筑紫娘子 つくしのおとめ 生没年未詳 

通称を児島(こしま)と言った。筑紫の遊行女婦(うかれめ)大伴旅人が大宰府にあったとき親しくしたらしい。万葉集巻三に一首、巻六に二首の歌を残している。

筑紫娘子、行旅(かうりよ)に贈る歌一首 娘子、(あざな)児島(こしま)と曰ふ

家思ふと心進むな(かざ)まもり好くしていませ荒しその路(万3-381)

【通釈】故郷の家が恋しいと、あまり心を急がせなさいますな。風向きが好転してから出航なさいませ。海路は荒くてございます。

【補記】「行旅」は旅行者。送別の宴で詠み上げた歌であろう。下と同じく大伴旅人上京の折の作と見る説もあるが、『延喜式』に大宰大弐以上は陸路を取るべしとの規定があり、旅人たち一行に贈った歌ではないと思われる。

冬十二月、大宰帥大伴卿の京に上る時、娘子の作る歌二首

(おほ)ならばかもかもせむを(かしこ)みと振りたき袖を忍びてあるかも(万6-965)

【通釈】普通の方でしたら、どうとでも振る舞いましょうが、貴方様に対しては恐れ多いので、今この場で袖を振りたい思いを堪え忍んでいるのですよ。

【補記】大伴旅人への惜別歌。「凡(おほ)」は「普通」「平凡」といった意で、「畏み」の反対として言っている。相手が特別な方であるから、自分のような者が袖を振ることは遠慮しなければ、といった気持。

 

大和道(やまとぢ)は雲隠れたりしかれども我が振る袖を無礼(なめし)と思ふな(万6-966)

右は、大宰帥大伴卿、大納言を兼任して京に向ひて上道(じやうだう)す。この日、馬を水城に駐め、府家を顧み望む。時に、卿を送る府吏(ふり)の中に遊行女婦(うかれめ)あり。その(あざな)児島(こしま)と曰ふ。ここに娘子、この別るることの易きを(いた)み、かの会ふことの難きを嘆き、(なみた)(のご)ひて、自ら袖を振る歌を(うた)ふ。

【通釈】大和への道は雲の向うに隠れて見えません。あなたが出発なされば、まもなく私の姿も見えなくなるでしょう。それでも、私はいつまでも袖を振っておりましょう。そのような振舞を無礼だとはお思いにならないで下さい。

【補記】前の歌では堪え忍んでいると言ったが、姿が見えなくなれば袖を振ろうというのである。


更新日:平成15年10月08日
最終更新日:平成21年04月20日