特集 動きを楽しむ玩具 |
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郷土玩具の魅力の一つに、玩具の様々な動きがある。車が走ったり、起き上がりが揺れたり、独楽が回ったり等々、郷土玩具が面白いのはいろいろな動きかたをするからだ。写真は、京都13でも紹介した鞍馬寺山門前の店「八重門」で購入した玩具。どれも新しい作品だが、動く仕組みは昔ながらの簡単なカラクリである。例えば、右の静御前は弓弦を左右に動かすとクルクル回るし、中央の「とんだりはねたり」では撚(よ)った糸の反発で人形が一回転すると、侍の編笠が飛んで顔が現れる。また、左の「ズボンボ」は団扇で仰ぐとフワフワと宙に舞い上がる。小欄では、これまでにも動きのある郷土玩具を地方ごとに紹介してきた(随筆06表)。ここでは未掲載の玩具を交えながら、改めて仕掛けやカラクリごとにまとめてみた。また、海外の同類の玩具もその都度紹介していくつもりである。静御前の高さ33p。(R5.6.25)

動く郷土玩具で先ず思い浮かぶのは、車輪の付いた“車玩具”である。なかでも、各地の木地師が工夫を凝らして生み出す車付きの木地玩具や挽物玩具は、その代表格といえる。転がすと、触覚が出たり引っ込んだりする海老車(木地02)、真っ赤な舌をぺろりと出す虎車(虎08)などは、とりわけ秀逸である。写真は、工業デザイナーの柳宗理が鳴子温泉のこけし工人、高橋武男のためにデザインした木地玩具。美しいミズキの木肌とすっきりした甲羅の曲線が斬新である。ちなみに、同じコラボから生まれたおもちゃにミミズク笛(木地10)がある。高さ5p。(R5.6.25)

車を引っぱると、浦島太郎は周囲を見回すようにクルリと回り、太郎を乗せた亀は頭を上下しながらのんびり歩く。車とカムが連動し、人形に上下と左右の動きを与える仕組みである。これを考案した米沢の小野川温泉にある「つたや」は、もともと弥治郎系こけしの工人だが、専らアイデア溢れる木地玩具の製作で知られるようになった。高さ16p。(R5.6.25)

「つたや」のカラクリ玩具をもう一つ紹介する。この木地玩具は、車輪と兵隊が糸で連動して太鼓を敲くという仕組みである。車と連動する“カタカタ”型の郷土玩具には、木地玩具以外にも藍搗きお蔵(徳島04)や米搗き車(和歌山01)がある。高さ15p。(R5.6.25)

自動車や汽車は、動くおもちゃにうってつけである。写真奥は前に「つたや」で作られた木地玩具の自動車で、カラクリではない(高さ26p)。ちなみに、運転手は大正から昭和にかけて新聞に連載された漫画の主人公、のんきな父さんである。手前は白石で弥治郎系工人が作る汽車(高さ17p)。蒸気ドームの上に乗る独楽がアクセント。どちらも紐を引いて転がしながら遊ぶ。(R5.6.25)

木製で無彩色、デザインもシンプルである。堅牢なばかりでなく、丸みを帯びた造形など安全性にも十分配慮されている。機関車、客車、タンク車、材木車などを自由に連結して遊べる。我が家でも子供たちの大のお気に入りだった。機関車の高さ10p。(R5.6.25)

自動車や汽車が出現する前、日本で最先端の乗り物だったのが人力車で、郷土玩具にもさっそく取り入れられている(山口02)。明治物売図聚(1)によれば、人力車は明治3年に東京で発明され、数年のうちに全国で普及した。運賃は、盛り蕎麦が1銭5厘のころ、1里8銭だったという。ところで、この明治物売図聚では玩具にも一章が割かれており、当時のおもちゃが販売の様子とともに図入りで解説されている。売りものには、独楽はもとより、風車、住吉踊り(大阪08)、与次郎兵衛(木地38)、燕(愛知27)、みみずく(東京04)、板返し、麦藁細工(水族館19)、板角力(熊本05)、ひょこり俵(大分07)、ずぼんぼ(東京02)、はね兎(東京03)など多彩だが、土人形や姉様人形にもまして、動く玩具が人気だったことが分かる。高さ11p。(R5.6.25)

