■幾千の夜を越えて 第五章-3■
それから数日が経過した。
歩兵部隊はいったんイード神殿へ向かってロプト教の残党が残っていないことを確認したのち、改めて南に進路を取った。実はこのときすでに南のメルゲン城の魔法部隊と騎馬部隊との間で戦端は開かれていたのだが、彼らが知る由もない。砂に足をとられ遅々として進まぬ行軍に苛立ちつつも、イザーク王子シャナンが神器を携えて合流したことで高い士気を保っている。
その中でラクチェはというと、ヨハンといったん離れたことで心の平穏を取り戻すかに見えたのだが逆に苛立ちは増すばかりのようだった。それらは主に朝の歩兵同士の訓練時間に発散されていて、中でも被害が集中していたのが双子の兄のスカサハである。いつもならばレスターやデルムッドといった気心の知れた幼なじみたちがいるのでそれなりに矛先をそらすことができるのだが、部隊編成が分かれてしまってはそれもままならない。というわけで、今日も今日とてスカサハは妹のイライラの発散相手に指名されて剣を取っているのだった。
「うわ!」
どすん、としりもちをついたスカサハめがけてラクチェがなおも訓練用の剣を振り上げる。
「覚悟!」
「ちょ、ちょっと待て!勝負はもうついてるだろ!」
慌てて制止するスカサハに、ラクチェは舌打ちした。
「何よ、もう降参?だらしないわね!」
「おまえこそもう少し加減を覚えろよ!いくら訓練用の剣が刃をつぶしてあるからって味方相手に流星剣を連発する奴があるか!」
「何を甘いことを言ってるの。戦場では相手は手加減なんかしてくれやしないわよ!」
ふん、とふんぞり返って断言するラクチェに、今度はスカサハが舌打ちする。みね打ちとはいえ容赦ない斬撃を叩き込まれれば当然痛いし、打ち身やあざだって免れないのだ。それでなくてもラクチェはこのところとみに剣の腕があがってきたようで双子とはいえ兄としては気が抜けないのにこう何の加減もなくやられたのではプライドもずたずたである。
「これは一本とられたようだな、スカサハ。確かに今のは油断したおまえが悪い」
頼みのシャナンにまでそんなことを言われて、スカサハはがっくりと肩を落とした。
「シャナン様まで……」
「ほーら、見なさい」
「だがラクチェ、いい気になるのはまだ早いぞ?今度は私が相手だ」
そう言ってシャナンが訓練用の剣を手に立ち上がったことで、周囲にピリッと緊張が走った。
彼の実力はイード神殿をたった一人で突破したことから見ても折り紙つきだ。その彼に、最近急成長を見せているラクチェが挑むのだ。これは、スカサハでなくとも結果の気になるところだろう。周囲で思い思いに剣を振るっていた兵士たちが徐々に集まり始めた。
「スカサハ、開始の合図を頼む」
「はい」
頷いて、スカサハは自分の剣を鞘に収めて立ち上がった。応じるようにしてシャナンとラクチェが互いに向き合う。
「これは見ものだな……」
「どっちが勝つと思う?」
「それはシャナン様だろうよ。ラクチェ様は確かにお強いが王子にはまだ及ぶまい」
「いやいや、ラクチェ様も実戦を経験されてずいぶん成長されているぞ?案外……」
歩兵の多くは元イザークの兵士たちだ。それだけに、勝負の行方にも注目が集まる。
二人が剣をかまえたことでざわめきがぴたりと止み、訓練場はシーンと静まり返った。スカサハがすっと手を上げ、振り下ろす。
「はじめ!」
合図と同時に動いたのはラクチェだった。先手必勝とばかりに素早く彼我の距離を詰め、剣をなぎ払う。
「たあっ!」
キィン、と高い金属音が響いた。シャナンが慌てることなく斬撃を弾き返したのだ。反動はかなりのものだったがラクチェはかろうじてこらえ、反撃を受ける前に飛び退った。
「おお!」
「さすがに速い!」
「シャナン様もよくかわされて……」
周囲から感嘆の声が上がったが、当然ラクチェの耳には入っていない。必殺のつもりで繰り出した一撃をあっさり跳ね返された彼女の手には重い痺れが残っている。剣を取り落とさなかったのは奇跡的と言っていい。
「……っ、まだまだ!」
