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   「90年『プレ札幌シネ・フェス』は、なかなか盛況だった。ベルトリッチ監督の初期作 『革命前夜』(64年)は、揺れ動く映像が主人公自身の心の迷いを表現していて、いま観ても新鮮」「『自分の思想の欺瞞性に悩む』というテーマが、リアリティを持っていた60年代を思い出した」

 「松岡錠司監督の劇場第1作『バタアシ金魚』は、不思議な魅力に満ちた作品。信じが たいほど純真な少年が少女に恋をする、という今どき珍しい青春映画だ」「ストーリー は単純だし、シナリオも粗さが目立つが、独特な映像センスで楽しませてくれた。場面と 場面をつなぎも、危ういほど唐突で面白い」

 「『われに撃つ用意あり』(若松孝二監督)、『鉄拳』(阪本順治監督)も良かった。 『われに撃つ用意あり』は、20年前の全共闘記録フィルムを挿入しながら、けっしてノス タルジックになっていない。矛盾を深めながら高度経済成長した現代の日本を鋭く問う力 に溢れている」「『どうしたんだ。今も問題が解決したわけではないだろう』という監督 の叫びが響いている。『新宿はアジア人のゲットーだ』という言葉が胸に残った。これほ ど、新宿の感触を表現した映画は、久しぶりだ」

 「『鉄拳』は、『どついたるねん』に続く2作目。ボクシング選手の復活物語と思わせ ておいて、大胆に逸脱していく。前作にはなかった明確な敵として、身障者を暴力的に抹 殺する集団を登場させた意図も、痛いほど分かる。暴力と狂気と独自のユーモア。今後、 期待できる監督だ」

 「『主婦マリーがしたこと』(クロード・シャブロル監督)は、ショッキングなテーマ を距離を置いて描いている。時間が経ってから、その重たさが染みてくる『いぶし銀』の 佳品。マリーの人工中絶業を蜜告するのが、夫であることがなんとも辛い」

 「『フリーダ・カーロ』(ポール・ルデュク監督)は、メキシコ映画。最近評価が高ま り注目されている女性画家の人生を、彼女の臨終の回想断片などをコラージュしながら表 現している。フリーダの悲痛な一生を知らない人には、やや分かりにくいかもしれない。 出だしは、もたついているがトロッキーが登場するあたりから映像が輝き始める」「フリ ーダ役のオフェリア・メディーナは、なんとフリーダに似ていることか」

 「『グッド・フェローズ』(スコセッシ監督)は、予想どおり手の込んだ映像が楽しめ る。ロバート・デ・ニーロは、いつもながら名演だが、90年公開の最高は『俺たちは天使 じゃない』の脱走囚役だと思う」「『ちびまる子ちゃん』は、テレビとは一味違う少年の友情物語。まる子は、ボケ役に回って笑いをとっていた」


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 「『山猫』(ビスコンティ監督)は、久々のリバイバル公開。アメリカ版の短縮バージ ョンなのは残念だが、他の版は保存状態が悪いので仕方がない。巨費を投入した大作で、 特に華麗な大舞踏会のシーンは圧巻だ」「その豪華さが、老貴族の孤独をひきたたせるた めに使われているのもニクイ。ただ、私としては『ルードウィヒ』の孤独の方が共感でき る」

 「映画への愛に満ち、ラストで泣かされた名作『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督の新作『みんな元気』は、現在イタリアの暗部をみつめた渋い味の作品。前作が、ともすれば甘いノスタル ジーに流れがちだった点を反省したのか、今回は都市の犯罪、狂気、冷酷さを強調してい る。しかし、その中にも様々な映像的な遊びやユーモアを散りばめている。マルチェロ・ マストロヤンニが、老いた父親を見事に演じた」「2作とも、主人公は老人。私は老人の 映画に魅せられることが多い。『東京物語』『八月の鯨』も良かったが、ベスト1はベル イマン監督の辛辣な傑作『野いちご』だろう」

 「岡本喜八監督の4年ぶりの作品『大誘拐』は、久々に気持ちのよい邦画だった。映像 テンポの絶妙さ、脚本の見事さ、北林谷栄をはじめとする俳優の的確な配置、どれをとっ ても職人芸といえる水準だ。肩の凝らない娯楽作に仕上げながら、自由な若々しい感覚と 深い反戦思想が盛り込まれている」「前作『ジャズ大名』のぶっとんだジャム・セッショ ンの迫力とはまた別に活動屋としての仕事ぶりを見せてくれた」

