日本の政治・経済の不調の原因

形式知優先社会は暗黙知を失い国は亡ぶ

理魂文才

The Cause of Japan’s Poor Political and Economic Performance
 Reliance on formal or explicit knowledge and ignorance of tacit knowledge results in decline of Japan



Abstract
Considering recent poor performance of Japanese political and business society, author points out the cause of such poor performance were the consequence of poor performance of leadership. Most of the leaders in political and private business enterprises are occupied by non-technical personnel who have poor tacit knowledge about their political and business field. They are talented in formal or explicit knowledge accumulated in the past and most of the knowledge are out of date and obsolete.
Author intends to discuss actual examples both in political and business fields.


はじめに

日本の産業特に家電業界はこのところ総崩れになっている。為替が円安になって多少好転したが、基本的な問題は未解決のままでますます悪化している。部品は 日本、組み立ては中国とすみ分けていたのも過去の話で、素子、液晶、フラッシュメモリーなど先端部品も中国がマスターし、AI研究も日本をパスしている。

原因として選択と集中の失敗、閉鎖 的・自己完結的・垂直統合、権威主義的縦社会、縦割り組織、タテ社会、年功 序列・身分差別制度、多様性を嫌う社会の風潮などなど諸説ある。

英国のジャーナリスト、デービッド・アトキンソンが日本のパーフォーマンスを分析した結果。

・日本は「GDP世界第3位」の経済大国である→ 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)

・日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である→ 1人あたり輸出額は世界第44位

・日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である→ 1人あたり製造業生産額はG7平均以下

・日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である→ 1人あたり研究開発費は世界第10位

・日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である→ 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位

・日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である→ 1人あたりメダル獲得数は世界第50位

であるという。これをみれば日本は人口で勝負しているだけで、人間一人当たりで評価すればどうしようもないパーフォーマンスだということがわ かる。人一人の生産性が低いのである。特に日本人の資質が劣っているわけではない、個人が能力を発揮するするのを阻害する構造的なものが社会にあるためだといえる。

中根千枝が指摘したタテ社会原理は基本的には先輩・後輩の関係である。組織という場に参加した時期を基準にして序列が決まる社会だ。特に開成ー東大組は最 強の団結を誇って君臨する。高校別東大合格者数ランキングで上位の5校を見てみると、1開成170人、2灘105人、3筑波大附属駒場98人、4麻布82 人、5東京学芸大附属68人である。

安冨教授は、「典型的な『東大型』の欺瞞言語に縛られた人材が日本社会にマイナスの影響を与えている」と指摘する。「30年前のソニーに東大出の責任者な んてほとんどいなかった。シャープでもパナソニックでも、昔は根性のすわった、身体性に富んだ人々が企業を動かしていたんです。ところが30年前くらいか ら東大出が次々とこうした企業に入りだした。すると企業はどんどんダメになっていった。東大卒は、与えられた条件のなかで、自分に最大のメリットがあるよ うな答えを出すのが、本当にうまい。環境問題から提起して、いつの間にか『だから自分が重役になるべき』という答えを出す。中国の台頭を理由に、社長にな るべきは自分だ、という結論が出てくる。そういう巧妙なプレゼンができるのです。同じスキルは、自分の上司を守り立てることにも使えます。専務になりたい 常務に対して、『中国が台頭するいま、あなたが専務になるべき』というプレゼンを持ってくる東大卒は本当にかわいい部下でしょう。しかし上司に引き立てら れて、やがて自分がトップになったとき、東大卒にできるのは、『トップの地位を維持する』論理をこねくり回すことばかり。結局、組織は死に体になってい く。

ビジネススクールのように組織統治の詳細をいくら議論しても結論は出ない、なぜなら組織の型は他国と似たようなトップダウンの階層組織だからだ。トップダ ウンであるためそのトップの選任方法に問題がある。私が 企業で経験した事実からの類推だ。回顧録にまとめてあるのでここでは蒸し返さない。

日本では明治以来、侍階級のむすこたちが旧制高校→帝大の文系に入り、官僚になり、日本を乗っ取ってきた。この慣習は官界で厳格に維持され、企業でも文 系優位の悪し伝統が今も残っている。ところが戦争に負けて新制大学になり、文系はマス教育になって質が落ちたのに(マッカーサーの陰謀だとは気が付か ず)そのままトコロテンで文系が企業のトップにエスカレーターで簡単に上り詰める。まさに文理カースト制が出来上がっていたのだ。

これが現在の日本が政治でも企業でも無様な結果になっている原因ではな かろうかと考える。マッカーサーの時限爆弾がさく裂したのだ。その典型が2016年のセブン・イレブンの社長人事にも表れている。新しいインターネット環 境で新し い店舗の展開をどうすべきか手を打たない現社長を鈴木氏が更迭しようとしたら、返り討ちに会ってしまったなど、お粗末。 セブン・イレブンがもたもたしている間に米国でAIを活用したコンビニが2017年に開店するという。にもかかわらず、文部省管轄下の小学校でのプログラ ミング教育はまだ始まってもいない。

これも戦後の文系のマス教育の結果 ではと私は疑っているわけ。理系は徒弟制度でしか伝わらないので教授と学生数がほぼ同じで丁寧な人格つくりから鍛えられている。だから安倍政権が財政政策 がだめなら金融政策でといったところで、企業がこの金融政策を生かす能力も気もないため作動しない。このように粗製乱造された文系リーダーのお粗末さによ り日本の企業はますます、自滅してゆくと考えている。


大国は内的要因で衰退する

グレン・ハバート、ティム・ケインは「なぜ大国は衰退するのか 古代ローマから現代まで」で、

大国は必ずと言っていいほど「自国の停滞が内的な要因の結果であることを否定する。そして中央集権化が進み、将来を犠牲にして現在を浪費する」という決まったパターンを描く。

日本に始まる東南アジアの急速な発展は技術を初めて発見するというコストが不要だったため、急速にキャッチアップした。これは収斂理論と呼ばれる。

しかしラテ ン・アメリカやアフリカでは収斂はみつからない。それどころか、日本のようなフロントランナーですら人口当たりの収入が欧米の80%で成長がとまるという 「成長の天井」があることが分かっている。その理由は中央統制的な資本主義では100%に達するのは無理で、コモディティ―品を多量に生産しても天井は超 えられない。これを突き破るためには企業家精神に基づく別の種類の経済活動が必要 となる。しかし中央集権がつよいとこれが阻害される。

と指摘している。そしてとくに日本に関しては「特定利益集団や中央集権的な官僚制に比べて脆弱な民主制」と「新重商主義を経済成長策とするヒューリスティック、大規模な銀行や企業による損失回避」を上げていると指摘。

そして著者は日本が財政的・人口的トラップから抜け出したいなら、碁盤の石をずべてとりのぞいて初めからやりはじめなければならない。新たな布石とはキャッチアップ型 資本主義から企業家型資本主義にきりかえるということ。互いに手を組んで経済の各部門の発展を阻害している利益集団や政府の規制を開放しなければ天井は 残ったままだろう。大企業、大銀行、官僚組織のレントシーキングによって政治制度の構造改革は妨げられている。日本は21世紀版明治維新なしにはなにもで きない。日本の地方自治制度は江戸時代のような連邦的な構造でないため、経済が必要としている企業家型飛躍を助長する制度的実験をすることができない。韓 国や中国も20年以内に日本と同じ天井にぶつかると予測。



官主導の傾斜生産の弊害

野口悠紀雄氏の見解である。戦前の日本の計画経済から始 まったもので、戦争のためには官主導で育成すべき産業をきめそこに資本を集中させるというもの。戦後、まず産業のためのエネルギー確保のために石炭産業に集中投資して成功した。しかし石油時代にはいってこの石炭産業からの撤退は痛みを伴った。

鉄鋼業と石油精製業も国家が支援した産業だったか自動車、家電は民主導で発展した。

現時点の日本の問題は原子力重視政策であろう。人類は技術革新で栄えてき多にも関わらずこの原子力に傾斜した官の政策により再生可能江名ルギーへの移行が阻害されていることである。これも官主導の傾斜生産の弊害であろう。



国家統制下の間接金融

野口悠紀雄氏の見解である。資本主義は資本家がリスクをとって株に投資するが故におおむね健全な投資が行われる。しかし戦前の日本の計画経済から始 まった、政府の統制下で行われる貯蓄→銀行融資という間接金融方式で戦後の高度成長を行った。結果は政府の統制は無力でバブルに突入し、全ての富を喪失さ せた。



垂直統合型の製造業の水平展開型への移行失敗

これも 野口悠紀雄氏(東大工学部卒)の見解である。日本企業は昔の藩の形態をコピーした、ソフト開発、設計、部品製造、組み立て、販売がすべて垂直統合型だった。しかし国境 の垣根が無くなり、自由貿易時代になったとき、米国は部品製造と組み立てをマーケットで競わせて選ぶという水平展開したのに、日本は垂直にこだわり、結局 全てを失った。特に家電産業はソフト開発能力がなかったため、結局情報処理機器やスマートホンで国際競争に敗れた。

エンジニアリング産業はいち早く部品国際調達でいち早く国際マーケットで存在感をしたが、家電、造船などは垂直統合から水平展開に移行できなかった。

トランプ政権はこの垂直統合型の製造業への回帰にノスタルジアを感じているようで必ず失敗するだろう。



官強民弱を秘匿する仕掛け

かって政治の世界に存在した右翼も左翼も最早日本にいない。政治の対立軸は実は、『官対民』の構図になっている。かくして『左対右』と言うマスコミが虚構として煽り続ける構図は実際には幻の対立で、真の対立を覆い隠している。

官僚にとって左右対立の見せ掛けは都合が良い。つまり日本の対立軸は実は『上対下』というまさに、人類が1万年前に狩猟採集民から農耕民に以降していらで きた余剰農産物分配のためにできあがったシステムを覆い隠す好都合なカモフラージとなっている。官はこの対立を隠すために麻薬を使う。日本国永年敗戦の原 理がここにある。

米国に移民したアングロサクソンの後裔達は警察力が期待できない広大な農場を経営し、自衛の価値を身に染みているし、都市の住民も官僚が勝手したらいつで も蜂起できる実力は持たねばと信じているからだろうか。いまだに毎年数十人の人が狂った若者に銃で殺されても銃規制はしない。自衛を自覚するという意味 で、案外憲法改正もいいかもしれない。暴力装置でもって暴力を制するのは国と国だけではなく、民対官もありと気が付くかもしれない。

