玩具水族館 特集
01. 鯛車(その1)(青森県)
02. 鯛車(その2)(長野県)
03. 鯛車(その3)(和歌山県・鹿児島県)
04. 戎祭りの張子鯛(各地)
05. 鯛乗り恵比須(宮城県・岩手県)
06. ふぐ玩具(山口県)
07. ふぐ提灯(福岡県)
08. 赤エイ絵馬(大阪府・兵庫県)
09. 蛸絵馬(宮城県・東京都)
10. 瀬戸内の蛸(広島県・兵庫県)
11. 浜松張子の海老(静岡県)

12. 津屋崎人形の海老(福岡県) 
13. 金魚の玩具(奈良県・京都府)
14. 鯉乗り童子(沖縄県)
15. 大竹の紙鯉(広島県)
16. 中湯川の鯰乗り猿(福島県)
17. 大垣の鯰押さえ(岐阜県)

18. 伊勢の親子亀(三重県)
19. 藁細工の亀(新潟県・静岡県) 
20. 浦島太郎と亀(佐賀県・秋田県)
21. 鯨玩具(各地)
22. ムツゴロウ車(佐賀県)

01. 鯛車(その1)(青森県)



「玩具水族館」と題し、水中の生きものたちをテーマに、小は金魚から大は鯨にいたるまで紹介していきたい。真っ先に挙げるのは魚の王者、鯛。日本人ほど鯛の姿形や色、味を愛でる民族はいないという。「腐っても鯛」、「海老で鯛を釣る」などの言い回しは、鯛への最大級の敬意を表したものだろう。淡泊だが旨みが凝縮した身は煮ても良し、焼いても良し。頭も中骨も捨てるところの無い利用価値の高い魚でもある。日本沿岸のどこでも獲れるが、昔から摂津、泉、播磨沖など瀬戸内産が良いとされる。そのせいか鯛料理も大阪以西が有名で、「たいめん(たいそうめん)」や「たいめし」は、鯛を丸ごと一匹、麺やご飯の上にドーンと載せた豪勢な一品である。写真は青森市の鯛車で張子製(高さ30p)。(H24.10.6)

02. 鯛車(その2)(長野県)



鯛の美しさは優美な姿ばかりではなく、その桜色にあるだろう。実は鯛の仲間は13種もあるそうだが、赤い色をした真鯛のほかは鯛でないというほどである。鯛の旬は「桜鯛」といって花見時で、その頃のものは脂がのって美味しく、俗に目の下一尺(体長40p)位が特に味も姿もよいとされる。また、桜鯛が春の季語であるのに対し、単なる鯛は歳時記にも取り上げられない。このように、桜と鯛とは深い縁があり、“花は桜木、魚は鯛、柱は檜、人は武士”ということわざにも日本人の美意識の一端がうかがわれる。わが国で鯛が有難がられるもう一つの理由も、鯛が赤いからである。昔から赤は邪悪を祓う神聖な色と見なされていたためで、鯛車(宮城02埼玉01灯玩02)、鯛担ぎ(金太郎02)、鯛乗り童子(秋田06富山02)、鯛狆(03)など、鯛を真赤に塗った郷土玩具が数多く作られた。松本押絵の鯛車(高さ20p)。(H24.10.6)

03. 鯛車(その3)(和歌山県・鹿児島県)



赤くない鯛は消費者に敬遠されるというわけで、最近では養殖の鯛を赤く保つ方法も開発されている。たとえば、直射日光を遮断したうえで、オキアミなど赤い色素を持つ餌を与えたり、鯛の赤色(カロテノイド色素の一種)を合成して餌に混ぜたりする方法があるらしい。さて、写真左は御坊練り物の鯛車、右は鹿児島神宮霧島市隼人町)から授与される神玩、木製の鯛車(高さ10p)である。神宮の祭神である山幸彦(彦火火出見尊・ひこほほでみのみこと)は兄の釣り針を失くしてしまうが、あとで赤女(あかめ=鯛)の口からこれを見つけ出す。日本書紀は、天皇の食膳に鯛を供さないのはこれに由来すると伝えている。しかし、江戸時代の絵入り百科事典「和漢三才図会」は、昔から鯛を宗廟の前に祀ったり、祝事の贈り物にしたりしているので、赤女は鯛ではなく別の魚(一説にはボラ)としているH24.10.6)

04. 戎祭りの張子鯛(各地)



