藤原俊成女 ふじわらのとしなりのむすめ 生没年未詳(1171?〜1254?)

藤原俊成の養女。実父は尾張守左近少将藤原盛頼、母は八条院三条(俊成の娘)。俊成は実の祖父にあたるが、その歌才ゆえ父の名を冠した「俊成卿女」「俊成女」の名誉ある称を得たのであろう。晩年の住居に因み嵯峨禅尼、越部禅尼などとも呼ばれる。勅撰集等の作者名表記としては「侍従具定母」とも。
治承元年(1177)、七歳の頃、父盛頼は鹿ヶ谷の変に連座して官を解かれ、八条院三条と離婚。以後、俊成卿女は祖父俊成のもとに預けられたものらしい。建久元年(1190)頃、源通具通親の子)と結婚し、一女と具定を産む。しかし夫は正治元年(1199)頃、幼帝土御門の乳母按察局を妻に迎え、以後の結婚生活は決して幸福なものではなかったようである。
後鳥羽院主催の建仁元年(1201)八月十五日撰歌合が「俊成卿女」の名の初見。同年の院三度百首(千五百番歌合)にも詠進している。同二年(1202)、後鳥羽院に召され、女房として御所に出仕する。院歌壇の中心メンバーの一人として、「水無瀬恋十五首歌合」「八幡宮撰歌合」「春日社歌合」「元久詩歌合」「最勝四天王院障子和歌」などに出詠した。
建保元年(1213)、出家。以後も旺盛な作歌活動を続け、建保三年(1215)の「内裏名所百首」をはじめ、順徳天皇の内裏歌壇を中心に活躍した。安貞元年(1227)、夫通具の死後、嵯峨に隠棲。貞永二年(1233)頃、兄定家の『新勅撰和歌集』撰進の資料として、家集『俊成卿女集』を自撰した。仁治二年(1241)の定家死後、播磨国越部庄に下り、余生を過ごした。晩年まで創作に衰えを見せず、宝治二年(1248)の後嵯峨院「宝治百首」などに健在ぶりが窺える。
建長三年(1251)以後、甥(実の従弟)為家に続後撰集に関する評などを送った『越部禅尼消息』がある。また物語批評の書『無名草子』の著者を俊成卿女とする説がある。
新古今集の29首をはじめ、勅撰集に計116首を入集。宮内卿と共に新古今の新世代を代表する女流歌人。新三十六歌仙

「今の御代には、俊成卿女と聞こゆる人、宮内卿、この二人ぞ昔にも恥じぬ上手共成りける。哥のよみ様こそことの外に変りて侍れ。人の語り侍りしは、俊成卿女は晴の哥よまんとては、まづ日を兼ねてもろもろの集どもをくり返しよくよく見て、思ふばかり見終りぬれば、皆とり置きて、火かすかにともし、人音なくしてぞ案ぜられける」(鴨長明『無名抄』)。
「幽玄にして唯美な作として、俊成女ほどに象徴的な美の姿を、ことばで描き出した詩人はなかつた。俊成女のつくりあげた歌のあるものは、たゞ何となく美しいやうなもので、その美しさは限りない。かういふ文字で描かれた美しさの相をみると、普通の造形藝術といふものの低さが明白にわかるのである。音樂の美しさよりももつと淡いもので、形なく、意もなく、しかも濃かな美がそこに描かれてゐる。驚嘆すべき藝術をつくつた人たちの一人である」(保田與重郎『日本語録』)

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勅撰集入集歌と家集『俊成卿女集』から選んだ。『俊成卿女集』は主に岩波古典大系の『平安鎌倉私家集』所収のテキストを参考とした。

  8首  4首  10首  7首  13首  10首 計52首

千五百番歌合に

梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月(新古47)

【通釈】見れば見るほど美しく、かげばかぐほど香わしい梅の花――色も香も昔のままで、春の夜の月と共に、同じ昔を思い出すよすがである。

【補記】建仁元年(1201)に後鳥羽院に詠進した百首歌の一。同百首は翌年歌合とされて千五百番歌合と称される。掲出歌は七十七番右勝。藤原忠良の判詞は「おなじかたみのはるの夜の月尤宜し、勝とすべし」。