自らを叱咤するように叫んで再び剣を構えなおし、ラクチェは再度勝負を挑んだ。
今度は鈍い金属音が続けざまに響く。ラクチェの素早い連続攻撃を、シャナンはすべて手にした剣で受け止め、時には受け流し、時には弾き返した。すべてを、息一つ乱さずにだ。ドズル兵を翻弄してきた彼女の連続攻撃も、歴戦を重ねてきた彼にとっては児戯に等しいということか。その証拠に、彼はただの一度も反撃してこない。それだけの余裕があるのだ。
悔しさに歯噛みしながらも、ラクチェは呼吸を整え意識を研ぎ澄ませていった。確かに普通の攻撃は通用しないかもしれない。だが、流星剣なら。
「どうした、ラクチェ。もうおしまいか?」
息一つ乱さずに問うたシャナンに、ラクチェは一呼吸おいて返した。
「まだ、これからです!」
「よし、かかってこい!」
「はい!」
は、と大きく息をついて、ラクチェは再び飛び出した。吐き出した気迫が緑光のスパークを放つ。流星剣の前兆だ。
「おお、流星剣!」
「さしものシャナン様もこれは……ん?」
ラクチェの優勢を確信した周囲の者は次の瞬間息を呑んだ。
二撃、三撃と超高速で繰り出される秘剣を、シャナンはなんと全部受けきってしまったのだ。思わぬ事態に一番驚いたのは流星剣を放った当のラクチェである。驚愕する彼女に、シャナンは冷静に呟いた。
「まだまだ甘いな」
「…………っ!」
腹部に衝撃が走った。シャナンが剣のみねで軽く打ったのだ。軽くといってもダメージは相当なもので、うめき声を上げたラクチェはその場にうずくまってしまった。あっさりとついた決着に周囲からおお、とどよめきが上がった。
見せ付けられた力の差に、言葉も出なかった。相手になるどころかあしらわれて終わってしまった。自分は疲れ果てて声も出ないくらいなのに、シャナンは汗をかくどころか息一つ乱していない。呆然とするラクチェに、剣を鞘に収めたシャナンは厳しく言った。
「今のおまえの剣には迷いがある。雑念を捨てられないなら剣を取るなと前に言ったはずだな」
ぎくり、と肩が揺れる。
「……はい、すみません」
「おまえは技に頼りすぎだ。大技の後には必ず隙ができると前にも教えただろう。その隙を狙われたらひとたまりもないぞ」
「……はい」
「だが、よく成長している。以前に比べてスピードが格段に上がったな。ただ、切り返しを早くしようとするあまりに力が少し足りないようだ。もっと力をこめて振り下ろすようにするといい。さあ、立てるか?」
差し伸べられた手につかまって立ちあがったラクチェは、ぺこりと頭を下げた。
「ご指導ありがとうございました。ちょっと頭を冷やしてきます」
そのまま踵を返し、走り去る。周囲の兵士たちが自分の訓練に戻っていく中で、シャナンとスカサハは顔を見合わせた。
「……少し加減がなさすぎたか?」
「そんなことはないですよ。今のラクチェにはいい薬だ」
あっさりと答えるスカサハはどうやら先ほどの勝負のことを根に持っているようで、それに気づいたシャナンは苦笑した。
「確かに成長はしているようだが……修行に身が入っていない。太刀筋に迷いがあるのはその証拠だ。何か悩み事でもあるのかも知れんな。心当たりはないか?」
シャナンの問いに、スカサハは眉をしかめて答えた。
「あいつのせいですよ。ドズルのキザ男!あいつがラクチェを惑わせるようなことばかりいうからに決まってる」
「ヨハンか。奴がラクチェに懸想しているというのは以前から聞いているが……あれは妙な男だな」
「妙というより変だとしか俺には思えませんがね」
まさしく一刀両断である。イザークの気風には男は寡黙であるべしという風潮があるから、その中で育ったスカサハにはよけいにそう見えるのだろう。もっとも、幼少期に故郷を離れて流浪の日々を送り、その分だけさまざまな人間を見てきたシャナンには別の意見もあるのだが。
「本音を悟らせないのはグランベルの貴族らしいともいえるぞ」
「そういうものですか?」
「ああ。私の知っている男に少し似ている……」
シャナンの脳裏には今も鮮やかに焼きついたままの姿がある。
