暇人の雑記帳
観るー女優、監督などを切り口とする映画、ドラマなどについての寸評
<映画寸評>
日本の作品
欧米の作品
アジアの作品
ATG作品
文芸作品(原作もの)
<ドラマ寸評>
日本の作品
<注目する女優>
イングリッド
・バーグマン
コン・リー
ジャンヌ・モロー
ジーン・セバーグ
ニコール・キッドマン
フェイ・ダナウェイ
芦川いづみ
栗原小巻
黒木瞳
関根恵子
高峰秀子
中谷美紀
真木よう子
宮沢りえ
<注目する男優>
石原裕次郎
<注目する監督>
イム・グォンテク
小津安二郎
熊井啓
<最近観た映画>
<最近観たドラマ>
コントレール〜罪と恋〜
(NHK ドラマ10)
ガラスの家
(NHK ドラマ10)
<トピックス>
BS11デジタルでは、今、”名作劇場 木下恵介生誕100年 木下アワー”として、1968年の放送当時、木下恵介アワーのなかでも最高平均視聴率を獲得した作品「3人家族」を放送している。このドラマは現在も相当人気があるらしい。チャンネル銀河でも以前から放送していて、5月4日に終わったが、6月4日から、また放送する。
とにかく栗原小巻が美しい。コマキストの私としては見るのがこんなに楽しい事はない。主人公の柴田雄一(竹脇無我)は田村町(現在の新橋)の商社に勤める海外勤務を目指す若手サラリーマン。相手になる稲葉敬子(栗原小巻)は霞ヶ関のインフォメーションセンターに勤めるOL(航空会社の地上勤務)。雄一は会社帰りに綺麗な女性・敬子を見かける。その後、喫茶店や横須賀線の中などでたびたび目にする。偶然とは思えない出会いが恋愛に結びついていく。
26回連続のドラマであるが、9回目で初めてデートをするという、今では考えにくいスピード。見ている方が”まだるっこく”感じるくらい、悠長な流れである。デートをしても直ぐにキスなどはしない。今の若い人には理解しにくい付き合いである。これが、私たちの”青春”だった。
脚本は山田太一。彼がヒットを狙って、その通りになった作品らしい。元の放送は1968年〜1969年。時代はまさに高度成長時代。右肩上がりの希望に充ち満ちていた時代だ。この脚本を書き始めた時には、大学紛争(学園闘争)も未だ起こってはいなかっただろう。
雄一は猛烈サラリーマンではないが、出世を夢見るサラリーマンである。大学を出ると、みんなこんな感じだった。雄一は団塊の世代より4、5歳くらい上になるだろうか?演じる竹脇無我も1944年生まれで、そのくらいの歳である。栗原小巻は1945年生まれなので、当時は、23歳。やはり実年齢に近い役を演じた事になる。
これを書いている時点での放送は10回まで。1968年当時も見ていたはずなのだが、すっかり忘れている。ただ、私は寮に居て、自由にテレビを見る事ができなかったので、フルには見ていない気がする。あるいは、ごく一部しか見ていないのかも知れない。今後の展開が楽しみである。敬子にちょっかいを出す、中谷一郎が演ずる写真家との関係はどうなっていくのか、はらはらしながら見る事になるだろう。
因みに「3人家族」という題名は、雄一、敬子のそれぞれの家庭が男3人、女3人家族に由来する。
(そういえば、10回目の冒頭に「優秀映画鑑賞会推薦」というテロップが流れたが、「優秀映画鑑賞会」とはどんな団体だったのだろうか?)