【他出】自讃歌、続歌仙落書、俊成卿女集、新三十六人撰

【本歌】素性法師「古今集」
よそにのみ哀れとぞ見し梅の花あかぬ色香は折りてなりけり

千五百番歌合に

風かよふねざめの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢(新古112)

【通釈】春の夜、夢からさめると、床を風が吹きかよい、袖は花の香に匂う。そして枕にも花の香り――夢の中でも花が散っていたかのように。

【補記】風のけはいに夢から目が覚めると、袖が花の香にかおり、枕も同じように匂って、その枕で見た「春の夜の夢」を反芻しているのである。「夢から現実への意識の流れを写そうとする点は、定家の『夢の浮橋』(三八)の歌と同一である」(全註解)。千五百番歌合百二十番右勝。忠良の判詞は「左右の花の香ともに宜しく侍れど、右すがたをかしく侍り、勝とすべし」。

【参考】「和漢朗詠集・蘭」(→資料編
曲驚楚客秋絃馥 夢断燕姫暁枕薫

題しらず

恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば(新古140)

【通釈】恨まずにいられようか、花が、浮世を厭いつつ、「風の誘いがあるなら、散ってしまおう」と思っているのを。

【補記】建仁三年(1203)以前に夫の通具の歌と合わせた歌合(断簡のみ伝存)に見える歌。

【他出】俊成卿女集、新三十六人撰、歌林良材

【本歌】小野小町「古今集」
わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ

みづうみ

にほのうみ春はかすみの志賀の波花に吹きなす比良(ひら)の山風(俊成卿女集)

【通釈】春の鳰の海に来てみれば、志賀の浦には霞がかかり、寄せる波もぼんやりと見える。そこへ、比良の山から風が吹き下ろし、桜の花びらを湖上に舞い散らせると、波はさながら花の波となる。

【語釈】◇にほのうみ 鳰の海。琵琶湖の古名。◇比良の山 琵琶湖西岸の山。冷たい山おろしが吹く。

暮山花

月影もうつろふ花にかはる色の夕べを春もみよしの山(俊成卿女集補遺)

【通釈】春も暮れて花の色はうつろい、それを映し出す月の光の色も変化してゆく。こんなあわれな春の夕べを、み吉野の山に見た。

百首歌奉りし時、春月

ながむれば我が身ひとつのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月(続後撰146)

【通釈】空を眺めれば、春の夜の月――私ひとりが懐かしい人たちとは別世界に生きているこの世にあって、月だけは昔のままに輝いている。

【語釈】◇我が身ひとつのあらぬ世に 親しい人々はすでに亡く、自分一人が別世界(現世)にあって。

【補記】宝治二年(1248)の宝治百首。俊成女はこの頃七十代後半か。

題しらず

つもりぬる別れは春にならへども慰めかねて暮るる空かな(新後拾遺159)

【通釈】春ごとに花と別れる経験をしてきたので、別れの辛さには慣れている――そうは思っても、自分を慰めようもなく、暮れてゆく空であるよ。

【参考歌】和泉式部「詞花集」
人知れず物思ふことはならひにき花に別れぬ春しなければ

暮春

暮れはつる空さへ悲し心からいとひし春のながめせしまに(俊成卿女集)

【通釈】暮れ果ててしまった空――それを眺めることさえ切なくてならない。我が心ゆえに厭わしい春、この季節特有の物思いに耽っていた間に……。

【語釈】◇暮れはつる 一日の終りとともに、春の終焉をも暗示している。

【補記】「心からいとひし春」とは、「自分の気持が原因で避け嫌った春」ということ。第四句を「いとひしも春の」とする本もある。これも洞院摂政家百首、晩年の作。

【本歌】小野小町「古今集」
花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに

夏の始の歌とてよみ侍りける

折ふしもうつればかへつ世の中の人のこころの花ぞめの袖(新古179)