よくマッカーサー憲法が日本人を平和ボケにしたといわれるが、そんな浅薄なものではない。秀吉が刀狩りしてから日本人は上には敗けという体質がしみ込んでいて気も付かない。

憲法改正の危険性は集団的自衛権の白紙委任状を権力に与え、世界大戦への道筋をつけることになることだ。米国の海軍力も空軍力も中国にまけるような時代に は、日本も武力という暴力道具をもたないと真空が生じ、暴力をうむことを防止しなければだめだと気が付くことが大切である。



学習棄却ができず拡散思考が不得意

太平洋戦争の敗因について日露戦争の勝利によって学習棄却ができず航空機・空母時代になっていたのに戦艦決戦にこだわったから、暗号が解読されていたか ら、レーダーの開発に遅れをとったから、そもそも技術力、工業力、国力が米国に劣っていたからなどの要因が喧伝されている。

日本人は拡散思考が不得意だ。これができる度合いで人を5階層に分類できる。

第1階層:作家、シナリオライター、ゲームプログラマーなど自分一人の頭の中で世界を自在に構築できる人。ただし日本ではこの階層に権力は与えられていない。

第2階層:実業家、マニュアル書く人など考えて自らの道を探せる人。ただし実際に人を組織して動かすので大きなリスクは犯せない人。かれらは保身に走り、きわどい決定をせず。第1階層がなにを考えているか理解できない。

第3階層:誤り無きことを期する大部分の学者(東大教授などはその典型である。ノーベル賞級の独自の仮説をリスクを犯しても展開できる優れた学者はこの範疇に入らず)、検査官、マニュアルで人を裁く程度の低い管理職。

第4階層:マニュアルがあればその通りにできる大衆の上層部

第5階層:マニュアルがあってもその通りにできない大衆の下層部

野口由紀雄の指摘のように、戦後の躍進は戦前の1940年体制の継続によった。すなわちトップダウンの価格差補給金を駆使した傾斜投資が第一の要因。九州 の炭鉱地帯に全国から労働者を集めて石炭を掘った。農地改革すら農水省の左翼官僚がやりたかったことをマッカーサーの名をつかっておこなっただけ。地主の 土地と財閥の資産は国債に交換して無価値とした。

このトップダウンの成功物語をグローバル競争下で中国と競り合っても勝ち目はない。原子力を国家的に地方におしつけても事故はなくせない。すなわち学習棄却ができず拡散思考が不得意。



リーダーとマスコミの劣化

日本は既に原発ゼロを達成している。問題は再稼働をどうするかだ。よく政府は北の核が怖いというが、もし北が狂気をもっているとしたら、核兵器などなくと も。数百発ある短距離ミサイルを日本の原発にむかって発射すればいいわけだから。北の核が怖いと恐怖をあおるのは、常に時の政権がそのほうが権力を自由に 行使できるからで真の目的は秘匿されている。

日本の発電単価計算には日本が国際的にコミットした排出権取引費、炭素税、そして化石燃料輸送ラインの護衛費を算入していない。たとえ人為的温暖化説がまちがっていたとしても賛成した以上国際協定に係わる費用は算入しないと。

今、中国やアメリカの投資家が目の色を変えて再生可能エネルギー関連技術に投資しているのをみれば鳥肌が立つ。すでに中国のメーカーは安い単結晶のソー ラーセルを市販している。トランプはこれに課税するといっているが自殺行為だろう。日本のメーカーはもう手も足でない。辛うじてパナソニックがテスラのた めに米国に建設したリチウムバッテリーのコストは家庭用電力として電力会社の市販価格に対抗できる可能性を持っている。ただパナソニックは単三サイズの バッテリーを製造するところまでで、この単三バッテリーをロボットで大きなモジュールに組み立てるテスラ側の工程がもたついて製品出荷は半年遅れていると されている。2018年の夏ころその成果が判明する。

このロボット組立工程は技術的に解決できるだろうがコストが当初の低価が維持可能か不明。中国はこのアメリカの工場の何倍もの工場を作ってEVを普及させ るという国家目標を推進しているので、パナソニックもサムソンも村田も中国に工場をつくるだろう。トヨタは中国の動きをみて危機感を持ちEVに舵を切った が、勉強不足でいまだに固体電池とかいう寝ぼけた夢物語段階で、コストダウンのための巨大自動化工場に投資していない。この遅れは致命的で、そのうちにト ヨタはて手も足もだせなくなると危惧する。

一時的にリチウム、コバルトなどの資源の逼迫があるかもしれないがステンレスと資源的には共通基盤に乗っているので長期的には心配ない。

日本のメーカーの経営者は半導体、ディスプレー工場への果敢な投資をしないでジリ貧になったのだが、まだその気分のままで再生可能エネルギーで敗退を重ね ている。多分、日本にはそのような巨大な投資を決断できる人物は絶滅した。再生可能エネルギー批判を繰り返す日本の産経新聞、読売新聞は外国の動きが全く 分からないのかただ単に頭がわるいのか、その論調は国賊もの。これらはすでに読者も引き連れて二流紙に成り下がり、彼らが何を書こうが日本は世界で置いて けぼりではないか?



権力は腐敗する

藤原正彦は「国家の品格」 の品格で庶民とは比較にならない圧倒的な大局観や総合判断力を持っていて、いざと なれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概がある真のエリートが日本では絶滅したという。

旧制中学・高校がこの養成機関だったのだが米国が意識し てつぶしたためである。現在の東大は偏差値エリートに過ぎない。しかるに英国のパブリック・スクール、オックスフォード、ケンブリッジ、フランスのグラン ゼコールはいまもそのようなエリートを生み出し続けているという。

しかし、エリートはどんな高邁な道徳教育をしても一旦権力をにぎれば腐敗するのは大帝国がみな失敗したことからも見て取れるし、戦前の日本の失敗を見ても明白だし、戦後の官僚は間違 いを犯さないという『官僚無謬神話』をみても明らかだ。

英国の歴史家アクトン卿の金言「権力は腐敗しがちであり、絶対権力は絶対的に腐敗する」が指摘する通りである。

イタリアの元首相、アンドレオッティは「権力は、それをもたない者を消耗させる」と言った。

長野県穂高町出身特攻隊員上原良司氏(当時22才)が出撃前に「権力主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる

腐敗している証拠は「公的ウソ」が増えることである。



権力の腐敗防止のための相互チェックの仕組みの欠落

かって原子力安全・保安院が経産省の一部局だったとき、福島第一の事故が発生した。3号機が爆発した直後、保安院の寺坂信昭院長が松永和夫次官に状況説明 している時、再稼働を考えるのが保安院の仕事だと言われた。こうして電源車、消防車、消火ホースをはべらせれば再稼働OKとしたのだ。フィルター付きベン トすたその他、必要な設備として扱われた。かように権力のチェック機構がないと、暴走する。

財務省の決裁書改竄も公文書を管理・保存する別組織が無いため生じたものである。

東芝のウェスチングハウス買収もトップの暴走をチェックする取締役機構が骨抜きのされていたためである。




心理学的効果

集団のための規範にしたがう場合、この目標を犠牲にして集団の目標に従わねばならない。人の心は自分の内なる目標が最重要のため、集団の目標にしたがうモティベーションは低い。

大企業のや官庁のような管理社会ではトップダウンで命令に従う社会のため、自由な発想にたつ真に革新的なものはは出てこない。



脳のメカニズムからの暗黙知の解釈

記憶の形成と想起には、感覚野や大脳連合野などの皮質領域と海馬をつなぐ中継地である嗅内皮質と、海馬が記憶の定着に重要な役目を果たしている。 海馬を活性化すれば、学習能力が向上する。海馬は、3つの部位からなり、(CA1、CA2、CA3)CA3野の錐体細胞は歯状回(DG)からのシナプス入 力を受けている部位だ。歯状回は、顆粒細胞(Granule Cell)と呼ばれる細胞の層を持ち、その外側は分子層と呼ばれる。顆粒細胞は比較的小型の細胞であり、樹状突起を分子層側に、軸索を海馬のCA3領域の 内側に向かって伸張させている。この軸索は苔状繊維とも呼ばれている。理研は最近「歯状回はCA2に入力しない」という定説を覆し、「歯状回が直接シナプ スを介してCA2に入力している」ことを発見した。また、CA2は、CA1の深い細胞層の興奮性細胞群に優先的に入力していることが明らかになった。以上 のことから、海馬において、従来型のトライシナプス性の記憶神経回路「嗅内皮質→DG→CA3→CA1」に加えて、新しいトライシナプス性の記憶神経回路 は嗅内皮質→ DG→ CA2→ CA1deepを発見した。従来型のトライシナプス性の記憶神経回路は海馬内で主にラメラ断面に沿って情報伝達しているのに対して、新しいトライシナプス 性の記憶神経回路は複数のラメラ断面を縦断して情報伝達していることも明らかになった。

記憶に関わる神経回路はPapez回路と呼ばれている。帯状回が興奮する事で海馬 → 海馬采・脳弓 → 乳頭体(乳頭体視床路を通る)→ 視床前核 → 帯状回 → 海馬傍回 → 海馬体を結ぶ経路で持続的に興奮する事で情動が生まれ記憶する。海馬は情動・本能などに関与するほか、恐怖・攻撃・性行動・快楽反応にも関与している。

新しい記憶は海馬のなかの歯状回と言う部分で新しいニューロンができ、そこから刺激が大脳皮質にむかって伸びて永久記憶として固定される。

多量の記憶が大脳皮質に固定された後、風呂 などにはいってボーとしているときとか散歩中に、脈絡なく、いろいろな永久記憶部分が連結されるとき閃きという瞬間が生じる。これがイノベーションの卵。

だから記憶を沢山仕込 んで、リラックスするという環境が無いと新しいことはできないし、同好の士が協力してそれを育てるという環境にないと進歩はない。

朱子学の元になった唐の太宗の言行録である。「貞観政要」を読んで徳の帝王学を学んでも、部下 に興味本位に遊んでゆったりせよなんてことを許せとは書いてないのではないか?だから江戸時代は安定していて平和であったが進歩はとまっていた。1990年 のバブル以降の日本の経営者は居心地の良い江戸時代の「朱子学」 に先祖返りして、社員の自由な発想を阻害していることに気が付かない。朱子学文化の弊害以外の何物でもない。