鉄道や自動車の普及により次第に需要が減った人力車は、その活路を中国や東南アジアに求めた。写真はベトナムの観光土産品。人力車も現在では車椅子を自転車で押すタイプに進化し、ジクロの名で観光客の人気を博している。高さ9p。(R5.6.25)

だいぶ前だが、仕事でアメリカ東海岸に住んでいたことがある。週末ともなると、必ずどこかで“〇〇フェスト”と銘打つ祭りがあった。祭りといっても小規模で、ホットドックやアイスクリームの屋台のそばで、ある人は楽器を演奏し、ある人は果物や野菜を売り、ある人は古い家具や道具を並べたりしながら休日をのんびりと過ごす、街中のイベント程度のものだ。その一角には決まってクラフトコーナーがあり、ワゴンには手作りのアクセサリーやキルト製品、絵画や木工品などが並べられていた。この木製の馬車もそんな折に見つけたものである。歴史は浅いが、独自に育まれたアメリカンフォークアート(民間芸術)には、西欧の芸術とは一線を画す魅力的な作品が少なくない。高さ16p。(R5.6.25)

シチリア地方の豪華な上流階級用の馬車。車体は厚紙で作られていて、車輪も動く。信仰の篤い土地柄、座席の側面に聖人伝の一場面が描かれた美しいおもちゃである。高さ15p。(R5.6.25)

車のついた台(台車)の上に木製や張子製の動物などを載せた“台車玩具”も数多い(青森21、新潟01,沖縄01、馬04-06、犬14、象05、水族館01)。灯玩(灯04)や船玩具(船06)も、広い意味で台車玩具の仲間に加えて良いだろう。草津のピンピン馬も台車に張子の馬を載せているおもちゃだが、これにはもう一工夫あって、車輪が回ると底に張られた弦が弾かれ、ピンピンという音がする。草津には同じ仕組みのピンピン鯛(滋賀07)もあり、どちらも疱瘡除けの赤もの玩具(金太郎04)である。高さ30 cm。(R5.6.25)

アルパカは、南米アンデス山地で採毛用に飼われている体長2mほどの動物で、ラクダの仲間である。この毛で紡いだ毛糸や織物もアルパカと呼ばれる。いっぽうのインドには馬玩具が多い。馬のモデルは王侯貴族や軍で利用された誇り高き戦馬で、華やかな装具を纏っている。アルパカの高さ12p。(R5.6.25)

“車玩具”に次いで数が多い郷土玩具に、糸を使って動かす“糸仕掛け玩具”がある。といっても、仕組みはいたって単純。動かす箇所に糸や紐を付けて、それを引くと兎が餅を搗いたり(兎04-05)、馬が後脚を蹴り上げたり(熊本03)、人形が湯浴みしたり(鳥取15)、舌を出したり目玉をひっくり返したり(首人形01)、お面を被ったり(鹿児島08)、じつに様々な動作をする。写真は鳥取の要藏デコ。栞には、「要藏デコは人形浄瑠璃などの頭の元となったといわれるもので、袖口に忍ばせて頭だけ出して、後ろの紐を引いて頭をガクリガクリ動かして遊んだ」と紹介されている。右の高さ18p。(R5.6.25)

写真は住吉踊り(大阪08)を“糸仕掛け玩具”にしたもの。こちらのカラクリもすこぶる簡単で、握り棒に付いた横木を動かすと、人形の軸に結び付けられた凧糸が引かれ、人形がクルクル回転するという仕組み。同工異曲の玩具は全国に数多くみられる(鼠04,兎07、水族館17)。細い竹の管に糸を通した人形を手元で操作しながら、シャープで意外性のある動きを楽しむ“管(くだ)人形”(愛知05、島根04)も“糸仕掛け玩具”の仲間といえる。高さ9p。(R5.6.25)