【通釈】春の花も散り、時節は夏へと移ったので、世の中の人々も花染の衣を脱ぎ、夏衣に衣替えをした。人の心も花染の袖のようにうつろいやすいのだ。

【語釈】◇折ふしもうつれば 季節が移ったので。◇かへつ 花染の衣から夏衣に、衣を替えた。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
世の中の人の心は花染のうつろひやすき色にぞありける
  小野小町「古今集」
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける

題しらず

橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香ぞする(新古245)

【通釈】橘の花の匂うあたりでする転た寝では、見る夢も昔の袖の香がするのだ。

【補記】建仁三年(1203)四月以前、夫の源通具と共に行った歌合(通称「通具俊成卿女歌合」)の十八番右に見える歌。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

衛門督(ゑもんのかみ)の殿への百首 夏

しのばじな我もむかしの夕まぐれ花橘に風はすぐらん(俊成卿女集)

【通釈】貴方のことはもう思慕するまい。貴方にとって私など、はるか昔のことで、夕闇にまぎれたようにほのかな想い出に過ぎないのだから。風は橘の花に気づきもせず、吹き過ぎてゆくだろう。

【語釈】◇衛門督の殿 夫の源通具。◇夕まぐれ 夕方、ものの姿がぼんやり見える頃をいう。

【補記】「花橘」に自身を、「風」に夫を暗喩。

【参考歌】藤原俊成「新古今集」
誰かまた花橘に思ひ出でん我も昔の人となりなば

宝治百首歌の中に、水辺蛍

秋ちかし雲ゐまでとやゆく蛍沢べの水に影のみだるる(風雅400)

【通釈】秋が近い。空までと蛍は飛んでゆくのか。沢辺の水に映った影が(風に)乱れている。

【補記】本歌により風を隠したのであろう。「ゆく蛍」は「逝く蛍」でもある。

【本歌】「伊勢物語」
ゆく蛍雲の上までいぬべくは秋風ふくと雁に告げこせ

五十首歌奉りし時、杜間月といふことを

大荒木の杜の木の間をもりかねて人だのめなる秋の夜の月(新古375)

【通釈】「大粗」と名のつく大荒木の森は、月の光をよく透すはずなのに、実際には葉が茂っている。それで光はよく漏れず、秋の夜の月は人にむなしい期待をさせるばかりである。

【語釈】◇大荒木の杜 山城国の歌枕。所在不詳であるが、桂川の河川敷にあった森ともいう。古今集の本歌のように、下草を詠んで我が身の老いや落魄を歎く例が多いが、この歌では、その意味はない。「おほあら」に大粗を掛け、木の葉のまばらな森の意を掛けている。◇人だのめなる 人に空頼みをさせる。むなしい期待をさせる。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし

題しらず

ことわりの秋にはあへぬ涙かな月の桂もかはる光に(新古391)

【通釈】秋はあわれを催すのが道理であるが、やはりこらえきれずに涙を流してしまう。月に生えているという桂の木の葉も黄色に染まって、鮮やかさを増した光を見れば。

【語釈】◇月の桂 月に桂が生えているとするのは中国渡来の伝説で、万葉集にも「月の内の桂」「月人の桂」と見える。「桂」は元来肉桂または桂花(キンモクセイの類)などの香木を言ったらしいが、日本では落葉樹の桂に擬せられた。桂の木は秋、黄色からオレンジ色へと美しく染まる。

【参考歌】紀貫之「古今集」
千早ぶる神のいがきにはふ蔦も秋にはあへず移ろひにけり
  壬生忠岑「古今集」
久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ

海辺秋月

波のうへは千里のほかに雲さえて月影かよふ秋の潮風(俊成卿女集補遺)

【語釈】◇千里(ちさと)のほかに 千里の外に。「ちさと」は漢語「千里(せんり)」の訓読語。遥かな距離。◇雲さえて 上空はるかにある雲が、氷ったように冴え冴えと見えるさま。◇月影かよふ 月の光が雲を出たり入ったりする。

和歌所歌合に、田家月を

稲葉ふく風にまかせてすむ庵は月ぞまことにもり明かしける(新古428)

