沖縄県の玩具

01. タウチー(那覇市)
02. 動物張子(那覇市)
03. 風俗張子(那覇市)
04. ウッチリクブサー(那覇市)
05. チンチンウマグヮー(那覇市)
06. シシメーサー(那覇市)
07. シーサー(那覇市)


08. 琉球の創作張子(那覇市)
09. ンーチャフトゥキー(那覇市)
10. 琉球花笠(那覇市)
11. 琉球人形(那覇市)と琉球みやらびこけし(八重瀬町)
12. ヤカジ(那覇市)
13. アダン葉細工(那覇市)


01. タウチー(那覇市)



「ふるさとの玩具」もようやく最後の沖縄県となった。琉球の文物は、本土では既に失われてしまった古風な東洋の遺産と言うべきものである。沖縄と本土との往来は今でこそ頻繁だが、1972年の沖縄返還以前、ヤマトンチュー(ナイチャー、本土人)にとって異国情緒あふれる琉球文化は憧れやまぼろしのような存在であった。写真は琉球張子のタウチー(闘鶏)。台車を引くと二羽の軍鶏(しゃも)が首を振ってクチバシで突き合う他愛もない仕掛けだが、彩色にも造作にも手を抜くところがない魅力的な作品である。軍鶏の呼び名はタイの旧名・シャムから来ており、闘鶏も東南アジアから沖縄、さらには本土へと伝わった。闘鶏で賭けをする風習は沖縄にもあって、人々は丹精込めて軍鶏を仕上げ、厳しく訓練し、その代わりいたわりも格別だったという。高さ12p。(H28.7.10)

02. 動物張子(那覇市)



沖縄では玩具をイームリン(いらうもの)と呼ぶ。以前は子供が日常の遊び道具として作った草葉や木のおもちゃから、職人の手になりユッカヌヒー(4日の日、旧暦54日の子供の日)の玩具市で販売される木や張子の美しい人形にいたるまで、郷土色あふれる玩具が豊富であった。写真は動物の張子で、左よりシーサーグヮー(獅子)、ホートゥグヮー(鳩)、トラグヮー(虎)。沖縄には前回のタウチーをはじめ動物の張子がいろいろあるが3100512、原色を多用するところはいかにも南国的である。因みに、沖縄の言葉の語尾に付く“グヮー”は、日本語の“こ”(犬っこ)などと同じく“小さい、かわいい”などの意味を添える接尾辞。トラグヮーの高さ11p。(H28.7.10)

03. 風俗張子(那覇市) 



沖縄の郷土玩具の多くはハイヌジ(張抜き、張子)である。戦前戦後を通じ崎山嗣昌、古倉保文の両氏がその伝統を守り続けてきた。現在では若い作家たちがその遺志を継ぎ、新しい感覚も取り入れながら琉球張子の製作を担っている。一般に張子の材料は反古紙だが、琉球では特産の芭蕉紙を使った張子もあり、写真左のオジイ(爺)などがそれである。右はジュリグヮーフトゥキー。ジュリは遊女、フトゥキーは人形なので、遊女人形とでも呼ぶもの。遊女が舞を踊る姿だろうか、あるいは両手を広げて馴染みの客を迎える姿だろうか。高さ16p。(H28.7.10)

04. ウッチリクブサー(那覇市)



張子の起き上がり小法師。ユッカヌヒーでは木製のハーリー船表紙47と並んで子供達に大いに人気があった。切れ長の眼や華やかな装いは、本土の女だるま神奈川12福岡04大分15とは一線を画すもので、むしろ中国の不倒翁(ビンイン)や泥娃娃(ニイワワ、子授け人形)との縁を感じさせる。左の高さ12p。(H28.7.10)

05. チンチンウマグヮー(那覇市)



チンチンはチンチクリンのこと。グヮーは愛称語なので“小さなかわいい馬“というような意味である。また一説に、むかしのチンチンウマグヮーは今よりも大きく、草津のピンピン馬やピンピン鯛滋賀07と同様、台車を曳くと裏の針金が弾かれてチンチン鳴ったためにこの名が付いたともいう。馬の首が上下するのは今もむかしも同じで、松江の飾り馬06などと同工異曲のカラクリである。人形は琉球王が飾り馬に乗って競馬見物に出かける晴れ姿を表したものといわれている。やはり特徴的な彩色で、一見して本土の玩具と区別できる。高さ28p。(H28.7.10)

06.    シシメーサー(那覇市)



張子で作られた獅子舞の人形。戦前の那覇では正月廿日に遊女が街を練り歩く行事があり、その趣向の一つに獅子舞があった。現在では伝統芸能として各地で受け継がれ、豊年祭や旧盆の行事で演じられている。チンチンウマグヮーと同じく、このシシメーサーも台車を曳くと裏の仕掛けで獅子の口が開閉する。むかしの人形では仕掛けがさらに凝っていて、ワクヤー(誘者、獅子使い。本土でいう獅子あやし)がクルクルと自転し、獅子は首を上下に振って啼いたという。ワクヤーが紐の付いた毬(まり)を使って獅子を誘い出し、挑発しながら獅子と絡むところは中国の獅子舞によく似ている。写真では毬の代わりに鈴が付いている。高さ22p。(H28.7.10)