稲作の副産物の藁は農家にとって利用価値が高く、生活用具や生産用具をつくるのに無くてはならない。縄をなったり草履を作ったりするには,まず藁を打って柔らかくする。この人形では、台の後ろにあるツマミを上げ下げすると、テグスで結ばれている腕が連動し、横槌で藁を打つ仕草をする。南砺市五箇山で作られているカラクリ玩具で、やはり“糸仕掛け玩具”の一種である。高さ11p。(R5.6.25)

大きなノコギリの先端に棒が結わえられてあり、それを押したり引いたりすると、木こりが太い丸太を挽く動作をする。南砺市利賀や花巻市で作られているカラクリ玩具である。利賀の木挽き人形(手前)の高さ18p。(R5.6.25)

我が国と同じく、タイでも米が主食である。脇の棒を押すと人形の各関節がリンクして、臼の玄米を杵で搗(つ)いて精米する様子を表した玩具。材料にも竹を使っており、風土に根ざした正に郷土玩具というべきものだろう。高さ13p。(R5.6.25)

ワイン瓶に使うコルク栓で、上に複雑な顔をした木彫人形が付いている。後ろの取っ手やツマミを引くと糸で連動し、人形が乾杯したり、電話をかけたり、太鼓を敲いたり、キスをしたり様々な仕草をする。前列左は眼鏡をかけて手紙を読む人形。高さ14p。(R5.6.25)

これも“糸仕掛け玩具”といえるもので、鶏が乗った台の取っ手を持って揺すると、糸の付いた下の球が振り子のように揺れ、それに連れて鶏たちが交互に餌を突っつく。カタカタと餌をついばむ音がするのも楽しい。美しい色彩は、マトリョーシカ(表紙60)で有名なセミョーノフ地方のおもちゃの特色である。直径13p。(R5.6.25)

こちらの鶏は、モスクワ近郊のバガロツカエ(ボゴロツコエ)で作られている手彫りの玩具。台の下にある木片を押したり引いたりすると、2羽が交互に餌をついばむ。日本にも同様のからくり玩具がある(長野16、猿13)。高さ8p。(R5.6.25)

やはりバガロツカエの木工玩具。左の熊はシャワーを浴びながら気持ちよさそうに両腕を上げ下げする。カラクリは、餌をついばむ鶏(動き19)と同じ。右のおもちゃでは、熊の胴体とツマミの間にコイルバネがあって、ツマミを押すたびに熊は鮭を捕まえる。ロシアでは熊のおもちゃが多いようだ。そういえば、ボリショイサーカスの売り物は熊の曲芸だし、1980年のモスクワオリンピックのマスコット人形も子熊のミーシャだった。恐ろしい熊も、それほど身近な動物なのだろうか。左の高さ16p。(R5.6.25)

糸で動かす“糸仕掛け玩具”に対し、糸の代わりに紙を使うのが“紙カラクリ”である。仕掛けはやはり素朴で、裏に隠した紙(あるいは紙を貼った竹串)を引いて、人形の顔を変えたり、面を着けたりして楽しむ。その例には、暫らく狐(東京01)や大入道(三重01)、面被り(鳥取06)、お化け行燈(島根03)などがある。甲府市の目っくりだしでは、板紙を切って顔を描き、切り抜いた目に三様に描いた紙が当ててあり、裏の竹串を上下すると目が変わる。三番叟の高さ22p。(R5.6.25)