病魔、災厄を封じる赤い鯛は、“目出度い(めでたい)”の語呂合わせから、祝の席にも欠かせない。例えば石川県では、婚礼の嫁入り道具とともに運ばれる大鯛を婿方で唐蒸しにし、嫁方からの祝肴として参列者に披露する。唐蒸しとは内臓を取り去った魚の腹におから(豆腐の搾りかす)を詰めて蒸し上げる調理法。生より日持ちがするのはもちろんのこと、こうすることで鯛の美しい姿形も保たれる。ちなみに、唐蒸しでは“切腹”を嫌うため、おからを詰めるにも鯛を背開きにする。さて、戎(えびす)祭りでは、縁起物である「福笹」に大判小判、米俵、大福帳などの飾りと一緒に張子の鯛が吊るされる。戎(恵比須、恵比寿、夷)と鯛との結びつきからだが、夷祭りとは直接関係のないお酉様(酉の市)の「熊手」にも目出度い鯛飾りは付き物である。写真は上が静岡張子(静岡県)、左下が博多張子(福岡県)、右下が五関張子(埼玉県)の鯛。静岡張子は静岡12も参照して下さい。高さ15p。(H24.10.13)

05. 鯛乗り恵比須(宮城県・岩手県)



もともとは漁業の神であった恵比須だが、室町以降は大黒と一対で福の神となり、さらに江戸時代になって七福神に数えられるようになった。釣竿と鯛を抱えたお馴染みの姿は、室町時代に出来上がったものという。郷土玩具では恵比須と鯛との組み合わせも様々で、鯛乗りのほか、鯛担ぎ、鯛掴み(山形25)、鯛釣り(埼玉11静岡07)などがある。また、鯛の上の恵比須にも、扇を広げて踊るもの、算盤(そろばん)を弾くものなどのバリエーションがある。写真左は堤人形(仙台市)の鯛乗り恵比須(高さ18p)。同型の鶴岡や酒田(山形22)ではハッキリしなかった“右手に釣竿を持つ”恵比須本来の姿が想像できる。なお、大型の鯛乗り恵比須(岡山県久米土人形など)には実際に釣竿を担いだものもある。右は附馬牛人形(遠野市)の算盤を手にした鯛乗り恵比須で高さ23p。(H24.10.13)

06.ふぐ玩具(山口県)



漢字で河豚と書いてふぐ。中国では淡水でもよく目にするからだという。ちなみに海豚とはイルカのことである。ふぐの骨は貝塚からも見つかっていることから、大昔から食用にしていたようだ。刺身、ちり鍋、雑炊、から揚げ、どのように料理しても、淡泊な割にコクのある味は絶品である。しかし、「ふぐは喰いたし命は惜しし」で、中毒が怖い魚でもある。きたまくら(北枕)という物騒な名前を持つふぐの仲間もいるくらいだ。ふぐの毒は主に肝臓(キモ)と卵巣(マコ)に在る。料理人にはそれらを丁寧に取り除く技術が要求されるので、都道府県条例でフグ調理師免許が定められている。ふぐの内臓を捨てる容器にも鍵をかけるなど取扱いも厳格と聞く。それにも関わらず、わざわざふぐのキモを注文する客もいるようだ。旧聞に属するが、ある歌舞伎役者もふぐ中毒で亡くなっている。写真はふぐの本場、下関市で求めたおもちゃ。何れも陶製で、左よりふぐ提灯、ふぐ笛、ふぐ土鈴(高さ7cm)。これらとは別に、真ん丸に腹を膨らました目玉の大きいユーモラスなふぐ笛もあった。尾の方を吹くとプープーとほのぼのとした音が出る良い笛だったが、震災で壊れてしまった。(H24.10.13)

07.ふぐ提灯(福岡県)



ふぐは身の危険を感じると、胃の一部にある袋に水や空気を入れて腹を膨らます。また、腹に溜めた水や空気を海底に吹き付け、砂泥に潜むゴカイ類などを舞い上がらせて捕食する。名前の由来も「膨れる・膨らむ」、「吹く」という、ふぐ特有の性質からである。いっぽう、和漢三才図会()ではふぐを海に棲む「鱗の無い魚」として、イルカの次に紹介している。しかし、実はふぐにも鱗は有って、棘状になったものがそれに当たる。ハリセンボン(針千本)はその極端な例で、やはりふぐの仲間である。ふぐの皮を上手に剥ぎ取り、もみ殻を詰めて乾燥すると、膨らんだままのふぐ提灯が出来上がる。下関や北九州をはじめ江ノ島など全国各地で売られていたが、多くが廃絶した。写真は柳川で求めたもの。高さ10p。(H24.10.13)

