大阪府の玩具

01. 大阪張子の虎(柏原市)
02. 大阪張子の天神(柏原市)
03. 張子面(柏原市)

04. 堺土人形の諸玩(堺市)
05. 船待天神(堺市)
06. 南蛮人形(堺市)



07. 住吉大社の干支人形(大阪市)
08. 住吉踊り(大阪市)

09. 大阪だるま(大阪市)
10. 今宮戎神社の熊手と毘沙門天の宝珠(大坂市)
11. 誉田八幡宮の土鈴(羽曳野市)

12. 各社の授与鈴(藤井寺市・大阪市)

01. 大阪張子の虎(柏原市)



江戸(東京)、京都とともに「三都」と呼ばれ、町人文化の香る町として栄えた大阪には数々のユニークな郷土玩具がある。軽妙な上方文化を反映して、寺社の縁起物にも笑いを誘うおもちゃがあるし、竹田人形(からくり芝居)の伝統もあるだけに、面被りや手品師人形など、稚拙な仕掛けではあるが動きのあるおもちゃも見られる12。しかし、現在ではそのほとんどが姿を消してしまい、東京や京都に比べるといささか寂しい。そんななかにあって、張子の首振り虎は、関西各地にある社寺の授与品としてばかりでなく、端午の節句の脇飾りとしても需要が多いため、今も盛んに生産されている。この張子虎は信貴山毘沙門天奈良12や山科毘沙門堂京都10などにも卸されていて、守口市で作られる少彦名神社神農の虎03と並んで大阪の代表的な郷土玩具にあげられよう。高さ38㎝。(H26.5.24)

02. 大阪張子の天神(柏原市)



節句用の張子の虎作りが一段落する八月になると、天神作りに取り掛かる。以前は問屋からの注文で大量に生産していて、張子職人は主に胴体のみを作り、練り物製の頭(かしら)や台座、付属品は別の職人が作るという“分業体制”だった。しかし、現製作者は全てを一人でこなしていて、頭も昔の通り差し込み式ではあるが、張子製である。また、天神の胴に梅鉢紋と三階松の両方を描くのは大阪の特徴だという。高さ24㎝。(H26.5.24)

03. 張子面(柏原市)



江戸時代、大阪は張子の製作には持って来いの土地であった。大阪では多くの図書が出版され、商いの帳簿には多量の紙が使われるなど紙の需要が大いに伸び、材料となる反古紙には事欠かなかったからである。なかでも、玩具店や露店で子供相手に大量に売られていた面は、大阪張子の稼ぎ頭であった。残念ながら、セルロイド製の面が主流になった現代では生産も振るわないが、それでも写真のような趣味家向けの張子面は健在である。このほか、京都山科毘沙門堂で授与する虎面守りや、鞍馬寺の土産物店で売っている天狗面京都14の一部も大阪張子である。猿面の高さ18㎝。(H26.5.24)

04. 堺土人形の諸玩(堺市)



大阪でも住吉などで江戸期より土人形が作られていたという記録は残る。しかし、材料となる良い土に恵まれなかったこと、京都・伏見人形の商圏であったこと、また練り物や張子など他の素材の人形に押されて需要が伸びなかったことから、早くに衰退してしまった。昭和初期、堺に住む湊焼の窯元が住吉土人形の型をもとに復活。改めて堺土人形、あるいは湊焼人形と称し、本業の茶器作りの傍ら昭和50年代まで製作していた。住吉大社の縁起物や土産物も多く、金や性にまつわるもの、笑いを誘うものなど、現世の喜びを表現した、いかにも大阪らしい土人形である02030202。睦み犬(左)と喜々猿(右)に説明は無用だろう。喜々猿は“キキ“という猿の叫び声が”喜びが重なる”とされ、縁起物になった。緋袴の巫女が赤子を抱いている種貸しさん(中)は住吉大社の末社である種貸社の縁起物。本来は五穀豊穣の神様だったが、“種を貸す”が“子授け”に転じ、子種や安産を祈る神社になった。種貸さんの高さ5㎝。(H26.6.1)

05. 船待天神(堺市)




これも堺土人形。作者が住む町内の船待神社で授与されていた。菅原道真公が左遷され大宰府へ流される途中、荒天のため船待ちを余儀なくされた際に、この地に祀られてあった公の遠祖、天穂日命(あめのほひのみこと)の祠に参拝し、航行の安全を祈願したという故事から、後世の人が道真公も合祀し、名前も湊神社から船待神社に改めたという。胸の梅鉢紋は型で浮き出しにするなど丁寧な作りである。表情も優しく描彩も美しい。ほかに緑色などの色違いもある。高さ5㎝。(H26.6.1)

06. 南蛮人形(堺市)



やはり堺土人形である。作者の栞に曰く「むかし、堺の町がわが国初めての開港地で、大商人が集まり、繁栄の限りをつくした当時の記録玩具です。蔵屋敷などといっしょに、そのころを偲ぶ貴重なものです。素朴な土偶ではありますが、黒いマント姿の宣教師、鉄砲を持ちマドロスを咥えたポルトガル士官、杖を持ちマドロスを吹かすオーバー姿の三種あります。永くご愛玩のほどを」と。色彩も鮮やかで、マドロスパイプは針金で作るなど細かい。高さ9㎝。(H26.6.1)

07. 住吉大社の干支人形(大阪市)



