロッとし過ぎていて、何だか間抜けに見える。写真に残っている本物とは違いすぎる感がある。本物は、賢いが力で押していくのを好まない、官僚のような人と認識しているのだが。余り勉強もしていないので、いずれ伝記などを読み確認したい。

<第二十五回>(白虎隊出陣)
 新政府軍が会津城下に迫って来たため、容保は自ら滝沢本陣に出陣し指揮を執る。しかし、十六橋が落とされてしまい、白虎隊を戸ノ口原に送り込まざるを得なくなる。とうとう、武家一族郎党は城に籠城する事になる。そして、八重は銃を持って出陣する決意をする。
<第二十六回>(八重、決戦のとき>
 会津戦争である。会津の長い一日が始まる。八重は志願して若者達の鉄砲隊の指揮を執る。官軍の圧倒的な火力に勇敢に立ち向かう。白虎隊は善戦虚しく、後退を余儀なくされ、会津城下が燃えるのを見て、もはや会津もここまでと飯盛山で自害する。西郷頼母邸では、妻をはじめとして家族・親族21人が自害する。武士の家族(女、子供)の約200人が自害をしたという。戦はむごい。何故、会津戦争は起こったのか?単なる長州のうらみからだけなのか?やるまえから勝敗が分かっているこの戦は無用な戦であり、野蛮で前近代的である。歴史は一本道なので、もし、という事は言えないが、会津戦争がなければ日本の今のありようは確実に変わっていた、と思う。色んな人びと、色んな思想がぶつかりあう中から優れた物や事が生まれてくるのだから。意見が違う人間を力で排除する事は誤りである。

<第二十七回>(包囲網を突破せよ)
 会津戦争は続く。女達も果敢に戦う。中野竹子は銃弾で死に、神保雪は捕らえられ自刃する。頼母は容保に開城を進言するも、越後口への連絡を軍名として受け、実質上の会津からの所払いとなる。未だ未だ江戸時代は続く。今回も八重の物語ではなく、女達の戦いと西郷頼母、松平容保の物語である。

<第二十八回>(自慢の娘)
 会津戦争は未だ続いています。頼母は会津を去ります。今回は佐川官兵衛の物語です。もう会津には八重と官兵衛と大蔵しか居ないのでしょうか?
慶応4年は即ち明治元年ですが、この回のの途中から明治になりました。

<第二十九回>(鶴ヶ城開城)
 会津は1ヵ月籠城の末、1868年9月22日に降参の白旗を掲げ、恭順の意を示す。会津戦争は終わった。ようやく、幕末編は終わった。次回からはいよいよ期待の明治編だ。
 容保は愚かであった、と言う。本当はどうだったのだろうか?会津魂とは何ぞや、との疑問も湧く。最後は、”皆、生きよ”と言う。
 西郷は言う、”この犠牲を新しい政治に活かさなくてはいけない”、と。本当にそうなったのか?
 八重が容保に”生きて欲しい”、と演説する。あり得ない事だ。これはお話しである。

<第三十回>

 明治二年(1969年)二月、会津戦争終結から半年が過ぎ、八重は米沢藩の内藤新一郎宅に家族と共に身を寄せており、日々、反物を売り歩いて生活している。一方、米国マサチューセッツでは新島襄が日本で新たな戦争が起こらないようにと教会で祈りを捧げている。久しぶりのジョーの登場でドラマは急展開すると思いきや、未だ未だ髷社会の話しが続く。
 5月18日には、家老・萱野権兵衛の処刑がなされる。同時にその日箱館・五稜郭での戦争が終結する。
 会津の再興がなるが、28万石から3万石への格下げ、場所も津軽の下北半島の不毛の地となる。藩の名は斗南。そして、山川大蔵が筆頭大参事となり、指揮を執る事になった。

 10月、大蔵が八重を訪れ斗南に一緒に行こうと言うが、八重は断る。そして、尚之助への言伝を聞かれ、「待っています」と言う。このシーンは大蔵の八重の慕情が表されていて良い場面である。

 明治3年3月、会津の者たちは斗南に旅立つ。覚馬も京都で新しい生活が始まっている。

 次回からは髷が取れたドラマになるのだろうか?、期待したい。
 前から思っていたのだが、柳沢慎吾は時代劇には似合わない。台詞回しが何とも威厳がない。他にも似合わないキャストもいたが、特に目立つ。致し方ないのか??