【語釈】◇風にまかせて 風が吹くのにまかせて。◇すむ庵は この庵は農事の際に籠る庵。◇もり 月の光が漏る意と、田を守る意を掛ける。

題しらず

あくがれて寝ぬ夜の塵のつもるまで月にはらはぬ床のさむしろ(新古429)

【通釈】月に心を奪われて(あちこち歩き回り)、寝ずに過ごす夜々――狭筵の寝床の上に塵が積もるまで、月の光のために払うこともしない。

【語釈】◇塵のつもるまで 床に積もった塵は、普通は男の訪れがないことを暗示する。◇さむしろ 筵。「さ」は「さ夜」「さ衣」などと同じ類の接頭語。◇月にはらはぬ 月のせいで寝床を使わないので、塵を払うこともない。新古典大系は「共寝の床の塵は男が払い、女は勝手に取替えないという習俗があった(大和物語一四〇段など)」と指摘する。

【補記】制作年、作歌事情などは不明。

北山三十首 秋

すみまさる月ばかりこそ変はりゆくうき世の秋をなほしのびけれ(俊成卿女集)

【通釈】澄明さを加えてゆく月――その月の美しさにのみ、変わりゆく現世の秋をまた堪え忍ぶのだった。

【補記】「月ばかりこそ」は「月ばかりにこそ」の意であろう。

題しらず

吹きまよふ雲ゐをわたる初雁のつばさにならす夜はの秋風(新古505)

【通釈】雲があてもなく吹き流される空――その空を渡る初雁が翼を打って鳴らしながら、夜の秋風に翼を馴らしている。

【語釈】◇初雁の 初雁が。◇つばさにならす 「ならす」は「慣らす」「鳴らす」の掛詞か。翼を打って鳴らしながら、まだ慣れない秋風に翼を馴れさせる。

【補記】結句を「四方の秋風」とする本もある。

題しらず

あだに散る露の枕にふしわびて鶉なくなりとこの山風(新古514)

【語釈】◇あだに散る はかなく散る。◇露の枕 鶉が枕にして寝る、露の置いた草叢を言う。◇ふしわびて 露けさに寝つけないさま。◇とこの山風 「とこの山」は近江国の歌枕。「鳥籠の山」とも書く。鶉の寝床を掛ける。

千五百番歌合に (二首)

とふ人も嵐吹きそふ秋はきて木の葉にうづむ宿の道芝(新古515)

【通釈】もう訪ふ人もあるまい――そう思わせるような山風が吹きつのる秋が来て、我が家に通ずる道の雑草は落葉に埋もれてゆく。

【補記】嵐に「あらじ」を掛ける。

 

色かはる露をば袖に置きまよひうらがれてゆく野辺の秋風(新古516)

【語釈】◇置きまよひ おびただしく置いて。

衛門督の殿への百首 冬

真木の屋のあられ降る夜の夢よりもうき世をさませ四方の木枯し(俊成卿女集)

【語釈】◇真木の屋 檜板で葺いた家。霰が降ると音をたてる。◇うき世をさませ 現世の儚さから私の目を覚まさせよ。

千五百番歌合に

さえわびてさむる枕に影みれば霜ふかき夜の有明の月(新古608)

【語釈】◇さえわびて 寒さに耐えかねて。◇影見れば 枕に射す光を見たのである。◇霜ふかき夜の 深きは霜・夜両方にかかる。霜が深く置いている、深夜の。

題しらず

霜枯れはそことも見えぬ草の原たれにとはまし秋のなごりを(新古617)

【本歌】
尋ぬべき草の原さへ霜枯れて誰に問はまし道芝の露(狭衣物語)
うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ(源氏物語)

嵯峨野

花をみし秋の嵯峨野の露の色も枯葉の霜にかはる月影(俊成卿女集補遺)

【通釈】秋の草花を眺めた嵯峨野、あの時の美しかった露も、今や枯葉の上に置いた霜に取って代わられ、月影が寒々と射している。

【語釈】◇嵯峨野 平安京西郊。俊成卿女晩年の隠棲の地。◇花を見し 萩や女郎花など、秋の花を見た。

【補記】建保三年(1215)十月、順徳院の命によって詠進された建保名所百首。秋の草花の名所とされた嵯峨野の冬を詠む。露と霜を対比することで、冬の枯野の悽愴たる風情を深めている。

