■幾千の夜を越えて 第八章-3■
グラオリッター襲来の報は、伝令よりも一足先に斥候の手によってシアルフィ城の守備隊にもたらされた。当然のことながら、守備隊は大混乱に陥った。慌ててドズル軍を迎え撃つための作戦会議を行ったが、誰もが我を失った状態で話がまとまるわけもない。必然、会議は紛糾した。城に立てこもり城壁を頼りに篭城戦を行うべきだという意見と、座して敵を待つより一気に打って出て奇襲戦を仕掛けたほうがいいという意見がぶつかり合い、白熱した議論となった。
「我が軍はなんといっても寡兵だ。ドズルの精鋭グラオリッターを相手にするには戦力的にも厳しい。ここは城に立てこもり、セリス様がエッダを落としてお戻りになられるのを待つほうが得策だ」
「何を言うか。帰還部隊を指揮しているのは誰だと思っている。『オードの愛し子』シャナン王子だぞ。神剣を擁する王子は無敵。王子がおられる限り我らに負けはない!」
「バカを申すな、敵はあのスワンチカだぞ!『イザークの虐殺』を忘れたか!」
二十年前の騒乱の始まりとなるグランベルのイザーク侵攻において、本陣へ謝罪に訪れたマナナン王を謀殺したのは当時の宰相たるフリージ家のレプトール卿だった。そして、今のシャナン王子と同じように神剣バルムンクを手にして戦場を駆けたマリクル王子を倒したのは聖斧スワンチカを手にしたドズル家当主ランゴバルト卿だったのだ。ランゴバルトはその余勢を駆ってイザーク中を席巻しかの国の人間を虐殺してまわった。特にイザーク城に於けるそれは筆舌に尽くし難い残虐なものであったという。
運悪く、というべきか。シアルフィ城の守備隊は古参の兵、つまりイザーク出身者を中心に構成されていた。虐殺の事実を大なり小なり知っている者ばかりだ。それだけに、参謀格の男が発したその言葉は彼らに重い空気をもたらした。
押しつぶされそうな沈黙を破ったのは、ドアが開く音だった。
「シャナン王子!」
姿を現したのはシャナン以下帰還部隊の部隊長を務める主だった者たちだった。その中にはもちろんスカサハやラクチェ、そしてヨハンの姿がある。まさかと思われたドズル家次男の登場に、その場にいた誰もが息を呑んだ。
「守備隊の責任者は誰か」
代表してシャナンが問う。慌てたように一人の騎士が進み出てきた。
「じ、自分であります!」
頷いて、シャナンは一息に言い切った。
「ドズルのグラオリッターがこのシアルフィに向かっていることは既に承知していると思う。我々はこの先の平原で奴らを迎え撃つ。おまえたちはここで城の守備を固め、セリス皇子の帰還を待つのだ。いいな」
会議の席が一瞬静まり返る。
「シャナン王子、それは……!」
慌てて声をあげる兵士たちを、シャナンは片手を挙げて制した。
「スワンチカは確かに脅威だ。だが、我々は負けない」
にやりと口元に凄絶な笑みを刻んで、彼は言い放った。
「二十年前とはわけが違うと言うことを奴らに思い知らせてやる」
わあ、と歓声が上がった。シャナンの強気の発言は萎えかけていた守備隊の士気を鼓舞する効果をもたらしたようだ。その様子を見て満足そうに頷くシャナンに、スカサハとラクチェは顔を見合わせてこっそり笑った。
さらにいくつかの打合せを終えて守備隊が退室していくと、シャナンは打ち合わせに参加していた二人の従弟妹に向き直って言った。
「スカサハ、ラクチェ。私はヨハン殿に話がある。少し席をはずしてもらえるか」
「え?」
「それは……」
二人は戸惑った。シャナンにとってヨハンはイザークの仇敵ドズル家の人間である。イードでの初めての邂逅の際にシャナンが神剣バルムンクを抜き放ちその刃をヨハンに向けたことは鮮烈な記憶として胸に刻まれている。そしてそれ以来、彼らは同じ部隊で戦うことはなかった。今シャナンがヨハンをどう思っているのか、それは想像の彼方なのだ。
「シャナン様」
不安げに問おうとしたラクチェを制したのは、他ならぬヨハンだった。
