カチンコのアニメkinematopiaの3Dロゴですカメラマンのアニメ

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 「『A』は、オウム真理教をテーマにしたドキュメンタリー。『しがらみ学園』(黒沢清監督)、『シャッフル』(石井聰互監督)に出演、『喜談南海変り玉』(長嶺隆文監督)に助監督として参加した森達也が監督。『豚鶏心中』(松井良彦監督)、『闇のカーニバル』(山本政志監督)の制作を担当、『ゆきゆきて神軍』(原一男監督)に演出助手として参加、『追悼のざわめき』(松井良彦監督)をプロデュースした安岡卓治が製作に加わった。森、安岡両氏の経歴をみると、過激な毒に満ちた作品を予想しがちだが、自らの無力を意識したような控えめな淡々とした内容だった」

 「大量の冷静さを失った映像が流されたオウム事件。そんな中でオウムの傍からカメラを回し、映像を記録した姿勢は本当に高く評価すベきだ。その点は強調しすぎるということはない。しかし、時たま信者の言葉を冷やかすことで、距離を演出しているものの、立場性が今一つ明確ではない。オウム事件に第三者はあり得ないにもかかわらず、記録者の切実な問い、痛みが伝わっていない」「マスコミの非常識さ、警察の不当さ、市民の人権意識の低さは見えてくるが、オウム信者の内面に切り込めたとは思えない。」「『信者も普通の人間』という水準を超えていないのではないか。食事のシーンなどの日常を描くだけでなく、彼等の抱える深い危機意識もとらえられたはずだ。記録者と信者の具体的ないさかい、対立が全く描かれていないことも映像の緊張を乏しくしている原因だろう」「この作品が信者獲得に利用されているということ見逃せない」

 「『パーフェクト・ブルー』(今敏監督)は、アイドルをめぐるサイコ・サスペンス。ぞくぞくするほどリアルな素材だ。日本の現在から生み出され、世界的な共感を呼ぶテーマだろう。サイコものは、生身の人間が演じるからこそ、観ている者に恐怖が伝わる。アニメで恐怖を増幅していくことは至難の業だ。そのことを十分認識した上での確信犯的に試みだろう」「予想通り、厚味のある恐怖は映像から感じられなかった。しかし実写では困難なほど切れのあるスリリングさと、めくるめくような迷宮化が実現していた」「精神の錯乱が伝搬し共振し増幅していく。そのリアルな触感が、確か編集力によって誕生する驚き。一件落着したように見えながら、数々の謎が残る」「不気味だ」

 「『黒の天使vol1』(石井隆監督)は、葉月里緒菜の魅力が全開。これまでの代表作といえそう。高島礼子も汚れ役に挑戦し熱演している」「石井作品は追い詰められた女たちの存在感が素敵だ。ギラギラしている。今回も、全く救いのないところに追い込んで苦しめ続ける。日本の浄瑠璃の世界に通じそう」

 「『コレクター』(ゲイリー・フレダー監督)は、出だしのタイトルが凝っていて期待させたが看板倒れ。サイコ的な深まりも、ストーリーのひねりもなさ過ぎる」「見どころはアシュレイ・ジャッドの脱出場面の迫力だけだね。あとは、面白くなかった」

 「『絆』(根岸吉太郎監督)は、最近では珍しい男くさすぎる映画だ。実業家・役所広司と刑事・渡辺謙の息詰まる駆け引きが得難い雰囲気を醸し出している」「その分、どうしても美化される危険はあるけれど」

 「『アルビノ・アリゲーター』は、ケビン・スペイシーの初監督作品。密室もの。犯人と人質との駆け引きは、なかなか迫力がある。結末は予想もしないというよりは、強引な感じがした」「マット・ディロンとゲイリー・シニーズはいい味出していた。斬新というよりは、かちっとした佳品を目指したのかもしれないね」

 「『ツインタウン』も、ケヴィン・アレンの第1回監督作品。悪ガキ兄弟が、暴力のテンションを高めていく。最後は復讐し生き残る。めちゃくちゃな展開に見えて、すべて計算されている」「そこに才能を感じるとともに、ある物足りなさも感じる」

 「『ジューンブライド 6月19日の花嫁』(大森一樹監督)は、周期的に記憶を失いつづける富田靖子の七変化を楽しむだけ。それなりに気持ちの良いテンポで物語が転がっていくが、叙情に流され過ぎる。選曲も甘ったるい。サスペンスとしては、失格」「富田靖子の演技も『キッチン』などに比べ浅い。もっと凄みが出せたように思う」

 「『アサシンズ』は、『憎しみ』でパリの青年たちの焦躁感をモノクロの映像に深々と焼きつけたマチュー・カソヴィッツ監督の新作。ボケが始まりかけた年老いた暗殺者は、何とか後継者に自分の技術と暗殺者の倫理を伝えようとする。しかし、暗殺者の古めかしい職人的な倫理は、青年にはまったく伝わらない。そして躊躇が残る25歳の青年を飛び越し、機械的な殺人という点で老人と13歳の少年はつながる。しかし、その動機はまるで違う。三世代の孤独と断絶を描いた血なまぐさいブラックユーモアと呼んでいいかも知れない」

 「暗殺者の圧倒的な存在感や銃弾の重さが伝わってくる描写、そして青年の銃殺による唐突な展開には、監督の力量が発揮されている」「ただ、『憎しみ』に比べ、監督の腰が座っていないように感じた。暴力描写に対するマスコミの批判が、相当にこたえているのだろう。だからといってテレビの俗悪さや危険性を映画の中で説明しても、力のある作品にはならない。現実の人間同士の生々しい暴力を見据え、それを映像に定着してほしい」

 「『a.b.cの可能性』(パスカル・フェラン監督)は、博士論文をまとめている向こう見ずな性格のアニエスをはじめ、ベアトリス、カトリーヌ、ドゥニーズ、エマニュエル、フレデリック、ジェラール、アンリ、イヴァン、ジャックと、AからJまでの多彩な10人の青年の日常を淡々と描きながら、彼等の焦り、不安を控えめなタッチで浮き彫りにした青春映画。10人の人間関係を自然にまとめ上げた脚本は、それ自体としては確かに良く出来てはいる」「しかし、あまりにも平凡な展開で眠気に襲われた。隣の人は帰ってしまったよ。そして、唐突に楽観的な結末がやってくる。いくらお人好しでも、この陽気さにはついていけないだろう。青春て、こんなにやわなものだったのか。現代の悩みって、こんなに簡単にふっきれるものか」「パスカル・フェラン監督が嫌いなタランティーノ作品とは別な意味で、虚構に満ちた閉鎖的な作品だと思うね」

 「ドイツ映画『ビヨンド・サイレンス』(カロリーヌ・リンク監督)は、聴覚障害の両親から生まれた娘がクラリネット奏者を目指す物語。父親とその姉の確執も加わり、音楽をめぐる葛藤が描かれていく。少女時代のララ役タティアーナ・トゥリープが可愛い」「なかなか興味深いテーマだったが、もう一歩踏み込みがほしかった。試験会場で親子が簡単に和解してしまったので、小さくまとまり過ぎたように感じた」

