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「89年カンヌ国際映画祭グランプリ作品『セックスと嘘とビデオテープ』(スティーブン・ソダバーグ監督)は、自分のとった行動の影響に責任を持つという意味で、倫理的な
映画だ」「しかし、堅苦しくも押しつけがましくもない。鋭いが上品な会話劇に仕上がっ
ている。4人の人間関係が醸しだす余韻に満ちた展開は、とても26歳の作とは思えない」
「このコミュニケーション回復のドラマは、自立と距離を基調にしているだけにカンヌの
審査委員長・ヴィム・ヴェンダース監督好みの映画といえる」「セックスに対する現代的
な神話から解放されている点がいい。人間関係における嘘の微妙な位置、ビデオの両犠牲
が、見事に描かれている」
「セックスに対する姿勢で対照的なのは、ユーゴの監督ドゥシャン・マカベイエフの初
期作品だ。ウイリアム・ライヒの性革命を実践する人たちの生活を描いた問題作『WR・オルガニズムの神秘』(71年)、過激なブラックユーモア満載の『スウィート・ムービー』(74年)。これらの先駆的な作品が、やっと日本でも劇場公開された。反権威、ブラックユーモア、
斬新な映像は、ルイス・ブニュエルに通じるものがある」「アクは強いが、ブニュエルよ
りも無邪気な感じがする」「印象的なのは、セックスを反権威の基礎としてとらえている
点だ。70年代前半の熱気が感じられる。特に『WR・オルガニズムの神秘』は、
ウィルヘルム・ライヒの思想への監督の傾倒ぶりがうかがえ
る」「現代では、セックスはすっかり商品化されてしまった。時代は変わったね」「一つ
の時代を振り返る意味で、マカベイエフ監督の映画を観るのもいい」「あの理想に向かう
熱意は、貴重だよ」「ただ、挿入されたカチンの森の大虐殺のドキュメンタリー・フイル
ムを観たときは、一気に現代とつながった。ルーマニアのチミショアラで行われた市民虐
殺のテレビフイルムとオーバーラップした」
「邦画では『ノーライフキング』(市川準監督)が、切実な問いを発している。時代に敏感な市川監督が、子供たちのリアルを描く。いとうせいこうの小説の映画化というよりも、独立した作品と言ったほうがいい」「呪われたファミコンとの闘いというテーマは、子供たちにとってまさにリアルだ。これに対して、市川監督はファミコンを逃れて『外に出ること』を勧める。しかし、これはリアルな批判なのだろうか」「状況の外に出ることは、必ずしも家の外に出ることじゃない。パソコンの世界は、神話的な構造に似ているとともに、通信を通じて自由に横断できる可能性も開いている。この両犠牲に耐えて内側から外に抜ける道こそが、リアルだと思う」
「『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(ペドロ・アルモドバル監督)は、久々に魅力的なセンスを持った作品。女性たちのパワーと原色を巧みに配した映像は、独自の世界を築いている」 「『バットマン』(ティム・バートン監督)は、重苦しい近未来の雰囲気とジャック・ニコルソンのジョーカーの毒のある笑いが新鮮。バット・モービルはかっこいい。プリンスの音楽もなかなかだった」
「『ファミリービジネス』(シドニー・ルメット監督)は、3世代の泥棒家族の物語。2回歌われるダニー・ボーイが印象的だが、展開は物足りない」「『バックマン家の人々』(ロン・ハワード監督)は、人物描写に優れた作品。バックマン一家のそれぞれの個性を巧みに描きわけながら、喜怒哀楽をつづっていく」「コミカルで時にシニカルな展開は好きだが、最後の甘い人間賛歌はいただけない」
「『シー・オブ・ラブ』(ハロルド・ベッカー監督)は、名曲『愛の海』をうまく生かしているが、サスペンスとしては及第点はあげられない」「そこそこ楽しめたけれど」「エレン・バーキンが好きだからでしょ」「『恋人たちの予感』(ロブ・ライナー監督)は、セックス談義が延々と続く出だしには、とまどったが、全体としてはなかなかまとまっていた」「ラストの軽みが見事だった」
「『トーチソングトリロジー』(ホール・ボガード監督)は、同性愛の問題を当事者の生活のなかに位置付けて描いた記念碑的な作品。長く愛されることになるだろう」「エレガントでカインドな視線。このセンスは一歩ぬきんでている」