「私からもお願いする。出撃までに決めておかねばならぬことがあるのだ」
「でも」
勢いよく振り返るラクチェに、ヨハンは柔らかな笑みを浮かべて言った。
「君が心配するようなことはない。ちょっとした打合せだ」
「……わかった。あなたがそんなに言うなら……」
後ろを振り返りつつも兄の後に従って退室していく恋人を見送って、ヨハンはシャナンに向き直った。
「して……シャナン殿、お話とは?」
シャナンは小さく頷いて、話を切り出した。
「ブリアン王子の人となりについて伺いたい」
ヨハンは顎に手を当てて考え込んだ。
「ふむ……私はあの兄とはあまり親しくはなかったゆえ第三者的な意見になってしまうが、それでもよろしいか?」
「かまわん。貴殿から見てどのような人物であったかわかればよいのだ」
「承知した」
頷いて、ヨハンは遠い目をした。
「ネールの聖痕は早いうちから現れていた。故に、十の年を越える頃には既にドズル家の正当なる後継者として扱われていたようだ。他より抜きん出た力を持つわけではないが……実直で勤勉、感情に流されることなく常に冷静に戦局を判断する。部下に対してはとても厳格だ。ゆえに、兄上の下では一度たりとも失敗は許されない」
すらすらと、ブリアンという人物に対する端的な評価を述べたヨハンをシャナンはじっと見つめる。
「能力は……神器継承者にふさわしいものと見るべきか」
「恐らくは。膂力は父上に劣るかもしれない。だが、その分頭が切れる。ここシアルフィにも密偵を配してその陣容、守備隊の能力など詳細に調べ上げていると見てよいだろう」
小さく息をついて言葉を切ったヨハンに、シャナンは視線を伏せて問うた。
「貴殿の申し出については既にセリス皇子より伺っている。……本当にやるつもりか?」
「無論」
一片の迷いもない即答だった。
「ブリアン王子はスワンチカを手にしている。貴殿の力では到底及ぶまい。それでも……」
「委細承知。以前も申し上げたとおり、私はドズルのヨハンだ。それ以外の何者にもなれぬのだ。ドズル家再興のためには、身内の罪は身内で贖わねばならない。その責任を果たすために、私は身命を賭する覚悟でここにやってきたのだから」
やはり、とシャナンは確信する。彼は、この戦いで本当に命を賭けるつもりなのだ。ラクチェに何も告げていないのはそのためだろう。それはまぶしいほどの、強い決意だった。
瞳の色をふと和らげて、ヨハンは呟くように言った。
「……私は、あなたに詫びねばならぬことがある」
機先を制するようにシャナンは彼の言葉を遮った。
「イザークのことであれば謝罪は不要だ」
「シャナン殿……」
「貴殿の覚悟は見せてもらった。ドズルの人間として貴殿が解放軍に対し果たしてきた責務は、尊敬に値する。……イザークの民を代表して、礼を言わねばならんのは私のほうだ」
ひとつ、息をついて。シャナンはその手を差し出した。
「重要なのは過去に囚われることなく未来を見つめることだ。……私の叔母と、貴殿の叔父がそうしたようにな」
ヨハンは差し出された手を目を見開いて見つめ―――やがて、深く嘆息した。
「……あなたにそう言っていただけるとは望外の喜びです……だが、今一つ詫びねばならぬことがある」
「スカサハのことであればそれも気にすることはない。イザークとドズル、どちらも彼にとって故郷であることに変わりはない。どちらを選んだとしてもそれは彼の意思だ」
「……かたじけない……」
うめくようにそう言って、ヨハンは差し出された手を固く握りしめた。
「ラクチェを、よろしく頼む。あれは母親に似て情が深い。一本気ゆえ扱いにくいこともあるかもしれないが……」
「何も申されるな。私は彼女のすべてを愛している。彼女がおらねば今の私はない」
「では、無駄に死を望まぬことを約束していただこう。貴殿に先立たれればあれも生きてはおらぬだろうからな。私はこれ以上自分の親族を失いたくはない」
強い視線を受けて、ヨハンは微苦笑と共に頷いた。
