千葉県の玩具
01. 佐原張子(佐原市)
02. 亀車(佐原市)
03. 張子の虎(佐原市・柏市
04. 下総張子(柏市)
05. だるまと起き上がり(柏市)
06. 下総土人形(柏市)
07. 下総天神(柏市)
08. 芝原人形(睦沢町)
09. 野田土人形(野田市)
10. 願満の鯛(鴨川市)
11. 上総袖凧(市原市)

01. 佐原張子(佐原市)



千葉県は、利根川で茨城県と境を接する「北総」、気候の温暖な「南房総」、長い海岸線に沿った「九十九里」、首都圏の一角をなす「べイ・東葛飾」の4つの地域に分けられ、それぞれに特徴ある風土や習俗をみることができる。このうち、北総には歴史ある町並みが今も残っており、香取神宮、成田山新勝寺など有名な社寺も数多い。小野川沿いにある古い商家の屋並みから“小江戸”とも呼ばれている佐原も北総にある。ここで大正7年から作られている張子は、千葉県を代表する郷土玩具である。当初は東京の亀戸張子(埼玉県産)に想を得た首振り人形や張子の虎が主であったが、後になって高崎系のだるまも作るようになり販路を拡大した(1)。現在の佐原張子には型にとらわれないユニークな作品が多く、見ていて楽しい。平成11年には「餅つき兎」が年賀切手にも選ばれた。前列左より犬と獅子頭、後列左よりお福、兎、親子猿(高さ11cm)。なお、佐原のほか、堀田氏の城下町・佐倉、醤油で有名な野田、我が国屈指の漁港である銚子なども北総地域に含まれる。(H19.2.18)

02. 亀車(佐原市)



佐原張子の中でも珍しい存在が、杯を咥えた亀車(高さ4cm)。背中の糸を引くと、腹に仕掛けられた糸車のゴム動力で前進する仕組みで、ほかに蟹に仕立てた蟹車もある。伊勢みやげのイノシシ(干支の猪08)と同工である(H19.2.18)

03. 張子の虎(佐原市・柏市



他県の例にもれず、千葉県でも戦後になって郷土玩具の廃絶が急速に進んだ。どんな種類の郷土玩具がどの地域に存在していたのかを丹念に調査した「房総の郷土玩具」(2)を読むと、一昔前まで千葉県は名だたる郷土玩具に恵まれた県であったことがわかる。とりわけ張子玩具の生産が盛んだったのは、すぐそばに一大消費地・東京を控える条件が埼玉県と同じだったからだろう。今ではそのほとんどが姿を消し、わずかに佐原張子と、戦後生まれの下総張子(柏市)のみとなった。写真は両者の虎であるが、それぞれ強烈な個性を発揮している。左:佐原張子、右:下総張子(高さ9cm)。(H19.2.18)

04. 下総張子(柏市)



終戦後、東京から柏へ移り住んだ作者が作り始めた張子人形。ほかに、手捻りの土人形や藁苞(わらづと)に挿された首人形の類もあり、それらを含めて「下総人形」と総称されている。当初は売る店もなく、上野広小路や亀戸天神の縁日などに行っては道に坐って細々と売っていたそうだが、大阪万国博覧会に出品してから有名となった(3)。現在では娘さんが後継者となって活躍中である。下総人形にはよく“飄逸(ひょういつ)、天真爛漫、素朴、漫画的”といった形容詞が付けられるが、それがやり過ぎにならず、いや味にならないところが他には真似のできない味であろう。人形を振ると中の豆がカラカラと鳴るのも下総張子の特徴である。写真は張子人形と張子面で、唐辛子鼠の高さ12cm(H19.2.18)

05. だるまと起き上がり(柏市)



下総人形の種類は実に多い。手捻りの首人形だけでも十二支(首人形07)のほかに七福神、おかめ・ひょっとこの里神楽、弥次喜多道中、水戸街道、西遊記(なんと46種類の首人形からなる!)、天神各種、赤鬼・青鬼、さらにはナスやカボチャなど下総で採れる野菜類まであり、しかも毎年新作を加えるものだから、実際の数はわからないほどだという。だるまにしても形や大きさは一定しておらず、色彩も個性的である。女だるまの高さ10cm (H19.2.18)

06. 下総土人形(柏市)



型を用いない手捻りの土人形。わずか9cmの小さなものだが、笄(こうがい)を挿した「おいらん」の立ち姿を巧みに表していて傑作である。首人形もそうだが、この作者の真骨頂は手捻りにあるといえよう。古代の埴輪や土偶など土俗的な人形は、すべて手捻りの手法により自由な発想で作られていた。しかし、近世以降、土人形制作が産業の一環とされると、商品に生産性の効率化、質の均一化が要求され、型を使う手法が主流となる。その結果、伏見人形(京都府)に代表される上手物の人形の影響が地方にも波及し、個性的な土俗的人形は次第に駆逐されていく。型を獲得した土人形は、洗練されて芸術的価値を得るにいたった反面、捻り人形の面白味である多様さ、素朴さ、奔放さなどを失う結果ともなったのである。現在でも手捻りは各地の首人形に活かされているが、土人形となると柏のほかに青森(青森県の玩具07)、堺(大阪府)、文字ヶ関(福岡県)、玉名(熊本県)(干支の猿02)などでわずかにみられるにすぎない。しかし、そのどれをとっても土の匂いのする人形たちである。(H19.2.23)