脳の進化からみる情と論理教育

原発が寿命をむかえたらグリーンフィールドにして戻すというのは政府の公式約束だった。しかし福島第一事故の後でもこの不可能な約束を政府はおろしていな い。結果、政府は出来ないことを出来るとウソをついていることになる。これも官僚と政治家の頭の中にロジックが通っていないためと考えられる。

自分の好みと同じ嗜好を持つ人間を好きになるというのは進化が培った生まれつきの本能だ。最近のMRIの普及で大勢の人間をつかって人間が判断する時の脳内が見える ようになってから、その情が時としてて犯罪になるかもしれないと分かってきた。これを抑制するのは教育による論理判断能力が大切だとも分かってきた。

米国の裁判制度で採用されている陪審制も情に訴えすぎると言う弊害があるという。 日本の政治家と官僚の脳みそがこの情動中心でロジックが支離滅裂であるのはどうも教育がよくなかったということになる。

人類史をみると戦争は絶滅できていないが犯罪は次第に少なくなっているという。そういう面で人類(生まれたばかりの赤ん坊)は進化しているという。この本能の進化に加えて、生まれてからのロジカル重視な教育は悪を減らすことに役立っていると分かった。

米国はどうみても余り模範にならないが、あの英国、フランス、ドイツをみると戦前よりよほど誠実な政府もっているように見える。これもロジック指向の教育 が役立っているとみてよい。日本では倫理教育が大切といわれるが、これこそ脳生理を知らない非論理的な考えで非常に東洋的だ。フランスのエリート教育を受ける資格はロジックの極限である数学が必須となっている。ところが日本の官僚候補生が学 ぶ学部は数学が苦手な人間の受け皿だ。頑張れば何とかなるという体育系が幅を利かせている。敗戦にいたった前の大戦の精神はこのあきらめずに頑張る精神 のみであった。こうして日本のリーダー教育は情に重点があり過ぎて、ロジック教育がおろそかになっているということになる。そもそも 日本を含む東洋が西洋に敗けたのも同じ理由だったと言えないか?

最近の日本の若者を見ると、世界的な器楽奏者やオリンピック優勝者は輩出しているが、技術に秀でるものは見当たらない。これでは日本は観光と芸術とスポーツ立国に偏るしかないということになる。




日本の認識枠組み(エピステーメー)

ミシェル・フーコーが1966年に出した「言葉と物」という著書で物と言葉を結びつける認識枠組み(エピステーメー)は時代毎に不連続に変わると主張し た。すなわち中世においては記号とそれが表す事物は同じ水準の属していると認識されていた。すなわち世界は一種の書物として認識されていた。類似であれば 同じとされるのでドンキホーテのような滑稽譚がうまれた。

近世になると物と記号は別の水準に別れた。事物の系列と記号の系列がわかれ、両者を関係付ける蝶番として認識し、欲望し、意思する人間が認識された。

どうも日本社会はこのて認識し、欲望し、意思する人間が希薄なのではないか?だから新しい欲望も意思もでてこず中世のように暗黒に淀んでいる。




多様性の欠如

日本社会は狭い地域に人がひしめいていて入れ替わらないため、同一化圧力がはたらき、多様性を好まない社会となっている。聖徳太子が十七の憲法に「以和爲貴」と書いてから変わっていない。かくして少数派が活躍できる環境が失われ、全体のパーフォーマンスが劣化する。

進化生態学の キイロショウジョウバエの飼育実験の知見では。エサを探すときに活発に動き回る「せかせか型」とあまり動かない「おっとり型」にわけ、餌に含まれる栄養素 を少なくして飼育し、全体の体重増を計測すると。両者半々の混合グループが一番成長した。いろいろな探し方の中にすぐれたうごきがあれば、そのハエが多くえさにありつく。それを見ていた別の個体もまねるのでしだいにうまくなり、競争が緩和され、効率的になったためと 考えられる。

ジャック・アタリ著「21世紀の歴史 未来の人類から見た世界」 にクリエーター階級が集まる世界の中心都市としては過去、紀元1200-1350年頃ブルージュ→紀元1350-1500年ベネチア→紀元1500- 1560年アントワープ→紀元1560-1620年ジェノヴァ→紀元1620-1788年アムステルダム→紀元1788-1890年ロンドン→紀元 1890-1929年ボストン→紀元1929-1980年ニューヨーク→紀元1980年から現在に到るロスアンゼルスと移った。日本は国を開いての超ノマ ドの受け入れを拒否してきたから、1980年代に世界の中心都市となることに失敗した。今後もそのチャンスはないだろう。フランスも過去に世界の中心都市 となるチャンスがあったが、農業とこれに付随する官僚の利益保護を優先したためそのチャンスをみすみす逃したと書いた。

本著が書かれた10年後の2018年に至り、クリエーター階級が集まる世界の中心都市として中国の広州で「ネットイノベーション集積区が建設中だという。 経済協力開発機構(OECD)によると、15年の中国の研究開発投資額は約45兆円と米国の55兆円に迫る。家電から工場まで人工知能(AI)が搭載さ れ。米AI学会での研究発表件数(10〜15年)は日本の75件に対し、中国は413件にのぼり、米国との共同研究も80件を発表した。日本の研究開発投 資額は16年度で18兆円余り。21世紀に入ってずっと横ばいだ。かくして世界のクリエーター階級が集まる世界の中心都市は香港・深せん・広州に移行する のだろうか?

日本から世界をリードする産業が生まれないのも、このクリエーター階級が集まる世界の中心都市が与える国際的な環境がないためだろう。辺境の日本には無 理。ということはせいぜい部品加工業の日本電産のような、泥臭い、摺合せの世界くらいしか日本には生きる道はない。日本電産も創業者のカリスマCEO永守 重信亡き後はどうなるのだろうか?素材製造業と心中して。極東の片隅で枯れてゆく運命が定めなのか?



年功 序列・身分差別制度

日本でリーダーに昇進した人間が勉強もせずに間違った判断を繰り返すのは日本企業には役員を勘違いさせる「誤解装置」があるため。誤解装置とは個室、専用 車、秘書、序列といったもの。確かに、Apple, Googleにはそのようなものはない。トップはジーンズとTシャツ。これが日本のリーダーが機能しない原因の一つだろう。

高崎山自然動物園の研究者によると、サルが年功序列制を採用しているのは腕力を競う無用な争いを減らすためと考察している。ならば日本の制度は群れにとっ ては適して いるはず。なぜいけないのか。それは国際関係がApple, Googleとの自由競争にさらされているからだろう。年功序列制度は資本主義原理で作動するグローバリゼーションに適合していない。

三洋を買収した中国のハイアールが日本人組織をつかって革新的商品を開発している。日本の企業はそういうチャレンジをせず高級品に追い詰められている。 1000の1秒で画像認識のできるイメージセンサーや ニューラルネットワーク搭載の自動運転車がGoogleなどによって製品化されようとしていうのに、日本社会はその自動運転車が事故を起こした時、対処で きる法体系の整備に手も付けていない。これでは円安という金融操作のみで生き残っている自動車産業に未来はないのではと思う。

郵便事業は赤字だが。ドローンによる配達などの技術革新の動きがない。

東芝や三菱重工の苦境を見て何故日本の大企業経営者の資質はここまで堕ちたのか?”と聞かれた。そのとき、朝日新聞のコラムに書いてあった匿名の方の一言 を思い出した。それは「退任するCEOが次期CEOを任命する伝統だ」というもの。これでは正しい判断が為されず、情に流され、自分を支えてくれたイエス マンを指名して しまうという。ようするにチャボウズが次期CEOになるというわけ。そしてこのチャボウズは頭の中は空っぽなので偉大な東芝のCEOであった土光氏の有名 な言葉「チャレンジ」を連呼することになる。そして数値目標をかかげるという愚に出る。

次のフェーズには、何度もCEOを指名するキングメーカーが出現する。その典型が西室某と聞く。いまでも東芝本社ビルに専用の部屋を持ち、専用の車を持っているとか。

東芝のように「文理カースト制」が強い企業の業績は一様に良くないが官僚の世界はこれが絶対的秩序だ。ここでは先輩の指名どころか、自動トコロテン式だからもっとひどい。だからバカでも勤まる。原子力を忘れられない官僚がぞろぞろとでてくる。

困ったことに「文理カースト制」の下では理系は本当にどうしようもないバカになる。一言でも反抗したら身の破滅とわかっているからその組織を離れるまでは バカになるのだ。なかにはバカにならない逸材もいるが、結局出てゆく。私は組織は嫌いだったが、職が好きだったので妥協してバカになっていたのでインサイ ダー情報と思ってもらって間違いはない。



文理カースト制の弊害

私は文系トップ・マネジメントが多いことが不調の原因の一つではないかと考える。儒教的文化の弊害としての文理カースト制がこの 国を封じ込めているように見える。成功ビジネスモデルを守るだけでよいなら、文系 経営者でも勤まるが、中国や韓国にまねされたのに新しい製品、新しいビジネスモデルを生み出すことができなかったことが最大の原因だろう。

私が駆け出しの頃、菊池誠の「現代の技術者」 と言う本を読んだ。53年後に本棚から再発見して拾い読みした。なーんだ、この10年間繰り返して言ってきた日本の文系優位の仕組みが日本を滅ぼすこと が、ここに予言されていたのだと気が付いた。現在の日本が2流国になったのはまさに文科系優位の間違ったリーダーシップが原因だったとわかるのである。

養老孟司と内田樹が「逆 立ち日本論」 で荻生徂徠の天道と人道を引用し、天道は自然法則で、普遍であり、これをベースとするのが真の理系。人道は社会法則で全く違う。人道を求めるのは文系であ る。両者には深いミゾがあり、人道が優先すると天道にしっぺ返しを食らう。日本は人道優先で今天道につまずいている構図。人道をもとめるかぎり、この矛盾 は解消されないという。

政治家・官僚といえばほとんど文系である。政治家は民主主義で選別されるので文句は言ってもしょうがない。とはいえ、小沢が党を割ったた めに民主党が権力 の座から消え去り、漁夫の利で自民党が政権を握った。そこでリーダーとしてでてきた、安倍政権は弱い体質で、国民主権を奪う憲法改悪を目論んでいるように 見える。これは一大事である。英国でマグナカルタがジョン王と貴族の間で締結されたのは強大な王権を制限するためであったという歴史を知らない、為政者の 都合だけを書いた改悪案だ。国民は自民党はそういう政権だということも知らずに政権につけてしまった。今後しまったと後悔することになるだろう。