07. シーサー(那覇市)



今ではスッカリ沖縄土産の代表となったシーサー(獅子)。元来は魔除けで、村の入り口や城門、貴族の墓などを守ってきた。火難除けのお守りとして民家の赤瓦屋根の上に置かれているのを目にすることも多い。これには、屋根ふきの過程で余った瓦の破片を職人が漆喰で固めて作ったものが多いとのこと。もともとは中国でライオンを指す獅子が、1415世紀に沖縄に伝わったものという。さらに本土に到って、神社の入り口を守護する唐獅子(狛犬)となった。写真は固い素焼きのシーサー。高さ8.5p。(H28.7.10)

08.    琉球の創作張子(那覇市)



豊永盛人氏は、伝統的な琉球張子1012水族館14の技法を継承する傍ら、斬新なアイデアから次々と面白い人形を世に出して、全国的に人気がある気鋭の作家である。ひとたび氏の手にかかれば、おとぎ話の主人公も愉快な姿で今によみがえる。写真は左より桃太郎、一寸法師、ミルク。ミルクは仏教でいう弥勒菩薩のこと。しかし、沖縄では海の遥か彼方から五穀の実りを携えて来訪する“訪れ神”と考えられている。顔は布袋に似ていて、右手に軍配を持ち、左手で杖をつき、背後にはサンシン(三線)の音曲に弥勒節を合唱する人々を従えてやって来る。ミルクの高さ6p。(H28.7.10)

09. ンーチャフトゥキー(那覇市)



ンーチァは土で、フトゥキーは人形なので土人形の意味。伝統的な琉球玩具を製作する「こくら」表紙47で作られたもの。栞によると人形はチジン(小太鼓)、カアチャシー、ムンジュルー、ヌファ節、サンシン(三線)の五体だが、私に分かるのは楽器の名前ていど。なにか琉球舞踊の一場面なのだろう。高さ69p。(H28.7.10)

10. 琉球花笠(那覇市)



前回の土人形も被っている花笠で、天辺の蓮の花、太陽を表す赤と海を表す青が印象的である。毎年秋に開催される首里祭の琉球王朝絵巻行列でも、この花笠を被った女性達が鮮やかな紅型(びんがた)の衣装に身を包み、四つ竹(よつだけ)を鳴らしながら国際通りを練り歩く。写真は観光土産用のミニチュア。笠の部分は竹に布張りである。直径28p。(H28.7.10)

11.     琉球人形(那覇市)と琉球みやらびこけし(八重瀬町)



風俗人形二体。琉球舞踊の美しさは、鮮やかな色彩の琉球衣装(琉衣)の美しさでもある。左は代表的な演目「四つ竹」の舞姿を写した琉球人形(高さ26p)。頭には花笠、紅型の着物を身にまとい、紫の長巾(ナガサージ)を巻いて後ろに垂らす琉球伝統の風俗を丁寧に表現している。人形の手にしているのが四つ竹で、二枚ずつ握った竹片を掌で開閉してカスタネットのように打ち鳴らす。琉球人形の製作は戦後間もない頃、戦争で稼ぎ手や仕事を失った女性たちへの授産事業として首里で始められた。その後、琉球人形は在留アメリカ人の婦人達の土産物として人気を博すようになり、各地で盛んに作られるようになった。右は琉球みやらびこけし(高さ25p)。“みやらび”とは沖縄の方言で“娘さん”を表す言葉。こちらも伝統こけしの轆轤(ろくろ)技法と繊細な描彩で「四つ竹」踊りを表現している。みやらびこけしは沖縄が本土復帰を果たした1972年から八重瀬町の福祉施設で作られている。(H28.7.10)

12. ヤカジ(那覇市)



魔除けと招福を願って男児の誕生日のお祝いに贈られるもの。漢字では矢飾、矢筈あるいは矢数と書く。雌雄一対の龍が描かれた盾形の厚紙に、獣の首を突き刺した弓矢、長刀、青龍刀などを扇形に差し込んである。これも中国から伝来したもので、本土の破魔矢にも通じるとされる。そういえば、京劇の孫悟空は何本もの斎天大聖の旗を扇形に背負って登場するし、五月人形や大津絵滋賀10に見る“弁慶の七つ道具”もこんな風である。小さいヤカジの高さ53p。(H28.7.10)

13.     アダン葉細工(那覇市)



沖縄の郷土玩具には、張子や木で作られる商品玩具のほかに、身の周りの自然物を素材とする手作り玩具、ティンチャマ(手茶目)がある。。アダンは沖縄のいたるところに自生する常緑樹。葉は煮てから乾燥させ、筵(むしろ)やござ、座布団、草履、パナマ帽等の素材として広く利用されるが、子供たちもアダンの葉を使ってさまざまな遊び道具を作り出した。アダン馬は秋田県のイタヤ細工秋田08と同じようにして作る。ハブグヮーは毒蛇のハブのこと。編み方に工夫があり、大きく開いた口に指を咥えさせると指が抜けなくなる不思議なおもちゃである。ほかに蛙や亀など身近な動物もアダンの葉で作ったという。アダン馬の高さ16p。(H28.7.10)

当ホームページ内の写真、図、文章を無断で転載する事はご遠慮下さい。
著作権は佐藤研氏に所属します。