07. 下総天神(柏市)



平安時代の貴族・菅原道真公は学者であり政治家であったが、朝廷での勢力争いから、讒言(ざんげん)により九州(大宰府)に左遷され、失意のうちに亡くなった。道真公の没後、京都では幾多の天変地異が続いたので、これを公のたたりとして恐れおののいた人々は北野天満宮を建立し、公を「天満大自在天神」(略して天神)として祀るようになった。これが天神信仰の始まりである。その後、道真公の学徳を慕う人々が、公を学問の神としても崇めるようになったのだが、怨霊の神にせよ学問の神にせよ、いずれ天神様にはいかめしい顔つきがふさわしいはずである。しかし、この下総天神は童顔で、とても柔和なお顔をしている。これについて作者は、自分は他人の真似は嫌いで、真似を避けようとすると、どうしてもああいう顔になってしまう、と語っていたそうだ(3)。左は手捻りの土人形、右は張子人形(高さ9cm)。(H19.2.26)


08. 芝原人形(睦沢町)



昭和46年、三代目となる最後の作者が亡くなり、千葉県を代表する土人形であった芝原人形(長南町)は廃絶した。しかし、郷土玩具の研究者や愛好家らの強い後押しもあり、昭和57年に陶芸家の現作者が復活した。作風は従来の作品を忠実に再現するというもので、ごく薄く胡粉をかけた顔に牡丹色の丸型の隈取をして彩色し、着物模様には白い菊の花を描くなど、旧型の特徴(1)はそのまま継承されている。この芝原天神は、顔立ちや座姿もオーソドックスで、下総天神とは好対照である。高さ18cm(H19.3.5)

09. 野田土人形(野田市)



北総地域の主要都市・野田は、銚子とならんで醤油の生産地として有名で、今では全国生産量の3分の1を占めている。野田の醤油造りは江戸中期から本格的に始められたといい、江戸という大消費地を控えていることと、江戸川の水運が便利であったことで発達した。ちなみに、江戸川は江戸への交通を便利にするために寛永年間に開かれた人工河川で、利根川の放水路でもある。また、野田や銚子産の“濃い口醤油”を“江戸紫”と称するのは、関西より味が濃い江戸風料理に欠かせない調味料だからである。市内には“御用倉”と呼ばれる、宮内庁御用達の醤油を貯蔵するための城のような倉庫もあり、観光名所となっている(4)。野田土人形は、この地方の風俗やおとぎ話に想を得て創られた新しいものだが、造形や色彩に味わいがある。左の醤油人形は、昔の醸造風景を描いた「醤油造り絵馬」(市文化財)からとったもの(高さ11cm)。右はご存知、桃太郎。ほかに、野田地方のわらべ唄(鬼遊び唄)として知られる“かごめかごめ”を題材にした土人形もある。(H19.3.8)

10. 願満の鯛(鴨川市)



絵馬、藁馬、土鈴、だるまなど、神仏への信仰や先祖の供養に関わるものまでも郷土玩具と呼ぶには異論があろうが、ここでは郷土玩具を広く「庶民の手になる郷土色の濃い民俗資料」と解釈することにして、県内にある“祈りの郷土玩具”を紹介する。房総半島の海岸沿いを走る外房線。そのターミナル・安房鴨川駅は、イルカの曲芸で人気の海浜遊園地があることで有名だが、二つ隣の安房小湊駅は日蓮聖人の誕生を記念して建立された日蓮宗大本山・誕生寺の所在地として知られている。日蓮聖人の誕生には三つの不思議が語り伝えられている。まず、庭に岩清水が湧いて産湯に使ったという話(誕生水)、二つ目は、時ならぬときに海中に蓮華が咲いたという話(蓮華ヶ渕)、三つ目が、大鯛小鯛が群れ集ったという話(妙の浦)。そこで、地元の人々は妙の浦の鯛を日連聖人の化身として今なお食さず、国は群生する鯛を特別天然記念物として保護し、誕生寺は張子製の“願満の鯛”をお守りとして授与するというわけである。高さ11cm(H19.3.18)

11. 上総袖凧(市原市)



長南、一宮、市原など南房総の各地には、着物の形をした“袖凧(そでだこ)”と呼ばれる独特の凧がある。漁師の着る万祝(まいわい)や大工の印半纏をヒントに作られたとされるが、鳶が翼を広げて空を飛ぶ姿に似ているところから、“とんび”とも呼ばれている(因みに、英語でkiteは鳶のこと)。房総の凧が盛んに揚げられるようになったのは江戸時代で、男児が生まれると元気に育つようにと端午の初節句に凧揚げをしたという。そのため、凧の絵柄は子供の名前や家紋の入ったものが原型とされているが、後には鯉の滝登り、金太郎、文鶴(ふみづる;吉報の短冊をくわえた鶴の姿)など、縁起のよい絵も描かれるようになった。写真は筆者の家紋“源氏車”が入った袖凧(高さ50cm)。袖凧には大きな音を出す“ウナリ”(昔はクジラのヒゲを使ったという)を付ける。尾を付けなくてもよく揚がるのも特徴である。袖凧(とんび凧)から変化して、江戸の町人が作りあげたのが奴凧といわれている(5)(H19.4.15)

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