官僚は東大法学部に優先権のある典型的科 挙制度で任命されている。この官が、学と民と利益複合体を形成して原子力政策を推し進め、重大事故を起こしている。人間が作ったものも自然も必ず壊れる。 そのとき、居住地、農山林、海産物資源などを失うような重大事故をおこすものはそもそも展開すべきではないのだ。文系の官僚は暗黙知がないのでここらへん がわからぬらしい。理系を専門家という狭い領域に閉じ込めてこうして権限を儲けようとする。方や理系の官僚や学者は文系官僚の無理解の隙をついて、好き放 題。

十戒に始まる法体系、マニュアルなども言語が仲立ちする形式知にすぎない。コンプライアンスなんて言っていては競争に負ける。なにも違法せよというのでは ないが、新しいゲームのルールを作ったものが勝者になるのだ。スタンダールが作品「赤と黒」のなかでタレーランに

人間に言葉が与えられたのは 自分の考えを隠すためである

とさえ言わせている。形式知がいかに欺瞞に満ちているかお分かりと思う。形式知だけに依存して国を誤っては困るのである。マスコミや評論家(ほと んどは文系の売文家)がしたり顔ではやし立てることは形式化された昨日の知識なのだ。かくして文系経営者や政治家・官僚は形式知しかもたないからその判断 も行動もマスコミの域をでない。

以上三者の共通項を求めれば、文系がマジョリティーを占める形式知優先社会は暗黙知が失われ、判断を誤り、ブレーク・スル―を生まない困った社会で、いず れ衰弱して淘汰される運命にあることがわかる。そもそも人間に限らず、あらゆる生物は暗黙知を獲得した種なり、個体が生き残っているわけで、暗黙知は淘汰 圧をはねのける ために獲得したものなのだ。暗黙知=マイケル・ ポランニーのtacit knowingをもっているかどうかではなかろうか。暗黙知はメノンのパラドックス(パラドックス集37番) のようなものだとポランニーはいう。すなわち「知らないものを探求することはできない」ということだ。E・S・ファーガソンが心眼といっているのもこ れだろう。

言葉は違うがナポリの法哲学者ヴィーコは デカルトが提唱したクリティカ(critica)・・・学問知だけでは不十分で、学問知の前に生活世界の中で発見する知が根底にあるはずだと考え、デカル ト批判をした。それは発見し着想する営み→トピカ(topica)・・・発見の知というものだという。このトピカはマイケル・ポランニーの暗黙知と同じも のだろう。仏教の八識のうち阿頼耶識がこれに相当するかもしれない。理系の人間でも日本の理学、工学教育は分析的手法に偏重した。すなわ ち学問知にかたよっていて発見の知の修練をしていないため、新しい商品、新 しいビジネスを生み出す力が無く、ただただ命令に従う人間を多量生産している。

産業革命以来世界は技術とビジネスのブレーク・スルーによってドライブされてきた。この傾向は今も継続している。このような世界では常に新しい技術ない し、 ビジネスを生み出すことのできる組織ないし集団が優位にたつ。そしてブレーク・スル―は暗黙知ないしトピカのなせる業なのだ。暗黙知とは体で覚える記憶と 個人が心にも つ欲 望が混然一体となった全てだ。したがって現場にいた人が経験したことから紡ぎだされる深層心理下の記憶であり、知恵である。言語化されてから眼や耳から 入ったものは形式知にすぎず、論理的にきれいだが決して暗黙知にはなりえないものだ。だからいくら経営学を学んでも革新を生む経営者にはなれない。運転免 許証つまり資格とおなじようなもの。トップの重要性に関してナポレオン・ボナパルトは

将軍とは軍隊の頭であり、一 切である・・・

世の中は明示知である行動原理、プリンシプルで機能する。「和魂洋才」などもプリンシプルの一つ。しかしプリンシプルを作り出すのは暗黙知 だ。上位概念に上がれば「暗魂明才」となる。これはまだ誰も使ったことはない。暗黙知はサイエンスが開始されるところだし、明示知は文で伝達されるので 「理魂文才」という言葉が本論文を表すことばのように思える。この言葉はより狭い意味で東京工業大学の情報工学科が使っている。

私の問題意識はすでにC・P・スノー(Charles Percy Snow)の「二つの文化と科学革命」"The two cultures and a second look" や"Science and Government" で書き尽くされていると紹介している。1960年代に書かれたC・P・スノウの「二つの文化と科学革命」で スノウのいう二つの文化とは理系の文化と文系の 文化(the sciences and the humanities 熱力学第二法則とシェークスピア)のことである。スノウは文系の文化は伝統文化にすぎず、凡庸な人たちの文化のため、世界の問題解決能力を阻害していると 指摘。組織のリーダーは科学に優れる人間より人文科学に通じている人間が好ましいと考える世の中の価値観にシフトす る。人の絆というやつだ。そして英国は没落した。日本はもっとひどい。米国とヨーロッパ諸国はこの弊害は少なかったが次第に同じ病に侵されつつある。問題 はマスコミも同じ病の ため自覚症状がないことである。英 国人でありながら米国に帰化した我が友も若き頃、スノーを読んで英国に絶望し、カナダ経由米国に帰化したとロ ンとグリーンウッドの往復書簡2011年版で告白した。彼 が捨てた英国のその後の見聞記「英国 が製造業を失ってからしたこと」を併読されることを期待する。



日本の文系教育の欠陥

ここまで来たときに米国の企業で働いた原氏より異議がでた。米国の文系は日本のように数学が苦手だから文系に行ったというようなやわなものではないという のだ。米国の教育課程は日本と違う。例えば、”文系”に属する米国の Lawyers の中にはScientific Curriculum を履修した人が多い。GE・IBM・Bechtel 等技術を売り物にしている会社の Company's Attorney の大部分はそうであり、中には現Bechtel Chairman のように経営トップにも少なからず居る。理数が嫌いで、あるいは理解できず法経コースに進んだ日本の”文系”とはかなり違う。日立・東芝等の日本の家電大 手が特許侵害でIBMと争った時(1990年代始め頃?)、日米のLawyerのBackgroundの違いが決め手になった。日本側は100人余の日米 Lawyersを編成し争いに臨んだ。日本の経営者トップは争いのベースになっているUS Law の解釈について聞き”争いに勝てそうかどうか”を判断する訳だが、Technologyのバックグラウンドの無い日本の弁護士からの説明がさっぱり判らな い。結局、IBMの”やらせ”ないし”言いがかり”に過ぎずIBM敗訴は間違いないと言われていたのに(数人の米国人談)、日本側は和解を選択し、膨大な 賠償金を支払った。これはフランスではもっと極端で数学の成績がトップでないと国家の指導層には入れない。理系ではエコール・ポィテクニック(Ecole Polytechnique)卒業生のうち、成績が10番以内が入会できる秘密結社、コール・デ・ミーヌ(Corps des Mines 鉱業技術団)のメンバーにならなければマネジメントにはなれないのだ

韓国のサムソンが日本に勝ったのは、日本のメーカーの退職エンジニアを雇って思い通りにさせたからと言われるのはその通り。暗黙知は言葉にならな い実践知だから人の移動とともに日本の企業から失われ、韓国に移植されたわけである。暗黙知は特許申請書にも書かれてはいない属人的知恵だから、秘密保持 で縛るわけにはゆかない。特許に書いた途端、それは形式知となる。一個人として夢に描いたことが日本の組織では展開できず、新天地で認められたということ もあるに違いない。かくいう私も韓国のサムソンを含む2 社からソウルに家を用意するからノウハウを教えてくれとトップマネジメント面接をうけたことがある。もう歳だからその野心もなく、断ったが、そういうこ と。若ければもう一山あてて、日本の古巣を見下して溜飲をさげたであろう。日本では国が鎖国しているだけでなく、企業も官庁も政治も蛸壺にはいって遺伝子 交換もせず老化している。そしてついに組織は死に絶えるのではないか。これが日本の現状。

日本の鉄道車両の制御回路は、架線から供給される駆動電源が停止した場合でも遮断しないように、バッテリーでバックアップされるため、直流である。電車 (新幹線を含む)ではDC100V、気動車では、エンジンの制御系がバスやトラックと同じ電圧に統一されるため、DC24Vとなっている。制御回路に用い られる部品には、継電器、電磁接触器、電磁弁などがあり、それらを作動させるための電力は変わらないため、DC24V系ではおよそ4倍の電流が流れること になる。しかし、使用する電線もその束ね方も電車と気動車でそう変わらないから、20年も使用すると、発熱(ジュール熱)は=[電流]2×[抵 抗] のため、16倍の発熱量となり、気動車の電線が劣化するため。定期的交換が必要となる。

以上のアナロジーから日本では、企業経営者や政治家など権力を行使する人間の劣化が著しいのは彼らの電圧、すなわち能力が低いためといえる。碌な教育や選 別をうけずに易々とその地位につくためだろう。その低能文系役人のもっとも低レベルのものが石原都知事時代の東京都の豊洲新市場の市場長だろう。部下の技 術系部長に丸投げ していた施設の設計の意味が解らず、市民への説明責任を果たさなかった市場長などに散見される。

豊洲の施設設計を日建設計に発注したのは当時の管理部長だった塩見清仁(中央大法卒)で、その上司の市場長は中西充(早稲田法)であったという。 私は技術的には日建設計の設計は贅沢ではあるが、安全性は全く問題ないと判断している。問題は盛り土をするといいながら、盛り土せず空洞にしたことを市民 に説明していなかったことだけ。隠したのならワルだがそれもどうも隠したというより本当に気が付いていなかったのかもしれない。これは深刻なことだ。

10年以上文系のアジア大学の大勢の教授たちと付き合った経験から、彼ら文系は少しでも技術的な話となると脳の回路に物が詰まったようになって理解できな いし、するつもりもない。日本の経営学者や評論家、ジャーナリストは皆文系のため、日本の欠陥構造に気が付かない。原氏は米国企 業を内側からみて米国の文系は日本と違って、理学の基本を学んでいるのでその理解力はすぐれているといっている。ハーバードの経営学者であるジェフリー・ ジョーンズなどは米国の文系経営者の観察しかできないから、日本の文系の構造的欠陥に気が付いてはいない。だから米国の経営学を読んでもなにも書いてな い。小説や文芸はいざ知らず、現代 文明は技術の上に築かれている。盛り土とモニタリング空間の違いも理解できないような管理職がのさばっているからこうなる。といわけで、私は皆に嫌われる 文系亡国論を展開せざるをえない。無論、文系でも理系以上に理系的な人は沢山いるのだが、えてして組織の上に居座っている男たちはそうでない。