次は、材料の反発力を利用した玩具に移ろう。竹やゴムは、むかしからおもちゃを動かすのによく使われてきた。竹の反発力を動力にした郷土玩具には、米喰い鼠(鼠03)、はじき猿(猿06-07)、弓獅子(埼玉04,三重06)、シタタキタロジョ(鹿児島06)などがある。子供のころに竹ひごの翼に紙を貼って作った模型飛行機は、手でプロペラを巻き、輪ゴムに撚(よ)りをかけて飛ばす仕組みだった。また、糸巻きの穴に輪ゴムを通し、割りばしを回して輪ゴムに撚りかけ、床に置いて走らせる“糸巻き車”(写真は自作)は、材料があれば簡単にできるので、誰にも作った経験はあるだろう。この類の郷土玩具には、亀車(千葉02、水族館18)や猪車(猪08)などがある。(R5.6.25)

カラフルな張子の胴体の下に“糸巻き車”が付いている。カニの脚やワニの尻尾がゴムで出来ているので、走り出すとふらふら揺れるのも楽しい。ワニの長さ35p。(R5.6.25)

この大蛇、外見はリアル過ぎるが、おもちゃの仕掛けはなかなか凝っている。硬いボール紙の頭部と柔らかい紙の蛇腹(伸ばすと80pにもなる)からなっており、“糸巻き車”は頭部の下にある。ゴムを巻いて頭部を床に置くと、ゴムの反発力で大蛇は前進するが、初めのうち進むのは頭部だけ。胴体は床との摩擦で動かないので、蛇腹は伸びる。しかし、反発力が摩擦に勝ると蛇の胴体も遅ればせながら動き出す(2)。アメリカにも同じような犬のおもちゃがあったが、伸びる胴体部分は金属コイルのバネで出来ている。こんなところにも洋の東西で特色が現れていて面白い。(R5.6.25)

ついでに、蛇腹を利用した玩具をもう二つ。東アジアの蛇腹は紙や布で作るため、曲がり方や伸び縮みが柔らかく滑らかである。中央の蛇は、尾の部分が固定され、頭部には糸が付いているので、蛇の胴がゆらゆらと生きているように動く。同じおもちゃは台湾や日本にもある(蛇06)。両脇は「吼獅子(ホウシーズ)」。土で出来た中空の獅子の胴体を二つ割りにし、その間を紙や布の蛇腹でつなぎ、頭と尻尾を持って押すと、アコーディオンのようにブーと音が出る。中国ではふいごを意味する「風箱(フォンシャン)」あるいは笛を意味する「代?(ダイシャン)」と呼ぶ玩具で、獅子のほかに虎、猿、鶏、犬などもある(3)。東京今戸の「ピイピイ」も同工異曲だが、こちらでは蛇腹が鶏の下にある(鶏09)。大きい吼獅子の高さ6p。(R5.6.25)

糸も撚(よ)りをかければ、反発力が生まれる。「とんだりはねたり」もそれを利用している。糸の反発力を使った素朴なおもちゃに、ボタンや厚紙に糸を通して作る「ブンブン独楽」がある。これは、まず手で回して糸に撚りをかけ、外側に糸を強く引っ張ると糸が巻き戻り、独楽が回るものである。鳴り独楽にこれを応用すれば、鳴り独楽をいつまでも鳴らすことができる(木地12)。写真の玩具も横に張られた糸のねじれ、弾力を利用している。左は白石の弥治郎系工人が作る体操人形で、2本の棒を握り、手で糸の撚りを強めたり弱めたりすると、人形がクルリと回転しながら足元の輪を蹴る。右の運動蛙では、竹の反発力で糸を捻ったり緩めたりすると、蛙が思いがけない面白い動きをする。運動蛙の高さ19p。(R5.6.25)

糸の反発力を逆手に取り、ピンと張った糸を緩めることによって様々な恰好をする人形もある。ピノキオの体や腕、脚には糸の代わりに細いゴムが通してあり、中央の小ピノキオでは、底のバネを押すとゴムの反発力が緩んで、首や腰、手足などの関節が変幻自在に動く。日本の管人形(愛知05、島根04)や米喰い鼠(鼠03)と同じ系統の玩具といえる。小ピノキオの高さ13p。(R5.6.25)