 「デビッド・リンチの『ワイルド・アット・ハート』は、カンヌ映画祭でグランプリを 取ってしまった」「邪悪なリンチは、ついにカンヌまで罠にはめてしまった。『オズの魔 法使い』を下敷きに、観客が喜びそうな選曲、ハッピーエンドで締めくくる」「フリーク 達が次々に登場し、むきだしの暴力が充満しながら、リンチ独自の美意識に貫かれている のは見事だ」

 「マイナーな部分を捨ててメジャー化するのではなく、マイナーな感性のままで、歪ん だイメージをバランス良く埋め込んでいく。離れ業といえる」「よく考えてみると、ヒッ チコック、小津安二郎をはじめ名監督の作品には、どこかで妙にねじれた感触がつきまとっている」


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『ザ・ガーデン』は、デレク・ジャーマン監督の最も清明な作品だ。特に、最後のシ ーン、食卓を囲んだ人達が、紙を燃やし、舞い上がった紙が灰となって再び各自の手元に 帰ってくる美しい場面は、タルコフスキーの静かな強さに匹敵する」「一列に並んだロマ 民族の女性たちが、海を背景にグラスハープを奏でるシーンも忘れがたい。ジャーマン自 身が海岸から拾ってきた石、流木、骨などで作った箱庭など印象的な場面が多く、とりわ け冒頭10分間は、圧倒的な美の密度に瞠目してしまった」

 「前作の『ラスト・オブ・イングランド』は、メジャーを目指した『カラバッジオ』の 安定を自ら否定し、終末への予感に苛立ち、怒りをあらわにしていた。私は『ラスト・オ ブ・イングランド』の錯乱寸前の危機感を愛する」「『ザ・ガーデン』も、原発の街・ダ ンジェネスを舞台にした文明論的な反原発映画だが、軽やかな温かい空気が流れ、優しい 気持ちにさせる。何かを突き抜けた明るさに満ちている」

 「『ロザリンとライオン』(ジャン・ジャック・ベネックス監督)は、あまりにも映画 的なシーンに満ち溢れている。スタントなしのライオンの調教という危険性は、それだけ で映像に緊張が走る」「ラブ・ストーリーは重要じゃない。映画は、ラストの10分間に 向かって緊張を高めていく。そして、稀にみる華麗なライオン使いのシーンが登場す る。ベネックスの官能的な映像が、一気に開花する」「私も久しぶりに、くらっときた。 ライオンをあやつるイザベル・パスコの硬質な美しさ」

 「『ニキータ』(リュック・ベッソン監督)のアンヌ・パリローの演技も、訓練に訓練 を重ねたものだ。銃の扱いが板についている」「ベッソンは、ストーリーよりも映像の力 で観客を引っ張っていくタイプの監督。イルカ男を描いた前作『グレート・ブルー』の海 の美しさは、他の追従を許さない。最も素晴らしい海洋映画だと思う」「今回は、物語に も力を入れ、ニキータの成長を追った。だが、内面まで丁寧に表現できたとはいえない。 ラストの肩透かしはベッソンらしいとはいえ、疑問が残る」

 「『逃亡者』(マイケル・チミノ監督)は、だんだん監督があわれになっていく作品。 チミノといえば、『天国の門』(80年)に象徴されるように、雄大な自然を背景に、アメ リカの開拓時代の暗部を冷徹な視点でじっくりと描いていくような、大作タイプの監督だ と思う。人質救出の息詰まるような求心力を必要とする作品には、向いていない」「映像 が外に逃げたがっている。ミッキー・ロークも頭脳明晰な犯人役には、しっくりこない」

 「『ドラッグストア・カウボーイ』(ガス・ヴァン・サント監督)は、期待したほどに は、楽しめなかった。サント監督には、もっとプライベート・フイルム風の映像を多用し 、交錯した空間を創造してほしかった。その意味では、予告編の方がずっと優れていた」 「薬物中毒の神父役を演じたウイリアム・バロウズの朽ち果てたしゃがれ声が、何時まで も耳に残った」「麻薬常用者役のケリー・リンチは、『逃亡者』にも弁護士役で出演して いたが、弁護士役の方がはるかに切れていたのは、面白かったな」


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 「たゆたう感情の細やかな織物。『櫻の園』(中原俊監督)は、そんな映画だ。あまり にも懐かしく、気恥ずかしい気持ちにさせられる」「創立記念日には、毎 年チェホフの『櫻の園』を上演する女子高生による集団劇。一人ひとりの女子高生が、活 き活きと、しかも一つの典型として描かれている。そのありのままさは、たまらない魅力 だ」「かつて、青春の混沌と暴力性を一切の説明なしに描き切った『台風クラブ』(相米 慎二監督)と同様の困難な仕事だ」

