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映画の思い出について

 

<映画寸評>
日本の作品
欧米の作品
アジアの作品
ATG作品
文芸作品(原作もの)

 

<ドラマ寸評>
日本の作品


<注目する女優>
イングリッド
     ・バーグマン
コン・リー

ジャンヌ・モロー

ジーン・セバーグ
ニコール・キッドマン
フェイ・ダナウェイ

浅丘ルリ子

芦川いづみ
栗原小巻

黒木瞳

関根恵子

高峰秀子

中谷美紀

成海璃子

樋口可南子

真木よう子
宮沢りえ

吉永小百合

若尾文子

 

<注目する男優>

石原裕次郎

<注目する監督>
イム・グォンテク

チェン・カイコー

大島渚

小栗康平

小津安二郎

黒澤明

木下惠介

熊井啓

イングマール
    ・ベルイマン

<最近観た映画>

無伴奏

キャロル


 

<最近観たドラマ>

コントレール〜罪と恋〜
(NHK ドラマ10)

ガラスの家
(NHK ドラマ10)

 

<トピックス>

八重の桜の史実と創作

「三國連太郎」で逝く

 嘆きのピエタ(原題:ピエタ)/2012年ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作
  (2013年公開、横浜・ジャック&ベティにて8/15日鑑賞)

pieta1   pieta2

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 ”ピエタ”とは何か?クリスチャンであれば分かるのかも知れない。韓国にはクリスチャンが多い。私のデータベースには、キム・ギドク監督自身もクリスチャンであると記されてあった。無信教の私は知らないので調べた。広辞苑など保有のCD-ROM辞典には載っていなかったのでネットで調べた。
  ウィキペディアには、「ピエタ(イタリア語:Pietà、哀れみ・慈悲などの意)とは聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。」とある。映画を見終わっている私には、この「ピエタ」という題名は内容にぴったりの様な気がした。


  キム・ギドク監督の名前を知ったのは、5年以上前だったと思うが、韓国の映画監督を紹介するNHK教育テレビ(現在のEテレ)の番組でだった。イム・グォンテク監督の次世代あるいは次の次の世代のホープとして紹介されていた、と記憶している。さっそく、「うつせみ」を見た。なんて過激で大げさな表現か、と思った。いつもギドク監督の作品は表現が過激である。韓国映画やドラマにおいてセックスと暴力を描くのは普通であるが、ギドク監督の作品はとりわけ表現が過激である。今回の作品もその点においては変わらない。だから、女性たちにとっては見るに耐えない場面もある、と思う。

 

 ストーリーの概要は、ネットの映画に関するデータベースやオフィシャルサイトを参照願いたい。

 映画の最初の方で主人公・ガンド(イ・ジョンジン)のオナニーシーンがある。オナニーシーンといっても布団の中での事だから気にはならない。この最初の方のいくつかのシーンは後から考えると意味がある。もちろん、描かれている一つ一つのシーンにすべて意味があるのではあるが。
 ガンドは母を知らない30歳の孤児で、チョンゲチョン(清溪川)の零細機械加工業者に金を貸している業者の貸し金の取り立て人をしている。業者の利息は法外で、3ヵ月経つと利息を含めると貸し金が10倍になる。部品1個数元で加工している親子、夫婦の零細業者にはとても払いきれない。それが分かっていても自転車操業をしている彼らは借りてしまう。3ヵ月経ち、返せない時には彼らは身体障害者にさせられ、保険金でその金を弁済しなければならない。ガンドは極悪非道で、プレスなどを使ったり、直接暴力したりして、手や足を使えないようにしてしまう。自らビルの屋上から飛び降り自殺する男もいる。見ていて、とても残酷である。
 そんなガンドの前に、生みの母と称する女(チョ・ミンス)が現れる。最初は信じていないガンドであったが、次々と無理な要求を呑む女を”母”と信じる(信じたい)ようになる。ある時、”母”が襲われそうになった時には、身をもって助けたりするし、”母”が行方不明になった時には必死になって探しまわる。ガンドの心に何か今までと違うものが芽生える。それは、紛う事なき「愛」というものではないだろうか。そんなことを観客が感じる頃から”女”は不思議な挙動を取り始める。それ以降の話は、これからこの映画を見る者の興趣を削ぐので、ここには書かない。


 未だ書き足りないことがある。それは、この映画を貫く主題の一つが「愛」という事である。けっして「哀れみ」や「慈悲」ではないという事である。それは、母と息子の、夫と妻の「愛」である。 そしてもう一つが「告発」である。この不合理な社会に対する「告発」である。

 ”母”の目的は何であったのか?「告発」であったろう。しかし、それとは関係なくそこには「愛」が生まれる。
 ギドク監督の作品の意味するところは、どんなに過激なシーンが多くても、いつも「愛」「告発」ある。

 最後に、この映画は”母”を演ずるチョ・ミンスでもっていると言いたい。好演である。