詠百首和歌 雪 (二首)

かきくらし日数ふるやの軒とぢて空には深き雪の白雲(俊成卿女集)

【語釈】◇かきくらし日数ふるやの 曇の日が何日も続く意と、暗くさびれた古家の意を掛ける。◇軒閉ぢて 雪に備えて軒を閉じる意ばかりでなく、雪雲が空を閉じ、軒にまで垂れ込めているかのような情景を暗示する。

 

まがへ来し月と花とのあはれまで雪にこもれるみ吉野の山(俊成卿女集)

【語釈】◇まがへ来し 散る花と雪、また雪と月明りを見間違う歌は、営々と詠み継がれてきた。◇あはれまで… そうした艶な風情までも籠めるかのように、雪が降り覆っている吉野の山。

年の暮によみ侍りける

へだて行くよよの面かげかきくらし雪とふりぬるとしの暮かな(新古693)

【通釈】こうして過ぎ去り、積み重なってゆく歳月が、その時代時代の懐かしい面影を私からさらに遠く隔ててゆき、雪が空をいちめん曇らせて降るように茫々と見えなくしてしまう、年の暮れであるよ。

【補記】「ふりぬる」は「降りぬる」「古りぬる」の掛詞。源通具との二人歌合「通具俊成卿女歌合」に初出。新古今集では作者名を「皇太后宮大夫俊成」とする本もある。また第四句「雪にふりぬる」とする本も。

五十首歌奉りしに、寄雲恋

下もえに思ひ消えなむ煙だに跡なき雲のはてぞかなしき(新古1081)

【通釈】おもてには顕わさず、ひそかに思い焦がれるまま、我が身は燃え尽きてしまうだろう、そしてその煙さえ、跡形もなく雲の果に消えてしまうだろう、と思えば悲しい。

【補記】建仁元年(1201)の仙洞句題五十首。

【他出】自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、続歌仙落書、俊成卿女集、新時代不同歌合、題林愚抄、兼載雑談

【参考歌】「狭衣物語」四
消え果てて煙は空にかすむとも雲のけしきをわれと知らじな
かすめよな思ひ消えなむ煙にも立ち遅れてはくゆらざらまし

寄雲恋

しられじな夕べの雲をそれとだにいはで思ひの下に消えなば(続後撰674)

【通釈】知られはしないだろう。夕べの雲が紅に染まるように、私の心は恋に染まっているが、そうとは口に出さずに、この思いを胸の奥にひそめたまま消してしまえば…。

建仁元年五十首歌奉ける時、寄風恋

いかなりし風のたよりに聞きそめて身にしむ恋のつまとなりけん(新千載1036)

【語釈】◇風のたより 噂。◇恋のつま 「つま」は端緒、発端などの意。

水無瀬恋十五首歌合に、春恋の心を

面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖の涙に(新古1136)

【通釈】あの人の面影が、ほのかに重なって見える、霞んだ夜空の月――その月明りが、昔ながらの春に恋人を偲んで落とす、私の袖の涙に映っていた。

【語釈】◇かすめる 「面影の」を受け、かつ「月」に掛かる。◇月ぞやどりける 月の光が、袖の涙に宿っていた。

【補記】建仁二年(1202)九月十三日、後鳥羽院が水無瀬離宮で催した歌合、水無瀬恋十五首歌合、一番右負。

【他出】若宮撰歌合、水無瀬桜宮十五番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、俊成卿女集、新三十六人撰、桐火桶、女房三十六人歌合、題林愚抄

【本歌】在原業平「古今集」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

被忘恋の心を

露はらふ寝覚は秋の昔にて見はてぬ夢にのこる面影(新古1326)

【通釈】露(涙)をはらいつつ夢から目をさますと、我が身はあの人と別れた秋(「飽き」を掛ける)のままの私であった――夢では再び逢って睦まじくしていたというのに――。見果てぬ夢の残像に、あの人の面影ばかりがいつまでも留まっている。