その男も、己の父親の悪行ゆえに命さえも危ぶまれるほどの窮地に置かれながら、決してそれまでの態度を崩そうとはしなかった。決して信念を曲げなかった彼は、そのゆるぎない堂々たる態度を貫くことで仲間の信頼を勝ち得たのだ。いつも泰然として不敵な笑みを崩さなかった記憶の中の後ろ姿が今のヨハンに重なる気がするのは、やはりその身に流れる血の故なのだろうか。
シャナンの沈黙をどう取ったか、スカサハは不満そうに剣の柄を鳴らして言った。
「でも俺はあいつを信用できません。あんな奴にラクチェをやるのは絶対ごめんです」
その台詞にはさすがにシャナンも失笑を隠せなかった。
「まるで父親の台詞だぞそれは」
「俺はラクチェの兄貴ですからね。ラクチェと付き合うつもりならまず俺を通してもらわないと……生半可な男には任せられませんから」
「それは怖いな。その中には私も入るのか?」
「まさか、シャナン様はもちろん別ですよ。というより、俺はラクチェはずっとシャナン様のことが好きなんだと思ってたんです。それがよりにもよってあんな奴を選ぶなんて……我が妹ながらどういう趣味をしているんだか」
ぶつぶつ文句を言うスカサハに、シャナンは苦笑を隠せない。
「とにかく、俺はあいつを認めません。シャナン様だってそうでしょう」
水を向けられて、シャナンは苦笑を返した。
「そうだな……あの場で逃げ口上を並べるような男であれば迷わずバルムンクの錆にしていたがな」
あの時、あの場でヨハンが少しでも逃げるそぶりを見せていたならば本当にその場で切り捨てていただろう。シャナンにはその自覚がある。長年の怨嗟の対象が目の前に現れたのだ。手にしたバルムンクのおかげでかろうじて『オードの継承者』としての面目を保ちはしたが、ドズルの男を前にして感じた血の滾りはきっと一生忘れられない。
だが、彼は逃げなかった。堂々とドズルの人間であることを名乗り、神器を目の前に突きつけられてさえ微動だにしなかった。その姿が、なぜか記憶の中の男に重なるのだ。
何より。自分と同じようにドズルを憎んでいたはずのラクチェがあの男を受け入れているではないか。そのことに、シャナンは新鮮な驚きを覚えた。かつて今隣にいる双子の兄と共に瞳を輝かせて剣の習練に励んでいた少女とはまるで別人に見えた。当人に自覚はないかもしれない。だがその姿は彼女の母が夫の隣にいた頃を思い起こさせる。
懐かしい記憶に目を細めて、シャナンは自嘲した。自分はどうも少し感傷的になりすぎているようだ。甘く優しい記憶に浸っている場合ではないというのに。
「シャナン様?」
「……いや、なんでもない。おまえも妹に負けてばかりはいられまい。少し鍛えてやろう」
その言われように、スカサハは苦りきった顔をした。
「シャナン様もきっついよなあ……」
「どうした?さあ、剣を取れ」
「……はい、お願いします!」
* * *
砂漠の行軍で最も重要なのは水源の確保だ。多くの場合、所々に点在するオアシスの水場が補給のカギになる。それらの重要な情報をもたらしてくれたのはかつてレンスター、イザーク、グランベルの三国を渡り歩いていた隊商たちだった。オアシスからオアシスへと渡り歩きながら商いを行う彼らにとって砂漠に巣食う暗黒魔道士を退治してくれた解放軍はまさに救いの神だったのだ。
彼らの情報を得て、解放軍は順調に行軍を続けていた。オアシスの住人たちはありがたいことに水場を使用する権利を無償で提供してくれた。解放軍がイード神殿を突破したおかげで途切れがちだった隊商の行き来も容易になったから、さびれかけたこの地もこれからは少しはにぎやかになるだろうと案内人の村人は笑顔で話してくれた。
このオアシスには村人が共同で使用する水場のほかにいくつか自然に湧き出した泉がある。ラクチェがやってきたのはそのうちの一つで、密集した木の陰にあるために人目につきにくい場所だった。
ばしゃばしゃと少し乱暴に顔を洗い、ため息をつく。
