但馬皇女 たじまのひめみこ 生年未詳〜和銅元(708) 略伝

天武天皇の皇女。母は氷上娘。万葉集に四首の作歌が見え、持統十年(696)以前、高市皇子の宮にいて穂積皇子を偲んだ歌などがある。和銅元年(708)六月二十五日、薨ず。同年冬、穂積皇子が詠んだ悲傷歌がある。

但馬皇女の御歌一首 一書に云はく、子部王の作

言しげき里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを(万8-1515)

【通釈】人の評判がやかましい里に住むくらいなら、今朝鳴いた雁といっしょに常世の国へ飛んで行ってしまえばよかった。

【補記】秋雑歌に分類するが、「言(こと)しげき」は恋の噂について言うのが普通。なお題詞脚注の子部王は不詳。巻十六には児部女王の名が見える。

但馬皇女の高市皇子の宮に(いま)す時、穂積皇子を思ひて作らす歌一首

秋の田の穂向きのよれる片寄りに君によりなな言痛(こちた)かりとも(万2-114)

【通釈】秋の田の稲穂が一つの方向に向いているように、私はひたすらあなたの方に寄りかってしまおう。世間の評判がいくらうるさくとも。

【語釈】◇寄りなな 「なな」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に誂えの終助詞「な」が付いたもの。「〜してしまいたい」「〜してしまおう」という意志をあらわす。

穂積皇子に(みことのり)して、近江の志賀の山寺に遣はさるる時、但馬皇女の作らす歌一首

おくれゐて恋ひつつあらずは追ひしかむ道の隈廻(くまみ)に標結へ我が()(万2-115)

【通釈】後に残って恋しがっているよりは、いっそ出掛けて行ってあなたに追いつきたい。道の曲がり角ごとに、目印を結びつけておいて下さい、あなた。

【補記】「標結(しめゆ)へ」を、道祖神に対し旅の無事を祈る行為であると解する説もある。

但馬皇女の、高市皇子の宮に(いま))す時、穂積皇子に(ひそ)かに()ひ、事すでに(あらは)れて後に作らす歌一首

人言(ひとごと)をしげみ言痛(こちた)み生ける世にいまだ渡らぬ朝川渡る(万2-116)

【通釈】人の評判が余りうるさく煩わしいので、生まれてこの方経験したこともない程、衣に袖を濡らしています。

【補記】「朝川」は原文も「朝川」だが、「浅川」のことか。「深い川なら舟で渡るが、淺い川故、かち渉りして、濡れたのに譬へたのである」(折口信夫『口譯萬葉集』)。川は恋の障害の隠喩ゆえ、情事を成し遂げる決意をも暗に示している。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日