【他出】定家十体(幽玄様)、俊成卿女集、三五記

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
涙川流す寝覚もあるものを払ふばかりの露や何なる
  よみ人しらず「古今集」
命にもまさりてをしくあるものは見果てぬ夢の覚むるなりけり

恋の歌あまたよみ侍りけるに

とへかしな浅茅ふきこす秋風にひとりくだくる露の枕を(新勅撰919)

【通釈】訪うて下さいな。我が家の荒れた庭の上を吹き過ぎる秋風に、自然と砕ける浅茅の露――そんな露が置いている私の枕を。

【語釈】◇浅茅 丈の低いチガヤ。荒れた庭を象徴するもの。◇秋風 「飽き」の意が掛かり、恋人の心を暗示する。◇露の枕 露に涙を暗示。

【補記】夫通具に贈った「衛門督の殿への百首」の秋歌。

水無瀬の恋十五首歌合に (二首)

ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりを待つとせしまに(新古1334)

【通釈】袖に時雨は降ったことだ、秋になって…「秋になったら」と契った、その言葉ばかりを頼りに、待つ気でいた間に…むなしく時は過ぎて、約束は言い古されてしまった。私の袖には涙が降り注ぐ。

【語釈】◇ふりにけり 「(時雨は)降りにけり」「(いひしことは)古りにけり」の掛詞。◇時雨は袖に 涙が袖を濡らすことを暗示する。◇秋かけて 上下の句に掛かる。秋になって時雨は…、秋を目当てとして約束した…。

【補記】建仁二年(1201)九月十三日、後鳥羽院が催した水無瀬恋十五首歌合、題は「寄雨恋」、六十六番右勝。俊成の判詞は「時雨は袖に秋かけてなどいへるもじつづき、えんに侍るにや」。

【他出】若宮撰歌合、水無瀬桜宮十五番歌合、自讃歌、定家十体(幽玄様)、俊成卿女集、新三十六人撰、心敬私語

【参考歌】「伊勢物語」
秋かけて言ひしながらもあらなくに木の葉ふりしくえにこそありけれ
  小野小町「古今集」
花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに
  素性法師「古今集」
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな

 

かよひこし宿の道芝かれがれに跡なき霜のむすぼほれつつ(新古1335)

【通釈】あの人が通って来た庭の小道の雑草は枯れてゆき、訪れもだんだん絶えるようになって、毎朝、その道には足跡のついていない霜が降りる――私の心もふさぎ込んでばかりで。

【語釈】◇かよひこし 恋人が通って来た。◇かれがれに 道芝が枯れる意に、恋人の心が離(か)れる意を掛ける。◇跡なき霜 人の足跡がついていない霜。◇むすぼほれつつ 霜が結ぶ意に、心が結ぼほれる(鬱屈する)意を掛ける。

【補記】前歌と同じ歌合、題は「冬恋」、二十番左勝。俊成の判詞は「心すがたよろしく侍るべし」。

【他出】若宮撰歌合、水無瀬桜宮十五番歌合、俊成卿女集

和歌所歌合に、遇不逢恋の心を

夢かとよ見し面影も契りしも忘れずながらうつつならねば(新古1391)

【通釈】夢であったかと思えるよ。逢った時の面影も、契りを交わしたことも――記憶にはあるものの、いま現実には存在しないので。

【語釈】◇遇不逢恋 かつて遇い、その後逢えなくなった恋。◇うつつならねば 恋人との記憶は確かにあるのに、現実に恋人と逢えないことを言う。

【補記】建仁二年(1202)五月二十六日、後鳥羽院が鳥羽城南寺において催した歌合(仙洞影供歌合)、八番左持(判詞無し)。

【他出】自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、続歌仙落書、俊成卿女集、新三十六人撰、新時代不同歌合、桐火桶、女房三十六人歌合、題林愚抄

詠百首和歌 逢不逢恋

ふきすぐる夕べもとはぬ荻の葉に待つ宵ふけし秋風の声(俊成卿女集)