やはりシャナンには隠し事はできなかった。あっさり見抜かれてしまうとは思いもよらなかったが、考えてみれば当然のことだ。普段の自分であれば剣の修練の最中にほかのことを考えるなどありえなかったし、特にシャナンとの対戦は彼が忙しいこともあってとても貴重な機会だったから、それだけに一瞬たりとも気を抜くまいと集中するのが常だった。それなのに雑念だらけで剣を握った揚句にそれを指摘されるなんて。剣士としてひどく恥ずかしく、情けないことのように思えてならない。
認めるしかないのだろうか。自分の気持ちを。自分は自分にそれを許せるのだろうか。相手はあれほど憎んだドズル家の人間だというのに。
たくさんの無実の人々がドズルの斧兵に殺される姿を見てきた。仲のよかった友人が目の前で惨殺される様を目撃したことさえあった。奴等をイザークから追い出すことこそが自分の悲願だった。無残な死に接するたびに何度もそれを誓ってきたはずだ。それなのに、そのドズル家の人間に心を奪われるなんて。
そんなことが許されるわけがない。死んだ人々も許してはくれないだろう。何より自分が自分を許せない。なのに、どうしても忘れられないのだ。リボー城を制したあの日、すがるように自分を抱きしめたあの腕の強さが。自分さえいればそれでいいのだと、空気を震わせて囁いたあの声が。ぬくもりと共に伝わってきた、痛いほどの悲しみが。
知らず深いため息をついた、そのときだった。風に乗ってその声が聞こえてきたのは。
「まったく……イザークにとっては仇敵であるはずのドズルの人間を軍に置くとは、セリス様は何を考えて……」
「しかも軍の要職を与えて重く用いているとか……一体どういうおつもりなのだ」
聞き覚えのある声に、ラクチェははっとした。あれは確か、リボー城を制圧した頃に志願してきたイザーク人の兵士の声だ。
「奴は父親と弟をその手にかけた裏切り者だぞ。信用などできるものか」
「やはりセリス様もグランベルの人間ということか……ご自分の母国の人間にはお甘いと見える」
「シャナン殿下さえおられたならばこのような暴挙は許されなかっただろうに……口惜しい話だ」
名前は出なかった。だが、出ずとも話の主役が誰かは明白だった。
話の内容を理解したとたんに、頭に血が昇った。
気がつけば、剣を抜き放って飛び出していた。
「何をしているの!」
いきなり現れて剣を突きつけてきたラクチェに、兵士たちはギョッとしたようだった。
「ら、ラクチェ様?」
「私は何をしていると聞いているのよ。答えなさい!」
「わ、我々は……別に、何も」
慌てて弁明しようとするのを鋭い風切り音で遮る。
「言い逃れは聞かない。解放軍に籍を置いていながら命令を無視し日々の鍛錬を怠った揚句にこともあろうに盟主セリス皇子の陰口を叩くとは……おまえたち、それでも誇り高いイザークの男なの!?」
「そ、そんな」
「今すぐ荷物をまとめて軍を去るか。それともこの場で私に叩きのめされるか。好きなほうを選びなさい!」
ギラリ、と光る剣の切っ先に四人の兵士は震え上がり、あとずさった。そのうちに、一人が突きつけられた剣が刃をつぶした練習用の剣であることに気づいてようやく我に返った様子で睨み返してくる。
「何を、小娘が……賢しげな口をききおって!貴様とてあの男と同罪ではないか!」
「……なんですって?」
「我等が知らぬとでも思ったか!貴様など、確かに母は王妹殿下であったかも知れぬが父はあの憎きドズルの男ではないか!」
兵士の言葉は、まるで氷の刃のようにラクチェの心にぐさりと突き刺さった。
声を失った彼女に、兵士は勢いを得てさらに言い募る。
「思い返せばよくも騙してくれたものよ。口では憎きドズルよなどと唱えながら当の相手、しかも父親と弟を手にかけたような男に言い寄られていい気になりおって……さすがは父親殺しの血をひくだけあって厚顔無恥よな。あの汚れた肉親殺しの血を身に宿しておるくせに王族を名乗るとは片腹痛い。いずれ王座を狙ってシャナン殿下に仇なすに違いないわ!」
「そうだ!我々は正しいことを言うたまで。それを、あの男が……!」
「いっそ後の禍根をここで断ってくれようか。そのほうがイザークのためというもの!」
男たちはついに剣を抜き放ち、じりじりと詰め寄ってきた。
