活用表 動詞についての留意点 助動詞の種類と機能 助詞の種類と機能 仮名遣
連体助詞 格助詞 副助詞 係助詞 終助詞
間投助詞 接続助詞
終助詞は、文や句の終りに用いて、疑問・詠嘆・禁止・願望などの意をあらわす助詞である。「か」「や」「ぞ」「は」「も」は係助詞として一括する学説もあるが、ここでは、文末・句末に置かれて文の成立を助けるはたらきをする場合、終助詞として区別した。
言 出 しは誰が言なるか小山田の苗代水の中淀にして(万葉集、紀女郎)
浅緑いとよりかけて白露を珠にもぬける春の柳か(古今集、遍昭)
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり(金槐和歌集、源実朝)
かも 助詞「か」に詠嘆の助詞「も」が付いたもの。体言または活用語の連体形を承ける。
むささびは木末 求むと足引の山の猟師 に逢ひにけるかも(万葉集、志貴皇子)
木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりにあまの海へ行くかも(玉葉集、喜撰法師)
人はよし思ひやむとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも(万葉集、倭姫王)
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも(古今集、安倍仲麿)
大海の磯もとどろに寄する浪われてくだけて裂けて散るかも(金槐和歌集、源実朝)
かな 助詞「か」に詠嘆の助詞「な」が付いたもの。詠嘆・感動をあらわす。体言または活用語の連体形を承ける。
老いぬればさらぬ別れもありといへばいよいよ見まくほしき君かな(古今集、伊都内親王)
今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな(古今集、素性法師)
かは 助詞「か」に詠嘆の助詞「は」が付いたもの。文末に置かれる場合、反語の意をあらわす。「〜だろうか、いやそうではない」。体言または活用語の連体形を承ける。
いざ今日は春の山辺にまじりなん暮れなばなげの花の影かは(古今集、素性法師)
待つ宵にふけゆく鐘の声きけばあかぬ別れの鳥はものかは(新古今集、小侍従)
橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも(万葉集、占部広方)
我が命も常にあらぬか昔見し象(きさ)の小川を行きて見むため(万葉集、大伴旅人)
吉野川行く瀬の速みしましくも淀むことなくありこせぬかも(万葉集、弓削皇子)
係助詞としてもはたらく。
助詞「も」と呼応することが多い。特に万葉集では「〜もあるか」などと遣う例がしばしば見られ、後世の万葉調歌人にも愛用された。
降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば貴くもあるか(万葉集、橘諸兄)
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり(金槐和歌集、源実朝)
「や」は元来は掛け声に由来する感動詞で、間投助詞としてはたらき、さらに叙述の終りに用いられるようにもなった。疑問(質問)・反語・詠嘆などの意をあらわす。用言の終止形・命令形、また体言に付き、反語の場合は已然形に付く。
聞きつやと妹が問はせる雁が音はまことも遠く雲隠るなり(万葉集、大伴家持)
道の辺の草深百合の花笑みに笑まししからに妻と言ふべしや(万葉集、作者未詳)
もろともに山めぐりする時雨かなふるにかひなき身とは知らずや(詞花集、藤原道雅)
思ひきや鄙のわかれにおとろへて海人のなはたきいさりせんとは(古今集、小野篁)
終止形に付いて詠嘆の意をあらわす。「めづらしや」「わりなしや」「はなかしや」など、形容詞終止形に付く例が多く見られる。
はかなしや枕さだめぬ転た寝にほのかにまよふ夢の通ひ路(千載集、式子内親王)
已然形に付き、反語「〜だろうか、いやそんなことはない」の意をあらわす。
越の海の信濃の浜をゆき暮らし長き春日も忘れて思へや(万葉集、大伴家持)
思ひ河絶えず流るる水の泡のうたかた人に逢はで消えめや(後撰集、伊勢)
已然形に付き、自らに問いかける疑問をあらわす。直後に述べる事実の根拠について推測する時に用いられる、特殊な語法である。下に引用した高市黒人詠のように連体形で結ぶのが通常で、本来は係助詞であろう。しかし赤人詠(万葉歌の改変)・西行詠のように係り結びをとらない例も見られ、これらの場合は終助詞とみとめられる(係助詞「や」参照)。
〔いにしへの人に我あれやささなみの古き都を見れば悲しき〕(万葉集、高市黒人)
ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざしてけふもくらしつ(新古今集、山辺赤人)
津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉に風わたるなり(新古今集、西行)
命令形に付いて命令文を強めるはたらきをする。