「……肝に銘じておきましょう」
* * *
一方、退室した二人は施療室へと足を向けた。そこには身重の体を押して従軍しているラナがいるはずだった。妊娠が判明したペルルーク城からこのシアルフィ城まで約二ヶ月、常に最前線にあった彼らがラナと面会できた回数は片手の指の本数に満たない。そろそろ安定期に入ってくるはずではあるがそれでも油断ができるわけもなく、必然、施療室へ向かう足も速くなる。最後はほとんど全力疾走に近い速さで駆けつけた二人は、先を争うようにして施療室の扉を叩いた。
「はい」
懐かしい、優しい声。ラナは母のエーディンによく似ている。その声も、人を和ませる穏やかな物腰も。頷きあった二人は、静かに扉を開けた。
ラナは、窓際に腰掛けて薬草の入った袋を整えていた。その姿は、かつて母が従軍していた頃の姿を髣髴とさせる。
「どなたですか?今日はまだ治療の予定は入って……」
「ラナ、久しぶり」
言葉に詰まったスカサハに代わってラクチェが声をかけた。はっとして振り返ったラナの頬がぱあっと染まる。
「ラクチェ、スカサハ!二人とも、どうしたの?」
「うん、ちょっとね。具合はどう?」
「経過は良好よ。私も、この子もね」
ふわりと微笑んで、ラナはシスター服の下の腹部に手を当てた。
「お腹、前より少し大きくなった?」
「うん。ちゃんとね、毎日成長してるのが伝わってくるの。命ってすごいわね」
「さわってみてもいい?」
「いいわよ。まだ動かないけど」
うきうきとした足取りでラナの傍らに歩み寄ったラクチェは、指先でそっと腹部に触れる。そこには確かにひとつの命が息づいていて、この世に生まれ出るときを待っているのだ。それを思うと何だかとても幸せな気分になる。元来が子供好きのラクチェにはそれが嬉しくてならない。
「男の子かな、女の子かな」
「ラクチェはどっちがいいと思う?」
「あたしは……男の子がいいな。一緒に草原を転げまわって遊んだり、剣を教えたりするの。楽しそうでしょ?」
「そうね。私はどっちでもいいけれど……スカサハはどう思う?」
ラナに水を向けられて、多幸感に浸っていたスカサハははっと我に返った。
「そ、そうだな。俺も、どっちでもいいけど……どっちかと言ったら、女の子……かな」
「どうしてそう思うの?」
「何となく、だけど……俺がうちに帰ってきたときに、二人で出迎えてもらえたら嬉しいかなと思って」
言っていて自分で照れくさくなったらしい。鼻の脇を掻きながら目をそらすスカサハに、ラナは嬉しそうに笑った。
「それも楽しそうね。でも、ラクチェと一緒に遊びまわっていたらラクチェみたいにおてんばになっちゃうかもしれないわよ?」
「それは俺が困る」
スカサハの即答に、ラクチェが眉を吊り上げた。
「どういう意味よ!」
「生まれてこの方十八年間ずーっとおまえの世話で奔走してきたんだぞ。やっと手が離れそうだっていうのに同じようなのが増えてたまるか」
「何ですってぇ!?」
怒りで顔を真っ赤にしているラクチェは気づかないようだが、ラナは彼の意図に気づいたらしい。ふわりと笑った彼女にまでラクチェが噛みつく。
「何よ、ラナまで笑わなくたっていいじゃない!」
「そういう意味じゃないわ。スカサハ、不器用ね」
笑顔でそんなことを言われてスカサハがそっぽを向く。一人、ラクチェだけが意味がわからずにきょとんと二人の顔を見比べた。
「?……ラナ、どういうこと?」
「あんな言い方してるけど、あれはあなたとヨハンさんのことを認めるってことよ」
「……え?」
「妹離れできなかったお兄さんが手を離すんだもの。預けられる恋人ができたからに決まってるじゃない」
「スカサハ……」
最初は嬉しそうに、やがて半分泣きそうな顔になるラクチェに、スカサハは苦笑してその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「そんな顔すんなよ。……手、離すなよ」
「うん……わかってる」