ラクチェの手は震えていた。頭の中は真っ白だった。目の前が真っ赤に染まるほどの怒りが彼女を突き動かした。剣を強く握りしめた次の瞬間、彼女は弾かれたように飛び出した。
「う……あ、ぎゃあっ!」
「ぐわっ!」
訓練用の刃をつぶした剣ではもちろん肉を切ることはできない。その、はずだ。だが、怒りに燃えたラクチェの連続攻撃は凄まじかった。あっという間に三人を叩き伏せ、先の暴言を吐いた男にじり、と詰め寄った。
「う……ば、化物め……!」
「何とでも言いなさい。あの世で自分のおろかさを悔やむがいいわ!」
ガタガタと震える男に吐き捨てて、ラクチェは剣を振り下ろした。
「ラクチェ!」
いつの間に近づいていたのか。鋭い声と共に割って入ったスカサハがかろうじてその剣を跳ね返したことで、男は脳天をかち割られる寸前で生き延びた。だが恐怖のあまり腰が抜けたのか、その場に座り込んでしまう。
「何をしてるんだ、私闘は軍紀で厳しく禁じられているんだぞ!」
「とめないでよ!こいつらは私たちを侮辱したのよ!ううん、私たちだけじゃない!父さまや母さまのことまで……絶対に許さない!」
「何だって?」
止めに入ったはずのスカサハまでが気色ばむのを見て、男は青ざめてあとずさった。
「ひっ……!」
「二人とも、よさないか!」
遮ったのは、シャナンだ。昏倒している男たちの様子を見ていた彼は、ため息をついて立ち上がった。
「全員骨折と打撲ですんだのは奇跡というべきだな……ラクチェ、理由がどうあれ私闘は厳罰の対象だということはわかっているな?」
「シャナン様、あたしは……!」
「部隊長の権限で一週間の謹慎を申し渡す。よく反省するように」
「シャナン様!」
厳しく申しおいて、シャナンは男たちを振り返った。
「本来ならば貴様たちも同罪だが……話はセリスに聞いているぞ。貴様たちが私闘騒ぎを起こすのは今回が二度目だそうではないか。そのような不貞のやからを自分の配下に置いておくほど私は寛容なたちではない。今日を限りに解雇する。どこへでも行くがいい」
断罪を下されて、男は真っ青になって声を上げた。
「シャナン殿下!そのような無体な……我等は殿下のおんためを思えばこそ」
「憎しみに目がくらんで大局が見えぬ者はこの先の戦いには不要だ。国へ戻り、復興に力を尽くす方がためにもなろう」
「ですが……!」
なおも言い募ろうとする男を、冷たい眼光が貫いた。
「……一つ言っておくぞ。貴様等の言う「父親殺し」は私と叔母上の命の恩人だ。これがどういう意味かは、わかるな」
「ひ……」
「口の利き方には気をつけろ。私は気が短い。ラクチェのように反論の時間を与えてはやらんぞ」
恫喝にも似た台詞に、男は蒼白になって何度も頷いたのだった。
「……あれでよかったんですか?」
森を出たところで問うたスカサハに、シャナンは振り返りもせずに答えた。
「かまわん。一度処分を受けているのにまた同じことを繰り返すような役立たずは解放軍には必要ない」
「処分……?」
「知らんか……無理もないな。奴等はおまえたちの陰口を叩いているところをヨハンに見咎められて一度処分を受けているのだ。もっとも、そのときはヨハンが先に手を出したということで喧嘩両成敗だったらしいがな」
「…………っ!」
声を詰まらせたラクチェの脳裏に、あの台詞が甦る。
『理由など取り立てて言うこともない……ただ私が未熟だったというだけのことだ』
そう言って微笑んだ横顔。頬に触れたぬくもり。それらを思い出すだけで、胸がきゅうっとしめつけられるように痛んだ。
シャナンがふと振り返る。黄砂を含んだ風に長い髪を弄られるまま、彼は呟くように言った。
「スカサハ、ラクチェ……おまえたちの父親は確かにドズルの人間だ。だがな、間違ったことは決してしなかったぞ。仲間にも信頼されていた。何より、おまえたちの母のことを心底愛していた……そのことだけは、忘れないでくれ」
それが、彼らが自分たちに流れるもう一つの聖戦士の血を意識した瞬間だった。
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