【語釈】◇ふきすぐる夕べ 風が(秋を告げつつ)吹き過ぎてゆく夕べ。荻の葉に吹く秋風は、女のもとを訪ねる男の暗喩として和歌に常用された。秋に「飽き」を掛けるのも常套。

【本歌】よみ人しらず「後撰集」
いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋と告げつる音のわびしさ

洞院摂政家百首歌に、忍恋

いかにせんしのぶの山に道たえて思ひいれども露のふかさを(続後撰667)

【語釈】◇しのぶの山 福島県の歌枕。「山道が絶えて、進もうにも草葉の露の深さに困惑する」という旅の情景描写に、「忍び切れなくなって、涙があふれてしまう」という恋情の描写を重ねている。

題しらず

ながれての名をさへしのぶ思ひ川あはでもきえね瀬々のうたかた(新勅撰704)

【語釈】◇流れての名 浮名。◇思ひ川 絶えず湧いては流れる恋の思いを川に例える。大宰府のあたりを流れる染川のことともいう。◇うたかた 水泡。

【本歌】伊勢「後撰集」
思ひ川たえずながるる水の泡のうたかた人に逢はできえめや

北山三十首 恋

暮れはつる尾花がもとの思ひ草はかなの野辺の露のよすがや(俊成卿女集)

【通釈】すっかり暮れ切ってしまった野辺の、尾花の下で咲いている思い草――これが、はかない露が身を寄せるよすがなのだなあ。

【語釈】◇思ひ草 ススキに寄生するナンバンギセルのことという。物思いに耽るように頭を垂れて咲くのでこう呼んだ(和歌歳時記「思い草」)。恋に悩む自身を暗喩。◇露のよすが 露が身をよせる場所。露は涙を暗示。

【補記】初句「朽ちはつる」とする本もある。

【本歌】作者未詳「万葉集」
道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何か思はむ
  和泉式部「新古今集」
野辺見れば尾花がもとの思ひ草かれゆく程になりぞしにける

千五百番歌合に

さきにけり君がみるべき行末は遠里小野の秋萩の花(新後撰1587)

【語釈】◇君がみるべき行末 あなたが経験するだろう将来。◇遠里小野(とほざとをの) 大阪市住吉区から堺市にかけての丘陵地。萩の名所。「遠」に将来が遠大であらんとの祝意をこめる。

【参考歌】藤原俊成「長秋詠藻」
君が代は遠里小野の秋萩も散らさぬほどの風ぞ吹きける

母の身まかりにけるを、嵯峨のほとりにをさめ侍りける夜よみける

今はさはうき世のさがの野辺をこそ露きえはてし跡としのばめ(新古787)

【語釈】◇さは それでは。◇うき世のさが 嵯峨に性(さが)を掛ける。「うき世の性」とは、人との死別を避けられぬという世の習い。◇露きえはてし この露は、はかない命の暗喩。

限りと聞きていそぎまかで侍りし折、昔の北向きの曙のことどもただ今のやうにあはれに候し折

消えはつる夕べもかなしあけ暮の夢にまよひし春のふるさと(俊成卿女集)

【語釈】◇限り 夫通具の臨終。通具の死は安貞元年(1227)。作者五十七歳頃。◇昔の北向きの… 源氏物語御法巻の紫上の死の場面をさすかという。◇あけ暮 夜明け直前のまだ暗い頃。◇夢にまよひし 夢かうつつかと迷った。紫の上の死後、人々の悲嘆を描写した「珍らかにいみじく、あけぐれの夢にまどひたまふ程、更なりや」に拠るか。◇ふるさと 昔住んでいた里・家。

【本歌】「源氏物語・御法」
いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えしあけぐれの空

題しらず

見し人もなきが数そふ露の世にあらましかばの秋の夕暮(続後撰1222)

【語釈】◇見し人 知人。現世で縁のあった人。◇なきが数そふ 鬼籍に入る人ばかりが増えてゆく。◇露の世 露のように儚い現世。◇あらましかばの秋の夕暮 生きていてほしかった、と思わせる秋の夕暮。

