読書録

シリアル番号 1136

書名

Science and Government

著者

C. P. Snow

出版社

Oxford University Press

ジャンル

技術

発行日

1960, 1961

購入日

2013/03/13

評価



総合知学会で元東燃、現決断科学工房の眞殿宏氏から「英国を救った科学技術者たち−OR歴史研究から−」という講演を聞いた。レーダーを開発して、ドイツ 空軍の空爆から英国を守り、防空科学委員会の委員長でありインペリアル・カレッジのティザード学長(物理化学者)航空相の科学顧問とORを開発してのU ボート対策を行ったマンチェスター大学教授、ブラケット、ならびにこれに絡むチャーチルの科学顧問であったオックスフォードの実験物理学者、リンデマン教 授(後のチャーウェル卿、en:Frederick Lindemann, 1st Viscount Cherwell)の話を聞いた。

同時代人で『二つの文化と科学革命』(The Two Cultures)の著者として有名なC.P. スノウとの関連を知りたくて調べているうちにこの本をみつけた。スノーはケンブリッジで物理を学んだあと、イギリスの政府におけるいくつかの上級職(労働 省の技術部長(1940年 - 1944年)、イギリス電力会社重役(1945年 - 1960年)、科学技術大臣の議会秘書(1964年 - 1966年))を務めた後、1957年にナイト爵を授けられて一代貴族となった。ティザードと同じ境遇である。特にチザードとリンデマンの個人的確執につ いてはチザードに同情的である。二人の葛藤をハーバード大のゴドキン講話でくわしく語った講義録。スノウは小説家でもあるため、その記述は迫力がある。

『二つの文化と科学革命』(の「二つの文化」とは、現代において世界の問題の解決に貢献してきた"自然科学"と"人文科学"を指す。そしてスノーは、「二 つの文化」の間でコミュニケーションが成り立たなくなっていることを指摘している。特に、多くの科学者がチャールズ・ディケンズを一度も読んだことがな い、芸術家は等しく科学的な事柄に無頓着である、といった、世界の教育の質の偏りを強調している。

以上は前置き。

二人の主人公ティザードとリンデマンは若き頃、一緒にドイツで学んだ。ティザードはネルンストに化学を学んだ。英国にかえって志願して空軍のテス トパイ ロットになった。その後オックスフォードで化学を教えていた。ラザフォードを尊敬していたが、50才台になって自分にはそのような才能がないことは分かっ ていた。自然と科学管理者的な分野にはいり、1914-18年の第一次大戦時は政府の予算配分に有能な才を示した。1929年にインペリアルカレジの学長 になってもこの政府組織を去らなかった。1934年、ボールドウン首相のときドイツとの戦争の機運が生まれ防空のために、科学をどう適用するかの委員会の 長に抜擢された。そして採用したのがレーダーの開発である。ヒルやブラケットが委員として支えた。ヒルはレーダー、ブラケットはORを開発、のちにノー ベル賞もらう。チャーチルが野党としてうるさく批判するので委員会にチャチルの技術顧問のリンデマンを加えるが、リンデマンがすべてに反対するので、ヒル やブラケットが辞任してしまう。そこでリンデマンを外して委員会を再編してレーダー開発を続行し、ドイツ空軍の空爆に間にあった。しかしチャーチルが首 相になるとティザードは追われ、リンデマンが全て仕切ることになる。ティザードはやむを得ず、チャーチルに掛け合い、レーダーの心臓部となるマグネトロン を米国にも作らせることと原爆開発を薦める使節団の団長となり、ヒルらを連れて米国に行き、説得する。これが功を奏し、2年後の米国の参戦には間に合い、 連合国の勝利のきっかけとなった。リンデマンに地位を奪われていてもマグダレン・カレッジのプレジデントにしてもらい感謝している。このときナイトの称号をもらう。戦後チャーチルが失 脚するとティザードは前の地位に帰り咲いた。しかし1951年にチャーチルが政権に戻るとティザードは即辞任。1959年にティザード死去。