(リンク:ウィキペディア「3人家族」)
第12回まで見ました。未だ大きな進展はないです。雄一、敬子ともにストイックです。でも1968、9年頃はかなりの若者がストイックでしたね。私もそうでした。
第13回、14回を見ました。
13年前に蒸発してしまった敬子の父が突然に現れます。父親は37歳で蒸発したと言っていますので、今は50歳になるでしょうか?演じているのは森幹太、ソフト(帽)に厚いコート(オーバー)、苦み走った顔、渋いですね。1968年の50歳はこんなに渋かったんですかね?37歳にして自分の将来の姿が見えてしまい、虚しくなってしまって蒸発したなんて、本当に身勝手ですね。当時は蒸発というのが、流行りだったでしょうか?何かそんな記憶もあります。高度成長が胸突き八丁を迎え、踊り場で公害問題に揺れていた頃です。敬子の設定は23歳。10歳で別れたことになります。家族というものについて独白する身勝手な父親を敬子は受容します。今ならこんなのはおかしなシナリオでしょうが、当時なら受け入れられたのでしょう。山田太一らしいシナリオですね。
それにしても笑顔の小巻、真面目な顔の小巻、難しい顔の小巻、悲しそうな小巻、走ってくる小巻、どんな小巻でも美しいですし、見るのが楽しいです。
それから、二人のオフィスの設定が東京駅近傍なので当時の日比谷公園などが出てきますし、両家の住まいの設定が横浜なので、当時の横浜駅周辺、関内、妙蓮寺などが出てくるのも興味深いです。
第20回まで来ました。しかし、敬子と雄一の間に進展はありません。
雄一は社内留学試験に合格し、勤務地はカイロに決まりました。二人が会えるのはあと何日でしょうか?未だ二人は手も繋がず、キスもしていないようです。雄一が留学試験に捕らわれてしまって、休みの日にもデートに誘わないからです。
でも、社内留学で海外勤務になるのに、独身でないといけないというのはおかしい感じがします。当時はそんな事が当たり前に通っていたのでしょうか?私はそうは思いませんが。まあ、そこはドラマですから許しましょう。
当時は結婚するまではセックスはしないという人も多かった、と思います。セックスはしなくてもキスぐらいは画面に現れても良いように思うのですが。こんな間柄ですが雄一も敬子も結婚を意識しています。この後は、6回しかないのですが、ドラマは一体どの様に進行するのでしょうか?楽しみです。でも、当時は波瀾万丈の画面がないこんなドラマでもハラハラドキドキしたものです。
第22回にしてようやく雄一は敬子を箱根にドライブに誘います。芦ノ湖まででは満足できず二人は伊豆半島を南下、下田まで行ってしまいます。ホテルを夕食を済ませて東京に帰り着いた時には既に夜の11時。二人は別れがたく、車の中で抱き合います。
後残されているのは4回です。ようやく大きな進展があったという感じです。この後はどうなるんでしょう?
第23回、24回を見ました。急に二人が親密になった気がします。今は無き、大船にあった横浜ドリームランドでスケートです(当時はリンクがあったんですね)。20歳を過ぎた二人がスケートです。遅ればせの恋です。二人は結婚を約束します。まずはめでたしめでたしです。
ところで、こういう昔の映画やドラマを見ると、こんな風だったなあ、あるいはこんな風だったのか、という思いがあります。
たとえば、雄一が”24、25の2年間なら縁談があるのが普通”、という言葉があります。当時はこのくらいの歳が女性の適齢期だったのですね。また、敬子のお母さんが結婚前に“何かあったらどうするの”、と言います。今では結婚したかったら”子供を作ってしまったら”、という時代です。私の世代なら何かの意味は分かりますが、今の若い方には意味が良く分からないでしょうね。雄一の父親と敬子の母親が社員食堂で昼食を一緒にします。メンチカツのおかずに丼飯で、100円です。そんなに安かったんですね!
第25回です。写真家の沢野は敬子を諦めます。雄一の父の就職話は詐欺話で、家政婦のハルさんの力でつぶしてしまいます。敬子の妹明子の手紙で父親が帰国します。敬子と明子は父と母が一緒になる事を望みます。
最終回はめでたしめでたしです。敬子の母は父と一緒に住む事に同意します。雄一の父は生命保険会社の集金係として採用されます。二つの家族とハルさんは、雄一と敬子のお披露目のために中華街で会食をします。
その席で雄一の父は言います。「人と人とが結びつくというのはなかなか大して大変な事なんだ」、「一人の人間が一人の人間と心を通じ合う事は考えてる以上に難しい事なんだ」、敬子の母が言います。「一人が二人になったという事はお目出度い事なんですよ」。そして、ナレーションが流れる。「一人一人が二人になって、その意味を深く受け止めてこの席を祝ってくれているのだと分かると、雄一と敬子は胸が熱くなって励まされる思いであった」
雄一は間もなくカイロへ赴任する。敬子は2年待たなければならない。今なら気楽にカイロへ行くのだろうが、当時は難しかった。だから、敬子はローマの支社勤務を希望する。もし転勤になれば年4回は会えるだろうと言う。
最終回の会食でのコメントが脚本を書いた山田太一の言いたかった事なのではないか、と私は思います。これが山田太一調でもあるし、木下恵介調でもあるのです。
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