「林海象監督は、57年7月15日の生まれ。85年の『夢みるように眠りたい』でデビュー
した。モノクロ、サイレント映画へのノスタルジーに満ちた作品で、そのあまりの美しさ
に全身が震えた体験を、今もありありと思い出す。リバイバル上映でも、人気を集めていた」「その林監督の新作が『二十世紀少年
読本』。前作同様にモノクロで郷愁あふれる昭和中期が舞台だ。世の繁栄の陰で、落ちぶ
れていくサーカス団を中心に物語は展開する。主人公・仁太を演じる三上博史の好演がひ
ときは光る。彼は寺山修司監督屈指の奔放なイマジネーション映画『草迷宮』(79年)でデビュー以降、徐々にメジャーになったが、この映画では持ち味である内面の緊張度がよく表れていた。今後に期待が膨らむ俳優だ」
「淀川長治さんは、『前作よりも、すばらしかった』と書いているが、私は『夢みるよ
うに眠りたい』の方が好きだな。構成力は『二十世紀少年読本』の方が上だと思うが、あ
まりにカチッとしていて、たゆたうような映像の魅力は半減した」「『夢みるように眠り
たい』は、幾分ナルシスティックではあるが、それだけに本当に夢見るような映画の法悦
を味わうことができる。この個性は失ってほしくない」
「セルゲイ・エイゼンシュタイン監督の『イワン雷帝』を、劇場で観ることができた」
「今でこそ、ビデオが出ているが、10年前には空前絶後の壮大な叙事詩『イントレランス』(グリフィス監督)
とともに一生観ることができないと思っていた作品だ」「エイゼンシュタインもグリフィ
スも、1948年に死去している。俳優であり、演出家であり、詩人であるアントナン・
アルトーも、この年に世を去っている」
「『イワン雷帝』は、第1部と第2部からなる3時間の大作。本当は第3部も撮影され
たが、スターリンによってフィルムが廃棄されてしまった。そして、第2部はスターリン
の怒りをかい、上映禁止になった。狂信的専制者の悲劇をテーマにしたものだけに、当然
ではある」「むしろ、エイゼンシュタインがメイエルホリドのように粛清されなかったこ
との意味の方が大きい。エイゼンシュタインの変節ぶりを批判する向きもあるが、当時の
状況を考えれば、軽々しい批判はできないと思う」「第3部の『血の海のモスクワ』のシ
ーンを観たかった」
「作品は、第1部よりも第2部の方が、はるかに優れている。緊迫感が桁外れに違う。
第2部の、重苦しい血の匂いが充満した鬱屈の表現は、他に比類がない」「そして、様式
的な演技と構成、デフォルメされた歪みの異様なバロック性。この形式と過剰な表現は、
まさに歌舞伎だ」「宮殿での酒宴はカラーになるが、その見事さは、これを観て黒沢明監
督がカラー映画を始めたという伝説を納得させる」「前景と後景を極端に対比させている
瞠目すべき場面は、立体映画の実験という以上に、胸が高鳴った」「うろつき回る影
が、終始気になってしょうがなかった。今も私に取りついているのかもしれない」
「『俺たちは天使じゃない』(ニール・ジョーダン監督)は、55年作品のリメイク。2人の脱獄犯が神父になりすまして逃げるうちに信仰に目覚めていくというコメディタッチの作品。芸達者なデ・ニーロらの好演で、気持ち良く楽しめる」「鼻っ柱の強いデミ・ムーアの肝っ玉おっかあぶりも収穫だ」「『ランページ裁かれた狂気』(ウィリアム・フリードキン監督)は、いわゆる猟奇的な事件を扱った作品だが、謎を示しただけで終わってしまう」「きめこまやかには作っているが、何にも発見はない」「戸惑いを残すことが狙いなのだろうか」「『ハーレム』(アルテュール・ジョフェ監督)は、倒錯的なラブストーリー。マラケッシュのバヤ宮殿のロケは魅力的だが、ナスターシャ・キンスキーの魅力を十分に引き出したとは言い難い」「展開も、どこか不自然さが残る」
「林海象監督の『ジパング』は、ノスタルジックな白黒作品を愛してきたファンにとっ
て、評価が分かれる作品だろう。B級娯楽活劇に徹し、めちゃめちゃにパワフルでカラフ
ルだ」「完成度はともかく、この監督の果敢な挑戦は高く評価したい」「これまでのイメ
ージを打ち破っているが、そのスピード感あふれる展開は、角川映画の水準を抜きんでて
いる。彼なら、半村良の『妖星伝』を映画化できそうだ」