どちらも金属バネの反発力を利用したおもちゃ。ブリキ製の鶏では取っ手自体がバネになり、それを握ったり緩めたりすると、2羽の鶏が餌を突き合う。高さ18p。いっぽうのボクシングもバネ仕掛けで、間にある突起を押すと人形の下にあるバネが緩み、人形は接近して互いにパンチを繰り出す。日奈久の板相撲(熊本05)にも似ているが、板相撲のほうがバネも使わず素朴である。高さ14p。(R5.6.25)

レバーを引くと、バネの反発で猿が跳ね上がり、咥えたコインを箱に入れるという趣向。アメリカで買った貯金箱だが、台湾製である。高さ18p。(R5.6.25)

人形の両腕が鉄棒に固定されていて、脇のツマミを回すと体操選手さながらの演技をする。各地でよく見かける木地玩具だが、2人並べたり、親子ぶら下がりにしたり、だるまをぶら下げたり、それぞれ工夫もあるようだ。写真左は郡山の磐梯熱海温泉、右は米沢の小野川温泉で入手。作者はともに弥治郎系の工人である。高さ19p。(R5.6.25)

揺らして揺れ方を楽しむおもちゃを “ゆらゆら玩具”と総称している。こちらもじつに豊富で、本欄では今までにも首振り、やじろべえ(弥次郎兵衛、与次郎兵衛)、起き上がり、吊るしものなど多数紹介してきた。写真は左から江戸張子の招き犬(裃の紋所は桃太郎の桃)と京都清水土人形の猿の首振り、中央はやじろべえで高松の運動人形(香川07)、右はシーソーに誂えた盛岡の揺れチャグ(岩手02)。招き犬の高さ13p。(R5.6.25)

出雲干支張子は首振りの代表挌で、なかでも年賀切手に選ばれた出雲虎は有名である(虎02)。首振りに動物ものが多いが、その大半を牛と虎が占めているのは、天神信仰や端午の節句などで関わりが深いためだろう(牛04、虎01)。首振りでは首を糸で吊るし、上下左右にぶらぶら動かすのが一般的だが、首に挿した串を軸にして前後に振らせたり、頭部の先端に針金と重りを付け、胴内の針金に差し込んで首を振らせたり、いろいろな方法がある。また、首以外にも蛸や亀の手足や鯉のヒレを糸で吊るした玩具もあって、これもまた飄逸な動きをする(埼玉08-09、水族館14)。龍の高さ9p。(R5.6.25)

やじろべえ(木地38)は、起き上がりこぼし同様、支点で支える制限のもとなら、どのように傾いても常に重心が上がる”重心安定の理”に基づいた力学的おもちゃである(2)。原理はなにやら難しいが、木や竹の棒、針金などわずかな材料さえあれば手製で簡単に作れるので、世界中で見られる古典的おもちゃでもある。高さ27p。(R5.6.25)

やじろべえのバランスを取るゲーム。遊び方には「お友だちと代わるがわるパン屋さんのお皿にパイやケーキ、クロワッサンを積んで下さい。パン屋さんがお菓子を落としてしまったら負け」とある。日本の「将棋崩し(山崩し)」と似ているが、将棋崩しは順番に駒を取って行き、山が崩れたら負けなので、遊び方が逆さまである。ニューヨークのおもちゃだが、中国製。人形の高さ11p。(R5.6.25)