リンデマンはドイツ生まれの裕福な家の生まれで、父はもしかしたらユダヤ系かもしれない。教育は全てドイツで受けた。英国にきてティザードと同じく空軍の テストパイロットをしている。オックスフォードでは仲良く子の名付け親になっている。リンデマンはチャーチルの友人になる。この友情はチャーチルが野にあった 1929-39年の10年間一層強くなった。ティザードの後釜となったリンデマンは最終的には唯一の理系閣僚となり、戦略爆撃の指揮をとる。リンデマンは 爆撃の効果を最大にするため、労働者階級の住宅に爆撃するように内閣に進言した。この提案書をみたティザードは被害推定が過大であると批判したが敗北主義 と批判され、予定通り、爆撃は決行された。爆撃後の評価ではティザードが正しいことが証明されたが、意味はなかった。リンデマンは害をもたらし、まり良いことはしなかった。これはルーズヴェルトの技術顧問のヴァネバー・ブッシュの功績に劣る ものであった。1957年にリンデマン死去。

以下英国政府と科学の関係の分析が始まる。戦争は科学力の勝負だから政治が様様な科学技術のどれを武器にするかの決定はその開発のための資源の配分ひいて は 勝ち負け重要な影響を及ぼす。この政策決定法にはオープンポリティックスとクローズポリティックスがある。オープンポリティックスとはいわば大衆の前で全 てさらけ出して議論し、決定する方式であるが、これは衆愚制となって戦争にまけてしまう。クローズポリティックスには、委員会方式、階層方式、宮廷方式の 3 つが独立にまたは組み合わせて使われる。チザード委員会は委員会方式の典型で数人のできる科学者が方針を決定し、政府は膨大な予算と人材を投入した。日本 式の事務局が裏で画策することは一切なかった。チャーチル=リンデマン組は宮廷方式である。官僚機構や一般企業は階層方式である。あチャーチルの人気でか き 消さ れているが、リンデマンのような超自信家が宮廷方式にはまると多大な害を国家にもたらす。連合軍が勝てたのはチザード委員会が初期の頃、正しい判断を下 し、適切な指 導 をしたからである。

さてスノウは最後にもっとも重大な提案をするのである。すなわち政府機関には理系官僚を多数配置しないと戦争も、経済も正しい技術に優先順位をつけないと 戦争にはまけ経済は上向かないという。理系人間は一つのことを深く考えないと成功しないから、おおかれ少なかれ、深いが広い視野で選別できない人間になり やす い。特にジェット機とか原爆などという玩具を持っているものはそれを手にするまでにそれなりに苦労しているのでこれに固執する過ちをしやすい。一人の科学 者にパワーを与えてはいけないのである。それでも理 系官僚を増やせという理由は、若い理系は創造的仕事をしている時は管理的仕事に興味をもたない。しかし年取って理系から管理的仕事には容易に転換できる。 文系はながく管理的な仕事に従事しても、技術を深いところで理解できず、自分のお好みの玩具を持った理系に相談することになり、バイアスのかかった情報に 基づき重大なミスジャッジする人間になって しまうからである。このような文系人間に舵をとられると西洋の東洋に対する優位はいずれ失われてしまうだろうと予言している。それから、ネガティブの判断 よりは前向きの判断が大切となる。なにもしなければ何も生まれないからである。スノウのエンディングリマークはわれわれの墓碑銘にふさわしい言葉は「洞察 力は授けられなかったが賢い男」というものであった。

日本の原子力政策は政治家や高級官僚は殆ど文系であるため、原子力専門家を相談相手にしてしまった。結果、彼らの玩具を押し売りされたという構図が見て取 れる。被害者は住民である。いらぬ戦争をして負けたわけで、これは「原発敗戦」なのだ。


Rev. November 4, 2015

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