「阪本順治監督のデビュー作『どついたるねん』は、予想を上回る快作だった。映画のユー
モアを体得しているシーンの連続。全体のテンポもすこぶる快適だ」「出演者が、本当の
ボクサーなので、ファイトシーンの迫力も抜群。ファイト・シーンが異様に生々しい傑作『レイジング・ブル』(マーチン・スコセッシ監督)を連想させる。主
演の赤井英和の眼がとてもいい。ヒロインの相楽晴子、コーチ役の原田芳雄も好演してい
る」「この作品に流れる独特の叙情性が、次作でどう変奏されるかが、今から楽しみ」
「ジュゼッペ・トルナトーレ監督・脚本の『ニュー・シネマ・パラダイス』から紹介す
る。33歳の若さで、こんなにも懐かしく、人生の真髄を知り尽くしているような映画を
撮るとは」「舞台はシチリアの小さな村。パラダイス座の映写技師アルフレードと、映画
好きの少年トトの出会いと別れに沿って映画は進む。1940、50年代の映画館の活気
が伝わってくる。観客は、素直に泣き、笑い、怒っていた」「映画の雰囲気が、私たちに
も伝わり、いつになく開放的に笑い、涙した。やはり映画はビデオではなく、劇場で多く
の観客とともに楽しむのもだよ」
「映画と人間への愛に満ちあふれた作品だ。散りばめられた古典的な名シーンが、最後
に意外なオチとして使われ、それを味わう快感。エンリオ・モリコーネの身体に染みる音
楽も評価したい」「映画を観終わった後、人間が好きになってしまうというのは名画の条
件だね」
「アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『サンタ・サングレ』は、『エル・トポ』『ホ
ーリーマウンテン』などのようなカルト性を脱して、幅広い層に受け入れられるのではな
いだろうか。ストーリーが、かなり入念に練られている点に、監督の年齢を感じた。監督
の子供3人が、それぞれに好演している」「サンタ・サングレ教会の、血で統一された内
部。両手を切断されるシーン。病気の象の鼻血。ホドロフスキー監督ならではの印象的な
場面が続く」「なかでも、両手を失った母親の腕の代わりを息子が演じる『二人羽織』の
絶妙さは、映画史上に残るに違いない」
「製作がアルジェントなので、随所に時代を画したホラー秀作『サスペリア』風の色使い、スプラッターシーン
が登場する。カルトの古典『エル・トポ』の残虐性ともひと味違う。『アートは今やホラー映画の詩の
中にしかない』と語るホドロフスキー監督の志向が生かされたものだろう」「ホドロフス
キーは、コミックの原作者としても活躍しているが、日本のアニメで『アキラ』と『風の
谷のナウシカ』を高く評価していたのは、さすがだった」
「『カミーユ・クローデル』(ブリュノ・ニュイッテン監督)は、2時間55分の大作
だが、無駄なシーンが多くカットのつなぎもぎこちない。イザベラ・アジャーニは、熱演
していたが、狂気に陥る過程に説得力が乏しい。カミーユの苦悩の深まりが伝わってこな
い」「アジャーニの狂気の演技は、痙攣的な作品『ポゼッション』(アンジェイ・ズラウスキー監督)の方が、はるかに光っていた。終始ささくれ立った感覚のこの映画に、アジャーニはうって
つけだった」
「『テキーラ・サンライズ』(ロバート・タウン監督)は、違う立場にある親友同士が同じ女性を愛するという、よくある話」「ミシェル・ファイファーの魅力だけが印象に残る平凡な作品だ」「話題作『7月4日に生まれて』(オリバー・ストーン監督)では、トム・クルーズがまずまずの好演。十分に整理されたシナリオではないが、ベトナム戦争時の混乱ぶりをよく描いていた」「ベトナム戦争を相対化しようという熱意は伝わってくる。現代に対する警告の意味は重い」
「『へのじぐち』は小樽商大在学中の吉雄孝紀の監督作品。初の劇場公開版だ。タウン
誌で働く23歳の女性・川野すみれを中心に描くロード・ムービー。すみれの揺れ動く心
を等身大でとらえようとしている」「87年の『雪虫のころ』は、もっとワイ雑で鬱屈し
ていた。独りよがりなシーンも多く閉口したが、それなりのパワーと新しいセンスは感じ
ていた。それに対し『へのじぐち』は一皮むけた感じ。ショットも計算され、きっちり決
まっている」
