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映画の思い出について

 

<映画寸評>
日本の作品
欧米の作品
アジアの作品
ATG作品
文芸作品(原作もの)

 

<ドラマ寸評>
日本の作品


<注目する女優>
イングリッド
     ・バーグマン
コン・リー

ジャンヌ・モロー

ジーン・セバーグ
ニコール・キッドマン
フェイ・ダナウェイ

浅丘ルリ子

芦川いづみ
栗原小巻

黒木瞳

関根恵子

高峰秀子

中谷美紀

成海璃子

樋口可南子

真木よう子
宮沢りえ

吉永小百合

若尾文子

 

<注目する男優>

石原裕次郎

<注目する監督>
イム・グォンテク

チェン・カイコー

大島渚

小栗康平

小津安二郎

黒澤明

木下惠介

熊井啓

イングマール
    ・ベルイマン

<最近観た映画>

無伴奏

キャロル


 

<最近観たドラマ>

コントレール〜罪と恋〜
(NHK ドラマ10)

ガラスの家
(NHK ドラマ10)

 

<トピックス>

八重の桜の史実と創作

「三國連太郎」で逝く

朝日新聞1月11日夕刊で山根貞男の映画評を見た。まず山根貞男は未だ生きていたのか、と思った。しかし、ネットで調べて見ると1939年生まれであるので未だ73歳、生きていても不思議ではない。そして、次に未だ現役なんだ、と思った。山根貞男といえば1980年頃に、映画雑誌に私の好きな山口百恵の映画評を書いていた事を思い出す。今でも私はその雑誌を持っている。
映画は2月19日封切りなので、彼ら評論家は、随分前にゆったりと、しかも無料で色々な映画が見られる。羨ましいことだ。(閑話休題)
そんな事はともかく、彼の言う“ヒロインの二面性”という言葉に引きつけられた。


1月27日、9時半開始なので家を8時頃に出た。ネットで席を予約したのは良いのだが、開始10分前には自動発券機で発券しなければならないという。その10分とうまく発券できない場合を考えて、早めに家を出なければならなかった。現在、上映しているのは川崎チネチッタと渋谷Bunkamuraル・シネマのみ。私はちょっと近いチネチッタを選んだためにこんな早い時間に行かなければならなかった。幸いにして青山に外出する妻が、先に出かける事を許してくれたのでラッキーだった。(閑話休題)
チネチッタといえども日曜日の朝早くは集客できないのか154席に対して30名位しか観客はいなかった。新聞などでの評価は素晴らしいが、内容が地味な事、ドイツ映画である事など、ミニシアター向きなのかも知れない。
私はドイツ映画が好きだ。内容は暗いが考えさせるストーリー、美しい画面(色合いが良い映像)、そして無駄な会話や画面がないシナリオ。例えば「善き人のためのソナタ」、「愛を読むひと」。この映画も同じであり、私は満足した。

 

詳しいあらすじ(?)は、ネットの映画データなどを参照してもらえば良いと思う。

パンフレット女(バルバラ:これが映画の原題である)は東ベルリンから田舎町にやってくる。どうやら曰くがあるらしい。病院の医師らしいが赴任先の建物には直ぐに入らずに、前に置いてあるベンチに座ってタバコを吸い始める。妙に落ち着いている。いや監視されているのを警戒しているのかも知れないし、昂ぶる神経を落ち着かせているのかも知れない。我々観客には彼女の心理は分からない。彼女の上司になるのか、美形の男性医師(アンドレ)には既に彼女の履歴ファイルが渡されているし、同僚となる医師や看護師などには東ベルリンから派遣されてきた事が知れ渡っている。バルバラは、彼らに馴染もうとしない。それをアンドレは諫める。そうやって、バルバラとアンドレの対話が始まる。新聞の評や映画のパンフレットには、バルバラが西独への移住を申請したために左遷された、と書かれているが、映画の中では一切そのような話は流れていなかった、と記憶している。ともかく、彼女は秘密警察シュタージに監視されている身の上である。そして彼女には西独に住む愛人(ヨルク)がおり、そのルートで西独への脱出(密出国)を企んでいる。彼女の置かれた状況が映画に緊迫感を与える。矯正施設から抜け出してきた少女(ステラ)との会話、アンドレとの会話、愛人との抱擁と会話が緊迫した場面の間をつなぐ。そして徐々にアンドレに心を開くバルバラ。大きな山場といえるほどの山場は途中にはない。しかし、最後にやってくる。それは、この時点では書けない。なぜなら、全国上映はこれから始まるのだから。
ネットを含めて色んな評が書かれている。バルバラは、最終的に愛を選んだ、あるいは医師としての使命を選んだ等。本当にそうだろうか?私は人間の思考はそんなに単純だとは思わない。まして、バルバラの様に難しい環境に置かれた人間の思考は。そして、決断するには時間が限られていたのだから。彼女の決断が本当に良かったのか?、後悔はしていないのか?もし、できる事ならば、続編を作って欲しい。ベルリンの壁が崩壊した後の彼女の生活を見てみたいので。

 

肝心な事を書くのを忘れるところであった。この作品の主題(言いたいこと)は何かという事である。ある人は当時の東欧諸国の監視体制への批判と言うかも知れない。またある人は男と女の愛というかも知れない。またある人は人間の尊厳というかも知れない、医者の使命と言う人もいるだろうし、自由とは何かを問うたものだと言う人もいるかも知れない。しかし、私はこう思う。ちょっと大げさだが、人と人の心を繋ぐのは、いかに相手を思うかであると。自ら心を開く事が相手の心を開くのだという事を。それは、何にも増して重要であるという事を。それが愛なのだと。物が自由に手に入るとか、身体の自由が保障されているとかも重要かも知れない。しかし、バルバラとアンドレを結びつけたのは、またステラがバルバラを慕うのは、そのような愛があったからではないかと思う。そんな愛を大げさでなく演じるバルバラ役のニーナ・ホスは素晴らしい。好演である。


余談だが、この作品の時代は1980年である事が分かるシーンがある。バルバラが、ラジオでカザンキナが優勝するレースを聞いているシーンだ。多分、モスクワオリンピックの1500mであるだろう。タチアナ・カザンキナ、偉大な女子中距離走者である(しかし、最後にはドーピングで選手生命を絶ってしまったが)。
話は違うが、ラジオから流れるクラシックがフルトベングラーの指揮であるのは何を意味するのだろう。
また、バルバラがヨルクと森で逢い引きする場面で、停めてあるベンツの後からトラバントらしき小型車が来て、運転していたオヤジがベンツの運転手に、“シートが柔らかそう”

とか、“この車は暖められるのか” とか、“この車は納車までに8年かかった”とか言う。それは、何を意味しているのだろうか?色んな事を考えさせる映画だ。(2013年、川崎チネチッタにて鑑賞)
*トラバントの本物を見るために、いずれ旅に出たいと思っている

 

ペッツォルト監督インタビュー(朝日新聞2013.1.25夕刊)

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