 「『ブルースブラザース2000』(ジョン・ランディス監督)は、18年前の『ブルースブラザース』への最大級の愛情に満ちている。参加した人たちが慈しみながら楽しみながら作った、その感触が伝わってくる。しかも、ブルースという音楽の原点を確認することで人々が結びつく、前向きで希望に満ちた作品だ」「大世紀末を迎え、破局的なテーマの映画が多くなる中で、あっけらかんと2000年を標榜してしまうテンションに、拍手を送りたい」「パチ、パチ、パチ」

 「ストーリーのいいかげんさ、都合の良さは、遊びとして割り切られているので、何の違和感もない。前作をなぞるような出だしから、徐々にボルテージが高まり、ジェームズ牧師の伝導集会での劇的なケイブルの変身で、お祭り騒ぎはひとつの頂点を迎える。快感。そして、最後の勝ち抜きバンド合戦でブルースブラザースと対戦するルイジアナ・ゲーター・ボーイズの豪華メンバーの歌と演奏に恍惚となる」「私も久しぶりにいってしまった」

 「『傷心 ジェームズ・ディーン 愛の伝説』(マルディ・ラスタム監督)は、ファンが怒るのではないかな」「映画のチラシに、キャスパー・ヴァン・ディーンがこの作品での演技が高く評価されて「『スターシップ・トゥルーパーズ』」(ポール・バーホーベン監督)の主演に抜てきされたとあるが、彼にジェームズ・ディーンの葛藤が演じられる訳がない。資質がまるで違う」「ディーンの弱さと強さ、怒りと悲しみの繊細な二重性が伝わってこないのは、分かり切った事だ。ピア・アンジェリ役のキャリー・ミッチャムも美しくはある、かなり大味な演技だ。怒りよりも情けなさがつのる」「作品に力がないのは、役者のせいだけじゃない。1950年代アメリカの保守的な空気、ハリウッドの交錯した人間関係、騒然とした撮影現場がしっかりと描かれていなければ、ディーンの孤独が浮き上がってこないだろう。恋愛を軸にしたからとはいえ、イタリアの家族主義に片寄った描き方では、時代の雰囲気を伝えることはできない」「ただ、ジェームズ・ディーンとキャスパー・ヴァン・ディーンのあまりの落差に、あらためて1950年代と現在の深々とした時代の溝を実感した」

 「『ガタカ』(アンドリュー・ニコル監督)の静かな悲しみをたたえた色彩設計は評価できる。しかし、ストーリーは良質のSFとは言えない。遺伝子による人間の選別が徹底した近未来というのは、なんとも古めかしい設定である。そして遺伝子判別では驚くばかりの科学力が発揮されているにもかかわらず、その他のシステムが現在と変わらないのも不自然。血液や尿の検査を頻繁に行わなければならないのも芸がない」

 「情報化についての視点が決定的に欠落していることが、平板な印象を与えている。そして、何よりも気になったのは遍在するエリート主義だ。そして強者の論理。ビンセントはけっして『劣性』ではなく、騙しつづけるだけの力を持っていた強者だ。選別社会を否定する存在というようは、むしろ結果的に補完する人間だろう」「ビンセントに自分の血と尿を提供した障害者のユージーンが、ビンセントが目的を果たした後で自殺するのも納得いかない。予告編で感じたスマートで整った印象が、作品を観終わった後には人間の個性から眼をそむけた品粗な印象に変わった」

 「『草の上の月』(ダン・アイルランド監督)は、1930年代のアメリカのパルプ小説家、映画『コナン・ザ・グレート』の原作者として有名なロバート・E・ハワードの伝記映画。懐かしい素朴なタイトル・クレジット。昔風の構図と色彩。テキサスの自然の美しさ。30年代の光と風が、私を心地よく包む」「60年前の物語だが、マザコンで自閉的な青年と自立した女性との恋というのは、不思議と今に通じるものがある」

 「ドノフリオはけっしてうまくはないが、自立できない弱さを持った青年ハワード役に似合っていた。外見とは裏腹の心理的なもろさを持っている雰囲気はぴったり」「内に閉じこもり自分の世界を作り上げているハワードに惹かれていく教師ノーベリンを、レニー・ゼルウィガーが抑えた演技で浮きぼりにしていく。ドノフリオの大袈裟な演技に対して、ゼルウィガーはあまりにも淡々としているように見えるが、無知で弱い半面、文学的な才能と純真さを持つハワードへの思いは説得力があった」

 「『桜桃の味』は、素人俳優を起用したシンプルなストーリーに、深い情感を縫い込めるアッバス・キアロスタミ映画。第50回カンヌ映画祭で『うなぎ』(今村昌平監督)とともにパルムドール賞を獲得した。自殺を実行しようとする男を追いながら、自然の美しさと生きる事のかけがえのなさを静かに示す。出演した人たちは驚くほど自然で説得力のある演技をしているが、けっして素朴ではない、一筋縄ではとらえられない監督の手練手管が隠されている」

 「穴の中で死んだ自分に土をかける人間を探していたバディの態度には、かすかに救いを求める気持ちとは裏腹に、傲慢さが表れている。しかし、かつて自殺しようとして思いとどまった老人の話を聞くうちに、その決心が揺らぎ始める。そして恋人たちに頼まれて写真を撮った瞬間、彼の表情が変わる。自然や人々のしぐさが彼に語りかけ始める。この何気ない、しかし見事なシーンが眼に焼き付いている」「ラストの楽し気なビデオ映像は、バディが凝り固まった思いから解放されたように、映画という枠組みからも観客を解放する」

 「『ケス』『大地と自由』などの傑作を生み出したケン・ローチ監督は、人物造形のきめの細かさに裏打ちされた鋭い社会批判が魅力である。『カルラの歌』も、アメリカCIAによる露骨なニカラグアのサンジェニスタ政権つぶしをストレートに告発している。無差別殺戮を行うコントラの影に存在するアメリカへの怒りが、生々しく伝わってくる」

 「しかし、前半のラブストーリーがニカラグアを描くための方便と感じられるほど、印象が薄いのはどういうわけだろう。バスの運転手ジョージが、カウラにのめり込んでいく過程に説得力がない。ニカラグア行きを決意するまでの流れに迷いがなさ過ぎる。もっと苦しみ、周囲と対立し、お金の工面に苦労するはずだ。観光気分でアントニオを捜しに行ったにしては、突然戦闘に巻き込まれてもたじろがない」「リアリティを感じたのは、人権保護団体メンバーのブラッドリーの方だ。以前CIAにいたらしいこの人物の存在によって、格段に映画の厚みが増している」

