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映画の思い出について

 

<映画寸評>
日本の作品
欧米の作品
アジアの作品
ATG作品
文芸作品(原作もの)

 

<ドラマ寸評>
日本の作品


<注目する女優>
イングリッド
     ・バーグマン
コン・リー

ジャンヌ・モロー

ジーン・セバーグ
ニコール・キッドマン
フェイ・ダナウェイ

浅丘ルリ子

芦川いづみ
栗原小巻

黒木瞳

関根恵子

高峰秀子

中谷美紀

成海璃子

樋口可南子

真木よう子
宮沢りえ

吉永小百合

若尾文子

 

<注目する男優>

石原裕次郎

<注目する監督>
イム・グォンテク

チェン・カイコー

大島渚

小栗康平

小津安二郎

黒澤明

木下惠介

熊井啓

イングマール
    ・ベルイマン

<最近観た映画>

無伴奏

キャロル


 

<最近観たドラマ>

コントレール〜罪と恋〜
(NHK ドラマ10)

ガラスの家
(NHK ドラマ10)

 

<トピックス>

八重の桜の史実と創作

「三國連太郎」で逝く

 「王の男」を見た。久しぶりにいい映画を見た気がする。まず、映像がきれいだ。宮廷の建物や食事、着ているものなど艶やかで飽きさせない。ストーリーも、次にどんな展開になるかが分からず、どきどきした。物語性も強く楽しい。
 でも、私の悪い癖なのだが、映画の意味するところを考えてしまう。どうせエンターテイメントなのだからと、そのまま楽しめば良いのだが、意味するところが分からないと気分が落ち着かない。
 監督のメッセージを読むと階級や階層を運命と捕え、その中であえぐ者の姿を描いたと受け取れるのだが、見た者にとってはそのように思えない。まず、愛憎だ。男と男の愛、それはコンギルとチャンセンの間にもあり、コンギルと王との間にもある。チャンセンにとってコンギルは弟分であり、同性愛ではなく友情や慈しみの愛ともいえなくもないが、その行動には嫉妬が混じる。王の寵愛も単なる芸のうまい芸人に対する愛だけとは見えない。監督を始めとして主たる出演者は、演劇より同性愛的な面は薄いと言う。しかし、私には濃く映る。
 そして人間の成長だ。母を知らない王は人間的な成長が不十分である。側近のチョソンが芸人を使って成長の手助けをするが、それは敵を生む。キーセンから愛妾になったノクスも、コンギルに嫉妬してチャンセンの眼を奪う事になる。王がコンギルを愛したのもコンギルが美しいからだけではない。彼には人間的な魅力があるからだ。
 そして、歴史とは何か、何が正しいのかだ。結論を言えば、同時代の人間には分からない。それが、いわゆる「歴史が証明する」という事だ。実在の燕山君は「稀代の暴君」であったであろうが、この映画の王の様な面もあったのかも知れない。これは映画であるから、作られたものだ。歴史は「暴君」と裁断している(のだろう)。
 最後に、王を演じたチョン・ジニョン、チャンセンを演じたカム・ウソン、チョソンを演じたチャン・ハンソン、みんな好演である。もちろんコンギルを演じたイ・ジュンギも、ノクスを演じたカン・ソンヨンもなかなかいい。しかし、未だ素が残っている感じだ。次回に期待したい。(2006年12月鑑賞)