声たえず鳴けや鴬ひととせにふたたびとだに来べき春かは(古今集、藤原興風)
もろともに影を並ぶる人もあれや月のもりくる笹の庵に(山家集、西行)
体言に付き、詠嘆を添えて文を終える。「〜であるよ」。
逢ふと見てことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れがたみや(新古今集、藤原家隆)
暮れはつる尾花がもとの思ひ草はかなの野辺の露のよすがや(俊成卿女集、俊成卿女)
嬢子の床の辺に我が置きしつるぎの大刀その大刀はや(古事記、倭建命)
三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや(みずかありなむ、山中智恵子)
やも 助詞「や」に詠嘆の助詞「も」が結び付いたもの。已然形に付き、反語の意をあらわす。推量の助動詞「む」と結び「めやも」と遣う例が多い。平安時代以後は「やは」に取って代わられる。
とこしへに君も遇へやもいさなとり海の浜藻の寄る時々を(古事記、衣通姫)
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも(万葉集、天武天皇)
やは 助詞「や」に詠嘆の助詞「は」が結び付いたもの。
思ひ河絶えず流るる水の泡のうたかた人に逢はで消えめや(後撰集、伊勢)
今日そゑに暮れざらめやはと思へどもたへぬは人の心なりけり(後撰集、藤原敦忠)
大君の勅をかしこみちちわくに心はわくとも人に言はめやも(金槐和歌集、源実朝)
今日今日と我が待つ君は石川の峡に交りてありと言はずやも(万葉集、依羅娘子)
秋の夜は松を払はぬ風だにもかなしきことの音をたてずやは(千載集、藤原季通)
暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや(後撰集、紀貫之)
数ならばかからましやは世の中にいと悲しきはしづのをだまき(新古今集、小野篁)
「〜だ」「〜である」と強く指示・指定する。奈良時代以前は「そ」と発音することが多かったが、次第に濁音化したものらしい。
…国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は(万葉集、舒明天皇)
わが恋はゆくへもしらず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ(古今集、凡河内躬恒)
係助詞としてもはたらく。
「や」と同じく元来は掛け声に由来する語であろうか。のち間投助詞としてはたらくようになり、文末にも用いられるようになった。意を強めるはたらきをする。
今は吾は死なむよ我が背生けりとも我に依るべしと言ふと言はなくに(万葉集、坂上郎女)
やよや待て山ほととぎす言伝てむ我世の中に住み侘びぬとよ(古今集、三国町)
けふ暮れぬ花の散りしもかくぞありしふたたび春は物を思ふよ(千載集、河内)
身はとめつ心はおくる山ざくら風のたよりに思ひおこせよ(新古今集、安法法師)
よしさらば忘るとならばひたぶるに逢ひ見きとだに思ひ出づなよ(続後撰集、殷富門院大輔)
たのめおかんたださばかりを契りにて憂き世の中を夢になしてよ(新古今集、藤原定家母)
間投助詞としても用いられた。
いかにせむしづが園生の奧の竹かきこもるとも世の中ぞかし(新古今集、藤原俊成)
生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮をとはばとへかし(新古今集、式子内親王)
「はも」 「はや」 「やは」 「かは」などのように、「は」は他の助詞と共に文末に置かれて詠嘆の意をあらわすことがある。平安時代には単独でも詠嘆の終助詞として使われたが、和歌での用例は少ない。
さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも(古事記、弟橘姫)
命やは何ぞは露のあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに(古今集、紀友則)
なお、下のような例は、「我は…指して行く」の倒置と見え、「は」を終助詞とみとめることはできない。
天地の神を祈りて猟矢(さつや)ぬき筑紫の島を指して行く我は(万葉集、大田部荒耳)
係助詞としてもはたらく。
主として活用語の終止形に付き、詠嘆をあらわす。上述の「かも」「はも」などの「も」も詠嘆の終助詞である。
夕されば小倉の山に鳴く鹿の今夜は鳴かず寝ねにけらしも(万葉集、舒明天皇)
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鴬鳴くも(万葉集、大伴家持)
世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも(新勅撰集、源実朝)
ぞも 指定の助詞「ぞ」と結び付く。疑問の語と共に用いて、詠嘆を含む疑問をあらわす。
ぬし知らぬ香こそにほへれ秋の野に誰が脱ぎかけし藤袴ぞも(古今集、素性)
うちわたす遠方人に物申す我 そのそこに白く咲けるは何の花ぞも(古今集、読人不知)