「ただ、女性を主人公にした分、やや日常性が薄れたように思う。フラストレーション
がたまっていく日常の細部を丁寧に描いていかないと、持って行き場のない焦燥感を説得
力を持って表現できない。後半にむかうほど、脇役だった2人の男性の存在感が勝ってし
まった」「まだまだ成長する監督だ。旅を終えたすみれが、日常に戻ろうと決心し、3人
で記念写真を撮るラストシーンで、突然カメラを蹴飛ばすシーンは、ヴィム・ヴェンダー
スのロード・ムービーに対する批判になっているのではないか」「それは深読みかもしれ
ないが、確かにはっとさせられたシーンだった」
「香港映画のエネルギーが乗り移ったような『香港パラダイス』(金子修介監督)のどたばた喜劇も、邦画久々の快作。このパワーは今年の大きな収穫だ」「斎藤由貴、小林薫がいい味を出している。金子修介監督らしい、テンポの良さが生かされている」
「南北戦争のスペクタクル映画『グローリー』(エドワード・ズウィック監督)は、白人中心の視点という限界は明白だが、ラストの30分間の高揚感は評価していい。」「卓越したシーンが脳裏に残る。戦闘前に海を見つめる悲痛なまなざしと、海鳥の飛翔が忘れられない」「『マグノリアの花たち』(ハーバート・ロス監督)は、美容院での6人の女優の共演は楽しい」「細部の面白さは認めるが、ストーリーはいま一つ。芸達者な俳優のなかでダリル・ハンナも熱演した」
「『アビス』(ジェームス・キャメロン監督)は、最近の深海ものの中では一歩抜きん
でていた。ただ『未知との遭遇』の深海版といった印象が強かった」「キャメロンが、も
っと水にこだわれば、深みのある作品になった。愛をテーマにしたと言っているが、こん
な安直なラブストーリーはごめんこうむりたい。」「最近の映画作品は、愛の大安売りが
目立つ。エコロジカルな愛とは、もっと厳しいものだ」
「ビスコンティ・コレクションの第1回上映は『ベニスに死す』。ビスコンティの作品は、どれも濃密だ。この映画も残酷なまでの耽美さに満ち、それが人間洞察
の深さと調和している」「俳優たちもいい。ダーク・ボガードの良さは言うまでもないが
、タジオ少年役のビョルン・アンドレセンの美しさには驚嘆させられる。タジオが空と海
の間でヴェロッキオのダビデ像のポーズをとるシーンの秀抜さ」「少年の母親役のシルバ
ーナ・マンガーノの演技もすごいね」「映画の素晴らしさを再確認するとともに、ビスコ
ンティが資金難や同性愛をテーマにしたという多くの非難に耐えて、この作品を完成させ
たことを忘れてはならない」
「『死の棘』(小栗康平監督)は、90年のカンヌ国際映画祭で、グランプリと並ぶ大
賞に輝いた。繊細な映像表現の独創性が評価されたのだと思う」「しかし、私はストイッ
クになりすぎて、インパクトが弱くなったように感じた。『泥の河』、『伽椰子のために』
で、人間の生きていく痛みを寡黙な映像に込め、観終わったあとにズシリとした感動を残
したが、今回は違和感が残った」「『死の棘』は映画化が不可能と言われてきた島尾敏雄
の代表作。私は、日本戦後長編小説のベスト5に入る名作だと思う。内部に崩れていく夫
『トシオ』と外部に振れていく妻『ミホ』。2人の関係が会話のズレを繰り返しながら、
亀裂を生み、激烈なドラマに発展していく」
「挿入される奄美の自然描写は、観る者に刺さってくるほどに美しい。しかし主人公の
演技の振幅が狭すぎるので、自然描写との緊張関係が生きてこない。むしろトシオの特攻
隊帰りという戦争の傷と、ミホの背後に広がる奄美の文化と巫女性を前面に出したほうが
映画的だった」「小栗の映画としては、仕方がないのかもしれない」
「『ブルースチール』(キャリン・ビグロー監督)は、鉱物的美学に基づいた映像が新鮮」「ブルーを基調にしたニューヨークの夜景が美しい。銃をこれほど奇麗に撮る女性監督は少ないだろう。脚本もなかなか良くできていた」「ちょっとレニ・リーフェンシュタールを連想させる感覚。ヒロインも、まさにスチールのように美しい」
「ウディ・アレン監督の『重罪と軽罪』は、19本目の脚本監督作品。主演を含めると25
本目になる。大島渚監督は『ウディ・アレンはいま世界でただひとり、自分の望む時に望
む映画を撮り続けている映画監督である』と言っていたが、年1作のペースで作品を発表