「ほら、あいつのところに行ってやれ。そろそろシャナン様の話も終わる頃だ」
軽く頬を叩くと、ラクチェはにっこりと笑って言った。
「うん……スカサハ、ありがとう」
足取りも軽く施療室を後にするラクチェを見送って、スカサハは大きく息をついた。
「よく決心できたわね。一生無理かと思ってたわ」
「……ラナ」
顔をしかめて恋人を見やる。数ヵ月後には母になる恋人はにっこりと笑顔で答えた。
「わかってる。スカサハはラクチェのお兄さんでお父さんでもあるんだもの。そう簡単に手が離せるわけないわ。でも、それでも……認めちゃったのよ、ね?」
「……まあ、そういうことだ。あんまりからかうなよ」
「からかってなんかないわ。嬉しいのよ。私の選んだ人が、自分じゃない誰かの幸せを考えられる人で」
くすくすと笑うラナの肩をそっと抱き寄せて。
「……ラナ、話がある」
そう切り出したスカサハを、ラナはそっと抱き返した。
「なあに?」
「この戦いが終わったら……」
* * *
弾むような足取りで廊下を歩いていたラクチェは、廊下の角の向こうから歩いてくるシャナンに気づいて声をかけた。
「シャナン様!お話はもう終わったんですか?」
「ああ。ヨハン殿なら厩に向かわれたようだが……城下を見に行くといっていたぞ」
「え、そうなんですか?」
見る見るうちにラクチェの表情が沈んでいく。いっそ鮮やかともいえそうなその変化に、シャナンは小さく笑った。
「そうあからさまにがっかりされると微妙な気分だな。私では話し相手には役不足か?」
「え、そ、そんなことないです!」
真っ赤になって手を振る。自分の頬に手を当ててみるが、それほど丸わかりな反応をした自覚は彼女にはない。
くすくすと笑いつづけるシャナンの隣に並ぶ。ラクチェにとって十歳年上の従兄は剣の師としても、一人の男性としても理想の存在だった。いつか隣に並び立ってみせる、そのために剣を始めたといっても過言ではない。
あれからずいぶん時が流れた。この従兄は今でも理想の存在で、隣に並ぶと以前と同じように緊張を覚えはするけれど、胸の高鳴りは以前ほどではなくなっているのがわかる。自分の心がすっかりあの大きくて温かな背中を持つ男のものになってしまったことに今さらのように気づいて顔が赤くなるのがわかった。そのことにシャナンも気づいてしまっていることが無性に恥ずかしかった。
「今追いかければまだ間に合うかもしれんぞ?」
シャナンの声はまだ笑いを含んでいる。いつでも彼を探している自分を揶揄されているようで、ラクチェは小さく頬を膨らませて答えた。
「……やっぱりいいです。たまにはヨハンだって一人になりたいときもあるだろうし。私にだってやらなきゃならないことがありますから」
「そうか。彼のほうではいつでも追いかけてきて欲しいと思っているだろうが……」
「え……そ、そうなんですか?」
とたんに迷い始めるラクチェに、シャナンは今度こそ吹き出した。からかわれたことに気づいたラクチェが真っ赤になる。
「……もうっ、シャナン様!からかうなんてひどいです!」
「くっくっ……いや、すまん。まさかこういう日が来るとは私も思っていなかったのだがな。おまえは母に似て恋愛事には興味がなさそうだったし」
真っ赤になって膨れていたラクチェがその言葉にふっとまじめな表情になる。
「……母様も……そうだったんですか?」
「アイラは常に剣を至上としていたからな。強い相手と戦うことが生き甲斐のような人だった。自分よりも弱い男には目もくれなかったな……おまえの父上がアイラを口説き落としたと知ったときはそれはもう驚いたものだったよ」
「……父様は……」
「強い、男だった。力ばかりではなく……な。二人はとても信頼しあっていた」
昔を懐かしむような瞳がふっと陰りを帯びる。
「ラクチェ。おまえが愛した男も父に負けないほど強い男だ。だから……どんな時でもあの男を信じてやれ」
「シャナン様……?」
「あの男には、おまえの信頼だけが救いになる……いいな」