【本歌】藤原為頼「拾遺集」
世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな
  小大君「栄花物語」「後葉集」
あるはなくなきは数そふ世の中にあはれいつまであらんとすらん

和歌所歌合に、羇中暮といふことを

古里も秋はゆふべをかたみとて風のみおくる小野の篠原(新古957)

【通釈】後にしてきた都も、秋の夕暮を迎えているはずだ。旅先にある私のもとへ、古郷からの音信はなくて、ただ秋の夕べの景色ばかりを想い出のよすがにせよとて、風ばかりを吹いて寄越す。我が旅ゆく野の篠原に。

【語釈】◇羇中暮 旅のさなかの夕暮。◇古里も この古里は、都の留守宅。◇風のみおくる 都の方から、音信の代りに風ばかりを送って寄越す。

衛門督の殿への百首 春

風に散る花ゆゑ悲しうつりゆく色はむなしとそむく世なれど(俊成卿女集)

【語釈】◇衛門督の殿 夫の源通具。◇うつりゆく色はむなし 色即是空の翻訳。自身の容色の衰え、あるいは夫の心変わりなどを暗示。◇そむく世なれど そむくべき世なれど、の意。出家のことをいう。

寄風懐旧といふことを

葛の葉のうらみにかへる夢の世をわすれがたみの野辺の秋風(新古1565)

【通釈】秋風が吹き、葛の葉を裏返して去ってゆく――そのように、いくら昔を偲んでも(昔は戻ってこずに)恨みばかりが残る。それがこの世の習いなのであろうが、野辺を吹きすぎる秋風を空しく追うように、忘れようにも忘れられないのだ、夢のように儚い現世の想い出が。

【語釈】◇葛の葉の 「恨み」にかかる枕詞。◇うらみ 裏見を掛ける。

【本歌】赤染衛門「新古今集」
うつろはでしばし信田の杜を見よかへりもぞする葛のうら風

和歌所にて、述懐の心を

をしむともなみだに月も心からなれぬる袖に秋をうらみて(新古1764)

【通釈】秋を惜しむこともない。我が心から流した涙に穢(な)れ、そこに映る月にもすっかり慣れてしまった袖――その袖を見ては、秋を恨むばかりで。

【語釈】◇惜しむともなみだに 惜しむとも無き、の意を掛ける。◇心からなれぬる袖 自分の心から(自分のせいで)流した涙によって穢(な)れてしまった袖。「なれ」は「慣れ」と掛詞で、涙に月を宿すことに慣れてしまった意が掛かる。

【補記】秋は過ぎ去ることを惜しむのが世の習いであるが、「飽き」られた男を思い続けて月を袖の涙に宿す女にとっては惜しむどころか恨むばかりだと言うのである。

【他出】自讃歌、定家十体(幽玄様)、俊成卿女集、新三十六人撰、桐火桶

山家夕嵐

真柴たく笹のいほりの夕けぶりいとどかすかに吹く嵐かな(俊成卿女集)

【語釈】◇笹のいほり 笹で葺いた粗末な家。

題しらず

めぐりあはむ我がかねごとの命だに心にかなふ春の暮かは(新勅撰1054)

【通釈】いくら惜しんでも、過ぎてゆく春を留めることは出来ない。来年の春まで生きて、再びこの季節に巡り逢おう――そう祈る私の命さえ、心のままにはならないのだ。この美しい暮春の夕べに、せめてもう一度と思っても……。

【語釈】◇かねごと 予言。前以て言って置く言葉。「来年の春まで生きて、再び巡り逢おう」というのが「かねごと」の内容。◇春の暮かは 「かは」は反語。心にかなう春の暮であろうか、いやそうではない、の意。

【補記】貞永元年(1232)以前の「洞院摂政家百首」、題は「暮春」。『俊成卿女集』も春の部に入れるが、新勅撰集では雑歌としている。因みに作者の年齢は当時すでに六十を超えていたと思われる。

【本歌】白女「古今集」
命だに心にかなふ物ならばなにか別れの悲しからまし


更新日:平成14年08月11日
最終更新日:平成22年11月19日

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