し続けるのは並大抵ではない」「私は大ファンではないが、今までに14本観ていた。
今回は血が出てきたり、これまでになく生臭い。殺人の責任をめぐって交わされるラスト
の会話に、ユダヤ人としてのアレンの姿勢が表れていた」「倫理的な作品だったね。でも
、私は納得できなかった。2つの別々のストーリーを映画のシーンで結ぶ見事さは職人芸
の域だが。初期の『バナナ』のようなギャグ連発のパワフルな作品や中期の自分を見つめ
たシニカルな毒の利いた作品が好みに合う。一本を選ぶとしたら『カメレオンマン』を挙
げる」
「ビスコンティが車椅子に乗って監督した遺作『イノセント』は、夫婦の破綻と中心に
した作品。他人の子を生んだ妻に嫉妬し、子供を殺した男が、自分の愛人に裏切られて自
殺するラストの15分間は、とりわけ素敵だ」「華麗なんだよね。ただ、映像から倒れて
いくビスコンティ監督の悲しみが感じられる」「ビスコンティは晩年に貴族趣味に戻ったとい
う人がいるけれど、最後まで時代に敏感な人だったと思う」「『ルードウィヒ神々の黄昏』は、何度観ても映像の力に圧倒される。ヘルムート・バーガーの演技は忘れられない」
「レイトショーで上映されたハンガリー映画『私の20世紀』(エニエディ監督)は、
不思議な柔らかさに包まれた作品。ゆったりとした呼吸が別世界に連れていってくれる。
ドロサ・セグダの一人三役が素晴らしい」「映画パンフレットも、凝りに凝っていた」
「黒沢明監督の『夢』は、自らが単独で書いたオリジナル作品。単独オリジナルは第2
作『一番美しく』以来だけに、黒沢監督のストレートな思いが、8話の掌編に凝縮されて
いる」「黒沢監督といえば、アクションシーンの見事さ、練りに練った脚本、完璧なまで
の様式美、そして社会的メッセージ性が、特徴として浮かぶ。前作の『乱』を『ライフワ
ーク』と明言し『大作はこれが最後』と考えていた監督は、今回一転して新しい境地を開
いた」
「全編に、ほとんどアニミズムに近いエコロジスト・黒沢の思想が染み出ている。様式
美も冴えわたっている。特に第1話『日照り雨』、第2話『桃畑』の美しさには、酔って
しまう」「原発が爆発し富士山が溶ける第6話の象徴的な映像、第8話『水車のある村』
の葬式=祭りと自然との共生讃歌も忘れがたい」「第8話は、水が演技していた。この水
はタルコフスキーの『惑星ソラリス』と静かに響き合っている」
「『夢』は当初11話で計画したが、予算の都合で8話になった。断念した『阿修羅』
では、興福寺の阿修羅が寺から出て、3つの顔がしゃべり、6つの手が動く予定だった」
「観てみたかったなあ」「しかし、『赤ひげ』以降5年に一作のペースで発表してきてい
るので、遺作を意識した作品になるのかと気になっていたが、逆にみずみずしさが作品に
満ちていて驚いた」「次回作『八月の狂詩曲』は、久々の日本映画になる」
「『ドゥ・ザ・ライト・シング』(スパイク・リー監督)は、黒人、イタリア人、韓国人らの交錯した差別をリアルに描いた話題作。この乗りとパワー、そして冷静な構成は大器を思わせる」「『ドゥ・ザ・ライト・シング』が無冠に終わったとき、女優のキム・ベイシンガーが『ここには、真実がある』と抗議した気持ちが良く分かる」「ラストにキング牧師とマルカムXの言葉が引用されるのもすごい」
「中国、台湾映画が相次いで札幌公開された。天安門事件一周年とも重なり、話題にな
っている。『非情城市』(ホウ・シャオシェン監督)は、1945−49年の動乱の台湾を描い
ている。89年ヴェネチア国際映画祭のグランプリ。人間描写の的確さ、造形の清明さ。
ヴァラエテー紙は『小津風のゴッドファザー』とうまい表現をしていた。しかし、この映
画を名作にしているのは、一種の緊張感だ。タブーになっている2・28事件に触れると
いう決意が、全編に張りを与えている」「私は、『童年往時』の自然な描写の方が好きだな」
「『紅いコーリャン』が絶賛されたチャン・イーモウ監督の新作『菊豆』は、パワーは
あるものの、随所にわざとらしさが目立ち、白けてしまう」「原色の大胆な映像、狂おし
い情念の世界が生きていない」
「『北京的西瓜』(大林宣彦監督)は心温まる佳作。ベンガルが予想以上に好演してい
た。6月4日の天安門事件で37秒間の空白シーンが挿入されているが、その是非は別
