清水 昶 しみず・あきら(1940—2011)


 

本名=清水 明(しみず・あきら) 
昭和15年11月3日—平成23年5月30日 
享年70歳 
東京都三鷹市野崎2丁目4–29 メモリアルガーデン三鷹 



詩人・評論家。東京都生。同志社大学卒。大学在学中、正津勉らと詩誌『首』を創刊する。詩作のほかに評論、俳句なども書いた。昭和41年現代詩手帖賞受賞。詩集『長いのど』『少年』、評論集『詩の根拠』などがある。







うつぶせに眠っている弟よ
きみのふかい海の上では
唄のように
野の舟はながれているか
おれの好きなやさしい詩人の
喀血の背後でひらめいた
手斧のような声の一撃
それはどんな素晴らしい恐怖で海を染めたか
うつぶせに眠っている弟よ
きみが抱き込んでいるふるさとでは
まだ塩からい男たちの
若い櫂の何本が
日々の風雨を打ちすえている?
トマト色したゆうひを吸って
どんな娘たちが育っているか
でもきみは
おれみたいに目覚めないことを祈っているよ
おれは
上半身をねじって
まっすぐ進んでゆくのが正しい姿勢だと思っているが
どうもちかごろ
舌が紙のようにぺらぺらめくれあがったり
少しの風で
意味もなく頭が揺れたりして
もちろん年齢もわからなくなっている
だからときどき
最後の酒をのみほしたりすると
はげしい渇きにあおられて
野の舟の上でただひとり
だれもみたことのない夢へ
虚無のように
しっかりと
居坐ってみたりするのさ

(野の舟)


 

 詩集『少年』を二十代最後の年に上梓して以来、常に〈少年〉にこだわり続けてきたのだが、三十代半ば過ぎには〈詩集「少年〉のあいだからいつまでも舞い落ちる虚無の栞〉に埋もれまいと身震いする〈白髪の青年〉となった清水昶自身の姿を見つめるように、「詩」に対する絶望をも予感したのか、二十世紀最後の年からぷつりと詩を書かなくなり、俳句に熱中しはじめた。およそ13年もの間、ネットに「俳句航海日誌」という掲示板を設けて盛んに発表していたのだが、晩年はその俳句も殆ど発表することなく平成23年初夏の5月30日、心筋梗塞のため東京都武蔵野市の自宅で死去。詩集『少年』の「眼と銃口」の一節にあった〈死ぬならば 神無月の朝に死ぬ〉との思いは届かなかった。



 

 古くからの街道である人見街道と武蔵境通りが交差する処にひらかれた真新しいこぢんまりとした霊園、管理棟の出入り口から真っ直ぐにのびた参道の左右には全く同じような形態の洋風墓碑が羽根を広げるように等間隔に並んでいる。梅雨の時期としては珍しくカラッと晴れた日の夕暮れ時、背に長く影を伸ばして参道を奥へ歩いて行く。あるかなきかのささやかな風が頬に心地よい。奥から三、四筋手前を右へ入る。「過ぎにし我が家」と墓碑面に彫られてあるのは詩人の言葉であろうか。碑の背後の墓誌には同じ年の2月に死んだ父武夫と翌年の4月に死んだ母敦江に挟まれて、清水明(昶)の名前と没年月日、享年が刻まれてある。〈自分の心のなかに隠れ棲むようにして静寂に堪えているような人々が好きだ〉と言った詩人の墓だ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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