08.赤エイ絵馬(大阪府・兵庫県)



エイは鮫などと同じく、全身の骨格が軟骨でできている軟骨魚類で、比較的原始的な脊椎動物。なかでも赤エイは日本の沿岸でごく普通にみられ、尾に毒のある棘を持つのが特徴である。東北地方ではエイの干物をカスベ(青森県、秋田県)、あるいはカラカイ(山形県)と呼んで、煮つけなどにする。煮つけの後の煮凝りがまた美味い。写真右は大阪・廣田神社の赤エイ(アカエ)絵馬土鈴(高さ4.5p)。廣田神社には、古くからアカエの絵馬が奉納されてきた。アカエを禁食して痔疾が治るよう祈願し、治癒すればお礼参りにアカエの絵馬を奉納するのだという。では、アカエと痔とどのような関係があるのか。廣田神社は四天王寺の寺領に属していたことから、“寺領”が“痔良”になり、痔にも良いとされたとか、廣田神社が“地の神”であるので、これに“痔の神”をなぞらえたとか、語呂合わせのような話が残っている。アカエ絵馬は神戸市にある長田神社の末社・楠宮稲荷社にもあり(写真左)、やはり“痔の神様“と崇められているが、ほかにも海に関係がある神社に奉納されていることから、アカエは海神のお使いと考えられる。(H24.10.21)
 
09.蛸絵馬(宮城県・東京都)



エイのほか、鰻や飛魚なども祀られている神のお使いであることがあり、何事か願う時はこれらを禁食し、絵馬に描いて神社に奉納する。いっぽう、鰯を食うと眼が悪くなるという俗信から、眼病の人が鰯絵馬を奉納したり、なまず(皮膚病の一種)を患う人が鯰絵馬を奉納したりするのは病気平癒の祈願である。ほかに水中の生物では亀や蟹、田螺(たにし)、蛤などが絵馬に描かれている。蛸(鮹、章魚)の絵馬も各地の蛸薬師や蛸地蔵でよく見かける。いずれも、蛸の吸盤からイボや腫物の吸出しを願い、蛸を禁食して絵馬を奉納したものである。左は仙台市の蛸薬師の絵馬で一枚一枚が手書き。右は目黒の蛸薬師(成就院)の絵馬(高さ8.5cm)。大阪府下では出来物のほかに百日咳のまじないとして、7本足の蛸の絵をかまどの上に貼り、治れば8本にして川に流すという風習もあった。(H24.10.21)

10.瀬戸内の蛸(広島県・兵庫県)



蛸は貝にも近い軟体動物だが、外側に殻を持たないので、穴や物陰に潜んで外敵から身を守る。この習性を利用したのが蛸壺漁で、飯蛸など小型の蛸は大きい貝殻を沈めて置いても獲らえることができる。蛸の漁場は瀬戸内周辺の大阪、兵庫、岡山、広島、愛媛、香川などが有名。関西では“麦藁蛸に祭鱧(はも)”といわれ、夏の蛸はとりわけ味が良いとされる(ちなみに麦藁と祭は何れも夏の季語)。郷土料理としては、まず風味豊かな蛸めしが挙げられるだろう。山陽本線沿線の駅弁でも蛸めしが名物になっていて、とくに明石駅の蛸めしは容器も蛸壺を真似た陶器にするなど、工夫を凝らしている。蛸といえばたこ焼きも思い起こすが、私には真赤に着色された酢蛸も懐かしい食べ物である。写真左は三原市(広島県)、右は姫路市(兵庫県)の蛸だるま(起き上がり)。中央は平成10年の明石海峡大橋開通を記念して創られた張子の蛸、実は福島県白河製である。高さ11p。(H24.10.21)

11. 浜松張子の海老(静岡県)



エビは“鬚(ひげ)が長く伸びて腰が曲がるほどに長寿で、眼が出ているから目出度く、赤い色は邪気を払う”と、良いことずくめの縁起物としてお節料理などに欠かせない。その姿を“海の老人”に見立て、「海老」という漢字を当てているが、語源は「柄鬚(えび)」であって、柄のように長く伸びた鬚(触角)を指している。日本で代表的なのはクルマエビとイセエビである。天ぷらや寿司種に欠かせないクルマエビは、茹でると体が丸く曲がり、体表の横紋が放射状になって車輪のように見えるのでその名がある。一方、イセエビは緋縅(ひおどし)の甲冑を着けた武士のように見栄えがするので、食用としてばかりでなく正月の餅飾りや注連飾りにも用いられる。しかし、イセエビは外見と違って実は臆病で、月夜は月の光を怖がって活動をしないため、身が痩せて美味しくないという。「月夜のカニ」ならぬ「月夜のエビ」である。飾りエビには防腐処理をした本物のイセエビが使われるほか、浜松や大阪のように張子のエビで代用することもある。大きいエビ20cm(H24.10.28)

