倭姫王 やまとのひめみこ 生没年未詳

舒明天皇の孫。古人大兄皇子の子。「倭」の名は、百済武寧王の後裔を称する渡来氏族の倭(やまと)氏に養育をうけた故であろう。天智七年(668)二月、大后となる。天智天皇の危篤および崩御の際に詠んだ歌四首が万葉集に収められている。

天皇の聖躬(せいきゆう)不予(ふよ)の時、大后の奉る御歌一首

天の原ふりさけ見れば大君の御寿(みいのち)は長く(あま)足らしたり(万2-147)

【通釈】天空を振り仰いで見れば、天皇の御命は長く、空に満ち足りるほどである。

【補記】天智十年(671)、天智天皇臨終の際の歌。天皇は同年十二月三日、崩御。四十六歳。

【主な派生歌】
山藤の花序の昏れゆく車窓にぞ師のみいのちは天垂らしたり(山中智恵子)

近江天皇聖体(せいたい)不予(ふよ)、御病(には)かにある時、大后の奉献(たてまつ)る御歌一首

青旗の木幡(こはた)の上をかよふとは目には見れども(ただ)に逢はぬかも(万2-148)

【通釈】木幡山の上を天皇の御魂(みたま)が往き来すると目には見えるけれども、じかにはお会いできないことよ。

【語釈】◇青旗の 地名「木幡」の枕詞か。「青旗の葛木山に」(4-509)、「青旗の忍坂の山は」(13-3331)などの用例もあり、青々と茂る樹木を青旗に喩えたものか。◇木幡 原文は「木旗」。京都府宇治市北部に木幡の地名が残る。ここでは山の名として言うか。天智天皇の山科御陵に近い。◇かよふ 亡くなった天皇の魂が行き来する。

【主な派生歌】
その問ひを負へよ夕日は降(くだ)ちゆき幻日のごと青旗なびく(山中智恵子)

天皇の崩御(かむあがりま)せる時、大后の御作(つく)りたまふ歌一首

人はよし思ひやむとも玉蘰(たまかづら)影に見えつつ忘らえぬかも(万2-149)

【通釈】たとえ他の人はお慕いしないようになっても、いつも面影に見えて、私には忘れられないよ。

【語釈】◇人はよし たとえ他の人は…であろうとも(それはよい)。◇玉蘰 「影」の枕詞。「玉縵は玉の光明(ひかり)の、きらきらと照映(てりかがよ)ふものなるゆゑに、玉縵映(かげ)とはいへるなり」(萬葉集古義)。◇影に見えつつ 面影が常に見え見えして。

【補記】天智天皇崩御の際の歌。天皇は天智十年(671)十二月三日崩御。四十六歳。

天皇の大殯(おほあらき)の時 大后の御歌一首

いさなとり 淡海(あふみ)の海を 沖()けて ()ぎ来る船 ()付きて ()ぎ来る船 沖つ(かい) いたくな()ねそ ()(かい) いたくな()ねそ 若草の (つま)(みこと)の 思ふ鳥立つ (万2-153)

【通釈】琵琶湖を沖合遥か漕いで来る船、岸近く漕いで来る船――沖の船の櫂はひどく撥ねないで。岸辺の船の櫂はひどく撥ねないで。亡き夫の愛する鳥が、驚いて飛び立ってしまうから。

【語釈】[題詞]◇大殯(おほあらき) 遺体を棺に入れたまま埋葬までの間安置しておくこと。この間、なお魂の復活があり得ると信じられた。
[歌]◇いさなとり 「海」に掛かる枕詞。「いさな」は鯨。◇淡海の海 今の琵琶湖にあたる。◇沖放けて 沖はるかに。◇辺付きて 岸に沿って。◇沖つ櫂 「沖放けて…辺付きて」の対句に対して、櫂についても「沖つ櫂…辺つ櫂」と対句で受けた。◇いたくな撥ねそ ひどく撥ねないで下さい。◇若草の 「夫(つま)」の枕詞◇夫の命の思ふ鳥立つ 故天皇の愛された鳥が(櫂の音に驚いて)飛び立ってしまう。鳥は亡き天皇の魂の暗喩でもある。

【補記】天智天皇が崩じ、大殯、すなわち本葬前の遺体安置期間における歌。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月15日