 「『スフィア』(バリー・レビンソン監督)は、さんざん期待させておきながら、宇宙船の中の球体のように中身のない作品。唖然とするほど稚拙なストーリーだ」「人間の記憶を現実化するという点ではタルコフスキーの『惑星ソラリス』と似ているが、人間の弱さや生きる悲しみにつながる説得力がない。芯が通っていない」「30年前のSFのアイデア程度。水銀のような巨大な球体の質感だけは好きだった」「あっさり宇宙に帰ってしまうあたりは、まるで『ウルトラQ』だね」「カイル・クーパーのタイトルは、洗練されていて見とれてしまった」

 「スパイク・リー監督の『ゲット・オン・ザ・バス』は、百万人の行進に参加するためにバスに乗り合わせた多様な立場の黒人たちが、争いながらも次第に心を通わせる物語」「性的な指向を含めて、さまざまな個性を持った人たちを登場させ、少しずつ個々人の人間像を照らしだす手腕はさすがだ」「でも、あまりにも納まりの良いラストは、リー監督らしくない」

 「『ラストサマー』(ジム・キルスビー監督)のデタラメさかげんはあっぱれだ。支離滅裂もここまでくれば痛快である。B級ホラーの伝統にのっとったとも言えるかな」「女優がかわいいから許すか」「そんなんで、いいのかい」

 「『アンナ・カレーニナ』(バーナード・ローズ監督)は、前作『不滅の愛 ベートーヴェン』よりも余裕のある演出。ロシア・ロケによる壮麗な美しい映像、今はなきゲオルグ・ショルティによるチャイコフスキーの名演奏、そしてソフィー・マルソーの情熱的な美しさ。素晴らしい要素がそろっているのに、今一つ高揚感がない」「前半はゾクゾクしたけれど。ストーリーから浮き上がった説教くさい終わり方が影響したと思う。仕方ないと言えは仕方がないけれど」

 「『ジャッカル』(マイケル・ケイトン・ジョーンズ監督)は、マッシヴ・アタックの洗練されたヘビーなタイトル曲とは対照的に、平板な印象が残った」「125分もあるのに、ブルース・ウィリス扮する暗殺者ジャッカルの内面が全く描かれないからだろう。純粋な悪として描かれている。暗殺者の美意識も今一つ伝わっていない」「正義と悪の単純な構図が最後まで変化しない。面白くない。ただマチルダ・メイが、最後に美味しいところをかっさらっていったけれど。彼女が一番得したかな」

 「『裸足のトンカ』は、ジャン=ユーグ・アングラードの初監督、脚本、主演作品。 ヒロイン・トンカ役のパメラ・スーは、アングラード夫人。パメラ・スーの躍動感のある力強い走りは魅力的だけれど、ストーリーにリアリティがない。小動物用の鉄ワナに足を挟まれて死んでしまうのは、なんだかなあ」「まず、アングラードがフランス1足の速いスプリンター役をしているのが不自然。体型が短距離選手じゃない。トンカがいきなり世界のベストメンバーと陸上の決勝に出てしまうと言うのも変でしょう。いくら素質があっても、短期間で世界の頂点に立つ記録を出すのは非現実的だよ」「もう少し脚本を練ってほしいね。まあ、アングラード夫妻の寓話だと思って、納得しよう」


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 「中国雲南省の美しい自然を背景に、文明論的な深みを持ったスケールの大きな叙事詩が誕生した。『中国の鳥人』は三池祟史監督の繊細さと骨太さを兼ね備えた演出が冴える。底に流れるユーモアのセンスも捨てがたい。ヒスイの輸入を目指す商社マンとそれを見張るヤクザ。本木雅弘と石橋蓮司が絶妙のコンビを組み珍道中さながらのドタバタぶりをみせる」「案内役の沈を演じたマコ・イワマツのうまさも忘れてはならない」

 「古代壁画の『泳ぐ人』で『イングリッシュ・ペイシェント』(アンソニー・ミンゲラ監督)が歴史に陰影を与えたように、この作品では『飛ぶ人』の『鳥人伝説』が作品に厚みを与えている。そして開発と地域文化の破壊をめぐる鋭い問いが突き付けられる」「資本の力を押しとどめる事はできないが、破壊の混乱を少なくする事はできる、それがとりあえずの苦しい解答と受け取った。極めてリアルなテーマだ。だから、空を飛ぶ人たちの幻想的なCGによって、この物語をファンタジーにしてほしくなかった」

 「『冷たい血』は、"Of cource all life is a process of breaking down,but...."。スコット・フィツジェラルドの言葉を巻頭に打ち出した青山真治監督の新作。犯人に撃たれ片肺になった刑事は、心に空洞を抱えることになる。そして奪われた銃による連続殺人が起こり、事件を追ううちに心中を目撃する。『愛を証明するには二つ方法がある。ひとつは殺すこと、もうひとつは一生生活を共にすることだ』というラスト間際の言葉まで、全体に固さが目立つ。抽象的な観念にとらわれているようで、うっとうしさを感じた。防毒マスクをつけジープに乗った武装集団の存在も、日本の戒厳令的な状況を暗喩するにはストレートすぎる」

 「ただ、音の処理はなかなか丁寧で作品の統一感を醸し出している。島野の奇抜なデザインの部屋など、清水剛の美術も気合いが入っていた。最後の心中を見つめる視線の距離感も悪くない。さまざまな要素を盛り込み、日本の状況に多面的に迫ろうという監督の意欲的な姿勢は買うが、急ぎすぎて消化不良なまま撮り終えた感がある」

 「『ルイズ その旅立ち』(藤原智子監督)は、1923年9月16日に軍部に虐殺された大杉栄と伊藤野枝の四女・伊藤ルイさんの生き様を、家族や周囲の人たちの証言をもとに描き出していくドキュメンタリー。ルイさんは、松下竜一氏の『ルイズ父に貰いし名は』の出版を機に、草の根市民運動に力を入れ、全国的なネットワークをつくった。札幌でも講演している」「藤原監督はルイさんの死後から撮影を始め、本人には一度も会っていない。しかし、巧みな構成によってルイさんの凛とした生き方が、くっきりと像をむすぶ。見事だ。キネマ旬報1997年文化映画部門ベストテン第1位に輝いた」

 「癌の宣告を受けたルイさんが手術も延命措置もせずに1996年6月28日亡くなったあと、7月13日に開かれた送る会の場面から、映画は始まる。そして幼友達、姉妹、家族、市民運動の関係者、看護婦が、次々にルイさんの思い出を語る。その間に、大杉栄と伊藤野枝の活動などを自然な形で紹介し、ルイさんの少女時代の過酷さが裏付ける」「実撮のフイルムはないが、ルイさんの声、写真が、実に効果的に使われている。観終わっても、ルイさんの張りのある声が耳にこだましている。そして、もうこの世にはいないという悲しみが、長く浸された」