 「『櫻の園』と評価を二分した『つぐみ』(市川準監督)は、少女たちのかけがえのな い時間への思い入れが、幾分鼻についた。それは、やはり中年の男性が監督したという制 約からだろう。幸い、中原監督は若かった。だから、綿菓子を握りしめることなしに、映 像に定着できたのだろう」  「桜は、とても映画的だ。多くの監督が桜を撮ってきた。私は、鈴木清順や相米慎二の 桜を愛しているが、中原監督の新しい軽みの桜も捨てがたい」「これからの映画は、求道 的なテーマを持たず、『櫻の園』のように一つの壊れやすい時間をすくい上げていく作品 が増えてくるのだろうか」

 「『櫻の園』と対照的な位置にあるのが『地下の民』と言える。ボリビアのウカマウ集 団が、89年に製作した。主人公のセバスチャンは、先住のインディオ出身だが、それを隠 しながら生きていた。かつて、村を裏切り、軍事クーデターの手助けをし、村を追放され た男。だが、彼は自分の過去を悔い、村に帰って死の踊りを踊りながら死んでいく」「『 第一の敵』以来、何本かウカマウ集団の映画を観ているが、これほどアンデスの神話的世 界を前面に押し出した映画は初めてだ。村の人々さえ忘れかけている古い儀式・死の踊り の中で死ぬセバスチャンは、再生し自分の埋葬に立ち合う。この場面を、安っぽい結末と 受け取るか、切実な再生とみるかで、映画の評価が分かれるだろう」

 「映像は、ノーカットのシークエンスで統一されている。通常の映画にあるリズミカル な編集を『断片化』として批判し、不器用に見えるほど長回しを多用している。それは、 アンデスの山々、風の音、荒野とともに独特な内省的な空間を開く。映画を観ながら一人 ひとりが、自分と向き合えるゆとりを生み出すこと。この方法論は『旅芸人の記録』のテ オ・アンゲロプロス監督も主張し、一つの確固とした美学を築いている」「ウカマウ集団 の場合は、まだアンデスの風土に助けられているような拙さがある。しかし、それが持ち 味ともなっているのは、一徹さの故だろうか」

 「『女がいちばん似合う職業』(黒沢直輔監督)は、なかなかの出来ばえ。映像的には タルコフスキーのパロディのような奇妙な作為が目立つが、ストーリーは見事といえる」 「もう二度と自分のような人間が生まれてほしくないという思いから、妊婦殺しを続ける 孤独な青年を、岡本健一が熱演。その思いを受け止め、彼の子を身ごもりつつ、彼と対決 する女刑事・桃井かおりの苛烈な凄味。彼女が青年を射殺したあと、彼の子を産み、育て ていく場面には降参した」「あまりにも、リアリティがない、という批判はあるだろうけ れどね」


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 「『ゴッドファザーPART3』(フランシス・フォード・コッポラ監督)は、待ちか ねていた人もいるだろうが、私にとっては腑に落ちない作品だった。『PART2』は、 各場面とも充実し、映像に艶があった。多くの名シーンが脳裏をよぎる。『PART1』 を引き継ぎ、見事に完結していた。だから『ゴッドファザーPART3』製作のニュース を聞いた時、蛇足ではないかと思ったが、その予感は当たっていた」「なにせ、動きが思 わせぶりで重すぎる。全編に悲壮感がただよい、胸に染みるものの『PART1』『PA RT2』ほどの感銘はなかった」「『ゴッドファザー』シリーズは、家族愛を強く打ち出 している。最近、家族や民族といった自己選択の余地のないものにアイデンティティを求 める傾向が強まっているのは、気になる」「それを絶対化し始めると危険だ」

 「『シャルタリング・スカイ』(ベルトリッチ監督)は、期待が大きかった反動で、落 胆も大きかった。奇跡のような砂漠の美しさ、坂本龍一のシャープな音楽。それだけで、 満足しなければならないのかもしれないが」「しかし、あまりに空虚なままで狂気に陥っ ていく2人の恋愛劇は、納得できない。淀川長治さんは絶賛しているが、世界に対する2 人のおびえは、時代背景を考えても不自然ではないか」「ドイツ人親子を、あそこまで歪 めて描いた意図も理解しかねる」「砂漠のあまりにも秀抜な映像が、男女の愛の葛藤と響 き合わずに終わってしまった。エロティックな砂の表情に対し、人間たちが虚ろすぎる」