 会津藩の女・千代役を演じた中村優子。久しぶりに見ました。河瀬直美監督作品の「火垂」のストリッパー役ほ見事でしたね。

<第三十一回>
 今回の副題は「離縁のわけ」
 明治は4年(2月)となるが、未だ武士の時代である。4月になって廃藩置県となり、武士の世に幕が引かれ、各県に役人が派遣され運営に当たるようになる。
 川崎尚之介は北海道での米の買い付けで詐欺に遭い、訴えられ、藩の借財を考えて一人でその罪をかぶる。そのため、八重に三行半を送る。
 藩がなくなり大蔵(山川浩に改名)は、役を解かれたため東京に出る決意をする。義兄の梶原は新しい生活を望まず、妻の二葉に ”離縁するので山川に付いて行け” と言う。
 覚馬は京都で時栄との間に子供をもうけていた。そして家族揃って京都に来るように、と弟子に伝達するが、妻のみねは一人で会津へと旅立つ。
 時代は新しくなり、権力を握った者達はやりたい事を勝手に進める。そういった事はいつの時代にもある事であり、被害を被るのはいつも庶民である。3組の夫婦は時代の流れに巻き込まれ、別れていく。

<第三十二回>
 八重は兄との同居生活が始まり、いよいよ「八重の物語」が始まる。新島襄も岩倉使節団の通訳として顔を見せる。

<第三十三回>

 明治も6年となる。八重は女紅場(にょこうば)の舎監として働き始める。
 政府では、薩長土肥が征韓論で争い、10月22日、土佐の板垣、肥前の江藤、そして土肥に荷担した薩摩の西郷が参与を辞職する。
 京都府を司る槇村正直が小野組転籍事件に巻き込まれ司法省に逮捕されたため、釈放するよう覚馬と八重は東京に出て行く。その時、八重は浅草にいる尚之助に会いに行く。尚之助は「寺子屋の真似事が身の丈にあった暮らし」、という。そして、「あなたは新しい時を生きる人だ」、と八重に言う。八重は尚之助との最後の別れをする。

 この時代は、どんなに苦しいことがあっても、未だ新しい時を迎えられた時代だったのだ。

<第三十四回>

 オープニングが変わりました。明るくなりました。

 1875年、新島襄が10年振りに帰国し、学校を開設すべく覚馬と会います。そして、八重と会うことになります。襄は妻を探しており、槇村から八重を紹介されます。

 覚馬は襄に言います。「八重の背負った重荷は、誰にも肩代わりできない。乗り越えていく道は八重が自分で探す」。

 言い言葉ですね。自分の道は自分で切り開いて行かなければならないのです。

 この回の最後に、襄が八重に唐突に言います。「私の妻になっていただけませんか?」と。

<第三十五回>

 明治も8年(1875年)となる。八重は鳥羽で襄とともに三郎などの想い出を振り返ることで「八重のいくさを終える」。尚之助は胸の病で亡くなり、八重は襄のプロポーズを受ける。二人の新しい景色が広がろうとし始める。

<第三十六回>

 八重と襄は1875年(明治8年)10月に婚約、翌年1月3日に宣教師ディヴィス氏立ち会いの下、日本初のプロテスタントによる挙式を挙げる。
 同志社英語学校が1975年11月に学生8名で開校する。

 今回、心に染みいる言葉が三つありました。
 <あなたの行く路は私の行く路です>(八重から襄に)
 <あなたの苦しみは私の苦しみです>(襄から八重に)
 <枯れ葉が落ちんなは次の花は咲けん>(西郷隆盛から大山巌に)