にしても、この映画は愛すべき作品になった。ユーモアを基調にしながら民衆レベルの交流を、低い視線で描き切っている」
「たっぷりと熱をためた夏の大気は『ウンタマギルー』(高嶺剛監督)を観るのにうっ
てつけだ。全編琉球語で語られる沖縄映画。奥深さを秘めた独特なブルーを基調に、風土
から立ちのぼる文法によって映像化している」「ウンタマ森で超能力を身につけるギルー
青年は、空を飛ぶ術を持っているが、その浮遊はぼわぼわしていてスピードがない。宮崎
駿監督の作品とは対照的だ」「荒唐無稽に感じられるストーリーも、確かな文化的背景に
支えられて私たちを撃つ。最近はエスニックブームという形で異文化が商品化されている
が、このわい雑で暴力的な力に満ちた映画は、その枠を超える異質性を見せる」「豚の化
身・マリー役の青山知可子の愚鈍さが収穫だ」
「スラム街のストーリー・チルドレンを描いた『サラーム・ボンベイ』は、インドの女
性監督ミーラー・ナーイルの作品。彼らの姿を通じてインド・ボンベイの状況を見つめた
映画だ。前半はブニュエルの『忘れられた人々』をちょっぴり連想したが、ブニュエルの
冷徹さとこの監督の活気に満ちたまなざしは大きく違っている」「ストリート・チルドレ
ンは、けっして望ましい状態ではない。しかし、日本の子供たちに比べ彼らはなんと輝い
ていることか。瞳の輝きだけを美化して劣悪な社会状況を肯定する気は毛頭ないが、彼ら
のパワーは近代の『子供』という概念を打ち破っていた」「現代風にアレンジしたインド
音楽もいいね」
「ヴィム・ウェンダース監督が小津安二郎監督に対するオマージュとして製作した『東京画』(84年)は、小津の東京と現代の東京のギャップを問題化している。ウェンダース
監督は『映画の聖地があるとすれば小津の映画にしかない』とまで絶賛している。しかし
フランス映画のパリと現実のパリが違うように、小津の東京の痕跡を現在の東京に探す試
みは虚しい。ドキュメンタリーとしては平凡にならざるをえない」「ただ、たまたま来
日していたヘルツォーク監督が『すでに透明な映像は失われている。私は映像のためなら
火星にでも行く』と切実に語っていたのが印象的だった」
「テオ・アンゲロプロス監督の『霧の中の風景』は、私を戸惑わせた。『旅芸人の記録』や『アレクサンダー大王』のような壮大な集団劇は期待しなかったが、距離を置いた冷
静な視点は変わらないと思っていた」「『シテール島への船出』の悲痛なラストも、感傷に流されない緊張した絶望感があるので、永い間胸に残った。しかし『霧の中の風景』のラストはあまりにも感傷的だ」「姉弟がドイツの大木にしがみつく幻想シーンでしょう。共同脚本のトニーノ・グエッラの影響かな。タルコフスキーの『ノスタルジア』を思わせる場面もあるし」「ペシミズムを、洗練された甘美な幻想で覆うのには反対だな」「切実さは認めるけれども、ある意味で現代が陥りやすい現実逃避の危険がつきまとうからね」
「イラクのクウェート侵攻で、例年よりも戦争が生々しく感じられた。そんな中で『ゆ
きゆきて神軍』(原一男監督)が再上映された。戦争加害を問う衝撃力という点で、この
作品にまさる映画はまだないだろう」
「『少年時代』(篠田正浩監督)は、敗戦前後の疎開が舞台。1944年当時の雰囲気
を丁寧に描き上げている。東京から来た少年と村のリーダーを中心に、少年たちの権力関
係を見事にとらえた」「私は、この映画を戦争を契機に強いられた農村と年の少年たちの
交流と別離のドラマだと思う。安定しかけた少年たちの勢力関係が少女の一言で崩れてい
く過程は実に生々しい」「ただ、現代を批判するには、あまりにも正攻法すぎる」
「ピーター・グリーナウェイ監督の新作『コックと泥棒、その妻と愛人』は、『少年時
代』と対照的に映画的な仕掛けに満ち満ちた作品。その重厚で華麗な映像と人間への悪意
に満ちた感触は、腐りかけた極上のステーキのようだ」
「『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(ブニュエル監督)、『最後の晩
餐』(マルコ・フェレーリ監督)と、食欲をテーマにした映画は、暴力や性欲と結びつき、毒の利いた作品になってい
