鹿児島県の玩具

01. 西郷さん(日置市・鹿児島市)
02. 車人形(鹿児島市)
03. 薩摩の糸雛(鹿児島市)
04. 大根娘とオッのコンボ(鹿児島市)
05. 鈴かけ馬(霧島市・鹿児島市)
06. 鹿児島神宮の諸玩(霧島市)


07. 薩摩首人形(霧島市)
08. 兵六の面被りと米倉ねずみ(霧島市)
09. 太鼓踊り(姶良市)
10. 帖佐人形の鶏(姶良市)
11. 帖佐人形の武者と熊金(姶良市)
12. 垂水人形の天神(垂水市)

01. 西郷さん(日置市・鹿児島市)



薩摩の偉人と言えば、西郷隆盛をまず思い浮べる。写真左は桜島の噴火で出来た軽石の西郷さん(高さ9㎝)。石を素材にした郷土玩具は、黒曜石の十勝だるま(北海道05、大谷石の蛙(栃木04、岩国の石人形(山口01など全国的にも少なく、貴重である。最近は桜島の灰を材料にした西郷さん人形もあるやに聞く。右は木製の西郷さん(高さ10㎝)。この「さつま人形」は観光土産ながら半世紀以上の歴史がある。愛犬ツンを連れた西郷さんは上野公園でお馴染みの姿。ツンも薩摩は東郷(薩摩川内市)の産という。(H28.2.8)

02. 車人形(鹿児島市)



馬乗り武者、薩摩武者人形ともいう。薩摩独特のもので、端午の節句に男子の初節句の祝いとして親類縁者から贈られた。源平合戦で宇治川の先陣争いをした佐々木高綱の馬上の雄姿を表すといわれ、跨る馬は薩摩指宿・池田湖畔産の名馬で池月ということになっている。手に弓矢を持ち、背には幟や旗指物を着けてとても勇ましいが、大仰ないでたちは何処となくユーモラスで、風車に立ち向かうドン・キホーテを思い出してしまう。実物の車人形は高さ40㎝ほどだが、これは観光土産品で右の高さ18㎝。(H28.2.29)

03. 薩摩の糸雛(鹿児島市)



こちらは女子の初節句の祝いとして贈られるもの。薩摩紙雛あるいは神雛とも呼ぶ。顔がなく、色紙や布を重ねた襟からは、和紙に包んだ半割の竹が出ていて、そこから麻糸が背に垂れて髪になっている。着物の柄には松竹梅や鶴亀などが目出度い絵が描かれることが多い。金紙に石版や木版で絵模様を刷り、泥絵具で彩色したものもある(雛01。上流家庭には金襴友禅など上質の布地に精緻な絵を手描きした高級糸雛も見られた。なかには50㎝を超す大きなものもあったという(1)。高さ16㎝。(H28.2.8)

04. 大根娘とオッのコンボ(鹿児島市)



大根娘(左)とはちょっと気の毒なネーミングだが、名物の桜島大根を頭に載せた“薩摩おごじょ(娘)”を貝殻細工でうまく表現した観光土産。桜島大根には直径50㎝、重さが30㎏にもなる大物もあるそうだ。大きな大根とは対照的に、直径3㎝という世界一小さいみかんも桜島の特産である。右は地元で“オッのコンボ”と呼ばれる起き上がり小法師。島津藩の時代から鹿児島地方では台所に大黒様を祀り、暮れには起き上がり小法師を家族の人数より一つ多く祀り、新年の多幸と無病息災を祈る風習がある。大黒様の奥方という意味で“デフッサァノウッカタ”とも呼ばれている。なお、家族の数が増えるように願って、起き上がり小法師を一つ余分に求める習俗は他にもある(福島15。写真はいずれも鹿児島市で入手したものだが、奥の起き上がりはどうやら大阪産らしい。手前の一対は昭和57年以後地元で復活したものである。高さ5.5㎝。(H28.2.8)

05. 鈴かけ馬(霧島市・鹿児島市)




昔から南九州の薩摩、大隅、日向を“三州”と呼び、慣習や祭礼などにも類似がみられる。嫁女送りである宮崎のシャンシャン馬(宮崎04や鹿児島の鈴かけ馬は、ともに飾り馬が主役となる行事。遠くはちゃぐちゃぐ馬こ(岩手02や花馬(長野15などにも通じるものがある。右は孟宗竹の皮で結い上げた鈴かけ馬。鞍上にはポンパチ(太鼓05と御幣を立て、二つの鈴を着け、三色の布を垂らす。隼人町の鹿児島神宮では旧正月18日の初午祭りに鈴かけ馬が町内を練り歩く。三味線や太鼓のお囃し入りで、人間ばかりでなく馬も踊るというので“馬踊り”とも呼ばれている(2)。左はヤシ科の植物・枇榔(びろう)の若葉をさらして作った鈴かけ馬(高さ8㎝)。こちらもポンパチと鈴と五色の布で飾り立ててある。鹿児島市内では枇榔の葉でできた団扇や笠が土産に売られている。(H28.2.8)

06. 鹿児島神宮の諸玩(霧島市)