 「1948年、右翼青年団の横暴や朝鮮南半分での単独選挙に反対する済州島民の抵抗がきっかけとなって大弾圧があった。数万人の島民が虐殺されながら、『共産暴動』と歪曲され、半世紀の間、犠牲者の遺族や体験者は重い沈黙を強いられた。『レッド・ハント』(チョソンボン監督)は、生き残った島民の証言を中心に事件の真相に迫ったもの。韓国の人権運動団体サランパン代表の徐俊植(ソ・ジュンシク)氏が、97年11月に『レッド・ハント』上映を直接のきっかけとして逮捕されたことで、日本でも注目を集めた」「センセーショナルに注目されたけれど、冷静に歴史を見つめようとする目配りが感じられる抑制のきいた質の高い記録映画だよ」

 「朝鮮戦争、南北分断。冷戦構造の中で、消し去られようとしていた正視し難い悲劇が肉声で語られる。当事者の証言は、強い力を持つ。沈黙を余儀なくされた辛い過去が、その声に表情に、深くにじむ。アメリカの冷酷な政策に怒りを覚えながら、日本による植民地支配こそが原因であることを、あらためてかみしめないわけにはいかなかった」

 「『バタフライ・キス』(マイケル・ウィンターボトム監督)は、近年珍しい感触。先に公開された『GO NOW』(1996年)は難病と闘う過酷な恋愛を笑いで包んでいたが、監督第1作の『バタフライ・キス』は、宗教的なまでにストレートな魂の救済が描かれている。心を病んでいるユーニス(アマンダ・プラマー)と聴覚障害を持つミリアム(サスキア・リーヴス)の関係は、同性愛というよりも修道女の絆に近い。神の罪を受けるために人を殺しつづけるユーニスの姿は、アメリカ映画のサイコではなくヨーロッパ映画の熱烈な求道者を連想させる」「マイケル・ウィンターボトム監督は、影響を受けた映画監督としてファスピンダー、ヘルツォーク、ベンダース、ベルイマンを上げていたが、とても納得できた」

 「アマンダ・プラマーの熱演は認めるが、狂気と呼ぶには殺人の動機が明確すぎる。ラストに殺される事を望むまで、すべてがあまりにも理解しやすい。もっと割り切れない部分が残ると、長く気になる映画に仕上がったと思う」「ボデイ・ピアスはファッション並みでインパクトに乏しい。ジャラジャラしているだけで、自らを傷つけ、痛め付けているようにみえない。不十分ではあるが『東京フィスト』(塚本晋也監督)のピアッシングの方が、まだ怒りや叫びに通じていた」

 「『普通じゃない』(監督ダニー・ボイル)は、『トレインスポッティング』の苦いユーモアとはひと味違った、軽めのスパイス。しかしハリウッドのベタベタ・コメディを超えた、とっぴなドタバタ恋愛喜劇は、やはりパワーが違う。ユアン・マクレガーは『ブラス!』に続き、気の弱い好青年を演じている。『トレインスポッティング』よりも、キャラクターとしてはハマリ役だ。わがままでキュートな娘セリーン役のキャメロン・ディアスがとても魅力的。女優としてのひとつの節目となるだろう。ダニー・ボイル監督がこんなに女性を綺麗に撮れるとは知らなかった」

 「ラストは無理にまとめたような印象を受ける。二人を恋に陥らせることを命令された天使というアイデアも、十分に生かされているとは言えない。しかしでこぼこ天使コンビがボロボロになりながら奮闘する姿は、それなりにコメディを盛り上げていた。『傷だらけの天使』役ホリー・ハンターのタフさは、『蜘蛛女』(ピーター・メダック監督)のレナ・オリンを彷佛とさせた」「天使なのに怖い」

 「『L.A.コンフィデンシャル』(カーティス・ハンソン監督)は、ロサンゼルスの巨悪を追い詰めていく血なまぐさいストーリー。なつかしいフイルム・ノワールの味ながら、重くならない配慮がみられた。その点は好みが分かれるだろう」「サスペンスとしての構成は良くできている。しかし、終わってみれば、落ち着くところに落ち着いたという一抹のもの足りなさも残った。ただ、ラストに向かい『ロロ・トマシ』という切ない響きを生かした展開にはうなった」

 「ケビン・スペイシー、ラッセル・クロウ、ダニー・デビートら個性派俳優が競演し、それぞれの屈折したキャラクターを浮き上がらせていく。貫禄のある美しさでキム・ベイシンガーが娼婦役でアカデミー賞最優秀助演女優賞を獲得したが、映画の核となる難しいエド・エクスリー役を見事にこなしたガイ・ピアースの演技こそ高く評価されるべきだろう。『プリシラ』(ステファン・エリオット監督)との振幅を、おおいに楽しんだ」「配役の妙も映画の大きな魅力だね」

 「『ディープ・インパクト』(ミミ・レダー監督)は、スピルバーグ製作総指揮の作品だけにずいぶんと人気を集めていた。地球に巨大彗星が衝突するというSFとしては古典中の古典的なテーマ。破局を前にした一大人間ドラマが観る者の心を深く打つはずだった」「しかし、Deep Impactというよりは、Cheap Impact。まず地球の危機を前にした国際プロジェクトとしては、周到さがなさすぎる。本当の危機に直面した人間の苦悩や愛が丁寧に描かれていない」

 「アメリカ大統領周辺の動き、第一発見者とその恋人の家族関係、ニュースレポーター・ジェニーと離婚した両親との関係、そして彗星を破壊しに向かった宇宙飛行士たちのドラマ。とても2時間でまとめることは無理なストーリーだ。監督は「観客がそれぞれの人生を考えるきっかけになれば」と話しているが、そのためにはリアルな描写が不可欠だろう。説得力に欠ける展開が目立ちすぎる。中でも自分の子供を助けようとしない親の奇妙な行動には首をかしげるばかりだ。だから小彗星衝突による場面が胸に迫ってこない」「収穫は『AKIRA』(大友克洋監督)を思い起こさせる破壊の美しさだけかな」

 「『ザ・ウィナー』(アレック・コックス監督)は、なかなか悪の強い俳優をそろえていて、注目していた。しかし出来のあまり良くない大人のファンタジーだった」「不思議な映像をちりばめ、奇妙な味はあるが、ストーリーにまとまりがない。ギャンブルで勝ちつづける男・主人公のフィリップがあまりにも受け身で小さく見える。ドノフリオの魅力が出ていなかった」「恋人ルイーズ役のレベッカ・デモーネィは、かわいい悪女を熱演してたけれど」 

 「『ブレード 刀』(ツイ・ハーク監督)のアクションシーンの並外れたダイナミックさは評価する。しかし、ストーリーはちぐはぐ。語り手を女性にしたのも不自然だった」「息もつかせぬ活劇としての見せ場だけだったね。それだけでも十分に楽しめたけれど」

 「『悪魔を憐れむ歌』(グレゴリー・ホブリット監督)には、がっかりした」「カイル・クーパーのタイトルもたいしたことなかったね。だいたい悪魔じゃなくて、悪霊でしょう。古臭くて結末が見えていて、しかも怖くない」「今どき外部から悪霊乗り移るというのはねえ。『CURE キュア』(黒沢清監督)のように、人間の殺意が露になる方が怖いよ」