る。『コックと泥棒、その妻と愛人』も、レストランを舞台に、客席、厨房、化粧室、外
と、明確に色分けし『食』に象徴される人間の根源的な暴力性を明らかにしていく。その
展開は、必然的にカニバリズムにまで至る」「それにしても、この映画ほどカニバリズム
を魅惑的に描いた作品は少ない。温野菜で美しく飾られた人間の丸焼きの登場は、一つの
事件だ」「ジャン・ポール・ゴルチエが手掛けた衣装も、雰囲気にぴったりだった」
「ケン・ラッセル監督の『トミー』(75年)が、リバイバル上映された。イギリスの
ロックハンド・『ザ・フー』の創作によるロック・オペラの映画化。先駆的なアイデアが
次々と登場する音楽映画の時代を画する名作だ。ストーリーはシリアスだが、随所に遊び
感覚が生きている」「ロック映画というとピンク・フロイドの『ザ・ウォール』(82年
)と比較したくなる。『ザ・ウォール』の狂気の方が、より重く苦しい。ロジャー・ウォ
ータースの脚本の影響だろう。今から振り替えると、ともに危機的な状況を表現している
が、『ザ・ウォール』が70年代、『トミー』が80年代を表現しているように見えるの
が、不思議だ」
「危機的な状況を描く監督と言えば、アンジェイ・ズラウスキーを忘れることはできな
い。40年ポーランド生まれ。アンジェイ・ワイダ監督作品の助監督などを務めた。80
年代は、『ポゼッション』(81年)、『私生活のない女』(84年)、『狂気の愛』(85年)とフランスで作品を発表している」「彼の新作『私の夜はあなたの昼より美しい』も、『狂気の愛』同様、ソフィー・マルソーが主演している。『ラ・ブーム』で、13歳でデビューした彼女も、演技派に成長した」「この作品も、愛と暴力と狂気というズラ
ウスキーらしいテーマを基調としているが、雰囲気は変わってきた。『狂気の愛』は、冒
頭から破壊的なアクションシーンの連続で、騒々しくヒリヒリした感覚の結末を迎える。
『私の夜はあなたの昼より美しい』は、時折けだるささえ漂い、静かなシーンが目立つ。
暴力シーンも短時間で終わり、何よりも人があまり死なない。ズラウスキーに何かが起き
たのだろうか」
「相変わらず、男がバタバタ死んでいくのがピーター・グリーナウェイ監督の『数に溺
れて』(87年)。3人の女性がいらなくなった夫を次々に溺死させていく。『建築家の
腹』(86年)以降、『男が死に女が生きる』という基本構図が鮮明になった」「『数に
溺れて』は、シンメトリカルで絵画的な彼の作品の中でも、最も絵画的な映画だと思う。
グリーナウェイ監督らしい仕掛けが幾層にも重なっているが、笑えるのは冒頭からラスト
に向けて一から百までの数字が画面のどこかに散りばめられているという趣向。ついつい
ムキになって探してしまった」「グリーナウェイは、画家を志していたが、ベルイマン監督の
中世の世紀末を独自の映像で表現した『第七の封印』を観て映画監督を目指したという。奇っ怪なストーリー展開、どこか謎め
いた雰囲気など『第七の封印』の影響はかなり濃厚だ」
「『ダイ・ハード2』(レニー・ハーリン監督)は、終始緊張が連続した
『ダイ・ハード』(ジョン・マクティアナン監督)に比べ、かなり見劣りする。スケ
ールは大きくなったが、『1』ではぎりぎり人間の限界内にいたブルース・ウィルスが『
2』では限界をはるかに超えてしまった。『バットマン』の方がまた人間的だ」
「吉本ばなな原作の『つぐみ』(市川準監督)は、少女たちの感情を丹念に追いながら
、うつろいやすく掛けがえのない夏の日を、いつくしみつつ映像化している。中嶋朋子の
さわやかな好演も光るが、牧瀬里穂の熱演がこの作品を支えた」「『ノーライフキング』
では、ファミコンの神話的なリアルに対し現実世界のリアルを愚直に対置した市川監督は
一方で一抹のとまどいも見せていた。しかし、今回は西伊豆の海という大きな背景を得て
少女たちの微妙な揺れを見事につかまえている」
「吉本ばなな原作では、森田芳光監督の『キッチン』と対比したくなるが、両監督の資
質の違いが痛感させられる。森田監督は映像のセンスはさすがだが、時代に対する批評性
がなさすぎる。人の強さのみを評価した昔が人間の持つ弱さを抑圧したように、軽さや透
明さを高く評価する現代は、人間に固有の不透明さ、避けがたい重さを抑圧しているのだ