12. 津屋崎人形の海老(福岡県) 



エビとカニとはともに十脚目に属し、脚の数は5対10本と同じだが、エビは体のわりに脚が細いせいで、一見、本数も多く複雑に見える。山口人形新潟01の作者が張子のエビを作るのに脚の数が分からず、旅館のお膳のエビを持ち帰って数えたという話も面白い。エビと言えば殻の赤色が印象的だが、茹でる前のエビは黒っぽい地味な色をしている。この色の変化にも、鯛と同じ赤い色素(カロテノイド)が関係しているらしい。エビやカニではそれがタンパクと結合していて発色しないが、加熱すると結合が外れて元の鮮やかな赤色を呈するという。赤いエビは縁起ものとして郷土玩具にもしばしば取り上げられる。写真はともに津屋崎土人形(福岡県)。左の海老抱き童子は、鯛抱き金太郎07や鯉抱き山形07の変型ともいえるもの。右のエビは貯金玉になっている。高さ11p。 (H24.10.28)

13 金魚の玩具(奈良県・京都府)




「赤いべべ(衣装)着た可愛い金魚...」(金魚の昼寝)と童謡にも唄われるように、赤い金魚は観賞魚として、また、目出度い魚として愛玩されてきた。原産国・中国では、金魚は「金余」と音が同じところから、“金がもうかる”という意味でも縁起が良いとされている。金魚は鮒(ふな)の突然変異したもので、生まれたての色は先祖同様黒っぽいが、成長するにつれて黒い色素が減っていき、次第に元々の色素が現れて赤くなる。ちなみに、この色素もカロテノイドとか。写真右は国内有数の金魚の産地・大和郡山(奈良県)で地元の赤膚焼の作者が余技で焼く金魚土鈴(大4p)。囲み写真は京都の山崎張子。ぷっくりとした金魚の姿形がうまく表現されている(大5.5p)。このほか、金魚を扱った郷土玩具は灯玩類に優れたものが多く、青森の金魚ねぶた青森10新発田の金魚台輪灯玩01、柳井の金魚提灯灯玩03など、何れも鮮やかな赤が印象的である。金魚とは対照的に、地味な鮒には郷土玩具が少なく、宇都宮の黄鮒栃木02のほかに見当たらない。(H24.10.28)

14 鯉乗り童子(沖縄県)



鯉は鯛と同じく目出度い魚とされ、海のない地方では今でも祝儀に鯉を用いるところがある。縁起が良いとされるのは、鯉の力強さと生命力ゆえだろう。水中では勢いよく跳ね動くし、ときには空中までジャンプする。また、水の無いところでも一日ぐらいは生きているし、平均寿命も20年以上と長く、なかには70年生きた記録もあるという。一方、いったん俎上(まないた)に乗れば、これも前世の宿命とばかりに動じない様子は、潔い武士道に通じるものとして尊ばれた。中国では滝を登った鯉は龍と化して天に昇るといわれ、「鯉の滝登り」、「登龍門」など立身出世を意味する語源ともされた。もっとも、実際の鯉は泳ぎがあまり上手くなく、滝を登ることなど出来ないらしい。さて、郷土玩具でも鯉は鯛と並んで人気者である宮城01山形13。写真は沖縄の鯉乗り童子。どちらも張子製で、鯉の胸鰭がユラユラ揺れ動く。左の高さ11p。(H24.10.28)

15大竹の紙鯉(広島県)



元気な鯉は、これもまた元気な金太郎との組み合わせで“鯉金”と呼ばれ、土人形や張子が五月の節句に飾られる福島18山形07金太郎06。鯉のぼりの原型である紙鯉も東京の芝東京21や京都の男山八幡(京都府)など各地に残っている。大竹の紙鯉では金太郎も描かれているが、乗るのは決まって黒い真鯉の背。緋鯉の上では赤い金太郎が目立たないからである。“鯉金”とは言っても、主役はやはり金太郎なのは致し方ない(長さ120cm)。ところで、鯉のぼりを誕生させたのは江戸中期の町人たちである。武家に対抗し、それまで武家が節句飾りとしていた武者絵のぼりや吹き流し(戦国時代に自陣や聖域を示した標識)と、長寿で滝も登る力強い鯉とを融合して、新たに鯉のぼりを生み出した。「江戸っ子は皐月(さつき)の鯉の吹き流し、口先ばかり、はらわたは無し」という当時の狂歌は、鯉のぼりにたとえて江戸っ子気質をよく表している。(H24.11.3)