起き上がりだるまや起き上がりこぼし(小法師)も代表的な“ゆらゆら玩具”である(群馬01)。養蚕業の盛んな地方では、とくに縁起物として起き上がりが買い求められた(福島15、表紙57)。蚕は繭(まゆ)を作るまでに4回脱皮するが、蚕が古い殻を割って出てくることを”起きる“といい、蚕が良く起き上がるようにとの願いからである。盛岡の繭玉人形は新しい郷土玩具だが、蚕に掛けて繭を起き上がりにしたアイデアが振るっている。中に入れてあるパチンコ玉が重心を下に保っているので、起き上がるのも素早いし、動物の特徴を捉えたデザインもなかなか良い。高さ3〜5p。(R5.6.25)

歌舞伎十八番を揃えた春日部張子の起き上がり。歌舞伎十八番は、荒事をお家芸とする市川宗家が定めた18の演目で、その書付が代々箱に入れられ保管されていることから、一般的にも得意芸を「十八番」とか「おはこ」と呼ぶようになった(4)。箱の上に並べたのは人気演目ベスト3で、左から助六、勧進帳、暫(しばらく)である。高さ各1.8p。(R5.6.25)

中国の起き上がりこぼし。かつては「不倒翁」とも呼ばれていた。日本と同じく上部は張子で出来ており、下部には粘土による丸底の重しを入れてある。“禍を転じて福となす“とか“七転び八起き”の縁起物なのも日本と同じだが、中国東北部では“子授け縁結び”のお守りでもあると聞かされた。高さ6p。(R5.6.25)

吊るしものとは、団扇であおいだり風を当てたりすると、吊された人形がまるで踊りを踊っているように動く玩具。やはり揺れを楽しむ“ゆらゆら玩具”である。阿波踊りのほかに住吉踊り(大阪08)、滝宮念仏踊り、塩飽踊り(香川14)などがある。高さ15p。(R5.6.25)

和紙人形の浦島太郎を背に乗せ、首振りの亀が海中を悠々と泳ぐモビール。踊りを模したいわゆる吊るしものでは無いが、これも新しい“ゆらゆら玩具”といえよう。亀と浦島太郎を合わせた高さ8.5p。(R5.6.25)

“ゆらゆら玩具”に振動を与えるにもいろいろ方法があるが、手で触れたり風や空気を当てたりするのが一般的である。しかし、仙台の秋保温泉で作られる江戸独楽(東京33)では、独楽を回して回転振動を人形に伝え、前後左右にカタカタ動かすという凝った仕組みである。浦島太郎の高さ21p。(R5.6.25)

裾に馬の毛(たてがみ)が植え付けられている紙製の人形を銅鑼や金属盆に乗せ、縁を棒でたたくと、その振動を馬毛が捉えて人形が動き出す。鬣(たてがみ)人形、動舞人形とも呼ばれる(3)。写真はどちらも孫悟空で、左の高さ18p。わが国にもかつて「毛(植え)人形」と呼ばれる玩具があった。やはり、練りものや土で作った人形の底面に馬の毛を植え、紙相撲のように土俵台を叩いて人形を動かすものだが、すでに姿を消している(5)。その面影を残すものに、尾道の三体神輿(広島13)がある。神輿の四隅にシュロの毛が植えられており、下の台をたたくと神輿が跳ね回る仕掛けである。(R5.6.25)

欧米にはキャンドルの炎で起こる空気の対流を利用したクリスマス飾りがある。熱で上昇した気流が、水平な風車の羽根に当たってこれを回す。日本の走馬灯(回り灯籠)も同じ仕組みである(2)。左はドイツ・エルツ地方の木製のキャンドル飾り。回り舞台はキリスト生誕の場面である。いっぽう、スウェーデンのキャンドル飾りはすべて金属で出来ていて、羽根が回るにつれて、天使からぶら下がった棒が遠心力で外へ振れて鐘を叩く。同時に、天井にはくるくる回る天使の影絵も映し出され、なかなか幻想的である。高さ30p。(R5.6.25)