から」
「『つぐみ』と同時上映だった『バカヤロー!3』は、森田芳光監督の総指揮・脚本。
『バカヤロー!2』よりは面白いが『バカヤロー!1』の新鮮なショックはない。4人の
監督は、それぞれの持ち味を出そうとしているが、私は長谷川康夫監督の『過ぎた甘えを
許さない』を買う。清水美砂も随分と成長した」
「『さよならの子供たち』の感動が、まだ胸に残るルイ・マル監督の新作は、フランス
の5月革命を田舎の地主家庭を舞台に描いた『五月のミル』。あまり観客は入っていなか
ったが、人物一人ひとりの造形がくっきりとし、祝祭的なコメディタッチが生かされたな
かなかの佳品だ。笑いにくるまれた毒が、あちこちに散在している」「ブニュエルの『皆殺しの天使』へのオマージュになっているね」
「『彼女がステキな理由』(メル・スミス監督)は、ジェフ・ゴールドブレム主演の辛
口のラブコメディ」「あの『ザ・フライ』のゴールドブレム?」「そう。今回はエレファ
ントマンを演じる売れない俳優の役だ。前半はドタバタ的なギャグの連発が鼻につくが、
後半はテンポの良い展開。傑作ではないが、妙にやるせなくなる映画だったよ」
「ナチズムの退廃的な官能を描いた『愛の嵐』(73年)、ニーチェらの苦悩する切実な日々を取り上げた『ルー・サロメ 善悪の彼岸』(77年)のリリアーナ・カバーニ監督の新
作『フランチェスコ』を複雑な思いで観た。10年ぶりに再会したカバーニの作風は、す
っかり変わっていた。『愛の嵐』、『ルー・サロメ 善悪の彼岸』の独特な屈折感、湿った頽廃的な魅力
がまるでない。フランチェスコという聖人を描いたにしても、あまりにも乾ききっている
。これまでは男性を圧倒していた女性たちが、ここでは終始慎ましやかに男性の脇に回っ
ている。ミッキー・ロークをフランチェスコ役に抜擢したのは面白いが、映画としての説
得力はあまりに乏しい」
「フィリップ・K・ディック原作の『トータル・リコール』(ポール・バンホーベン監
督)は、息つく暇のないほどスピード感のある作品。サイボーグの悲哀をアクション映画に定着した前作『ロボコップ』に続き、畳みかける展開は力量を感じさせる。ラストの1分間は、反ディック的な
がら、脚本は良くできていた」「現実と模造された現実の区別がつかなくなるという映画
の展開に、私たちも巻き込まれていく快感。80年代のアクションとSFホラー映画の良
質的な部分を、うまく取り込んでいた」
「いつもアベックでいっぱいの『ゴースト・ニューヨークの幻』(ジェリー・ザッカー
監督)に移ろう。各要素のバランスはいいが、ストーリー自体はいたって単純。人間の彫
り下げも浅く、勧善懲悪の世界。評論家たちが口をそろえて指摘する『伏線の見事さ』は
褒めすぎだ。ただ、霊媒師役のウーピー・ゴールドバーグのパワーのある演技は見事。良
質のコメディで中盤を盛り上げた」「甘ったるい『アンチェイド・メロディ』とともに展
開するラブシーンは、観てる方が恥しい」「同時上映の『48時間PART2』は、スピード感のある前作『48時間』
の雰囲気を失わず、まずまず楽しめた。エディ・マーフィが年取ってしまったのは残念だ
けれども」
「フェリーニの新作『ボイス・オブ・ムーン』は、『インテルビスタ』に似たとりとめ
のない作品。徹底的に自由な悪ふざけの連続でありながら、フェリーニ的なお祭りと人間
の哀しみが描かれている」「シーンごとの意味を理解しようとしても、難しい。むしろつ
かみどころのなさにこそ、この映画の持ち味がある。管理・規格化された現代への抗いな
のかもしれない」「月はいつでも懐かしい」
「利休がなぜ死ななければならなかったのかを、キリキリ緊張した展開で魅せた『千利休本覚坊遺文』があまりにも良かったので、ひそかに期待していた新作『式部物語』(熊井啓監督)には、ほとんど
失望した。宗教と性と愛という切実なテーマを示しながら、結局は未消化のままで終わっ
た」「主人公が精神障害を起こす原因を、原作の炭鉱事故から一般の事故に変えてしまっ
たことで、歴史的な重みを失った」「ただ、野火をはじめ炎のシーンの美しさだけは認めていい。さすが熊井啓監督だ」
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