 「映像美では、タヴィアーニ兄弟の『太陽は夜も輝く』も特筆もの。これまでのどの作 品よりも情感に満ち、豪華だと思う。ただ、宗教色があまりに強い」「このところ、禁欲 的なキリスト教倫理をテーマにした作品が多い。時代に対する危機感を反映し、新しい倫 理を模索する一つの試みだろうが、復古的なスタイルは感心しない」「映像には魅力があ るものの、テーマは納得できない」

 「その点『レナードの朝』(ペニー・マーシャル監督)は、重いテーマをユーモアで包 み、さりげなくしかしきめ細やかに人間を描いていて、共感できた。デ・ニーロ、ウイリアムズ の熱演を評価する声が多いが、レナード・ロウの少年時代を演じた子役もたいしたものだ った」「一部に、デ・ニーロの演技をクサイという人もいるが、『レインマン』のダステ ィ・ホフマンよりは上出来だろう」「嗜眠性脳炎患者たちが、パーキンソン氏病の新薬の 力で69年に次々と意識回復するが、ほどなく病状は悪化し再び元の状態に戻る。その後、 他の患者にも薬を投与するが、69年のような効果はなかった」「この物語は実話。だから こそ『何故69年なのか』と思わず象徴的な意味を見いだしたくなる。だが、マーシャル監 督は何も語らない」

 「ジャン・ルノワール監督の『黄金の馬車』は、すごい作品だ。映画の中の映画だとい う評価は大げさではない」「こんなに映画の至福を詰め込んだ名作が、これまで日本で公 開されていなかった不思議。しばらくは、観た者だけの幸せに浸って、これ以上は語らな いことにしよう」


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 「『ダンス・ウイズ・ウルブス』(ケビン・コスナー製作・監督・主演)は、一部の展 開に難点はあるものの、今後の同種映画に確実に影響を与えるであろう記念碑的な作品と 言える」「アメリカ映画は、総体として他者を描くことを苦手としてきた。『ダンス・ウ イズ・ウルブス』も、オーストラリアの先住民族アボリジニを描いた『緑のアリが夢見る ところ』(ヘルツォーク監督)に比べると、両者の高い壁の越し方がスムーズすぎるとい う感じはある。しかし、スー族の側から白人の醜さを描くことには、ほぼ成功している」

 「コスナーの映像は、真正直な視線で雄大な大地、動物、人間を写す。前半は、ゆった りとしたペースが多少気になるが、バーファローの大群が登場する圧倒的なシーンの後は 、ぐいぐいと引きずりこまれる」「スー族になったためにスー族のもとを去らねばならな い例外的な白人の生きる痛みが伝ってくるラストもいい」「93年は国際先住年。日本でも アイヌ新法制定の運動をはじめ、先住民族の権利回復を求める動きが強まっている。日本 においても『ダンス・ウイズ・ウルブス』に近づきうる作品が生まれるというほとんど絶 望的な願いを持ってしまうよ」

 「大林宣彦監督の『ふたり』は、実にていねいに仕上げている。最近はやりの甘ったる い幽霊ものには批判的だが、妹の石田ひかりが、死んだ姉・中嶋朋子との対話をしながら 成長していく自然な展開には、胸を熱くした」「片方が死者にならなければ、心優しい 物語が成り立たないほど、現実の人間関係は極限的に不毛なのだろうか。大林監督の作品 が、感傷的になっていくのは、現実がますます乾ききっているからなのか」「職人芸の裏 に、切実な危機感を感じるね」

「映画版は、90年11月にNHKで放映されたテレビ版より1時間長い2時間30分。これ までの大林作品で最も長い。個人的には、リレーのシーンはカットしても良かったと思う な」「池上季実子、薬師丸ひろ子、原田知世、富田靖子、鷲尾いさ子と、いつも少女を活 き活きと描いてきた大林監督だが、石田ひかりはその中でもピカ一の出来だろう。『ふた り』は、『転校生』『さびしんぼう』と並ぶ大切な映画になった」

「超満員のなかで観た『僕は天使じゃないよ』(あがた森魚製作・脚本・監督・主演) は、74年の作品。友部正人、三上寛、泉谷しげる、大瀧詠一らの若い姿に出会えて懐かし かった」「しかし17年の間に、この作品の持つ毒は、かなり中和されてしまった。70年 代前半、『赤色エレジー』はまさに反時代的なインパクトを持っていたが、現代は各時代 のモードがファッションとして巧みに毒を抜かれ消費されている。この映画も、その中に 組み込まれる危険が大きい」「いわゆるおしゃれな映画だね」「寺山修司もたえずブーム として回顧されるだろうけれど、同じ74年製作の『田園に死す』の生身の身体に幾重にも折り込まれ官能的な悪意の方が、まだ輝きを失わないと思う」