東京都も中央官庁も、企業も皆同じ。文系は技術的な問題に興味をもつことは身を亡ぼすし、カッコ悪く、出世に差し支えると思い込んでいるようだ。石原元知 事のように「専門的なことはわしゃ知らん、任せる。良きに計らえ」などとかっこつけるだけ。

小池知事はいままでよくやったと思うのだが、彼女は技術がわかる補佐役をあらたに任命するとしている。これは屋上屋を重ねるだけでワークしない。ここら辺 が同じく文系である彼女の限界だろうし、日本の基本的な欠陥といえるのではないか?こういう輩が日本という国家の上層に巣くって国家や企業をダメにしてい る。

我々を人間としているDNAは核酸のリニアな配列にすぎないが、その配列には2種類あって、特定の酵素になるたんぱく質のアミノ酸配列を規定するものと、 特定の酵素をつくれという指令をするスイッチの役目をするDNA配列の2種がある。この遺伝子構造は社会構造と非常に似ている。マネジメントの役目はオン オフ機能にすぎないだ。しか し、特定の酵素をつくる遺伝子にスイッチを入れるか、入れないかという機能を担っているわけだからシステムとしては上位の階層にあるわけ。その上位のシス テムに居座る人間が パブリックに説明するスイッチ役になることに気が付かなかった。あるいは気がついたがやりたくなかった。これはやはり欠陥。

英語のpolitical correctは広い概念で汚染物質を管理空間で遮断できれば安全衛生上political correctとなる。しかし日本の法科出の政治家や役人やジャーナリストはもっと狭いlinguistic correctにこだわる。これは私の造語だがwikiで調べるとLinguistic prescriptionということばがある。いずれにせよ本質にもどって思考せず、言葉遊びしているだけ。都庁の技官どもはそんなことを軽蔑しており、 理解できない文系上司は放置されたのかもしれない。

以上の論考は文系悪者・理系優れもの「説」という単純なものではない。アジア大の環境経済学の教授と話していた時、「若いころ理系のカリキュラムを学んだ 人は歳とっても苦も無く文系のことは理解でき、処理できるが文系の貧しい教育しか受けられなかった人間はその壁をこえることはできない。全く不平等だ」と 言われたことがこの説の発端なのだ。人間の限りある脳の能力を効率よく使うにはよくT字型がいいといわれる。理系は縦の線と横の線がバランスしているが文 系は横の線しかない。無論理系でも縦しかない人もいるが。それから年取ると面倒になって縦の線は避けるようになって、横しか展開できないということになり がちというのがアジア大の先生がつぶやいた意味だ。日本の高等教育制度に欠陥ありと私は思う。だからと文部省が何かするとまたおかしくなるが。

日本の文系大学の教育内容が欠陥であることが原因だろう。私が受けた東北大の教 育は生徒1人に教員2名であった。私立大の文系教育では巨大教室に数百人の生徒を詰め込んだマス教育だから確かにローコスト。といっても今さら理系教育を 充実しても国家財政が破たんしているので無理、行く末はじり貧で国は亡ぶ。トランプのいうように鎖国をすれば貿易競争はなくなるが大学教育なんてどうでも よくなる。


形式知

私の文系/理系という定義は「文系は言語による形式知しか理解できない人間」というもの。理系は現場で暗黙知を取得できるが、現場からはなれて若い時から トップの補佐をしているような人間は形式知しか習得できず、文系化してどうしようもない人間になる。階層化とか実権の下方拡散の例は平安朝の藤原氏、鎌倉 時代の執権、 室町時代の管領、江戸時代の老中のように無責任体制となる。そして体制の崩壊に至る例にいとまがない。スタッフは司令官にはなれないという古来からの事実 はトップの嫉妬心として文士に表現される。小説として心理的葛藤を描けるので面白いが経営の本質をみていない。NHKのディレク ターがつくる作品もこの線上である。しかしそれはやむを得ない。暗黙知など映像にできないから、ドラマ的盛り上がりも描けず、視聴率は確実に落ちる。とい うわけで娯楽としての文学作品と世の中の実態はまったく違う風景の下にあるということである。いくら文学をよんでも世の中の真実にはせまれない。よく「事 実は小説より奇なり」というが、これは暗黙知が摩訶不思議なものと一般に認識されていることの現れであろうか。これが私の文系・理系論の暗黙知である。そ ういっても分からない人にはやはりわからないであろう!

トップマネジメントが全て理系だから良いというものでもない。縦割りの階層組織や均一な集団からは新しいものは生まれない。米国の社会学者バート・ホゼ リックが1950年代 に提唱した「境界人仮説」 のように効率・効率と中央の統制ばかり強くなって端がなくなった組織ではだめなのだ。インサイダーでありながら「端にいる」人間が構造を大きく変貌させ る。 内部者なので責任感があり会社から逃げない、しかしど真ん中でないので支配的な文化・常識にとらわれず既存文化に埋没しない。ドイツの社会学者マックス・ ウェーバーも同様のことを言っている。最近の日本の組織は効率効率と中央の統制ばかり強くなって端がなくなった。したがって何もでてこない。製造業とは製 造装置とそれを動かす人間が中心と思い 込んでいる文系経営者やMBAの弊害。製造がこけたらなにもでてこない。戦場はすでにそこにない。山中氏もジャマナカと言われていたわけだし、スチーブ・ ジョッブスという異端児を認めた米国社会も奇跡で日本では考えられない。多様性、無駄、カオスの淵などが大切ということだろう。縦社会で垂直に階層を上り 詰めるなどという価値観は変化のない社会ならよいだ ろうが、グローバル競争下ではすでに何の価値もない。

文明の衰退が外部勢力の攻撃にあるとするエドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」の見解にはアーノルド・トインビーは 反対の立場をとる。ローマに勝利した教会と蛮族は外部勢力ではなく、支配的少数者から精神的に離れていたヘレニック社会の内的プロレタリアートであったと する。 成長期にある文明は外的プロレタリアートに遭遇Encounterし、その挑戦を受けても、創造力を発揮して応戦するのでその文明はむしろ高まるとする。 さて成長は創造的個人Creative Individualと創造的少数者Creative Minorityによってなし遂げられるが彼らとてなんらかな方法で仲間をともに前進させないかぎり、かれらは何もできない。指導者の任務はその仲間につ いてこさせることにある。その唯一の手段は原始的でかつ普遍的なミメシスの能力を利用することである。このミメシスは一種の社会的訓練である。オルフェウ スの竪琴のこの世のものならぬ霊妙な調べを聞こえない鈍い耳にも、訓練係り下士官の号令ならよく聞こえるのだ。ミメーシスなら文系にもできる。現時点の問 題は古きパラダイムのミメーシスしかできない連中に日本は乗っ取られているわけである。



イノベーション

ハーバード・ビジネス・スクールの教授クレイトン・クリステンセンが9年前に書いた「イノベーションのジレンマ」によれば、「日本の鉄鋼、自動車、家電の いずれの産業も欧米の市場の最下層の低品質、低価格の分野に、破壊的技術を持って攻め込んだ。その後、各社は容赦なく上位市場へ移行し、世界最高の品質を 誇るメーカーとなった。

米国では人材の流動性があるため、成功した企業 が行き詰まると社員は会社をやめ、ベンチャー・キャピタルから資金を調達して市場の最下層に攻め込む新企業を設立し、除々に上位へ移行するということを繰 り返している。日本ではこのようなことは生じない。従って日本は没落する」と予言しているこの予言は恐ろしいほどにそのまま当たっているように見える。ま ず会社を辞めた人間などどうせ組織になじめない欠陥人間だと世間は思う。だから信用されない。次にベンチャー・キャピタルは文系のような技術オンチには経 営できない。アップルの創業者スチーブ・ジョッブズを追い出した元ペプシコーラの経営者ジョン・スカリーがその典型だ。ベンチャーキャピタルを都の財政で 始めた石原都知事が見事に証明してくれた。理系で金持ちになった個人でなくてはそのアイディアの将来性を判断できないのだ。そして日本に理系で金持 ちになった人間は殆ど存在しない。孫氏はカルフォルア大の経済学部出身だがソフトを自ら開発して売り込みビジネス資金を作ったところをみると頭の中は理系 だ。このように理系が起業する社会にならないと自然死が待っている。

銀行や官公庁のような非常に安定した場所にいる人々が、『ベンチャーを起こすべし、リスクを取れ』と言って、自分で矛盾を感じていない滑稽さに気が付かない。故に日本という社会はすでに死刑宣告されたに等しいのだ。リカバリーなどできそうにな い。サンタフェ研の教授ブライアン・アーサーは著書「テクノロジーとイノベーション」(The Nature of Technology)で技術が経済に貢献するという従来の見方を逆転させ、生物のように、自律的に進化発展する。経済はその結果でしかないと主張する。

米国でも形式知がまかり通っている。だが日本より優れている点は暗黙知を持った人材を指導者として受け入れ、その効果を享受しようという気風があ るところだ。ところが日本社会ではそんなことより、居心地のよい人間関係を大切にするところがある。結果としてたしかに居心地がいいが、ある時、組織の地 盤が崩壊していることに気がつくのだ。米国の政・官・学・産のリーダーはよく横移動する。これにより暗黙知が遺伝子組み換えのように組織間を移動する。そ もそも生物が生殖機能をもったのも遺伝子交換のためであった。こうして沈滞化した組織は活性化された遺伝子をもらい、蘇生する。日本は縦移動しかないか ら、全くそのような可能性が欠如している。そもそも縦に動く人間に暗黙知など詰まっていない。価値の失せた形式知しかないのである。

最近AIブームだ。もしかしたらAIが素晴らしいヒット作を出してくれるのではと期待されるが、「馬車をいくらつないでも鉄道にはならない」馬車のビッグ データをいくら機械学習させても鉄道は発明されない。せいぜい改良された馬車ができるくらいである。文系の人事制度は過去のデータから人事評価することし か思いつかない。従来型の働き方をしている社員のほうが高く評価される結果となる。



所有権保護と公平な分配ルール

ダロン・アセモグル、ジェイムス・A・ロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」(早川書房)によれば「制度」を主因とする。すなわち所有権が守られ、分配 ルールが確立した社会でないと技術革新は生じない。法の支配や政権交代が可能な民主的制度がなければ豊かな経済を維持できず、国家は衰退するとしてい る。ジャレッド・ダイヤモンドの「地理説」、信仰や風 習などの「文化的要因」、「遺伝的要因」、「為政者無知説」を退ける。