シャナンの目は真剣だった。勢いに押されるようにラクチェは頷いた。
その質問の意味がわかったのは、出撃後のことである。
***
かすかな物音に、ブリアンはふっと目を覚ました。
久しぶりの戦場での目覚めはあまり芳しいものではなかったが、贅沢を言ってもいられない。寝所の傍らにいつも置くようにしている手斧に手を伸ばし、彼は気配を探った。
彼が寝所としている天幕の入り口に人の気配がある。それは、覚えのあるものだった。
「……ベルトホルトか」
呼びかけると、影はするりと天幕に忍び込んできた。それは予想通り、彼がシアルフィに放ったはずの密偵だった。
「ただいま帰参いたしました」
「遅い戻りであったな。して、シアルフィの状況は」
「は。守備隊一個中隊に加え先ごろ本陣より一個中隊が加わった由。そちらの陣容確認に手間取りました」
「言い訳はよい。報告を優先せよ」
「……は。守備隊は騎馬部隊を中心に一個中隊、こちらは数も陣容も問題になりません。ただし、本陣より帰参した一個中隊は歩兵を中心としており、かなり注意が必要です」
「ふむ。我々が斧持つ軍団と知ってソードファイターを中心に構成したか。舐められたものだな」
確かに、斧は剣に弱いとされている。それは武器の三すくみと呼ばれる兵法の常識だ。だが、それが通用するのは同格の兵士同士の間だけのことだ。グラオリッターは能力的にも最強の軍団である。質実剛健の基調の元平和に溺れず十分な鍛錬をつんできている。もっとも苦手とされる剣士が相手だからといって遅れをとるような無様な者はいない。
反乱軍の安直な発想をそう言って笑い飛ばしたブリアンに、ベルトホルトは肩をすくめた。
「奴らの指揮官は」
「……イザーク王子シャナン。神剣バルムンクを擁しオードの再来とも言われる反乱軍最強の剣士です」
その返答に、ブリアンは凄絶な笑みを浮かべた。
「おもしろい……神器が相手なら不足はあるまい。存分に暴れさせてもらおうぞ」
普段であれば、そこで退室を促される。だが、ブリアンはその冷たい双眸を向けたまま何もいわない。居心地の悪い沈黙に、ベルトホルトは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「……ベルトホルトよ。報告は、それだけか」
「……はい、以上にございます」
「帰参が遅れた理由、そればかりではあるまい。このドズルのブリアンを騙しおおせると思うか」
「……何を……」
顔を上げて、ベルトホルトはぎくりとした。いつの間に抜いたのか、手斧の白刃が眼前にあった。
「貴様はカスパルとは親友であったな。奴の所業、この私が知らぬとでも思っていたか」
「ブリアン様……!」
どっと冷や汗が流れた。この場を逃れる術はもはやなきに等しい。逃げようと背を向けたところでこの手斧を投げつけられるか、天幕の外に控えているはずの親衛隊に八つ裂きにされるかだ。彼は観念した。
「……どこへ行っていた」
短い問い。ごまかしは利かない。ベルトホルトは答えた。
「エッダ方面へ……反乱軍の、本陣まで」
「……奴は、いたのか」
奴、と。自分の弟をそう指すブリアンに、ベルトホルトは目を閉じた。
「……はい。『私は逃げも隠れもしない』と……そう仰せでした」
「では、奴もシアルフィにいるのだな」
「恐らく」
全身に突き刺さるような殺気が唐突に消え去った。驚いて顔を上げるベルトホルトに、ブリアンは興味を失ったように言い放った。
「よい。消えろ」
「ブリアン様……?」
「おまえの仕事は終わった。消えろと言っている」
ベルトホルトは驚いた。自分は、助かったのだろうか。慌てて頭を下げる。
「は、はっ」
天幕を出る際に彼が見たのは、わずかに俯いてため息をつくブリアンの姿だった。
それが、彼がドズル家当主の姿を見た最後となった。
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