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『八月の狂詩曲』(黒沢明監督)を観ると、どうしても『生きものの記録』(55年) と比較してしまう。36年前に公開された『生きものの記録』は、核戦争、人類滅亡の危機 意識を鋭く描き、核状況下でいかに生きるかを、監督が切実に問いかけた作品。家父長制 の崩壊も併せて描いていたのが、秀抜だった」「あの迫力は、いま観てもすさまじい。現 在よりもはるかに核戦争の危機、放射能に敏感だった当時の観客は、この映画の迫力にた じろいだはずだ。興行的な失敗の原因はそこにある」

 「時間の経過を感じるね。30作目の『八月の狂詩曲』には、その生々しい切迫感は希薄 だ。黒沢明の映画にしては、凝縮性、緊張感も乏しい。会話は、反核をストレートに主張 しているものの、紋切り型に陥って教育映画に近い。心の深い所に響いてこない」「でも 、不思議なすがすがしさが全体を包んでいる。メッセージの切実さも疑う余地がない。雲 、花、水というこれまでの黒沢的な象徴が清冽な形で登場する。そして、すべての調和を 打ち破るラストシーン、雨のなかを走る老婆の衝撃力に嘘はない」

 「『鉄男』で映画界に多大なショックを与えた塚本晋也監督の新作『妖怪ハンター・ヒ ルコ』は、さまざまな要素が独自のタッチで盛り込まれた、新しい青春映画と言えるだろ う。『鉄男』の迫力を期待した向きには、やや物足りないだろうが、この監督の幼心と未 発のキャパシティを感じさせる」「沢田研二の好演のほか、ヒルコ役の上野めぐみの落差 に満ちた演技が印象的。ヒルコが歌う『月の夜は』という歌『金の糸がそよぐ、やさし、 やさし調べ』というフレーズが、何時までも頭のなかで繰り返されていた」

 「公開間際になって急に注目された感がある『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ監督)。私は原作を読み、映画 化のニュースを聞き、完成を首を長くして待っていた。トマス・ハリスの小説は、実に良 く練られた作品で、軽々しく原作を超えたなどと言うべきではない。二時間作品なので、 小説のような細部の深みは期待できないものの、映像的なインパクトと巧みな抑制で、原 作と並ぶ出来ばえ、質の高い作品になった」「ただ、ハニバル・レクター博士役のアンソ ニー・ポプキンスは、もう一歩奥深い歪みを表現できなかったか。ジョディ・フォスター も、経験の少ないクラリス・スターリングの弱さをもう少し出せなかったか」「でも、二 人が初めて会話するシーンは、監督の巧さにうなったよ。器用すぎると思えるくらいに」

『シラノ・ド・ベルジュラック』(ジャン・ポール・ラプノー監督)は、エドモン・ロスタンの戯曲の映画化。私は、エスプリの利いた現代 版パロディ『愛しのロクサーヌ』(フレッド・スケピシ監督・87年)の方を先に観てしまっているので、原作の正統 的なダンディズムには感心した。久々に、生き方を正面から問う作品に出会った」「シラ ノ役のドパルデュー、ロクサーヌ役のアンヌ・ブロジェとも、当時の雰囲気を作りだすこ とに成功している」「それにしても、言葉、レトリックが力を持っていた時代をうらやま しく思った」


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『ざくろの色』(セルゲイ・パラジャーノフ監督)は、私に一生のうちで幾度もない 衝撃を与えた。あまりの感動で吐き気がしたほどだ」「18世紀のアルメニアの詩人・サヤ ト・ノヴァの生涯を『詩的世界の心象を映画という手段で伝えようとした』作品」「膨大 な書物を乾す少年時代、王妃と恋をする青年時代、羊たちがあふれるカザロス大司教の死 、甘美な詩人の死。どのシーンも静的な構図を基調に完璧なまでの美的空間を形成してい る。その凝縮度は圧倒的だ」

 「めくるめく鮮烈な色彩はホドロフスキーに似ているが、いかがわしさは微塵もない。 切実さによる清明感はタルコフスキーに匹敵するが、妙な殉教者の気負いはない。そして 、邪心のない柔らかなユーモア。さまざまな文化が交差するアルメニアの土壌を生かしつ つ、文化が溶け合い、静けさのなかにとてつもないエネルギーを秘めた映像に結実してい る」「パラジャーノフは、90年7月20日に61歳で死亡している。昨年まで生きていなが ら、その存在さえ知らなかった自分が無念だ」