人形を操って芝居の真似ごとをするのも、郷土玩具ならではの楽しみである(首人形03)。大阪天王寺にある生国魂(いくだま)神社は、かつて芝居や落語の小屋が立ち、昭和初期まで生玉人形と呼ばれる文楽人形が人気を集めていた。それを玩具化した生玉人形も、戦前すでに廃絶している(5)。写真はその復元品で、三番叟・町人・町娘の三種。頭と手足は土で、衣装は古布や色紙で作り、両手に差し込んだ竹串を繰って遊ぶ。三番叟(奥)の高さ20p。(R5.6.25)

人形芝居(人形劇)の人形は、動かし方によって「糸操り(あやつり)人形」(マリオネット)、「指人形」(ギニョオル)、「棒使い人形」(ロッドパペット)に大別される。日本の人形浄瑠璃(文楽など)は、「指人形」が独自に複雑に発達した「手使い人形」といえる。さて、西洋にはマリオネットの長い歴史がある。中世イタリアで演じられた聖書物語(マリオネットの語源も聖母マリアに由来する)や騎士道物語が起源とされ、ヨーロッパじゅうに広まった(6)。とくにチェコでは、常設の劇場のほか、日常的に街の至る所で小さなマリオネットの上演を目にするほど盛んである。写真は、プラハの歴史あるビアホールで買った店員姿のマリオネット。高さ28p。(R5.6.25)

糸操り人形芝居は、西欧のみならずアジアでも盛んだが、東南アジアで演じるのはミャンマーのみである。「ヨウッテー・ポエー」と呼ばれ、18〜19世紀に王侯貴族から庶民まで、多くの人たちから熱狂的に愛された。筋書の多くは仏陀の前世を語った「ジャータカ」。劇中、馬と白い象は天界の生き物として登場し、舞台で躍動する(7)。高さはともに30p。(R5.6.25)

芝居人形は、その形によって立体的な「丸形人形」と「平形人形(影絵人形)」にも分けることができる。一般的な影絵人形は、獣皮や薄板、紙で作られており、頭と胴と両手両足を持ち、関節をそなえた透かし彫りが原則である。影絵芝居はトルコ、インド、東南アジアや中国で特に栄えた。南インドでは「トール・ボンマラータ」と呼ばれる。内容は、正義の人ラーマ王子と美しいシータ姫(写真左)に、十の頭と十の手を持つ魔王ラーヴァナ(右)が絡むヒンドゥー教の叙事詩「ラーマーヤナ」。人形は鹿や山羊の薄い皮革(神聖な牛の皮は使わない)で作られ、実際の大きさが2mに及ぶものもある。美しく彩色された人形に光を当てると、幕面にそのまま鮮やかな色で妖しく映し出される(7)。シータ姫の高さ44p、ラーヴァナ52p。(R5.6.25)

中国の影絵は世界最古といわれ、その起源は紀元前2世紀ごろ(漢の武帝の時代)と考えられている。脚本には西遊記などの京劇や故事にまつわるものが多い。人形は羊や驢馬の皮をなめして作る。中国影絵では、人形のみならず、背景や大道具、小道具にいたるまで、すべて彩色の影絵で描き出されるのが優れた特色とされる(6)。この皮影、現地では「影戯(インシイ)」と呼んでいた。右の武将の高さ35p。(R5.6.25)

中国の正月「春節」では、霊獣とされる獅子と龍が活躍する。定番の獅子舞いや龍踊りのほか、子供向けに吉祥の紅色をした獅子や龍のおもちゃもいろいろ売り出される。張子に布やモールを貼ったり、鈴を付けたりしてどれも華やかである。写真は左から獅子の起き上がり、龍の吊り飾り、獅子舞い。この獅子舞いは、張子の頭部に手を入れ、布製の胴には肘まで腕を入れて、獅子舞いの真似をしながら遊ぶ。頭部の高さ12p、胴の長さ35p。なお、小欄で紹介した中国玩具は30年前 JICAから中国東北部の瀋陽へ派遣されていた時に求めたものがほとんどである。(R5.6.25)
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