 「『アンドロメディア』(三池崇史監督)は、SPEEDのアイドル映画。ただそれだけ。三池監督には期待していたのになあ」「電脳空間を扱っていながら、アイデアもテクニックも古臭い」「後ろ向きの叙情。安っぽさばかりが目立った」


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 「美術史上初の女流画家として知られるアルテミシア・ジェンティレスキは、1593年7月8日にローマで生まれ、1653年にナポリで亡くなった。『アルテミシア』(アニエス・メルレ監督)は、絵を学び始めてから伝説のレイプ裁判までを中心とする彼女の半生を、駆け足で描いている」「やや表情は堅いが、若々しい存在感を放つヴァレンティナ・チェルヴィは、書くことへの情熱と好奇心に満ちた17歳のアルテミシアになりきっていた。とても魅力的。『ある貴婦人の肖像』(ジェーン・カンピオン監督)で印象的だった鋭い意志を秘めた瞳は、アルテミシアにうってつけだった」「波瀾に満ちたストーリーだが、父親のオラーツィオ、恋人のアゴスティーノの描き方が弱い。そのため、物語が平板になった。名優をそろえながら惜しい」「作品に罪はないが、修正ぼかしの無神経さに腹が立った。いますぐのぼかし全廃は無理としても、もっと繊細な配慮ができないものか。一方、映画チラシには感心した。チラシ表紙には、アルテミシアが目を閉じて砂浜に横たわる静かなシーンを使っているが、映画を見た後には、そのシーンが驚くほど官能的に輝き始める。ヴァレンティナ・チェルヴィの強い瞳を強調せず、あえてこの場面を採用したスタッフのセンスを評価したい」

 「クリーニングの仕事に職人的なこだわりをみせる完全主義者のジャン=マリ。妻のニコルは夫との仕事に追われ続ける毎日に欲求不満気味。ふと立ち寄ったナイトクラブでショーをしていた美貌の青年が翌日ラメ入りのドレスをクリーニングに出すところから、『ドライ・クリーニング』(アンヌ・フォンテーヌ監督)は始まる。ナイトクラブのショーはすくぶるエロティックだが、その後はむしろ淡々と日常を描いていく。その積み重ねが、複雑な三角関係をリアルにした」「映画の主人公は青年ロイック・カリュや、彼に溺れるニコルではない。この作品の中心は、自身のバイセクシャル指向に目覚めて葛藤するジャン=マリだ。自分の指向を封じ込める彼の苦悩が映画を紋切り型にしていない」「ジャン・マリがロイック・カリュを殺した後、ニコルが死体を始末し、二人で歩き続けるラストには、寡黙ながらズシリとした衝撃を受けた。ニコルの強さと生活の重みが、画面を染めていく。余韻に満ちた結末。この余韻は長く続くだろう」「ナイトクラブの官能、仕事場の慌ただしさ、夫婦の微妙な会話、子供たちのあどけない賑わい。落差のある多彩な映像を鮮やかに組み立てた監督の感性は、柔軟で強靱だ」

 「夏場に『スクリーム2』(ウェス・クレイヴン監督)が公開された。前作の事件が『スタブ』という映画になり、試写会で観客はハロウィン・マスクを被ってはしゃいでいる。おもちゃのナイフをかざして騒きまくる。そして事件を模倣した連続殺人が劇場で始まるー。スプラッター・パロディ映画の『スクリーム』をさらにパロディ化するというコテコテの試みながら、前作以上に若者たちの底抜けのパワーが充満した『青春ホラー映画』に仕上がっている」「恐怖を繰り出すタイミングがつかめるため、前作ほど怖くはない。しかし殺人の動機づけは、現代性と古典性をドッキングしなかなかユニークだ。殺人犯に好きなホラーと問われて『ショーガール』と答えたホラーおたく・ランディが、あっさり殺されたときには、衝撃が走った。シリーズの核になる人物と思っていたからだ。予想を裏切るウェス・クレイヴン監督の感覚はなかなか若い」「なんて意地悪で楽しく、残酷で明るい作品だろう」

 「『ウィッシュマスター』(ロバート・カーツマン監督)は、アラブの悪霊が現代に蘇るというホラー。宝石の中から飛び出し、復活させた人の願い事を3つかなえるが、3つ目をかなえると地獄の扉が開くという。さて、どうなるか。やりたい放題の特殊メイクは笑えるが、お話はなんとも古臭さが残る」「これってB級のノリで楽しめばいいのかなあ。有名な俳優を集めてはいるけれど、お金はかけていないように思う。ラストも、ちと物足りない」

 「『シューティング・フィッシュ』(ステファン・シュワルツ監督)は、豪邸に住むことを夢見る孤児たちがさまざまな詐欺をしてお金をためる軽妙なストーリー。それぞれの詐欺のアイデアが面白く、ケイト・ベッキンセイルらの登場人物もキュートで飽きさせない」「どたばた劇の後の結末は、あまりにもハッピーエンドすぎるけれど、不思議と涙が出た」「孤児ものとしては、『ベルニー』(アルベール・デュポンテル監督)と対照的な作品だ」

 「『TAXi』(ジェラール・ピレス監督)は、リュック・ベッソンが温めてきた企画を実現した痛快無比なカー・アクション作品」「フランス映画の枠を超えて、ハリウッド映画を上回る派手派手なシーンが満載。文句なく楽しめる」

 「『風の歌が聴きたい』(大林宣彦監督)は、実在の聴覚障害者の夫妻をモデルにした前向きな人間ドラマ。文部省選定、厚生省推薦、郵政省後援である。なるほど、観る者に力を与えてくれるような、清清しい作品だ。オルゴールや電話のシーンに心が洗われる。人物描写は深くはないが美化することなく、しかし優しさに満ちたまなざしで描かれている」「全体に影の描写が少ない中で、高森昌之役の石橋蓮司が父親の屈折を巧みに表現していた。傑作とは言えないが、悪い作品ではない」「ただし、大林監督の作品としては、大いに疑問がある。大林作品は『A MOVIE』と銘打ってるようにどの作品も『個人映画』としての肌触りを感じさせるものだった。尾道連作だけでなく、『水の旅人−侍KIDS』『女ざかり』『SADA』などの作品でも、大林ワールドは健在だった。だが、この作品には独自の編集による味わいがない」「それとも、次々と実験を続ける監督が、意識的に『作家性』そのものを消し去るという大胆な試みをしたのだろうか」「違うと思う」