はも 詠嘆の助詞「は」と「も」が結び付いたもの。強い詠嘆をあらわす。眼前にない人やものを思い遣る場合に使われることが多い。
さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも(古事記、弟橘姫)
葦辺には鶴がね鳴きて港風寒く吹くらむ津乎の崎はも(万葉集、若湯座王)
かも 「か」の【助詞との結合例】参照。
やも 「や」の【助詞との結合例】参照。
係助詞としてもはたらく。
文末に置いて詠嘆をあらわす。反実仮想の助動詞「まし」と結び付く「ましを」、形式名詞「もの」と結び付く「ものを」(次項参照)の形で用いられることが多い。体言か活用語の連体形に付く。
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを(万葉集、磐之媛)
かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊に標結はましを(万葉集、額田王)
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(古今集、小野小町)
形式名詞「もの」と助詞「を」が結び付いたもので、元来は接続助詞であったが、文末に置いて詠嘆をあらわすようにもなった。事態を噛み締めるように詠嘆する場合や、後に含みを残して終わる場合などによく用いられる。助動詞「まし」「けり」などに続くことが多い。活用語の連体形に付く。
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを(万葉集、磐之媛)
夕まぐれ秋のけしきになるままに袖より露は置きけるものを(拾遺愚草、藤原定家)
おのづから故郷人のことづてもありけるものを花のさかりは(新葉集、後村上天皇)
接続助詞としてもはたらく。
用言・助動詞の終止形に付き、詠嘆・感動をあらわす。平安時代以後の和歌にはほとんど見えないが、近世の国学者流歌人が復活させ、近代以降の歌人にも用いられた。なお「よしゑやし」などと用いられた「ゑ」も同じ語であろうが、これは間投助詞または感動詞と見られる。
山の端にあぢ群騒き行くなれど我はさぶしゑ君にしあらねば(万葉集、斉明天皇)
上つ毛野佐野の茎立ち折りはやし我は待たむゑ来とし来ずとも(万葉集、作者未詳)
しらしらと著莪の葉ひらに降りし花あはれさびしゑわが心から(左千夫全集、伊藤左千夫)
奈良時代以前に見られ、用例はさほど多くない。詠嘆・感動を意味するとされる。
荒雄らは妻子の業をば思はずろ年の八年を待てど来まさず(万葉集、山上憶良)
ろかも 詠嘆の助詞「かも」と結び付く。形容詞の連体形を承けて詠嘆・感動の意を添える。但し「ろ」は上記の助詞「ろ」と同一かどうか明らかでない。平安時代以後は見えなくなるが、江戸時代に国学者流の歌人が復活させ、近代のアララギ派歌人などにも受け継がれた。
藤原の大宮仕へあれづくや娘子(をとめ)がともはともしきろかも(万葉集、作者不詳)
星空の中より降らむみちのくの時雨のあめは寂しきろかも(小園、斎藤茂吉)
活用語の未然形に接続し、決意や希望をあらわす。1の用法は助動詞「む」とほぼ同じ意味になる。平安時代以後の和歌ではほとんど見られなくなるが、現代口語で「早くしな」などと言う時の「な」と同じ語であろうか(現代口語では連用形接続である)。
すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へど子等にさやりぬ(万葉集、山上憶良)
秋の田の穂向きのよれる片寄りに君によりなな言痛(こちた)かりとも(万葉集、但馬皇女)
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(万葉集、額田王)
道の中国つ御神は旅ゆきもし知らぬ君を恵みたまはな(万葉集、坂上郎女)
連体助詞「な」、禁止の終助詞「な」、軽い詠嘆の間投助詞「な」と同音であるが、別の語である。
活用語の未然形に接続し、 話しかける相手に対し「〜してほしい」という希望の意をあらわす。前項の助詞「な」の2とほぼ同じ意味になるが、「ね」は親愛・尊敬の助動詞「す」あるいは尊敬の助動詞「たまふ」と共に用いられることが多い点に特徴がある。平安時代以降はほとんど用例を見ないが、近世の万葉調歌人が復活させた。
天飛ぶ鳥も使ひぞ鶴 が音の聞こえむ時は我が名問はさね(古事記、木梨軽皇子)
我が主の御霊 賜ひて春さらば奈良の都に召上げ賜はね(万葉集、山上憶良)
今朝いたく雨乞鳥 の鳴けりしぞ早乙女まけて早苗とらさね(悠然院様御詠草、田安宗武)
禁止をあらわす助詞「な」「そ」と共に「な〜そね」の形で用い、話しかける相手に対して「〜してくれるな」と願う意をあらわす。
奥山の菅の葉しのぎ降る雪の消 なば惜しけむ雨な降りそね(万葉集、大伴安麻呂)
完了の助動詞「ぬ」の命令形「ね」と紛らわしいが、助詞の「ね」は未然形接続、助動詞の「ね」は連用形接続である。
帰らね 「ね」は助詞。「帰りなさいな」の意。
帰りね 「ね」は助動詞。「帰ってしまえ」の意。
