滋賀県の玩具
01. 小幡人形(東近江市)
02. 小幡人形(その2)(東近江市)
03. 小幡人形(その3)(東近江市)
04. 小幡人形(その4)(東近江市)
05. 能登川の近江だるま(東近江市)

06. 守山の猩々と起き上がり(守山市)
07. 草津のピンピン鯛(草津市)

08. 大津絵(大津市)
09.
日吉大社の山王神猿と宇佐八幡の土鳩(大津市)
10. 滋賀の土鈴(東近江市・大津市)

01. 小幡人形(東近江市)



滋賀県でまず思い浮かぶのは、県の中央を占める大きな琵琶湖。かつて滋賀県は京に近い湖(うみ)、琵琶湖があるので近江国と呼ばれた。因みに、京から遠い湖、浜名湖がある静岡県は遠江国である。滋賀県の郷土玩具には京の影響を受けたものが多く、この小幡土人形(旧五個荘町)もまた伏見人形の流れである。口伝によると、京通いの飛脚をしていた初代が、道筋でしばしば追剥の難に遭うので家内での商売を思い立ち、伏見で土人形作りの技術を習得して始めたという。従って、元型に伏見人形を使ったものも少なくない。しかし、描彩は洗練された伏見とは異なり、泥絵具で赤、黄、桃色、群青色など原色を多用する野趣豊かなものである0103雛人形10。戦後は十二支に因む新作が積極的に作られた110303。右は琵琶湖竹生島にまつわる伝説から創作したもので、島の守り神である弁財天に、湖の主である龍が宝珠を献上する姿を表現している。また、日本では馴染みのない羊も、牧笛を持った童子を乗せるなど工夫がみられる。弁財天の高さ18p。(H25.8.8

02. 小幡人形(その2)(東近江市)



前回紹介の弁財天のように、小幡人形には琵琶湖にまつわる縁起・説話に材を得たものが多い。ここに紹介する「釣鐘弁慶(弁慶の引摺鐘)」もその一つである。比叡山延暦寺の僧兵、怪力の武蔵坊弁慶は、敵対する三井寺(園城寺)から奪い取った大釣鐘に荒縄を掛け、一人で比叡山まで引き摺り上げたと伝えられている。鎌倉時代になって鐘は三井寺へ返還されたが、今も表面にみられるヒビ割れや擦り傷はその跡だと云う。なお、この釣鐘は俵藤太秀郷が大百足(むかで)退治の礼に琵琶湖の龍神から授かり、三井寺に寄進したものとされ、近江八景で知られる「三井晩鐘」とは別の鐘である。高さ14p。(H25.8.8

03. 小幡人形(その3)(東近江市)



小幡の風俗人形には招福もの(お多福や福助)、歌舞伎もの、兵隊もの、女ものなどがある。このうち、明治や大正の風俗を表わした女ものでは、顔立ちや服装、小道具によって少女、娘、嫁をおおまかに区別する。たとえば、少女ものと娘ものではどちらも頬に赤色を施すが、少女ものはおかっぱ頭にし、子猫を抱かせたり羽子板を持たせたりして可愛らしく見せる。娘ものでは衣裳の彩色をより派手にし、高下駄をはかせて体はややそらし気味にする、といった具合である。写真の人形は頬に薄く紅をさしているが、髪型や着ている衣裳から「子守り嫁」と呼ばれ、類似の「子守り娘」と区別される。高さ25p。(H25.8.8

04. 小幡人形(その4)(東近江市)



小幡には“松竹(まつたけ)もの”と呼ばれる性にまつわる人形もある。手本となった伏見人形では“笑いもの”と呼ばれる類だが、伏見ではあまり見られなくなったのに対し、小幡には松竹お福(写真右)のほか、潮汲み娘、桃抱き童子など三、四十の型が残っている。写真左も一見すると膝を抱えた子供たちだが、底には男女の象徴が描かれた“裏付き”である。現代からすればたわいないものだが、明治維新には風紀紊乱(びんらん)の取り締まりにより、全国でこの手の人形の型が壊された(2)。現作者によると、昭和40年台にも先代が警察署で事情聴取されたことがあったそうで、その時は裏の畑に掘った穴に型を隠して押収を免れたという。松竹お福の高さ8p。(H25.8.31)

05. 能登川の近江だるま(東近江市)