 「『真夜中のサバナ』は、クリント・イーストウッド監督の20作品目。悪と正義の対立を描いてきた監督は、新しい境地に足を踏み入れつつある。同性愛者の殺人事件とその裁判がストーリーの中心だが、そこに善悪の対立はない。真実と嘘の区別すらない。真実は最後まであいまいのままだ。とりとめがないといえば、とりとめのない物語だが、登場人物が魅力的で飽きさせない。実在の事件を取り上げたとは思えないほどに、個性的な人たちが人生の機微をかいま見せてくれる」「ジム・ウィリアムズの虚実を揺れる雰囲気がすべてを包み込み、ジャーナリスト・ジョン・ケルソーは、その磁場にとらわれ、事件への距離感を失っていく。映画は事件にとらわれるこなく、ゆったりとした距離を保ちながら進む。シャブリ・ドゥボーという自分の役を演じたザ・レディ・シャブリの輝きに象徴されるように、監督の度量の深さがうかがえる作風。サバナで暮らす人々の姿を自在に描き出す成熟された手法は、気負ったところがない。選曲も心憎いばかりのセンスだ。監督68歳。これからの作品こそ、おおいに期待していいだろう」

 「『仮面の男』は、『ブレイブハート』の脚本を手掛けてきたランダル・ウォレスの初監督作品。ルイ14世の時代という大きな舞台だが、やや大味な内容。レオナルド・ディカプリオの魅力も、いまいちだ」「むしろジェレミー・アイアンズ、ジョン・マルコヴィッチ、ジェラール・ドパルデュー、ガブリエル・バーンといった性格俳優が四銃士を演じて見ごたえがあった」

 「『D坂の殺人事件』は、実相寺昭雄監督の耽美的な世界。計算された構図による映像と紙細工の書き割りによる遊び心が、江戸川乱歩のたくらみを的確に表現している。始まりの15分間のテンションの高さは、観る者を虜にする。まず真田広之の妖しい演技に賛辞を送ろう。自らを緊縛し描写する彼の美しさが、この作品を崇高なものにしている。そして100本以上のピンク映画に出演し監督としての才能も高く評価されている吉行由実の存在感ある演技が、映像に艶を与えている。花崎マユミ役の大家由祐子も驚くばかりの官能の表情をみせる」「贋作をめぐる殺人事件は、明智小五郎の推理で、鮮やかに解決する。嶋田久作は幅の広い役をこなす俳優に成長した。無駄のない展開で心地よいが、『屋根裏の散歩者』までは健在だった官能的なねちっこさが、今回は乏しかった。それが作品の均整を高めていることは理解できるが、実相寺らしさが薄れたことも否定できないだろう」

 「『Godzilla』(ローランド・エメリッヒ監督)に『ゴジラ』の題を付けたことは間違っている。オマージュ的な映像はあるが、ストーリー的にはなんら必然性がない。日本とアメリカの文化の違いに還元できない過ちだ。『イグアナドン』とでも、名付ければ良かった。『ゴジラ』というイメージを取り去れば、最近のヒット作を混ぜこぜにし、過去につきあっていたテレビレポーターと研究者が、事件で再会し愛を確認するというお決まりのラブストーリーで味付けした娯楽作に過ぎない。都市の破壊シーンと迫力あるCGを楽しむだけ。『インデペンデンス・デイ』同様、いかにもローランド・エメリッヒ監督らしい底の浅い作品だ」

 「自然からの報復の象徴であり超然としていた本家ゴジラは、アメリカではミサイルを避けて逃げ回った挙げ句、簡単に死んでしまう。『Godzilla』の中には『God』がいたのではなかったのか。200匹の子供ゴジラの登場はもミサイル2発であっけなく御陀仏。イグアナの突然変異だから、そんなものかもしれない。だからニューヨーク市長は選挙への利用しか考えてない。ましてや大統領が登場するほどの出来事ではなかったというわけだ。随分と『ゴジラ』を甘くみている」

 「『不夜城』(リー・チーガイ監督)は、原作に比べ、ラブストーリーが全面に出ているものの、新宿・歌舞伎町の非情な中国系マフィアを描き、妥協のないハードボイルドが貫かれている。日本、香港、台湾のスタッフとキャストが協力し困難を乗り越えて作り上げた骨のある作品だ」「リー・チーガイ監督は、『世界の涯てに』のすがすがしさとは対照的な世界を良くまとめあげている。種田陽平らの力の入ったセットを生かしながら、監督の即興的なアイデアがちりばめられている」「佐藤夏美役の山本未来が素晴らしい。優しさと残酷さ、強さと弱さ、純真さと狡猾さが交錯する難しい役を、余裕を持って演じているようにみえる。それに比べリウ・ジェンイー役の金城武は、魅力的ではあるがビターな場面でも持ち前の甘さが消えない。彼には観る者を浄化するような笑顔の方がふさわしいのかもしれない。ウー・フーチェン役の椎名桔平は、シャープな存在感が心地良かった」「芝浦埠頭レインボーフブリッジでのラストシーンは確かに暗いが、十分納得のできるので後味は悪くない。むしろ美しさが印象的だった。日本映画には珍しいズシリとくるエンターテインメント」

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 「『オースティン・パワーズ』(ジェイ・ローチ監督)には笑いました。『バカも休み休みyeah!』というコピーがいいねえ。『スリーパー』を撮っていたころのウディ・アレンが『007/カジノロワイヤル』のパロディを作ったら、こんな感じかな」「いや、ここまでのアイデアとパワーは出せなかっただろう。出だしから60年代を凝縮したテンションの高いシーンで早くもクギ付け状態。IQが低い作品なんて批評があるけれど、お金をかけながら下品なギャグを連発していくポリシーこそ、この作品を粋でお洒落にしている」「60年代への回帰ではなく、60年代と90年代をともに相対化する視点を持った、なかなか骨のあるコメディだ」「マイク・マイヤーズは、ノリにノッテいる。オースティン・パワーズとドクター・イーブルの一人二役は、他の悪の強い登場人物の存在をかすませる独壇場。60年代的な美女たちの中で、バネッサ・ケンジントン役のエリザベス・ハーレーが、90年代の女性の魅力を発散している」「安っぽいアイデアばかり詰め込んでいるように見えて、映像はなかなかシャープ。撮影監督は、なんと『ロスト・ハイウェイ』『スクリーム』のピーター・デミングだった」

 「『ボンベイ』(マニ・ラトナム監督)は、監督の自宅に爆弾が投げ込まれ、各地で上映禁止になるほどの衝撃を与えた傑作。宗教の違いによる対立の不毛さを告発した社会派映画だが、『サラーム・ボンベイ』(ミラ・ナイール監督)のようなヨーロッパ映画のスタイルを取らず、インド娯楽映画の文法に沿いながら、しかもその明るさが後半の悲惨さをより鮮烈にしている」「あまりに単純な恋愛劇と脳天気なミュージカルシーンを馬鹿にして笑っていた隣りの席の高校生たちも、後半の実際に起こったアヨディア事件に端を発した暴動、虐殺の血なまぐさい迫力に、言葉を失っていた。この落差は確かに希有な体験だ」