活用語の未然形に接続し、 話しかける相手に対し「〜してほしい」という希望の意をあらわす。前項の助詞「な」に助詞「も」が添わった「なも」が古形で、転じて「なむ」となった。「な」とだけ言うのに比べ、より詠嘆的なニュアンスが伴う。
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(万葉集、額田王)
霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我を音し泣くも(万葉集、元正天皇)
飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端にげて入れずもあらなむ(古今集、在原業平)
※複合助動詞「なむ」(完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」)と紛らわしいが、助詞「なむ」は未然形接続、複合助動詞「なむ」は連用形接続である。
あらなむ 「あってほしい」の意。「なむ」は希望の助詞。
ありなむ 「きっとあるだろう」の意。「なむ」は複合助動詞。
動詞・助動詞の未然形に付く。もとは接続助詞「ば」に係助詞「や」の付いたもので、話し手が自らの行為につき仮想し、その実現を希望していることをあらわす。「〜できたらなあ」「〜したいなあ」。
恋ひわびぬしばしも寝ばや夢のうちに見ゆれば逢ひぬ見ねば忘れぬ(新千載集、小野小町)
あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや(後撰集、源信明)
奈良時代以前、活用語の連用形に付いて、「〜してほしい」との希望をあらわす。
わたつみの豊旗雲に入日さしこよひの月夜さやけかりこそ(万葉集、天智天皇)
我が行は久にはあらじ夢のわだ瀬とはならずて淵にてありこそ(万葉集、大伴旅人)
終助詞「こそ」は係助詞「こそ」の文末用法とする説があるが、異説もある。
「〜がほしい」「〜でありたい」という願望をあらわす。奈良時代以前に用いられた。
三栗の那賀に向かへる曝井の絶えず通はむそこに妻もが(万葉集、高橋虫麻呂)
撫子がその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ(万葉集、大伴家持)
川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて(万葉集、吹黄刀自)
志雄路からただ越え来れば羽咋の海朝凪したり船楫もがも(万葉集、大伴家持)
願望をあらわす。上代の「もがも」からの転。「〜がほしい」「〜でありたい」などの意。
名にしおはば相坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな(後撰集、藤原定方)
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな(後拾遺集、藤原義孝)
あらざらんこの世のほかの思ひ出に今一たびの逢ふこともがな(後拾遺集、和泉式部)
過去の助動詞「し」と終助詞「か」の結び付いたものとも、過去の助動詞の已然形「しか」の転用ともいう。完了の助動詞「つ」の連用形「て」に付き、「てしか」の形で用いられることが多い。自分の行為につき「〜したい」という願望をあらわす。のち「しがな」に取って代わられる。
霍公鳥無かる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも(万葉集、弓削皇子)
あな恋し今も見てしか山がつの垣ほにさける大和撫子(古今集、読人不知)
しがな 「しか」が濁音化し、終助詞「な」と結び付いたもの。完了の助動詞「つ」の連用形「て」と結び付いて「〜てしがな」と遣うことが多い。「〜したいものだ」の意。
久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな(拾遺集、菅原道真母)
紀の国や由良の湊にひろふてふ玉さかにだに逢ひみてしがな(新古今集、藤原長方)
活用語の終止形に付いて、「〜するな」と禁止する意をあらわす。現代口語に継承されている。
大和道は雲隠れたりしかれども吾が振る袖をなめしと思ふな(万葉集、筑紫娘子)
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな(拾遺集、菅原道真)
動詞の連用形(カ変・サ変では未然形「こ」「せ」)に付き、禁止の意をあらわす。終助詞「な」よりも丁寧な、あるいは婉曲な言い方になる。「〜してくれるな」「〜なさるな」。
ありつつも見(め)したまはむぞ大殿のこのもとほりの雪な踏みそね(万葉集、三方沙弥)
きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜のながき思ひは我ぞまされる(古今集、藤原忠房)
牛の子に踏まるな庭のかたつぶり角のあるとて身をば頼みそ(寂蓮集、寂蓮)
公開日:平成19年4月22日
最終更新日:平成23年05月10日