摂津一の宮・住吉大社は全国津々浦々にある住吉神社の総元締め。航海安全の神様として古くから港湾関係者や漁業者の信仰を集めている。そればかりではなく、境内に多くの摂社や末社をかかえているので、例えば安産子育てなら種貸社、商売繁盛なら楠珺社(なんくんしゃ)02、縁結びなら侍者社(おもとしゃ)という具合に、現世のあらゆる願いを叶えてくれる有り難い神様でもある。大阪の市街からやや距離があるので、昔の住吉参りはちょっとした小旅行だった。娯楽の少ない時代では物見遊山の気分もあっただろう。そこで、住吉土産と呼ばれる様々な縁起物や玩具が考案されたが、そのほとんどは廃絶した。写真は今も巫女が手ずから授与してくれる干支の動物。右向きの鶏、蛇、兎は流し込みだが、それ以外は型抜きで出来ており、住吉大社と刻印されている。人形の生産地は不明であるが、堺で作られたこともあった。鶏(東天紅)の高さ7㎝。(H26.6.1)

08. 住吉踊り(大阪市)



614日に執り行われる住吉大社の御田植神事に由来する縁起物で、正月や節分に授与される。人気傘とも呼ぶ。当日は神田の畔に設えた舞台で8人の舞姫の田舞が、続いて御稔女(おなりめ)の豊作を願う御田代舞が披露される。この間、田の中では大きな菅笠を被った植女(早乙女)たちの田植えが行われている。最後に少女達が小坊主の恰好をして、団扇を片手に叩きながら跳ね踊る住吉踊りがある。縁起物の住吉踊りは、実際の被り物同様に麦わら製の笠の周りに赤い布を付け、そのなかに早乙女の紙人形を吊るしてある。笠の大きさは円周5寸から8尺まで9種類あり、これは2尺(約60cm)。この住吉踊りは地方へも送り出されていたので、京都戎神社や香川県滝宮天満宮など各地にこれを模したものがある。(H26.6.1)

09. 大阪だるま(大阪市)



西日本特有の鉢巻だるま。鉢巻だるまの歴史はそう古いものではなく、明治の中頃に京都で初めて考案された。その後、名古屋愛知10でも盛んに作られるようになり、さらに大阪、和歌山、姫路など関西一円に広がった。このほか、大阪の起き上がりと呼ばれる小型で童顔のだるまが大量生産されている。前面の模様は菊の略画か五枚笹で、頭に金紙や金箔を貼ったものは金天だるまと呼ばれる。これらは京都や大阪の諸寺から正月や節分などに厄除けだるまとして授与されている京都11。滋賀県草津地方で猩々人形の脇に供える“伴(とも)だるま”滋賀06も、かつては大阪で作られ彼の地へ送られた。高さ9㎝。(H26.6.29)

10. 今宮戎神社の熊手と毘沙門天の宝珠(大坂市)



もともと戎(えびす)神の総本家は西宮(兵庫県)。それに対して、“いまの宮”なので今宮である。四天王寺の鎮守として、廣田神社(水族館08)とともに大阪に移された。戎は庶民の生業にかかわりの深い神で、漁村では大漁の、農村では豊作の、商家では商売繁昌の神として全国で祀られる。しかし、今宮戎神社の十日戎ほど参詣人の目的があからさまに金と結びついた祭は珍しく、商都大阪ならではの風物であろう。十日戎の縁起物としては、笹に大判小判や米俵などの作り物を吊るした“福笹”が有名であるが、金を掻き集める意味から大小の熊手も授与されている。日本橋毘沙門天には大乗坊の宝珠と宝の杵がある。宝珠は5色に塗り分けられた美しい土鈴で、表面に「笑う門には福来る」と書かれている。一方、宝の杵は毘沙門天の持つ如意棒を象った土製の棒で、奉書紙に包まれている。一説では宝珠は女性の、杵は男性の象徴とされる。いずれも京都伏見製である。宝珠の径7㎝。(H26.6.29)

11. 誉田八幡宮の土鈴(羽曳野市)



主神とする応神天応の姓(かばね)が誉田別(こんだわけ)なので、こう呼ばれる。馬型埴輪や鞍金具など馬にまつわる出土品も多く、武力や外征に関わる神として源氏や足利氏の崇敬を集めてきた。蓮華紋が美しい古代瓦鈴、夏祭に楽人が被る鳥兜(とりかぶと)を模した鈴、埴馬(はにうま)鈴の三種は、昭和初期の土鈴ブームから頒布し始めたもので、同種の土鈴が各地に生まれる先駆けとなった。左端は干支土鈴の卯鈴。毎年5月になると、京都で焼いた素焼きの鈴に宮司さん一家が総出で彩色するという。埴馬鈴の高さ10㎝。(H26.6.29)

12. 各社の授与鈴(藤井寺市・大阪市)



左は道明寺天満宮のウソ鈴。同じく天満宮から授与される木彫りのウソ表紙03をそのまま土鈴にしてある。道明寺は昔から糒(ほしい=炊いた米を乾かした食糧)が名物で、今も桜餅にその名を残す。中央は森之宮神社の疫癘(えきれい=流行病)鈴。右の二つは玉造稲荷神社の曲玉(まがたま)鈴。疫癘鈴、曲玉鈴とも京都の清水で造られている。ウソ鈴の高さ8㎝。(H26.6.29)

当ホームページ内の写真、図、文章を無断で転載する事はご遠慮下さい。
著作権は佐藤研氏に所属します。