 「イスラムとヒンズーの対立に引き裂かれそうになった男女がボンベイに移って生活を始める。孫が出来たことで、両家の諍いも治まりつつあった時、街を焼きつくす暴動が発生する。二人の純真な恋愛から、一気に社会問題に迫る骨太な展開。水と火の象徴的映像。マニラトナム監督は多大な影響を受けた師として黒澤明を挙げている。ここにもまた、黒澤の映画文法が息づいていた」「私は、重要な役割を担う『ヒジュラ(両性具有者)』の登場に注目したい。どの集団にも属さない彼等に託した監督の思いは、インドだけでなく世界に通底する視座といえるだろう」

 「『ライブ・フレッシュ』(ペドロ・アルモドバル監督)は、『私の秘密の花』で、過去のアルモドバルらしさと決別した監督の新作。確かにパワー全開で人生を笑い飛ばしていた威勢の良さは薄れたが、そのかわり歴史的な視点が加わり、人間を見つめるまなざしも細やかになっている。そしてサスペンスを交えた情熱的な恋愛劇が官能的なシーンとともに描かれる」「5人の男女への目配りがうまい。ビクトル役のリベルト・ラバルははつらつとして将来有望。車椅子のダビド役ハビエル・バルデムの演技への情熱も忘れがたい。ビクトルとセックスに溺れていくクララの死を覚悟したやるせなさが胸に染みる。そして感情をあまり表に出さないエレナは、終盤にかけてエロティックに輝き始める」

 「全体に宗教的な贖罪と救済のテーマが潜んでいるように思うが、嫌味な感じはしない。鮮やかな色使いは健在だし、教会の権威と闘い続けた無神論者ルイス・ブニュエル監督へのオマージュがちりばめられているのもうれしい。アルモドバルは単純に変わったのではない。殻を破る試行錯誤を意識的に行っているのだ。アルモドバルは小さく『円熟』などしない。きっと、一回り大きくなってド派手なドタバタ・コメディに帰ってきてくれるだろう。邦題の『ライブ・フレッシュ』は、『ずっと踊りつづける』という意味の原題『カルネ・トレムラ』のままで良かったのではないか」

 「『ウェルカム・トゥ・サラエボ』(マイケル・ウィンターボトム監督)は、ニュース映像を巧みに利用してサラエボの惨状を訴える。ジャーナリストの苦悩を通じて、我々に何ができるのかを問い掛けてくる」「音楽の使い方が皮肉で、一筋縄では行かない。少女をイギリスに連れて来ただけでは何も解決しない。しかし、他に何ができるのか。考えさせられた」

 「『アンラッキー・モンキー』(サブ監督)は、不思議な味の作品。堤真一の熱演は否定しようがないけれど、チグハグ感が最後まで消えなかった」「そこが面白かった。とにかく最初から最後まで飽きさせない。ラストに至っては、ゾンビ復活的なノリで度胆を抜かけた。サービス精神の固まりだなあ」「吉野公佳は、出てきてすぐに殺されてしまうけれど、回想シーンで何度も登場する。苦悶の表情が目に焼き付く。『ACRI』(石井竜也監督)の人魚役よりも印象に残ったよ」

 「『スプリガン』(川崎博嗣監督)は、超古代文明の技術をめぐるスケールの大きな人気コミックをアニメ化した。長篇漫画の場合は、脚本をどうまとめるかが、大きなポイントとなるが、この作品は中途半端な対応ですっきりしない。そのため、肝心のアクションシーンが迫ってこない。大友克洋の総監修・構成なので、ある程度の水準を期待して観にいった人たちは少なからず失望したはずだ。すべてが上滑りのままに終った」「8万5千枚のセル画を使い、最新のCG技術を駆使しているにもかかわらず、その効果が伝わってこない。せっかく大友が手掛けたユニークな『ノアの方舟』のデザインも生かされていない。新しい技術は映画的な感動に結びつかなければ、単なる実険にすぎない。この作品は技術的な検証のための試作品の域を出ていないといえる。『AKIRA』に似て非なるアニメを見続けながら、あらためて10年前に製作された『AKIRA』の水準の高さを再確認した」

 「『リーサル・ウェポン3』から、6年。マーチン・リッグス(メル・ギブソン)、ロジャー・マータフ(ダニー・グローバー)のコンビが帰ってきた『リーサル・ウェポン4』(リチャード・ドナー監督)の登場だ」「ド派手なアクションシーンと軽妙な会話のブレンドは健在。そんな中に、中国からの密入国者に対していたわりをみせるマータフ、マータフの羽振りの良さに汚職を疑うリングス、老いを感じ始める二人の不安、出産まぎわに結婚を迫るルッソと、新しい要素も巧みに盛り込んでいる。そして明るいハッピーエンド。手馴れた演出で、安心して楽しむことができた」「しかし、この映画の収穫はチャイニーズ・マフィア役ジェット・リーの登場と言えるだろう。悪役ながら、メチャメチャかっこいい。物静かで柔和な表情から、一転凄まじい速さのカンフー・アクションをみせる。技の切れは驚くほどだ」「優雅さとどう猛さを合わせ持った本物の武術を体得しているアクション俳優として、今後忘れられない存在になることは間違いない」

 「『キリコの風景』(明石知幸監督)の全編函館ロケが嬉しい。出だしは不思議な雰囲気。杉本哲太演じる一人の超能力者を通じて、マンション住人の孤独が浮かび上がる見事なストーリー運びに期待が高まった。しかし、後半は妻捜しへと収斂し、妙に小さくまとめてしまった」「拍子抜けというのはこのことだね」

 「道立近代美術館で『アート・ドキュメンタリー映画祭2 映像フェスティバル98』が、9月17-27日にわたり開かれた。96年に行ったアート・ドキュメンタリー特集の続編。今回は計16作品を取り上げた。全作ビデオで、しかも視聴覚設備は満足のいくものではなかったが、貴重な映像がそろっていた」

 「『ダブル・ブラインド』は、1992年のアメリカ映画(74分)。監督と出演がソフィ・カル(Sophie Calle)、グレッグ・シェパード。恋人同士でビデオを撮り合いながらカリフォルニアを目指すロードムービーのスタイルだが、二人のすれ違いが毒のある笑いの中で浮き彫りにされる。ディスコミュニケーションの映画というよりも、恋愛のこっけいさと切実さのはざまに揺れる現代における女性の勝利を歌い上げているように思える。ソフィの高笑いが響いている」

 「『写真家・ペール・マニング』(スティグ・アンデルセン監督、1994年、ノルウェー、26分)は、ノルウェーの動物写真家ペール・マニング(Per Maning)が、撮影の動機と思いを語ったドキュメント。犬、あざらし、豚、牛が撮られている。しかし、これほど動物に近づいて撮影された写真は稀だ。動物の内側から写しているようだ。『人間と動物の共通点は動物の中にある』というマニングの言葉が印象的」