16 中湯川の鯰乗り猿(福島県)




日本では地震は地下の大鯰(なまず)が暴れて起こるもので、普段は茨城県鹿島神宮の神(怪力で聞こえた武甕槌神・たけみかづちのかみ)が要石(かなめいし)によって鯰を押さえ込んでいるので地震は起こらないと信じられていた。ところが、安政2年(1855年)の神無月(10月)、折しも鹿島の神が出雲大社に出張している隙に鯰が暴れて大地震が起こった。そこで、安政の大地震以後“鯰絵”と呼ばれる錦絵(多色刷り浮世絵)が流行する。絵柄は実にさまざまで、留守中の地震に慌てる鹿島神であったり、人々が鯰を懲らしめたり、鯰が謝ったり震災の後片付けを手伝ったり、はたまた、復興景気で潤った職人や商人が鯰に餅を振舞って感謝したりするものまである ()。写真は鯰の背に猿を乗せた会津若松の中湯川土人形。「鯰(地震)を押さえて自信が付くでござる」という意味だそうだ。鯰乗り猿は青森土人形でも見られる青森07。(H24.11.3)

17 大垣の鯰押さえ(岐阜県)




鯰の体は粘液に被われてヌルヌルしているので、正しくは鮎(ねん)という漢字が当てられる(鮎は今ではアユを指す)。室町時代の有名な“瓢鮎図”は「このヌルっとした鯰を、これも表面がスベスベでコロコロする瓢箪で捕まえるのは如何に?」という禅の公案(禅問答の問い)を絵にしたものであるが、その答えは各人各様、あるいは永遠に得られないのかもしれない。大垣八幡神社の祭礼に登場する山車の一つ「鯰押さえ」は、瓢鮎図を基に明治初年に作られた。赤い頭巾を被り、黒い装束にうやうやしく瓢箪を捧げ持った老人“道外坊”が鯰を捕まえようとすると、鯰はクルリと回って身をかわしてしまうカラクリ。これを玩具化したものが写真で、ひもを引くと道外坊と鯰が一緒にクルクル回る(手前の高さ20p)。鯰の玩具では他に栃木の巴波(うずま)川の鯰栃木08が有名。(H24.11.3)

18 伊勢の親子亀(三重県)




亀は爬虫類のなかでも古い起源をもち、恐竜出現と同時代の化石も見つかっている。古来、吉祥長寿で縁起の良い動物とされて、霊亀や宝亀など年号にも使われてきた。実際、亀はすべての動物のうちで最も長命とされ、長いものでは150200年生きるといわれている。また、種類も多く、世界中には250種の亀がいるという。江戸時代の和漢三才図会にもイシガメ、アオウミガメ、タイマイ、スッポンなど13種が紹介されているが、面白いことに、その最後には海坊主(和尚魚)が載っている。それによると、海坊主は西海の大洋に棲み、体はスッポン、顔は人間で頭には毛髪がなく、漁師に捕まると涙を流して救いを乞うとある。亀の特徴は何と言ってもその甲羅だろう。イソップ寓話には次のような話がある。「全能の神・ゼウスの婚礼にはすべての動物が招待されたのに、亀だけが欠席した。ゼウスが亀に訳を尋ねると、家が気楽で一番良いからとの返答である。怒ったゼウスは、その後亀を、いつも家を背負って歩くような姿にしてしまった」。ちなみに、“兎と亀の駆け比べ”も出処はイソップ寓話である。写真はお伊勢参りの土産物・赤物の親子亀(高さ6p)。猪車08と同じ仕掛けで、背中の凧糸を引くと、兎も顔負けの速さで走り出す。動く亀の玩具は他でも紹介した千葉02埼玉09(H24.11.18)

19 藁細工の亀(新潟県・静岡県)