大正末期の創作といわれる起き上がり。漫画的な顔の男だるま、やさしく頬笑む女だるま(おたふく)、目尻が下がっておちょぼ口の姫だるま、の三体が一組となっている。当初は農家の副業として作られてきたが廃絶。約30年前に市民が近江だるま保存会を立ち上げ、苦労の末に復活した。写真のだるまも、楽器店を経営する会員の一人から頒けてもらった。男だるまの高さ7.5p。(H25.8.31)

06. 守山の猩々と起き上がり(守山市)




東海道が通る湖南地方は、昔から交通の要衝として栄えた。宿場町である守山や草津には特産品の張子玩具があったが、現在ではこの猩々(しょうじょう)のほか、復活したピンピン鯛、ピンピン馬がわずかに作られるのみである。猩々は中国の古い書物にある髪毛も体毛も真赤な想像上の動物。全身が赤いことから大の酒好きとされ、書物には酒を餌に捕獲する方法も記されている。また、古来日本では赤は邪気を祓う色とされており06金太郎04埼玉01、痘瘡(天然痘)除けのまじないに猩々人形を飾る風習があった。写真では赤の衣を着て、群青と赤の略線を描いた白袴をはいた猩々が酒がめの上に立ち、右手に柄杓をかかげ左手に杯を持つ。これは日本で能や歌舞伎に登場する猩々の姿を表している。人形の栞にある「猩々の祀り方」が面白いので、少々長いが引いておく。「かまどの傍に二枚の赤紙を重ね、猩々とお供のだるまを並べ、あずき飯と酒をそれぞれ器に入れて供える。そして夜には、二枚の赤紙を布団に見立て、その間に猩々を寝かせ、夜明けとともに起す。こうして七日間祀った後は十字路に置き、厄払いをする。これを猩々返しという。」同じような話は宮城県にもあって、「ハシカ・痘瘡の時は赤飯を十字路に供えて後を見ずに帰ると軽い」との云い伝えがある。なお、全身が赤い発疹に覆われる“猩紅熱(しょうこうねつ)”の名も猩々に由来する。猩々の高さ15p。(H25.9.7

07. 草津のピンピン鯛(草津市)




湖南地方では出生の祝として、疱瘡除けの猩々や起き上がりのほかにも、男児ならばピンピン馬を、女児ならばピンピン鯛を贈る習わしがあった。馬や鯛が乗った台車を引くと、車に細工された針金が弾かれ、ピンピンと鳴る仕掛けである。高さ31p。(H25.9.7

08. 大津絵(大津市)




俗説では、江戸初期に又平という旅絵師がここの街道筋に住みついて、旅人相手に神仏画を描いて売ったのが大津絵の起こりという。その後、時代の変遷にともない、図柄もユーモアに富む風刺画に狂歌を添えたものとなり、旅のお守り札として良く売れた。例えば、「鬼の寒念仏」は“小児の夜泣き止め”、「藤娘」は”良縁を得るによし“、「瓢箪鯰」は”諸事円満に解決“、「雷公」は”雷避け“という具合である。観光客が絵馬や絵葉書の大津絵を土産にする風景は今も変わらない。絵馬の高さ12p。(H25.9.7

09. 日吉大社の山王神猿と宇佐八幡の土鳩(大津市)




猿は日吉(日枝)神社のお遣いであるので04、山王信仰の総本宮、大津市坂本の日吉大社では白木の木目が美しい御幣猿を授与している。一方、鳩のほうは八幡宮のお遣いとして知られ、ここ宇佐八幡の本殿両脇にもおびただしい数の土鳩が奉納されている。社務所によると、古くは奉納されている土鳩を一つ借りて神棚に祀り、祈願成就のお礼には新しい土鳩を添えて奉納する“倍返し”07が習わしであったが、近年では、祈願の都度に新しい土鳩の一つを神前に納め、もう一つを持ち帰って神棚に祀ることが多いということである。神猿の高さ7p。(H25.9.7

10. 滋賀の土鈴(東近江市・大津市)



左端は小幡人形の干支土鈴より鶏。小幡特有の重量感があり、泥絵具を使ったカラフルな絵付である。右は大津絵十人衆土鈴より「座頭」(倒れぬマジナイ)、「瓢箪鯰」(諸事円満に解決)、「弁慶」(身体剛健)、「鷹匠」(失せもの見つかる)の4点。流し込みで作られており、細部まで丁寧に描かれている。鶏土鈴の高さ9p。(H25.11.4

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