白鳥省吾 しらとり・しょうご(1890—1973)


 

本名=白鳥省吾(しろとり・せいご) 
明治23年2月27日—昭和48年8月27日 
享年83歳(詩星院松風暁悟居士)
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園11区2種8側
 



詩人。宮城県生。早稲田大学卒。大正3年第一詩集『世界の一人』を刊行。口語自由詩創成期を代表する詩集とされる。7年福田正夫の『民衆』創刊に参加。〈民衆詩派〉の中心的存在として活躍した。詩集『大地の愛』などがある。







荒磯の疎らな松林のなかに
いくつかの墓が並ぶ
墓のほとりに盆火がとろとろと燃え
墓の面を照らしてゐる
星空の下に
波の音に慄へて。
                                                                          
この世から去れる祖先や知人の墓のまへに
潮風にも消されず火は静かに燃える
海辺に育ち海辺に死に
或は海に溺れ死んだ人々の墓
その死の眠にも絶えず通ふ荒磯のひびき
人間のさびしさ。

永遠の波のさびしさ
これら墓の底に眠るなつかしい素裸の魂も波の音に慄へる
そして大地を揺藍として人々は寂しく眠る
それにしても海は何といふ雄々しい子守唄だ。

生ける者にはまだしも
死せる者の眠には余りに力強い響きではないか
然し海潮の高鳴りに遠く耳を澄ませば
その底に幽かに
優しい子守唄が咽びきこえる。

(死者の子守唄 )



 

 白鳥省吾は〈民衆派〉の代表的詩人として〈実感を伴わない漠然たる詩的空想を排する。現実こそ永遠への窓である〉と標榜する。
 大正7年『詩歌』3月号に発表した「殺戮殿堂」(詩集『大地の愛』に収録)は、靖国神社の遊就館を詠った反戦詩の代表作であった。〈人人よ心して歩み入れよ、静かに湛へられた悲痛な魂の夢を光をかき擾すことなく魚のように歩めよ。(中略)おお殺戮の殿堂に あらゆる傷つける魂は折りかさなりて、 静かな冬の日の空気は死のやうに澄んでゐる そして何事もない〉。
 ——時を同じくした詩人たちにこの現実を認めることは少ない。省吾享年83歳、昭和48年8月27日、食道がんのため晩夏に死す。



 

 大ぶりのその墓は赤錆た鉄柵に囲まれ、黒御影石の鏡面に「白鳥省吾家之墓」と刻まれてある。民衆派詩人と称された白鳥省吾はここに眠っている。
 福田正夫らと民衆詩運動を推進するために創刊した『民衆』、そこに掲げられた〈われらは郷土から生まれる。われらは 大地から生まれる。われらは民衆の一人である。世界の民である。日本の民である。われ自らである。われらは自由に想像し、自由に評論し、真に戦うものだ。われらは名もない少年 である、しかも大きな世界のために、芸術のために立った。今や鐘は鳴る。われらは鐘楼に 立って朝の鐘をつくものだ 〉との表題を髣髴とさせるような孤然とした風景にあった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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