“鶴は千年、亀は万年”といわれ、どちらも長寿とされるが、姿形はまるで違う。そこで、東北地方にはこんな笑話がある。池の畔で亀が日向ぼっこをしていると、鶴が飛んできて、「自分と一緒になっておくれ」という。亀が黙っているので、鶴が「首が長いから嫌か、脚が細いから嫌か」と尋ねると、亀の答えは「九千年、寡(やもめ)で暮らすのが嫌」。さて、写真左は佐渡市羽茂大崎の稲藁細工。絞張地区には地区の入り口に藁馬と藁草履が付いた注連縄を張る小正月の行事があり、藁細工の伝統も長年守られている。写真右は修善寺温泉の麦藁細工。麦藁細工の技法には二つあって、一つは染色した麦藁をそのまま編んで立体的な作品にする方法。もう一つは染色した麦藁を縦に切り開いて延ばし、細かく刻んで絵や小物の表面に貼り付ける方法である。前者は東京都大森の伝統を受け継ぐもので、修善寺温泉の亀(高さ6p)などはこちら。一方、後者は兵庫県城崎温泉で伝統が受け継がれている。(H24.11.18)

20 浦島太郎と亀(佐賀県・秋田県)




昔話には、鶴に頼んで棒切れを咥えながら空を飛んだ亀や、前の仲間の尾を咥えながら天をめざした亀などが登場する。どちらの場合も、つい口をきいて地上に落下してしまうのだが、甲羅の割れ目はその時に出来たというのがオチである。だが、何と言っても有名なのは、浦島太郎を竜宮城へ連れて行った亀だろう。じつは亀の報恩譚は全国各地にあって、わが深浦表紙01にも伝わっている。私が曾祖母から聞いた昔話では「浦島太郎」は「ナントカ太郎」、「竜宮城のご招待」は「霊木の贈り物」となっており、ナントカ太郎が亀からもらった不老不死の霊木が庄屋様から津軽の殿様、さらに江戸の将軍様へと届けられるうちに少しずつ削られ、次第に細くなって消えてしまうのである。話を亀に戻す。写真左は唐津くんち(佐賀県)の「曳山(ひきやま)」を象った土人形。浦島太郎が乗るのは甲羅や尻尾に長い藻が着いた“蓑亀(緑藻亀)”で、長寿を象徴する亀のなかでもさらに縁起がよいものとされる。右は秋田市の八橋人形で、玉手箱を手にした浦島太郎と亀。高さ25p。(H24.12.3)

 

21 鯨玩具(各地)




小学校の給食で私がまず思い浮かべるのは、コッペパンと脱脂粉乳、それに鯨(くじら)の肉である。当時の給食でカツといえば鯨であったし、カレー煮の中身はグリンピースと鯨。鯨の竜田揚げも人気メニューであった。給食の鯨肉は固くて筋っぽかった記憶があるが、機会があればまた食べてみたい、忘れられない味である。戦後、日本の食糧事情を支えた鯨ではあったが、商業捕鯨が1985年に中断され、鯨肉が店頭に並ぶことも少なくなり、今や高級食材となった感がある。日本の鯨肉食文化がこのまま衰微するとすれば悲しむべきことだ。沿岸で古式捕鯨が盛んだった土地にはさまざまな鯨玩具がある。写真は上から時計回りに、高知の鯨乗り子供(張子、高さ8p)、和歌山県太地の鯨車(木)、長崎の鯨土鈴、高知の鯨車(張子)、長崎の鯨潮吹き(土)。ほかに鯨に関する玩具としては、和歌山県勝浦に実際に使われていた鯨舟(勢子舟、網舟、持双舟など船団一式)の美しいミニチュアがある船玩具04。(H24.12.3)

22 ムツゴロウ車(佐賀県)




ムツゴロウは、有明海の干潟に住むハゼの仲間。長時間空気に晒されても生活できるように、口の中やノドの奥の粘膜に毛細血管が発達していて、それにより空気呼吸ができる。干潟の上ではムナビレを使って這いまわる。幼魚の頃は水中を泳ぎ、成長すると泥で生活するようになるが、その頃になると、初めは両側にあった眼も頭頂に突き出して特徴のある顔つきとなる10。ムツゴロウ漁には、穴の中のムツゴロウを掘り出す「ムツ掘り」、穴の入り口に竹筒で出来たワナを仕掛ける「タカッポ」、棹で釣り針を投げてムツゴロウを引っかける「ムツかけ」がある。ムツかけ漁師が“潟スキー”に片足を乗せ、棹を担いで泥の上を蹴り進む姿は干潟の風物詩である。ムツゴロウは脂肪が豊富なので、蒲焼にすると美味しい。写真は杵島山一刀彫佐賀10のムツゴロウ車。体長11cm。(H28.3.6

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