清水かつら しみず・かつら(1898—1951)


 

本名=清水 桂(しみず・かつら)
明治31年7月1日—昭和26年7月4日 
享年53歳(天真院桂堂大仙居士) 
東京都文京区本駒込3丁目19–17 吉祥寺(曹洞宗)




童謡詩人。東京府生。青年会館英語学校中退。中西書店出版部に入社。雑誌「少女号」「小学画報」の」編集に従事。編集主任鹿島鳴秋の勧めで童謡を作り始め大正8年頃から「少女号」を中心に作品を発表。作品の「靴が鳴る」「あした」「叱られて」「雀の学校」などはすべて弘田龍太郎によって作曲され、レコード化されて流布した。








叱られて
叱られて
あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
こんときつねが なきゃせぬか
叱られて
叱られて
口には出さねど 目になみだ
二人のお里は あの山を
越えてあなたの 花のむら
ほんに花見は いつのこと

(叱られて)



 

 大正7年「赤い鳥」の創刊によって芸術童謡が盛んになっていたが、今もって歌い継がれている「靴が鳴る」「叱られて」「雀の学校」など清水かつらの平明な子供を慈しみ、子供の心を歌った童謡は大衆に広く親しまれたが、昭和26年7月4日の朝、埼玉県北足立郡大和町白子908番地(現・和光市白子2丁目21番地)の自宅で、日課にしていた朝食前の酒を末弟正夫の妻ちるがお猪口につぐと、「すまないねえ」と言ってそのまま倒れた。亡くなる前には所望したわずかな酒を、一滴二滴ばかり口に含んで「酒が飲めなくなったら終わりだ」とつぶやいて脳溢血のため午前11時30分、継母あさと正夫の家族が看取る中で静かに逝った。





 

 昭和26年7月11日、清水かつらの葬儀は「音楽葬」として東京・駒込の吉祥寺で営まれた。葬儀委員長は無名の頃からコンビを組んだ弘田龍太郎。読経のあとビクター児童合唱団と音羽ゆりかご会の合唱団が「靴が鳴る」を斉唱した。かつらの墓は葬儀が行われ、お七吉三比翼塚や川上眉山、榎本武揚、また童謡「花かげ」を書いた童謡詩人大村主計などの墓所もある吉祥寺の本堂南西に広がる墓地の南端のひと隅にある。炎天の下「清水かつらここに眠る」と刻された石柱の墓所に昭和55年9月に弟の寅彦建之「清水家之墓」が建っている。碑の側面に父貞之助、継母あさの名に挟まれて清水かつらの戒名、没年月日、俗名が読み取れる。 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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