下田淳は「ヨーロッパ文明の正体 何が資本主義を駆動させたか」でヨーロッパ文明の正体は「棲み分け」にあるとする。とりわけ富と職の棲み分けが農村に貨 幣関係のネットワークを成立させ資本主義をもたらしたとする。丁度カトリックにおける聖と俗の棲み分け、空間を棲み分けナショナリズムがそれである。非西 洋で日本だけが西欧化に成功したのは江戸時代から富と職の棲み分けがある程度すすんでいたからだとする。職人という理系人間を重用し、科学革命を成功させ たからであるという分析はその通りだ。しかし下田はここでまちがう。「理系バカ」が主導する「理系資本主義」は限界に達している。日本は「過度」と「速 さ」の理系型ではなく、「適度」と「遅さ」の「文系資本主義」をとれと説く。私はこれは全く間違った処方と考える。「理系バカ」をのさばらせているのはそ の上に立つ文系トップがバカだからなのだ。理系バカをリードできない無能な人間が衆愚制の上にあぐらをかいているところが問題なのだ。

私の文系優位制度批判は一見「文化的要因」、「遺伝的要因」、「為政者無知説」を支持するように見えるかもしれないが、基本的には文系優位制度を批判して いるのである。

さて最後に告白するが、この論文では文系のマネジメントにより理系が阻害されて企業も国もうまくいっていないとなげいたが、それはなにも日本だけのことで はなく、グローバルでかつ文明史的に深いものがあると気がついた。それはア ントニオ・ネグリ、マイケル・ハートの「コモンウェルス(上下)―<帝国>を超える革命論」を読んだからである。我が論文の理系をマルチ チュードに置き換えればすんなりと理解できる。マ ルチチュード(Multitude)とは、マキャベリによって最初に使用され、その後スピノザが用いた政治概念である。アントニオ・ネグリらはグローバル な超国家組織を<帝国>と呼び、マルチチュードは<帝国>を構成する階級と定義される。労働者や人民、大衆とは区別される。虐げられる一方で自由に国境を 越えて移動する、移民労働者や不安定な身分のまま企業を渡り歩く半専門職的な知識労働者である。資 本的価値増幅過程が必要とした生産は物質を加工したものだが、現代は非物質的生産が物質的生産を凌駕してしまった。たとえばイメージ、情報、知識、情 動、コード、社会関係などである。自動車や鉄鋼などはなくなりはしないがその価値は下がってしまった。これら非物質的財の生産する労働形態は、サービス労 働、情動労働、認知労働などがある。頭と心の労働とよばれ筋肉のそれではない。知的・情動労働にはしかし体の特定部位だけに対応するのではなく、体と精神 の全体を必要とする。資本はいまや満身創痍だ。社会主義もケインズも新自由主義も役に立たなかった。シュンペータの指摘の通り、企業は官僚主義的となり、 姿の見えない重役達の下した決定に基づき、機械的に型にはまった運営がなされる。ビル・ゲーツやスチーブ・ジョッブズはネットワークという偉大なシステム の革新のエネルギーを糧にしただけで真の革新者ではない。かって経済革新は企業家が行ったが、すでに彼らにはその力がない。その代りにヒドラのような多数 の頭をもつマルチチュード が社会を支えるようになってきたというのだ。以下少し詳しく紹介すると:

マルクスとエンゲルスによれば封建的所有関係は発達した生産力の阻害要因になったから 資本主義社会に向かわざるをえなかった。今資本主義がおなじように発 展の阻害要因になったのである。新たな生産力の拡大とコモンの自由な生産を図るために、いかにしてマルチチュードの自主性を阻害しない 社会をつくるかということが重要となる。もはや、資本家や国家が外部から生産を組織する必要はない。それどころか、外部から組織化を行おうとすれば、すで にマルチチュードの内部で機能している自己組織化のプロセスを阻害し、腐敗させてしまうことになる。マルチチュードが効率的に生産するには自由をあたえな ければならない。自由が求められるのは、旧来の市民と国家の契約、労働者と資本の契約が生産の足かせになっているからだ。その足かせとは権威の確立と正当 化なのである。 個人は自分と同等の他者との水平的な関係ではなく、権威の形象との垂直的な関係に引き込まれてしまうからだ。
昔、英国にあった広大な共有地(コモン)が産業革命で囲い込まれたという故事の暗喩でコモンと定義する。家族、企業、共同体、村、大都市、ネーションがコ モン に該当する。形のないものでは言語、インターネットもコ モンということになる。水や天然ガスなどの天然資源もコモンだ。新しい科学的知識が生産されるためには関連する情報、方法、アイディア、を科学的共同体で オープンな形で利用可能であることが大切。これもコモンである。ただネーションの内部構造は階層化されており、排除の論理もあるのでコモンとしてはかな り腐敗臭のあるものである。性別役割分担、家父長的権威、階級、も腐敗したコモンである。マルチチュー ドの行う生産はこれらのコモンの腐敗で阻害される。

哲学者はこのように論ずるが、このトランスフォーメーションは1世紀かかるだろうから緊急の対策になならない。それでも文系経営者は問題が多い。なぜ問題 かというと資本主義はもう機能しなくなりつつあり、文系経営者が頑張るほど人類の生産を担うマルチチュードの活力の阻害要因になるということ だけは確かなようであると承知して以下の論をお読みください。



制度とインセンティブの成功例

英国や米国の制度がもたらしたインセンティブの成功例をいくつかあげよう。スティーブン・ジョブスは感性だけで成功した。私が魅了されて1986年にはじ めて購入したのは高価なマック・プラスであっ た。軽自動車がかえる金額であった。同じ感性で勝負したソニーなどは負けてしまった。ビル・ゲーツはジョブズのグラフォカル・ユーザー・インターフェース (GUI)をパクッてパソコンのOSで標 準となった。日本のパソコンメーカーは自前のOSがを作れず、すべてビル・ゲーツの家来になった。グーグルは広告収入だけで世界のウェブサイトを自前のス ケーラブルな巨大なサーバーに取り込み、自動 的にすべての言葉のインデックスを作り、皆が見たがる順に順位をつけて表示するという自動技術を開発して世界を制覇した。一種のAIだ。わたしなどはこの 恩恵をフルにつかっている。アマゾンはインターネットと物流を連結しつつあり、日本のコンビニもいずれ飲み込まれるだろう。セブンイレブンはいずれ消えて なく なるかも。孫さんはケンブリッジにある携帯電話のCPUの回路設計会社を3兆円で買収したが、うまく経営できず、いずれ、新しくできる企業に負ける運命で は?要するに彼にはこのような企業を経リードする能力がない。あるなら買収ではなく自分で作ればいい。これらの成功の大部分は創業者がコンピュータのアル ゴリズムに通じていたからこそ、部下たちをリードして巨大企業にそだてあげることができたのだ。

日本ではコンピュータのアルゴリズム教育をできるまともな大学はない。あったとしてもインセンティブがないから誰も苦労しようとはしない。だれか有力者に すり寄る茶坊主になることしか考えない。大企業の経営者は文系でどうしたらよいかわからない。能力のある理系を見分ける能 力もないから、調子がいいだけの茶坊主的理系を責任者にする。結果、アウトプットはなく、結店じまいするしか能はない。富士通は英国でソフトハウスを買収 したが、英国人プログラマーをうまく使えず、人員整理にはいるという。はたしてトヨタはまともな自動運転車を自前で開発できるか??結局どこかのAIを買 うハメになるとの予感がする。



日本文化の問題

階層組織の構成員に関する社会学の法則「ピーターの法則」 というのがある。「人間はどこかの段階で能力の壁にぶつかる」とされる。私の経験では、やりたいことが品切れになったときが能力の限界だと思う。一般に 人は限界に達したことを自分で分かる人はいないとされる。だからこそ、第三者的な評価、すなわち人事考課が重要となる。そして、唯一の真実は、『パ フォーマンス』は嘘をつかない。マネージャーのなかには、『相手を傷つけたくないから』もしくは、『彼女が好きだからよくいおう』という人がいる。しか し、それは間違っている。痛みがあるから、患部を見つけられるのだ。

ニッサンのゴーン氏は日本にはリーダーの誕生を阻む原因となる文化がある。それは、他者の文化を尊重し、他者の気分を害するのを嫌がること。そして、集団 を好む。これはなんとかしなければいけない。リーダーは、集団でやるものではないからだ」という。「相手をいい気分にさせても、その人は何も学べない。傷 つくけれど学んでもらい、『次回はもっと頑張ろう』と部下に思ってもらう。これこそマネジメントの神髄だろう。若い人がトップに行くためには、そういった 自 分の欠点を直視し、学ばなければ成長できない。

ドイツは製造業でいまだに勝者だ。ドイツには長年培ってきた家父長主義・直系家族制度の慣習が心理的に残っていると指摘されている。これは軍隊や企業のよ うに上下関係が厳しい組織には、トップの意志が下部にまで確実に伝わる規律の源泉となり効率的に働く。仏の歴史人口学者、エマニュエル・トッドは ドイツの『権威主義的文化』と呼んでいる。明治日本にとってドイツはお手本の国だった。医学、化学、陸軍から最近は介護保険まで学んだ。ドイツシステムを うまく導入できた理由のひとつは家父長制の慣習が生んだ権威に対する服従への習性が共通していたからだ。一方フランスのトッドはドイツ人はむき出しの率直 さを価値とするのに対し、日本人は他人を傷つけない、遠慮をするという願望に取り付かれていると指摘。日本は欧米を権威として、欧米の設定したルールを家 長の命令のように受け入れてしまう。これも遠慮の例。日本が苦境で方向転換ができないのは遠慮が先に立ち、率直な思考ができないことにある。

内田樹は「日本辺境論」 で「日本人は世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない。なぜならそれが辺境人だから」と指摘している。私た ちに世界標準の制定力がないのは、私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているためではなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうからで ある。日本語はメタ・メッセージの支配力が強い。メタ・メッセージとはメッセージの読み方について指示を与えるメッセージである。日本の政治家の討論では このメ タ・メッセージの伝達に殆どの時間がつ いやされ、メッセージは後回しになる。自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人とだけしか私達はネゴシエーションできない。日本では自分は開祖には なりたくない、なれないと思っているから。人間的資質の開発プログラムを本邦では「道」とよぶ。おのれの未熟、未完成を正当化できる概念 だ。元祖だといえばおのれの卓越性を証明しなければならないが、弟子なら気楽であるという。

養老猛氏は日本語は表意文字と表音文字を併用する言語で中華の辺境の特色を残している。これは右脳と左脳を同時平行で使うため、漫画という絵とセリフの同 時進行を理解するマンガ脳が発達した。これは進化の袋小路で、我々は世界でただ一人この道を進むしかない。



骨肉化した朱子学の悪しき影響

日本の開国直後の明治期の輸出商品としての絹製品は労働集約的な生産であった。戦後の自動車も労働集約的な生産であった。しかしウォークマンは世界のどこにもなかったオリジナル製品で、そのためソニーは世界で知らない人が居ないブランドになった。ところが後が続かない。

エネルギーと食料品の購入資金を確保するために現在の日本は資本・技術集約的な生産に特化し、労働集約的な産業は台湾や韓国に移して世界の貿易体制のなか で居場所を確保しようとしている。ところが資本・技術集約的な生産というと原発輸出しかないようなのだ。東芝、日立、三菱重工、富士フィルムの経営者が間 違った判断しかできないのは、福島第一事故で日本の原発どころか原発そのもののブランドが毀損したことに気が付いていないからではないか?