海彦山彦の神話で知られる山幸彦(彦火火出見尊:ひこほほでみのみこと)の住んだという高千穂の宮を、そのまま社(やしろ)として祀ったと伝わるのが鹿児島神社(国分八幡神社)。この神社には祭神や祭礼に因む信仰玩具が多数あり、“おもちゃ神社”とも呼ばれて親しまれている。①羽子板:表には鶴亀と松竹梅が、裏には鳥居が描かれている。神功皇后が出征の時に鎧と兜の間に入れたものと伝わる。②土鈴:素焼きで朱色の素朴な鈴。古くは鈴かけ馬の首に下げたものという。軒先に吊るして魔除けにもする。③シタタキタロジョ:竹バネによってセキレイの首と尾が上下するカラクリ玩具。④鳩笛:八幡宮のお使いである鳩の土笛。以前は手捻りであったが、現在は型抜き。⑤弾き猿(猿06。⑥香箱:山幸彦に見染められて嫁入りした豊玉姫神(トヨタマヒメ)の調度品を入れたという化粧箱。赤と黄色で描かれた派手な模様は、いかにも南国風である。角々は釘を使わず和紙を貼って止めるなど、おもちゃの原点を見る気がする。⑦鯛車(水族館03。ほかにもポンパチや笛てこ(太鼓05、竹刀(ちくとう)などがあり、社務所はおもちゃ箱を引っくり返したような賑やかさである。(H28.2.8)

07. 薩摩首人形(霧島市)



戦後、鹿児島市で創始された手捻りの紙塑(紙粘土)人形。首人形は40種余りあり、いずれも干支の動物や薩摩の伝説・民話を題材にしている。左から霧島狗面、藤川天神、赤鬼、猿の子、薩摩義士、鈴かけ馬。栞には夫々にまつわる話が詳しく載っている。首のサイズ5㎝前後。(H28.2.8)

08. 兵六の面被りと米倉ねずみ(霧島市)



こちらも紙塑人形。大石兵六は江戸時代に薩摩で出版された物語の主人公で、勇気はあるが少々思慮に欠ける薩摩隼人。町はずれのいたずら狐を退治しに行った兵六が、逆に狐に化かされて、肥溜めを風呂と思って入ったり、馬の小便を酒と思って飲まされたり散々な目に逢うが、最後はめでたくこれを退治するという筋書である(3)。兵六の姿は鹿児島の名物飴「兵六餅」のパッケージにも描かれているので、目にした方もあるだろう。この面被りは宇土張子(熊本県)と同工異曲の玩具。兵六が因縁浅からぬ狐の面を手に持ち、後ろの紐を引くとこの面を被るという仕掛けである。米倉ねずみは1996(平成8)年の年賀切手に採用されたもの。これもカラクリ玩具で、倉の陰の尻尾を動かすと、鼠の顔が見え隠れする。面被りの高さ21㎝。倉の高さ8㎝。(H28.2.8)

09. 太鼓踊り(姶良市)



宮崎県、鹿児島県、熊本県の各地には“太鼓(臼太鼓)踊り”と呼ばれる民俗芸能が伝わっている。島津軍が文禄慶長の役(朝鮮の役)で敵の大群に突貫したときのありさまを舞踊化したもので、朝鮮からの凱旋を祝う踊りと伝えられる。胸に太鼓を掛け、背に旗指物を指した出で立ちで、円陣を作って勇壮に踊りまわる。地域によって太鼓の大きさや形、旗指物や被り物も様々である(3)。これは姶良市の太鼓踊りを模して、宮崎和紙人形(宮崎0405の作者が制作した。高さ13㎝。(H28.2.8)

10. 帖佐人形の鶏(姶良市)



朝鮮の役に際し島津藩が朝鮮より連れ帰った陶工達は、藩内各地で陶業を営むことになる。彼らは故国を偲んで手慰みに土人形を作ったとも云い伝えられるが、伏見人形に倣った型が多いことから、実際の起源は江戸時代とされる(4)。いずれにせよ、人形作りの技は武士の内職として引き継がれ、消長を経て今も帖佐(ちょうさ)、垂水(たるみず)、佐土原(宮崎0103などに残っている。雄鶏の高さ11㎝。(H28.2.8)

11. 帖佐人形の武者と熊金(姶良市)



帖佐人形は戦後途絶えた時期もあったが、退職した教員らの手によって昭和40年に復元された。荒削りな造形と大胆な彩色が特徴とされる。子供の健やかな成長を祈念する節句人形が多く、同じモチーフで大中小と特大の四サイズがある。写真は武者と熊金の小。武者は太閤とも呼ばれる人形で、伏見の元型では胴に太閤桐が描かれるが、ここでは島津家の家紋”丸に十の字”となっている。高さ12㎝。(H28.2.8)


12. 垂水人形の天神(垂水市)



帖佐人形、東郷人形(薩摩川内市)とともに鹿児島県の三大土人形に数えられ、鯛抱き童子(金太郎07など共通した型も少なくない。垂水人形の始まりは明治の初めとされ、戦後しばらく途絶えていたが、ここでも平成元年に有志による研究会が立ち上げられて復活した。帖佐人形同様、節句人形に見るべきものが多い(金太郎06。高さ24㎝。(H28.2.8)

当ホームページ内の写真、図、文章を無断で転載する事はご遠慮下さい。
著作権は佐藤研氏に所属します。