 「『ウェグマンの世界』(チェリー・デュインズ監督、1996年、オランダ、60分)は、動物の擬人化を通じて、既成観念を笑い飛ばすウィリアム・ウェグマン(Wegman)の姿を追った作品。色とりどりの服を着せられさまざまなポーズをとる犬たちもおかしいが、初期のウェグマンが撮った『腹芸』も笑えた。マニングの真摯さとウェグマンの軽妙さは対照的だ」

 「50年間、フアッションなど写真界に大きな刺激を与えてきたリチャード・アヴェドン(Richard Avedon)の歴史をまとめた『リチャード・アヴェドン:闇と光』(ヘレン・ホイットニー監督、1996年、アメリカ、86分)は、撮影風景、写真、賛辞と批判をテンポ良く構成し、大変に分かりやすく写真家の内面を紹介している。矛盾を矛盾のままとらえ続け、シャープな世界を築いてきた強靱さと柔軟さに驚かされる。むろんアヴェドンの本当の秘密は隠されたままだ」

 『フラメンコ』は、1995年のスペイン映画(98分)。カルロス・サウラ(Carlos Saura)監督版フラメンコの教科書とでも呼ぼうか。『カルメン』のような物語性はなく、章ごとにひたすらフラメンコを紹介する」「それぞれの歌も踊りも確かにうまい。しかし変化のない構成なので、集中力を維持するのが難しくなってくる。30分程度ならいいが、このくらいの長さになると何らかのめりはりが必要だろう」

 「『ローザス・ダンス・ローザス』(ティエリー・ドゥ・メイ監督、1997年、ベルギー、57分)は、廃校化した学校を舞台に振り付け師ケースマイケル率いるローザス(Rosas)の第1作を映像化した。少女たちの日常的な身ぶりを鋭く切り取り反復化するダンスは、ぞくぞくするほど魅力的。前半は計算された巧みな映像がダンスを盛り上げていたが、後半はやや緊張が弛んだ感じ。その分閉塞的な雰囲気が染み出てしまった」

 「『イアン・ケルコフによるパフォーマンス・アーティストたちの肖像』(オランダ)は、イアン・ケルコフ(Ian Kerkhof)監督が選んだ3人のパフォーマーを紹介している。ロン・エイシー(Ron Athey)は、身体を傷つける降霊術を基本にしたパフォーマンス。挑発性はあるが、独創性はない。本人が何と言おうと『見せ物』的すぎる。マシュー・バーニー(Matthew Barney)は、グロテスクと華麗さをブレンドした仮装パーティの映像。既成の境界線、壁を超えようとする意図は伝わってくるものの、単なる『お祭り』に終る危険もある。ベイビー・ケイン(Baby Kain)は、黒人の歴史を背負ったポエトリー・リーディングの記録。ラッパーや詩人というよりは、セラピストに近い」「いずれも20数分の作品で、ひとり一人の創作の核に迫るには短すぎるね」

 「テリー・ズウィゴフ監督の『クラム』(1994年、アメリカ、119分)は、昨年劇場で公開され、すでに紹介している。ロバート・クラムに迫る衝撃のドキュメントだ。ビデオで見ても、ラストの辛さは変わらない」

 「『イヴ・サンローラン』(ジェローム・ド・ミソルツ監督、1994年、フランス、45分)は、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)の豪勢な私邸を舞台に、モデルたちがコレクションを身につけ風のように通り過ぎる。美しい。微睡みのようなうつろいやすい耽美」「しかし終始サンローランのペースで展開しているので、表面をなでるような感じ。彼の危うさの魅力にまでは踏み込めていない」

 「『ONE ENO』(ジェローム・レフデュップ監督、1993年、フランス、22分)は、いかにも柔軟なブライアン・イーノの魅力があふれたクリップ。この作品だけはビデオでも違和感はない。イーノのCGは古さを感じさせるものもあるが、今でも新鮮な作品が多く、アイデアの密度の高さを改めて味わった」「楽しかったねえ」

 「そして、今回最も感銘を受けたのが『ジャン=ピエール・レイノーの家 1969-1993』(ミシェール・ポルト監督、1993年、フランス、31分)。ジャン=ピエール・レイノー(Jean-Pierre Raynaud)は、1969年から自宅の改造を始め、床、壁、天井、家具を15センチ四方の白いタイルで覆い尽くした。窓にはステンドグラスを入れ外部との距離感を保っている。レイノーは『タイルは熱く激しい』と、家との愛の交流を語る。1988年に家は完成し、4年間の熟考の後、メタモルフォーゼのために家の破壊を決意する。無慈悲に壊されていく家のタイルを撫でる姿が胸に染みる」「タイルの破片を容器に入れ幾何学的に並べたラストシーンには、宗教的な崇高さがただよっていた」

 「レイノーが外部との距離を持ち自分の空間を生み出したのに対し、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)は自然環境に開かれた家を目指した。その最も美しい達成が落水荘だろう。『落水荘:ライトと弟子たち』(ケネス・ラブ監督、1996年、アメリカ、56分)は、2年前の映画祭で上映された『フランク・ロイド・ライトの落水荘』の続編に当たる。今回はタリアセン・フェローシップという学校をつくり有機建築を教育したライトの姿を追いつつ、落水荘がライトと若き建築家たちの共同作業であることが明らかにされていく」「貴重な記録フイルムを多用し興味深いが、もう少し落水荘の美しい映像がほしかった」

 「『バルテュス』(マーク・カイデル監督、1996年、イギリス、51分)は、画家バルテュス(Balthus バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ)の数少ないインタビューとしてだけでも意義が大きい。その語り口から、少女を描く彼の指向、破壊を予感させる静かな画風が自然に解き明かされるようだ。そして勝新太郎の芸がバルテュスと共振する希有な体験もできる」

 作家のクロソフスキーはバルテュスの兄。『ピエール・クロソフスキー-イマージュの作家』(アラン・フレッシャー監督、1996年、フランス、47分)は、静かないらだちとともに歴史を自在に横断するピエール・クロソフスキー(Pierre Klossowski)をとらえる。この巨人の全貌に迫るのではなく、その映像的な仕事と老いた雰囲気を伝えることに徹している」「懸命な態度だと思う」「似ているようで対照的な兄弟だ」

 「『ブルース・ナウマン-MAKE ME THINK』(ハインツ=ペーター・シュヴェルフェル監督、1996年、フランス・ドイツ・イギリス、51分)には、ブルース・ナウマン(Bruce Nauman)のインタビューは登場しない。鋭い問題意識の作品と評論家たちの批評が繰り返されるばかりだ。そのもどかしい体験こそ、ナウマンへの関わり方の一つだろう」「ドキュメンタリーとしてのまとまりを拒否しながら、ね」

 「パイクの先駆性は今日誰もが認めるところだろう。『エレクトロニック・スーパーハイウェイ:90年代のナムジュン・パイク』(ジャド・ヤルカット監督、1995年、アメリカ、40分)は、卓越した時代認識を持ちつつ、軽妙なフットワークをみせるナムジュン・パイク(Nam June Paik)の特徴をうまくつかまえている」「インターネット時代のパイクの挑発に注目したい」

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