厚生労働省は日本企業の指導と称してモデル就業規則を定めている。その内の一条に「許可なく他の会社等の業務に従事しないこと」という条項がある。これは 終身雇用制と裏表の条項だろう。閉鎖的システムを守るために従業員を抑圧する目的を持っている。従業員は企業の一員である以上、秘密保持義務は必須だが、自分の自由時間にも他社のために働いていけないというとその個人の能力は 伸びないし、新しいビジネスが脳みそのなかで閃くことも少ない、同志と刺激し合って構想を育てる機会もないのではと推察する。厚生労働省はこの閉鎖的な条項を削除し、勤務時間外なら副業をみとめるオープンドア方式に改訂する方針だと言う。

1978年、石を彫ることに取り憑かれた一人の日本人外尾悦郎が海を渡り、バルセロナに辿り着いた。様々な出会いと数奇な運命の末、男はサグラダ・ファミ リアで働くようになる。ガウディの遺志を受け継ぎ、男は生誕のファサードと向かい合う。しかしガウディは設計図を残していない。そこでいつもガウディが見 ていた物をみて自分がガウディだったらどうしたいかと自問しつつ仕事をした。仕事はデザインで、職人たちが彼のデザインを物にする。創造性に溢れた仕事ぶ りが評価され、男は日本人でありながら、サグラダ・ファミリアの芸術工房監督を任される。其の間4人の枢機卿、5人の主任建築家、 6人の建設委員会会長を生き伸びている。

ヨーロッパにとっても外国人は常に外の人。しかし嫌でも外国人に任せなきゃいけないことも知っている。それはヨーロッパの知恵というか、良いものを残して いくためには外国人の血が必要だと知っている。だから、ルネッサンスとか、ヨーロッパが常に文化を維持できたのは、外国人の目を生かしてるからだ。それを 知っているのがヨーロッパである。

外尾悦郎は700年造り続けているフィレンツェのドゥオモの聖書台の設計もしている。それで、ダ・ヴィンチもミケランジェロも通った祭壇の真ん前に、一つ 足らないものがあった。それが聖書台だった。その聖書台を作るのに5年間続いたコンクールで外尾が選ばれた。現在の枢機卿が、700年間誰も置かなかった ものを、今置かないんだったら永遠に置かないって決めた。そこに巡り会い、何も知らない外尾氏がこの答えを見つけた。

しかし、閉鎖的な社会の日本では今後も世界的ブランドは生まれにくいといえる。政府は働き方改革の一環としてこの条項を削除し、勤務時間外の副業を認めるという。しかし榊原定征経団連会長は反対していると報道され た。たかが炭素素材で当てた優位を東レが守ろうとしているのかどうか。この他社を締め出す就業規則の思想は家康が奨励した朱子学の唱える無意味な忠誠心からきているのではと気 が付いた次第である

そういえば大学卒業して会社に入った時、他社の仕事をしてはいけないという就業規則があった。ああ忠誠心の誠をささげなくては給料は支払ってもらえないのだなとお もったことをいまでも鮮烈に覚えている。この規則は日本のすべての企業が採用していることを今回の騒動で知った。経営者は就業規則で忠誠心を買い、社員の忠誠心を買うための努力も居せず、楽しようという わけである。多分、この朱子学が源流と思われる就業規則の精神が現在の日本の没落の原因ではないだろうか?

会社に隠れ、ライセンサーも無視して運転範囲外の運転をし、よりよい製品ができることを発見していた人間のノウハウが後に2兆円プロジェクトに結びつき、 会社を救った実例を見ている。就業規則違反かもしれないが合理的に考えて、リスクはないと判断してそのリスクを取る勇気を持った社員は例外であろう。大部 分の人間は規則に従順に従い、風を読み、無難に人生を過ごし、引退してゆく。これでは会社も国も、成長せずジリ貧であろう。

労働組合も企業内組合だ。ヨーロッパや米国は労働組合は職業別である。これはマイスター制の伝統にたっている。学会も個人会員制、日本は法人会員制だ。だから日本では労働市場は閉鎖的で専門家として高級で渡り歩ける環境にない。

日本の会社員はしたがって自分で考えても意味がないので考えることを止め、上からの指示待ちとなる。指示待ちしている間に刺激がないので頭のなかは空っぽとなる。これで は形式的にいくらクリエイティブになれと言われても頭の中は空っぽなのだからどだい無理というもの。

経営者に智慧があるかというとこれも楽しているからせ いぜい隣の会社の真似するのが精いっぱい。安倍政権は専門家の残業代も認めないという法律を作ろうとしている。そもそも専門家なんて絶えて久しいから給料 カットの意味しかない。そうしておいて他社の仕事をしてはいけないといわれるとすれば奴隷になれというのに等しい。

外尾氏は例外で、平均的会社員は自分を受け入れてくれるところはどこにもないから「明治維新じゃあるまいし、誰も脱藩してまで」という気概などでてこな い。さすがの安倍政権もその悪影響に気がついて就業規則のひな形から他社云々は削除しようとしているのか?ところが榊原 定征(さかきばら さだゆき)経団連会長は他社の仕事もOKという就業規則には反対のようだ。

これすべて日本国の窒息を意味する。世界はトランプが何といおうとも16世紀以降ますますオープンになりつつある。今、世界中の若者はスマホで娯 楽を楽しみ、生活のための食品・雑貨もすべてスマホで済ませる生活スタイルに移行しつある。この基本技術は英国と米国の企業が開発したもので日本企業はそ の能力は皆無。無論、孫氏はこの英国の素子設計会社に資本を投入したが、技術内容に関与はしていない。製造は韓国・台湾だったが、今は深せんに移行しつあ る。ここに日本が割り込む可能性は皆無だ。輸入を不用とする再生可能エネルギーの中心となる可能性を持つ太陽電池製造も素材も含め、すべて中国に移行して しまった。ディプレー装置、リチウムイオン電池しかり。スマホ市場は韓国のサムスンに奪われたと思ったら、いつの間にか中 国のシリコンバレーといわれる深センのHuaweiのP10が急伸している。

なにより恥ずかしいのは580 億円相当の暗号通貨を盗まれて日本のネット構築・運営能力がないことを世界中に晒したことだ。北朝鮮のミサイルを撃ち落とすつもりで米国と共同開発した迎 撃ミサイルSM-3ブロック2Aの試射は2回とも失敗。残るはトヨダだけだが、水素自動車などという愚かなものに血祭挙げて、政府ともども世界に赤恥をさ らしている。恥といえば使い物にならない原発設計会社のウエスティングハウスというババを引いて大穴を開け、虎の子のフラッシメモリー部門を売り払った東 芝、ウエスティングハウスよりもっとお粗末なGEの原子炉を英国のパブリックファイナンススキームで建設・運転しようという日立、リージョナルジェット機 も開発できない三菱、そしてコンピュータに敗けた複写機メーカーのゼロックス社を購入した富士フィルムなど狂気の経営者ばかりだ。そのうちに再生可能エネ ルギーに負けて屋台の傾いたGEを買い取るなどという御仁が現れるかもしれない。

どうして日本でブランドを作れなかったのか?今はブランドとなっているアマゾン、アップル、グーグル、フェースブック、ツイッターはみな個人の頭に閃いた ことをロジックでまとめてビジネスとしている。日本で閃く人はいなかったか、いても周りに支持されなかったかだ。このように新しい文化は個人の脳みその中 に宿るものなのだ。それがたまたまうまくいってブランドになったのだ、成功するかどうかはまさにカオス現象。管理して成功するものではない。

信長は閃きあるいは暗黙知に従って行動したと推察される。そういう人物は言語をもって長々と自分の考えや思想を伝えることはしないが、家康が好ん だ朱子学ではなくその反対の陽明学的である。家康は長篠の戦いで絶え間なく鉄砲を撃ちかけるというイノベーションをした信長に対し何ら作戦を変更せずに騎 馬隊にひたすら突撃を指示した勝頼をみて、家康は自由な発想によるイノベーションを彼の子孫の統治への脅威と感 じたのかも知れない。家康は帝王学を自分の息子にのこしたつもりだろうがその神髄は北条時子、家康、明治天皇にいたる「統治者」が「学んだ」書「貞観政 要」だという。「貞観政要」とは唐代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録である。太宗は臣下の忠告・諫言を得るため、進言しやすい状態を作っていたとい う。いわゆる徳というものだ。その思想は儒教である。朱子学は儒教から発生したもので従来の儒学議論の中から、孟子の「性善説」を取り出し、極端に尊崇し た。こうして朱子学は支配に都合の良いイデオロギーとなった。朱子学の目的は集団を縛るには都合がよい。朱子学は製造工場の工員を使うには効率がよいが、 朱子学は個を重視しな いので人の発想に依存する、新ビジネスの開発には向かない思想だ。だから他社の仕事をしてはいけないということになる。スコットランド出身の詩人チャール ズ・マッケイの「狂気とバブル」にある名言「人は集団で考え、 集団で狂気に走る。だが、分別を取り戻すのは一人ずつである」にあるように個を無視すると、とんでもない結果になる。反対に全ての新しいアイディアは個の 脳に宿るのだ。だから朱子学に縛られる社会は発展しない。家康が子孫のために朱子学を残したのだろう。おかげで江戸時代に革新は少なかった。朱子学の呪いは現在の日本を覆っている。

朱子学は支配イデオロギーとなったが、それ故に体制擁護としての作用が肥大化し、かつての道徳主義の側面が失われていった。朱子は外の理によって 内なる理を補完するというが、内なる理は完全であってそもそも外の理を必要としないのではないか、という根本原理への疑義である。こうした疑義から出発し 思索する中で陸象山の学へと立ち帰り、それを精緻に発展させたのが陽明学である。信長は陽明学徒ではないが、おのれの内なる思考に従った男である。残念な がら旧来の思想にかたまった部下、明智に暗殺されてしまった。革命につきものの反動である。勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、小林虎三郎、河合継 之助、高杉晋作ら明治維新に係わった人々はことごとく朱子学から陽明学に転向した佐藤一斎、佐久間象山、山田方谷の弟子であるし、慶喜も将軍となる前に は弟子であったと言えなくもない。富岡鉄斎、岩崎弥太郎もみな明治維新の渦中の人々だ。明治にはいって渋沢栄一、東郷平八郎、戦後は安岡正篤が 陽明学徒だ。朱子学に対抗する陽明学が明治維新をもたらしたと言っていいのではないか?

