干支の最後に控えるのは猪である。日本ではイノシシというのが普通で、地方によってはイノコともシシとも呼ぶが、さすが中国では地方によっての呼び名がもっと甚だしく違う。さらに、その年齢、雌雄、大小によっても名を異にするという。それから、そもそもイノシシとブタの区別があまりはっきりしていないのだそうだ。おおよそ、イノシシは野生のもの、ブタは家畜で食料とされるもの、という概念は日本と同じにしても、イノシシでもブタでもみんな同じものと考えなければならない。要するに、中国では十二支の“亥”が一体なにを指すのかはよく分からないのだ(1)。ここでは野生のイノシシを念頭において、話を進めることにする。写真は左より下総張子(千葉県)、三春張子(福島県)、倉敷張子(岡山県)のイノシシ。倉敷張子の高さ5cm。(H18.11.23)
イノシシとブタが混同されるのは中国に限った話ではない。ニューギニアでは“ブタは船でさらわれても飼い主のもとに泳ぎ帰る”と言い伝えられているが、豊漁と航海の安全の意味を込めてカヌーの舳(へさき)に彫られているのはイノシシの頭である(2)。左は今戸焼の猪(東京都)、右は埴輪人形の猪(宮崎市)。埴輪人形の創始は大正末期と古く、西都原(さいとばる)古墳群から出土する埴輪の復元研究に基づいて制作されている。猪と銘うっているからには野生のイノシシだろうが、飼い慣らされたブタのようにも見える。古墳時代の人々は、実際どちらを象ったのだろうか。埴輪人形の高さ7cm。(H18.11.25)
「干支の亥ではなく干支の猪が正しい表記か」とのご質問があったので、知る範囲でお話する。“亥”は、本来、暦や方角を表している十二支の第十二番目を示す文字であって、動物のブタあるいはイノシシとは関係のないものである。後年になって、中国ではそれぞれの十二支に動物をあてはめたのだが、そのいきさつには諸説があって、古代中国で四つの方角に青竜(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)が配置されたことから発展したとの説や、古代バビロニアで発達した黄道(太陽の通り道)十二宮の考え方に影響を受けたとの説、あるいはインドの古い経典の記述「南海に蛇、馬、羊が、西海に猿、鶏、犬が、北海に猪、鼠、牛が、東海に獅子、兎、竜がいて人々を教化した」にならったとの説などさまざまである。いずれにせよ、十二支は、人の生まれ歳、運勢、性格などが動物達と結びつけられ語られるようになって、さらに身近な存在となったのだろう。さて、地方によって言葉も文字もずいぶん違う広い中国では、ブタ説が有力とは言え、昔の人が十二支の“亥”にどんな動物を割りあてたか今もって定かではないわけだが、十二支に割りあてられる動物は国によっても違う。日本では“亥”に対し、ブタ(豚)ではなくイノシシ(猪)をあてているのはご存知のとおりだが、ベトナムでは兎の代わりに猫が入っているし、インドでは虎の代わりに獅子が入っている。写真は「跳び猪」と呼ばれる型で、猪の飛び跳ねる元気な様子を表現している。これらは間違いなく野生のイノシシである。左は花巻人形(岩手県)、右は三春張子(福島県、高さ10cm)。(H18.11.25)
猪に関する言葉で、まず思い浮かぶのは「猪突猛進」。前後の分別もなく、向こう見ずに突き進むばかりの様をいう。源平屋島の合戦のおり、敵を攻め立てるばかりで、いっかな軍を引こうとしない源義経を、梶原景時が「進むを知りて退くを知らぬ猪武者」と罵った話などは有名である。この新潟県新井市産の猪人形は、ウリノキの樹皮を剥いで作られていて、今にも突きかかってきそうな猪の姿がうまく表現されている。高さ13cm。(H18.12.2)