 「今、寺山修司の映画も連続上映されているが、さすがの寺山もパラジャーノフの前で は、色あせてみえる。3作品が上映中のピーター・グリーナウェイは、人間に対する悪意 が映像の隅々にまで浸透していて、ブニュエルとともに私の好きな監督だが、パラジャー ノフのイノセントな美しさの前では、沈黙しなければならないのかもしれない」「映画の 空間は広くて豊かだね」

 「日本の作品では、金井勝監督の『時が乱吹く』に胸を打たれた。友人への追悼の思いを屈折したユーモアと詩的映像によって見事に表現していた。手作りながら職人的編集技術を生かし、驚くほどの水準だ」

 「宮崎駿、高畑勲コンビによる注目の新作アニメ『おもひでぽろぽろ』は、残念ながら成功作とは言いがたい。技術的に新しい試みは評価できるし、映像水準の高さも疑いないが、ストーリーは全く説得力を持たない」「小学5年生時代は、原作の良さがうまく表現されていた。しかし、現代を描いた27歳の主人公・タエ子の動きは、どこかぎこちなく、作り物めいている」

 「タエ子は、自分が小学5年生の時と同じ過渡期にあると自覚する。しかし、その自覚 が農村青年との結婚へとストレートにつながる点が理解できない。都会にとって、田舎は 確かに自分の暮らし方を相対化させる力を持っている。だが、そこから自己確立までの道 は長い。その困難性に対する自覚がないと、時として危険な映画になる」「ある面で、女 性差別ととられかねない。農村の花嫁不足がいくら深刻だとはいえ、これではキャンペー ン映画に等しい」


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 「今月もセルゲイ・パラジャーノフの作品を取り上げる。『アシク・ケリブ』(88年) は、ペレストロイカ以降に製作した唯一の長編。ミハイル・レールモントフのおとぎ話をもとにした恋愛劇。複数の民族文化を取り込み、濃密でエネ ルギーに満ちた作品だ。その祝祭的な雰囲気はフェリーニを連想させる。特に美術は高く 評価していい。しかし、その動的な映像の緊張は静的な『ざくろの色』に及ばない。ストーリー展開も、 あきれるほど単純で、私達にはあまり説得力がない」「ただ、アゼルバイジャン語の台詞にグルシア語のナレーションという試みに、他には見られない現在性がある」

 「『スラム砦の伝説』(84年)は、獄中から解放されたパラジャーノフが初めて手掛け た。『アシク・ケリブ』の物足りなさを忘れさせてくれる出来映え。絶妙な色彩と構図の 連続。躍動と静謐のバランスは、見事というほかはない」「『火の馬』(64年)は、この 監督の実質的な長編処女作。ウクライナの作家コチュビンスキーの小説をもとにしている。みずみずしさと実験精神と耽美志向が一体となって、独自の世 界を開いている」「パラジャーノフの作品では、最も入りやすい作品だろう」「映画的に は、あるいは『スラム砦の伝説』が上かもしれないが、『ざくろの色』には、奇蹟的とも言える浄化力があった」

 「札幌でシネマ5とシネマロキシが、8月25日に閉館したが、最後に日替わりメニューで連続上映し、意地をみせた。『マッチ工場の少女』(アキ・カウリスマキ監督)は、フィンランドの作品。地味で陰気な少女イリスが主人公。淡々とした映像に込められた嵐のような情念とブラックなユーモアがすごい」「『インド夜想曲』(アラン・コルノー監督)は、不思議な感触を残して終わる。ストーリー展開には不満も残るが、見事な映像美と魂の浮遊感は忘れ難い」「いずれも、観客を信じきった作品だった」


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 「『戦争と青春』(今井正監督)は、初の市民プロデューサー(資金公募方式)で製作 された。5億円の費用のうち3億円は通常の形で調達できたが、2億円分がどうしても足りなかったとき、荒木敬二郎氏の履く案で市民出資の募集が決まった。当初は応募も少な かったが、湾岸戦争の勃発で出資が急増、ついに目標を超えた。反戦映画の製作を、湾岸 戦争が『助けた』形になったのは、なんとも皮肉だ」「市民一人ひとりの思いがバックに あるだけに、緊張感に満ちた作品に仕上がっている」