中国、朝鮮においては朱子学が優勢で、陽明学は一貫してマイノリティーの地位を脱しきれず衰退した。これが禍根を残すことになる。


持家制が人の流動性を妨げた

朱子学による個人の集団への隷属が企業間を人が移動することを妨げ、タコツボにはいった個人の頭に閃くものが無くなったのと同時に、戦後の持家制は人が 転職することを妨げ、社会が閉鎖的になった一因とも考えられる。戦前は貸家が80%だったのに戦後は社会保障を寒々としたまま持ち屋制を奨励したため、働 いているうちに家を持ち、借金を定年までに返済して老後に備えるということになった。そのため別の会社に職場をもとめて転職することもなく、考え方も保守 的になった。

所有者が寿命がつきて家を売りに出しても、内装だけ取り換えるという風習が無く、土台からこわしてにたような保温材も薄く、窓のサッシもJIS規格の最低限の仕様で作り直すので、同じことが繰り返される。



新幹線などの移動コストが割高

人の移動が少なくなると人々の創発が低下する。リニア新幹線などはこの高価な移動コストを拡大する。リニア新幹線等は原発推進と同じ国家への反逆行為だ。



遺伝子

先進国は製造業を発展途上国に譲り渡したが、残る知識産業を維持するために教育に国家予算を投じている。しかし親からもらった遺伝子の制約で教育しても歩 留まりが低く、使えそうなのは60-70%くらいで残りはどうしようもない。貧富の差というより遺伝子の差が先進国のアキレス腱となる。米 国では高等教育費は高騰している富裕層の子弟しか高等教育のチャンスはない。ところが富裕層の子弟はすぐfれた遺伝子をもっているわけではないのだ。とい うわけで現在の米国の優位は風前の灯なのかもしれない。遺伝子の差は否定できない事実だが、教育制度がしっかりすれば人口の多い中国は有利だ。絶対数で勝 てる。米国などは奨学金で世界のすぐれた遺伝子を取り込み、自国の知識産業に取り込んでいる。しかし人口が少ない上に人口が減少に転じていてかつ留学生も来ない日本に勝ち目は ない。私のいう文系亡国論はもしかしたら、この問題を婉曲に言っていたのかもしれない。中 国はまだ製造業をもっているので、教育で救えない30-40%は製造業でつかえるが製造業を失った日本ではサービス産業の掃除や給仕で家族を養えるのか?

10年位前、アメリカ大使館主催の講演会などにでかけていたとき、私が講師に「米国はコンピュータやインターネット技術で世界をリードしているが、プログ ラマー不足でそのリード維持が難しくなるのでは?と質問したとき、講師は不意を突かれたようにギクとなって「そんなことはない大丈夫」といったときの顔は いまでも忘れない。



資本主義が民主主義を滅ぼす

ギリシアの元財務大臣で経済学者のヤニス・ バルファキス(Yanis Varoufakis)氏がTED (techology entertainment design)で行った講演 Capitalism will eat democracy -- unless we speak upを参考に論じてみよう。

先進国は自国に企業を誘致しようと減税競争で巨額の負債の山を築き、企業は巨大な利益の山を築いている。しかし、企業家は消費需要がなければ投資しない。 需要がないの は、ロボット導入、自動化、人口知能により労働者が不要になったためと、製造工場を中国など労賃の安い国に移転したため、消費者でもある労働者の収入が 減ってしまったためだ。これをツインピークス・パラドックスという。無論、米国では自動化のための技術者、映画などエンターテインメント業界、デザインな どの知的労働者は食えるが、知的労働者にはだれでもなれるものではない。かくして米 国、EU、日本など先進国では失業者と低所得層の増大という問題を抱えているし、中国ですらいづれ同じパラドックスに行き着く。すなわち失業者と低所得者 の発生は資本主義である以上必然だということだ。

先進国は教育に投資しているが、教育の歩留まりは遺伝子分布で決まっているため、命令に従って働く人間は増やせるが、知的労働者は増えない。労働者が意思 決定するというマルクス主義は資本主義の優位さに敗退して、消え去り、企業の植民地にされた政治の世界では富者の富を貧者に再配分するという政策は採用さ れず、ますます貧富の差は開く。英国はオリバーツイストに描かれたような産業革命以後の労働者階級の悲惨な状態を改善すべく、富の再配分の仕組みを作っ た。国民が原則無料で医療を受けることが出来る国民保健サービス法と、国民が老齢年金と失業保険を受け取ることが出来る国民保険法だ。ここまで は良かったが、ついでに鉄鋼、鉄道など基幹産業を国有化するという間違った政策によって経済が停滞する英国病になった。サッチャーが大胆に民営化に舵を 切って今がある。日本も英国が犯した基幹産業の保護に熱心で、余剰資金を再生可能エネルギー(グリーンエネルギー)などの富を生む新技術(グリーンテクノ ロジー)に投資すればまだしも、過去の技術である 原発保護のために、新規産業の参入を規制で妨害している。そして政府は水素エネルギーのような資源でもないものに血祭りをあげ、トンネル内の空気を圧縮す るだけの超電導新幹線のような新しそうに見えるが生まれそこなった奇形児に投資して電力消費を3倍増させようとしている。トンネル掘削という一時的需要は 掘り起こせても、無駄な投資にはちがいなく、建設が終われば、借金の山はますます高く、一時的職場は消え去り、仕事を失ったルンペンプロレタリアートが巷 に あふれ、消費需要は伸びない結果に終わるのが目に見えている。そもそも大深度にあるリニア駅へ移動するために20分。発駅と着駅を合わせて合計40分ほど 必要とのことで名古屋まで40分だから全部で80分。これでは新幹線と同じ時間。本数が多い方の勝。土地代金節約のため90%以上トンネルの中でなにも見 えず、事故になればトンネルのなかでミンチになり、掘り出されるころは、アミノ酸になっている。今のままなら、ツインピークスはますます高くなり、 崩壊するというカタストロフィーが待っている。2008年のリーマンショックがそれだった。そして今、何もしないなら、再び同じことが起こる。ヨーロッパ では職につけない移民の若者が、生の充実を求めてテロを行い、英国の国民投票のようにEU離脱(BREXIT)という結果となる。米国では、トランプのよ うな扇動家が貧民層の不満に油を注ぎ、クリントン候補もTPP反対と表明せざるをえなくなっている。

この矛盾の解決法は資本主義と民主主義の合体にあるだろう。古代ギリシアの民主主義は低所得層も投票の権利を持っていた。しかし英国のマグ ナカルタ、フラ ンス革命、米国の憲法はいすれも支配階級のなかの民主主義にすぎない。だから所有と労働が分離し、現在のようなツインピークス・パラドックスが発生するの だ。 所有と労働を同一人物に付与すること。こうすれば余剰資本を無為にため込むことはなくなる。資本主義は企業によって駆動されているが、ここでは労働者は経 営の意思決定に参加できない。労働組合はもはや機能していない。労働者は政治に参加して投票はできるが、その政治は企業の植民地になって、民主的な機能は 失われてしまった。政治家はたんなる企業家の奴隷なのだ。選挙民が政治家に人物はいないとおもうのはこれが原因だ。政治家は淘汰されてしまったのだ。資本 主義と民主主義の合体はどういう物か?ヤニス・ バルファキス氏は具体的な提案をしている。それは労働の報酬は賃金だけではなく、賃金と所有権の両方で支払われる制度にするというものだ。労働者が職場や 企業をかえるときは所有権が属人的に付いて回るという制度だ。通貨は世界共通の通貨(コスモス)にして、それぞれの国は毎年の貿易・資本収支相当分をプー ルする。「皆がこの合体を選択すると声をあげなければハリウッド映画「マトリックス」が単なる娯楽ではなく、ドキュメンタリーになってしまう」とヤニス・ バルファキス氏はいうが、そのような声を聞き届ける者はなく、今後も山を積んでは崩れるという現象が継続するのだろうと予感される。

Yanis VaroufakisのEurope's Crisis and America's Economic Future. 資本主義の原理はダーィンの進化論の実現だが、政治が無策なら当然痛みがでてくる。米国のトランプがその典型。

Yanis VaroufakisのBasic Income is a Necessity。ドロップアウトにとって最低賃金は人間の尊厳のた めに必須。


ビジネス経営者

追補−1 政治家、官僚、学者について

追補ー2 大学教育

追補ー3 脳の構造

追補ー4 文系に偏重した日本

追補ー5 人材の分布はべき分布

追補ー6 文系優位の価値観

追補ー7 英国は文系優位で没落、米国も進行中

追補ー8 サンクチュアリー

追補ー9 マヌの法典と科挙の制度

追補ー10 ゆとり

追補ー11 文系優位は農耕民族起源?

追補ー12 コール・デ・ミーヌ

追補ー13 うそを押し通す社会、うそをうそと知って受容する社会

追補ー14 グループ vs チーム

追補ー15 女子力

追補ー16 ブランド番付

追補ー17 福はうち 鬼は外

追補ー18 教育勅語

追補ー19 軍人勅諭(ちょくゆ)

追補ー20 まとめ と参考文献


September 9, 2012
Rev. March 18, 2018
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