源頼朝が富士の裾野で巻狩りをしたときのこと。主上頼朝めがけて突進してきた手負いの猪の背へ、仁田四郎(にたんのしろう)忠常がヒラリと飛び乗って一刀のもとに仕留めたのも有名な話で、数々の郷土玩具に取り上げられている。この静岡県小笠町産の坊ノ谷(ぼうのや)人形では、暴走する猪を取り押さえようとした雑兵たちが皆はね飛ばされてしまう有り様が、巨大な猪の荒々しさを強調していて効果的である。また、猪の背に後ろ向きに飛び乗る仁田四郎のいでたちは、ほかでは狩衣野袴にスゲ笠のことが多いのだが、ここでは戦(いくさ)姿のように見えて、より鄙びた感じがする。高さ20cm。(H18.12.2)
山崎といえば天王山、豊臣秀吉が明智光秀と雌雄を決した地として歴史に名を残す。はたまた、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の五段目が「山崎街道」、ということでも知られる地名である。猟師に身をやつした勘平が、義父の金を奪った盗賊の定九郎をイノシシと間違えて撃ち殺す場面。これにあやかり、大正4年に山崎の寺の住職が自ら見本をつくって、みやげ物として付近で売らせたのが始まり、というのが山崎の猪である(3)。その後、何度か廃絶復活を繰り返し、写真は昭和55年に復元されたもの。雌雄一対で、腹にはヘラで山の字が彫られている。伏見人形の丹嘉製(高さ4.5cm)。(H18.12.7)
江戸時代から浅草観音境内で売られていたおもちゃが“すぼんぼ”。和紙を箱型に折って胴とし、それに別に作った紙の顔と尻尾と四ツ足を貼り付けて獅子や虎とする。足には蜆(しじみ)の貝殻で重りを付けておく。さて、これを小屏風の前に置き、扇子で下から風を送るとフワフワ舞い上がって、あたかも獅子舞や虎舞のような動きをする。いかにも遊び心あふれる小粋な江戸玩具である。ずぼんぼとは獅子舞の囃子ことばに由来するという(4)。写真はイノシシをずぼんぼに仕立てたもの。高さ9cm。(H18.12.14)
イノシシのからくり玩具をもう一つ。お伊勢参りのみやげ物として売られる練り物で、写真のように胴に輪ゴムを動力とする糸車が仕掛けられていて、背中のリングを引くと、文字通り猪突猛進する。同じ仕掛けの玩具に親亀の背に子亀が乗ったものもあって、こちらはノンビリ前進するかと思いきや、やはり猛然と走り出すのも愉快である。赤色が疱瘡避けのまじないの意味を持つのは、鴻巣(埼玉県)の赤物と同じ。高さ6cm。(H18.12.14)
数回口にしたのみだが、イノシシの肉は脂がのっていてうまい。イノシシの語源が「いの一番にうまい肉(シシ)」という説もあるほどだ。イノシシが多く生息しているのは九州と関西一帯の山麗といわれる。過日、大分県湯布院を訪ねた折には、「今しがた、裏の山で仕留めたばかり」という肉を“ボタン鍋”にして賞味した。イノシシの肉をボタンというのは、花札の“牡丹に猪”に由来するが、肉が牡丹色をしているからともいう。猟師は、仕留めたイノシシの四ツ足をまとめて縛って、からだを丸めて運ぶので、イノシシは一頭、二頭と数えずにひと丸、ふた丸と数える(5)。うまいイノシシではあるが、その子供はかわいらしくて、とても食べる気にはならない。淡褐色の地に白い縦縞があって、ちょうどマクワウリのように見えるので、“瓜坊(うりぼう、うりんぼう)”と呼ばれる。写真は笹野彫り(米沢市)のイノシシの親子。瓜坊の高さ4cm。(H18.12.15)