<第三十七回>
 1876年、明治も9年目を迎える。熊本で迫害を受けていた洋学校の生徒たちが同志社に転校してくる。徳富猪一郎(蘇峰)(とくとみいいちろう)、金森通倫(かなもりみちとも)、小崎弘道(こざきひろみち)、市原盛宏海老名喜三郎(弾正)ら、後に熊本バンドと呼ばれる人たちだ。彼らは同志社の生徒より進んだ教育を受けており、授業の改善と校長の交代を要求する。そんな中、生徒が2名、辞めていく。
 改革要求に対して襄は、「隣人を愛せよー自分を愛するように他者を愛せよ」、「他人を裁くな」、「他者を排除する者は断固として許せない」と諭す。八重は、「自分たちで変えていけば良い」、と言い、着物を縫ってあげたりして母親のように接する。そういった二人の努力もあり、彼らは元から居た生徒たちと融和していく。一方、貧窮し明治政府の対応に不満を持っていた武士上がりの者たちは、帯刀禁止令が発令された事でその不満を一気に増大させる。
<第三十八回>
 1877年(明治10年)になって真新しい同志社英学校ができる(綾瀬はるかの洋服姿は似合っている) 。
 一方、薩摩では50年振りの大雪が降る2月、明治政府の政策に不満を持っている者たちが、「新政厚徳」という幟を掲げ、西郷隆盛を大将として立ち上がる。西南戦争だ。しかし、その戦争も9月24日の西郷の切腹をもって終わる。この戦争を最後として日本の内戦は終了した。
(5月には木戸孝允も病死、大久保利通も翌年5月に暗殺され、明治11年で、維新三傑の三人すべてが死んでしまう)
<第三十九回>
 西南戦争が終わり、しばしの平安が訪れる。覚馬の母・佐久と娘のみねが洗礼を受ける。薩摩から勉強に来ていた小松リツの父が会津戦争で女性の鉄砲撃ちに撃たれて死んだと聞き、八重は驚くとともに痛み悲しみ、そして悔恨の情を覚える。
 「この罪は消えることはない」など、当たり前ではあるが、話はキリスト教的である。
<第四十回>
 1878年、外国の資金援助で成り立っている同志社に対して外務省から廃校命令が出る。翌年、襄が自分で資金を受け取ることで廃校を免れるが、外国人教師たちの意向を無視できず、習熟度別クラスを止める事にすると、今度は学生たちがストライキに入ってしまう。それを何とかしようと襄は自分が罰を受けると言い、木の枝で自分の手を自ら叩き始める。
 同じ年、府県会が設置され、覚馬が京都府議会の初めての議長に選ばれる。だが、1880年(明治13年)の第2回議会には府知事が予算案を提出せず、波紋を呼ぶ。
<第四十一回>
 京都府議会は、知事の独断による税の追加徴収で揉める。覚馬の努力もあり、取り下げを認めさせるが、10月の臨時議会で知事から正式に議案として提出され、呑まざるを得なくなる。覚馬はこの事で自ら府議会議長の辞職を願い出るが、槇村に「演説会禁止の府条例」を撤廃させる事で、槇村と刺し違える
 娘のみねは伊勢時雄からプロポーズを受け結婚し、今治に旅立つ。
 このみね役の三根梓は新人(?)ながらなかなか演技が上手いです。そして笑顔が爽やかです。将来が期待されます。

<第四十二回>
 1882年(明治15年)板垣退助が自由党を結成し、暴徒に襲われる。

 八重は襄と会津へ行き、昔住んでいた家を探し、鉄砲の試射場を見つける。自宅を懐かしむ様子は、まるで、ドラマが終わってしまうような感じがする。

<第四十三回>

 大山巌が山川捨松を妻にしたいと申し出る。兄の浩は拒否するが、その熱意に八重が腕相撲で決めようと言う(まるでマンガだ)。結局、捨松の大山への応援で八重は負けてしまう。

 この回では、伊藤博文は戯画化されている。俳優の伊藤虎之ノ介も下手である。そういえば、秋吉久美子もどなると昔のように下手である。

<第四十四回>

 1883年(明治16年)12月、私立学校の学生は徴兵が免除されないことから学生が次々と退学する。襄は大学にするための資金集めに外国に旅立つ。しかし、スイスで病を患い、その時に書いた遺書が間違って日本に送られてしまい、大騒ぎとなる。

<第四十五回>

 1885年(明治18年)5月、覚馬が京都商工会議所の会長に就任する。しかし、妻の時栄が書生の青木と不倫を犯し、そのため会長を辞職する。青木は書生を解かれ、時栄は離縁となる(娘の久栄役の門脇麦の演技は下手)。

 5万ドルの寄付を持って襄が1年振りに帰国し、女学校の危機も回避される。