 「重いテーマを巧みにやわらげているのは、工藤夕貴の起用だ。彼女の一途さと軽さが 溶け合った独特のキャラクターがなかったら、かなり印象の違った作品になっただろう」 「私もかねてから彼女の不思議な力に注目してきた。石井聡互監督の激烈スラプスティックなホームドラマ『逆噴射家族』やジム・ジャームッシュ監督のユーモラスな優しさに満ちた『ミステリー・トレイン』など、日本の女優には珍しい開放力がある。閉じようとする空気を外に解き放つ得難い魅力」

 「空襲で子供を失った咲子を中心に描きながら、被害者意識を強調するのではなく『日 本は海の向こうで多くの咲子を生んできた』と加害者の視点を貫いているのには、感心し た。東京大空襲の場面が、ふいに湾岸戦争の空爆のシーンと映像がだぶり、湾岸戦争に加 担した日本の責任の重さにたじろいだ」「映画としての美しいシーンもあった。単に愚直 なだけの映画ではない」

 「『ターミネーター2』は、『戦争と青春』の30倍近い制作費。史上最高だという。キ ャメロン監督らしい母親の映画だ」「『エイリアン2』との類似はいくらでも挙げること ができる。強い母の強調、『1』で敵だったロボットが『2』では味方になる。同一ヒロ インの起用。一方、液体金属のアイデアは『アビス』の水のテクノロジーとつながってい る」「特撮は感嘆すべき水準、ストーリーも見事だが、テーマ自体は甘ったるいものだ。 自己犠牲というのもどうかな」「言葉では反戦をとなえながら、観ている人の感性は戦闘 シーンの魅力に浸らせるという『あざとさ』にも閉口した」「身体と機械の微妙で複雑な 関係に立ち入ってほしかった。私たちは、すでに半分サイボーグ化しているのだから」

 「毒のないキャメロン監督の映画を観た後には、久しぶりに劇場公開されたルイス・ブ ニュエル監督の『黄金時代』『糧なき土地』で気分を変えた。今も毒を放つ、とんでもない映画だ」「『黄金時代』はその痛烈な社会批判故に、1930年当時には衝撃的な事件が起こるなど、大きな反響を呼んだ。驚くべきことに現在でも、その批判力は失われていない」

 「1972年7月、36歳の若さで爆殺されたパレルチナを代表する作家ガッサン・カナ ファーニ原作の『太陽の男たち』(タウフィー・サーレフ監督)は、さまざまな思いをい だいて密入国を企てた男たちが、隠れたタンクの中で熱死してしまう、何ともやりきれな い映画」「中東の太陽の非情さが、当時のパレスチナの閉塞を象徴している。日本の夏は 、うだるような湿気に満ちているが、中東はあまりにも乾ききっている」


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「ピーター・グリーナウェイ監督の映画は、観客に感情移入を許さない。常に距離を置 く。それでいて、映像は十分に誘惑的だ。美しい悪意が漆のように幾重にも塗り重ねられ 、独自の光沢を魅せる」「どれほど精密に多くの謎を組み込むか。彼は全力を挙げて真剣 に遊んでいるね」「『ZOO』『建築家の腹』『数に溺れて』『コックと泥棒、その妻と 愛人』。グリューナウェイの仕掛けは、ますます手が込んできた。そして『男を殺し、そ れによって活力を得る女たち』という強迫的なテーマも鮮明になってきた」「そのマゾヒ ズムは、美女惨殺を好むダリオ・アルジェンドのサディズムと裏表の関係にある」

 「さて、前振りが長くなったが、『画家の契約』(82年)と呼ばれてきた長編映画第1 作が、『英国式庭園殺人事件』の邦題で、待望の札幌公開された。庭園の美しさを定着さ せた映像は、まぶしいばかり。構図の完璧さ、細部へのパラノイア的執着、虹のように精 緻な毒。彼の持ち味が、すべて出そろっている」「しかし、知的なあまり、すべてを構図 のなかに回収してしまう物足りなさはある。外部への不気味な出口があるデビッド・リン チとの決定的な差異だ」「ただ、果実のシンボリズムや道化役のグリーンマンが、どうも 中途半端だった。当初3時間半あった作品を編集しなおして約半分に圧縮したためだろう か。全長版ならグリーナウェイの重層的企みがより鮮明になったはずだ」

 「石井聡互監督の映画を、久しぶりに劇場で観た。『シャッフル』(81年)と『アジア の逆襲』(83年)。『狂い咲きサンダーロード』(80年)、『爆烈都市』(82年) 、『逆 噴射家族』(84年)という傑作の間の年に製作された作品。両方とも30分ほどの中編だ が、観終わって打ちのめされたような疲れを感じた。彼の暴力的な映像と対峙するには、 こちらも相当なパワーを必要とする。全身でぶつかり感覚変容を味わう」