近頃では人の居住区と野生動物の生息域の境界があいまいになってきた。クマやイノシシの出没情報は、ここ「ふるさとの玩具」のある仙台市郊外でも絶えない。市内でのイノシシの捕獲も年々増え続け、平成25年度には250頭を超えたという。畑の掘り起しや食害などの農業被害のほか、後ろから突き飛ばされるなど人的被害や交通事故も発生している。実際、筆者も車を運転していて、突然前を横切るイノシシに遭遇し、あわててブレーキをかけた経験がある。まさに“猪突猛進”で、衝突を免れるのが精一杯であった。左は尾崎人形の土笛(神崎市)、右は足立山の竹笛(北九州市小倉)。竹笛の高さ13p。(H30.11.30)
イノシシと人間の関わりはたいへん古い。第一の理由はもちろん食用だが、旺盛な繁殖力や猪突猛進する姿から、豊穣と勇猛のシンボルとして神へ捧げるためにもイノシシは重要な獣であった。わが国には猪飼(いがい)、猪養(いかい)という姓があるが、これはイノシシを飼育する職業に由来する。すなわち、野猪を飼い慣らして食用、祭祀用、医薬用に備えるのが仕事であったという。イノシシの体は余さず利用し尽される。肉は五臓を益し温味を与え、睾丸はホルモン剤に、毛(猪毛)は武具の鞆の中に入れて刷毛の役目をし、背にある剛毛(怒り毛)は毛皮靴の縫い針に、牙は彫刻を施して装身具になり、毛皮は靴や敷物に、猪油(脂、膏)は太刀を磨くのに使うほか、乳の出を良くし、疥癬を治す薬にもなるという。また、イノシシの胆嚢は「熊の胆(い)」同様、腹病みの薬としても珍重された(6)。写真は昭和58年の創作で、高さ9p。(H30.11.30)
むかしは旧暦10月(亥の月)上旬の10日(亥の日)を「亥の子」と呼び、一年間の農作業の締めくくりの日とした。この日に子孫繁栄、無病息災を願って食べるのが「亥子餅」で、イノシシの多産にあやかった風習である。また、亥の子を「十日夜(とおかんや)」とも呼び、子供たちが大きな縄で地面を叩きながら家々を回る地方もある。その時には「亥の子くれんこ、くれん屋のかかは、おに産め、じゃ産め、角生えた子産め」と唱えるそうだ(7)。欧米のハロウィンで子供たちが唱える“Treat or
Trick”(お菓子くれなきゃイタズラするぞ)と似ているのは面白い。亥の子には炬燵(こたつ)を出す家も多かったので、「亥の日から猫の居所高くなり」という川柳もある(6)。山崎の猪については猪06を参照。高さ10p。(H30.11.30)
中国ではイノシシとブタがしばしば混同される話は前にした。旧い西遊記の挿絵を見ると、ブタの化け物である猪八戒は黒色で耳が大きく垂れて口が突き出して描かれていて、イノシシに近いイメージである。ところで、中国ではイノシシを家畜化してブタにするのに数千年かかったそうだが、日本ではイノシシとブタを人工的に交配してイノブタ(猪豚)を誕生させた。イノブタの肉は臭みもなく、淡泊だがコクのある味という。東日本大震災の原発事故で避難区域に指定された地域では、家畜のブタと野生のイノシシとの交雑で生まれたイノブタが大繁殖し、農地や家屋を荒廃させているという悲しいニュースも聞いた。写真は福島県内の張子で、三春、西田、白河などが混在。高さ7〜8p。(H30.11.30)
和気清麻呂を祀る護王神社の門前には、狛犬のかわりに石像のイノシシが立っている。これは、九州へ流された清麻呂公が足の萎えで立つこともできなくなった折、イノシシが現れて道中をお護りしたという故事に因む(5)。さいわい、公の足腰も回復して歩けるようになったことから、護王神社は足腰の守り神としても崇敬され、高齢者ばかりでなく多くのスポーツ選手も参拝するそうだ。この猪守りは茶色の折り紙でイノシシの勇ましさを巧みに表現している。高さ8p。(H30.11.30)
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