 「内田栄一は、『妹』『パージンブルース』『スローなブギにしてくれ』『水のないプ ール』などの脚本を手掛けてきた。『きらいじゃないよ』は、内田氏の第一回監督作品。 カラーで撮影した後に、モノクロで現像した画面は、曇りつつもクリアさを失わない独特 の映像を生み出している」「はじめの30分はいかにも退屈。平凡な青春映画になって いる。こんなはずじゃない、今に内田色が出てくると思いながら待っていると、急激にシ ュールな展開に変わる。崩壊のスピードの速さ。特撮を使わなくてもこれほど幻想的なシ ーンが撮れるのかと感心した」「一つひとつのアイデアは、内田氏らしい風格を備えてい る。さすがだ」「内田氏は、山本政志監督の『聖テロリズム』を観て、8ミリ映画に興味 を持ったという。山本氏は内田氏を『アホの師匠』と呼んでいる。なかなか、うらやまし い関係だね」


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「竹中直人監督第1作品『無能の人』は、91年邦画最大の収穫だ。バブル経済が崩壊し 日本画ターニング・ポイントを迎えつつある今、生産中心主義、大量消費主義を撃つとい う時機を得たテーマを取り上げている」「つげ義春の原作『無能の人』を自家薬籠中のも のとしながら、竹中直人的なユーモアをしっかりと組み込む力量は見事だ。『生きている ことの恥ずかしさ』『生きることのいとおしさ』が滲み出た佳品に仕上がっている」

 「原作では第2話にある『散髪をしていてつくづく思うのは、無限に生えてくる髪の毛 を捨ててしまうのはじつに勿体ないことである』を冒頭に持ってくることで、原作よりも スムーズな導入に変わった。このほか、巧みな変更で展開が自然になった」「その分、原 作の持つ独特な脱臼感は、薄れてしまった」

   「風咲ジュンの好演も特筆に値する。『蘇える金狼』ではいくぶん背伸びしていたが、 今回はしっかり土に足が着いた演技をみせた。女優としての成熟を感じる。そのほか、本 木雅弘、泉谷しげる、井上陽水らの友情出演の多彩さも稀にみる事件だ」「現代が忘れか けていたベーシックな生き方、その重要さを、押しつけがましくない形で気づかせてくれ る」「ただし、ラストの凡庸な家族愛は蛇足だと思う」

 「『泣きぼくろ』(工藤栄一監督)は、中途半端なロード・ムービーで、展開も不自然 だ。これに比べれば、正月帰郷が事故続きで予想外のロードムービーになってしまう『渋滞』(黒土三男監督)の方が、よほどリアルだと思う」

 「山田洋次監督の『息子』も久々の傑作。寅さんシリーズが、パターンの魅力の映画と すれば、この作品は凝縮と抑制の映画といえる。90年日本を描き、観る者を引き込みつつ 最小限の展開で終わる。各自は映画が終わった後、心のなかでそれぞれの物語をつづらさ゛ るをえない」「人々の感情の起伏が心地よく、しみじみとした気持ちが長く残った」

 「『コルチャック先生』(アンジェイ・ワイダ監督)も名作と言っていいだろう。白黒 の落ちついた、それでいて艶のある映像。場面を的確に盛り上げる音楽。一切の美化を遠 ざけ、静かに淡々と描くことで、歴史的な事実の重みが、どれほど心の奥に響くことか」 「ラストの幻想シーンは、悲惨な否定しえない現実に裏打ちされていなければ、単なる逃 避になるが、ワイダはそこに表面的な歴史を超えたリアリティを込めることに成功してい る」

 「『木靴の樹』(エルマンノ・オルミ監督)に、やっと劇場で会えた。期待を裏切らな い秀抜な映像。緑を中心に北イタリアの農村風景、人々が冴えわたっている。出演者は皆 農民。子供たちも愛くるしい」「この作品のいとおしさは、観た人が静かに味わうものだ ね」

 「『テルマ&ルイーズ』(リドリー・スコット監督)は、期待外れだった。後半のニュ ーメキシコの風景の美しさはさすがというほかないが、ストーリーは10年古い」「フェ ミニズム映画との評価があるが、フェミニズムの現在的な地平とは相いれない。古いパタ ーンの活劇だよ」「『仮面の情事』(ペーターゼン監督)は、ひと癖ある配役だが、最初の20分でオチが分かってしまった」「こんな決まりきったオチで満足しているのだろうか」


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