|
私の記憶の中にあって、いつ聞いてもいつ唄っても、そしていつまでも懐かしい思い出と共に蘇る歌の大部分が「国民歌謡」であり「ラジオ歌謡」である。「music theater」を始めた当初は「歌謡曲」と一緒くたにしていたが、この国民歌謡とラジオ歌謡にはクラシックとポピュラーの区別がない。また、ここに引いた藍川氏などによる再評価の動きにも教えられ、このたび新たに「ラジオ歌謡」というカテゴリーを設け、ここに一括区分することにした。鑑賞者の参考に資する為、小区分としては「国民歌謡」と「ラジオ歌謡」に分け、かつ、放送年月を備考に記すこととした。 日本人は歌の好きな民族だ。わが国では、伝統的に見ても純粋音楽より声を伴う音楽の方が発達して・・・きた。日本人が五線譜を用いて作曲した声楽作品の数は、器楽作品とは比べ物にならない程多い・・。その要因としては、たとへば(1)明治初期に学校教科として「唱歌」が導入されたこと、(2)昭和11年に「国民歌謡」というラジオ番組が始まったこと、が考えられる。・・・「国民歌謡」は戦争の激化と共に、昭和16年に「われらのうた」、17年には「国民合唱」と番組名を変えて敗戦まで続き・・・そして敗戦後、NHKは昭和21年に歌番組を復活させた。それが「ラジオ歌謡」で、テレビ時代になると「みんなのうた」としてラジオとテレビで放送されるようになった。・・・(藍川由美「NHK國民歌謠(昭和11年6月〜)〜ラジオ歌謡(昭和21年5月〜昭和37年3月)」による。)http://www.jade.dti.ne.jp/~onodera/radio.html |
(国民歌謡) |
心のふるさと |
作詞 大木惇夫 |
昭和11年 6月(1936) |
椰子の実 |
作詞 島崎藤村 |
昭和11年 7月(1936) |
夜明けの唄 |
作詞 大木惇夫 |
昭和11年 8月(1936) |
落葉松 |
作詞 北原白秋 |
昭和11年10月(1936) |
春の唄 |
作詞 喜志邦三 |
昭和12年 3月(1937) |
母の歌 |
作詞 板谷節子 |
昭和12年 7月(1937) |
愛国の花 |
作詞 福田正夫 |
昭和12年10月(1937) |
海ゆかば |
作詞 大伴家持 |
昭和12年11月(1937) |
出征兵士を送る歌 |
作詞 生田大三郎 |
昭和14年11月(1939) |
愛馬進軍歌 |
作詞 久保井信夫 |
昭和15年4月(1940) |
暁に祈る |
作詞 野村俊夫 |
昭和15年4月(1940) |
燃ゆる大空 |
作詞 高橋俊策 |
昭和15年5月(1940) |
隣組 |
作詞 岡本一平 |
昭和15年6月(1940) |
めんこい仔馬 |
作詞 サトウハチロー |
昭和16年01月(1941) |
歩くうた |
作詞 高村光太郎 |
昭和16年(1941) |
朝だ元気で |
作詞 八十島 稔 |
昭和17年 2月(1942) |
空の神兵 |
作詞 梅木三郎 |
昭和17年(1942) |
ラバウル海軍航空隊 |
作詞 佐伯孝夫 |
昭和18年(1943)3月 |
お山の杉の子 |
作詞 吉田テフ子/補作 サトウハチロー |
昭和19年(1944)11月 |
(ラジオ歌謡) |
朝はどこから |
作詞 森 まさる |
昭和21年 5月(1946) |
風はそよかぜ |
作詞 東 辰三 |
昭和21年 5月(1946) |
三日月娘 |
作詞 薮田義雄 |
昭和21年 8月(1946) |
山小屋の灯 |
作詞 |
昭和22年10月(1947) |
緑の牧場 |
作詞 松阪直美 |
昭和23年1月(1948) |
たそがれの夢 |
作詞 西沢 爽 |
昭和23年6月(1948) |
黒いパイプ |
作詞 サトウハチロー |
昭和23年7月(1948) |
アカシアの花 |
作詞 松坂直美 |
昭和23年7月(1948) |
想い出は雲に似て |
作詞 |
昭和23年8月(1948) |
夏の思い出 |
作詞 江間章子 作曲 中田喜直 |
昭和24年6月(1949) |
さくら貝の歌 |
作詞 土屋花情 作曲 八洲秀章 |
昭和24年7月(1949) |
あざみの歌 |
作詞 横井 弘 作曲 八洲秀章 |
昭和24年8月(1949) |
白い花の咲く頃 |
作詞 寺尾智沙 |
昭和25年5月(1950) |
リラの花咲く頃 |
作詞 寺尾智沙 |
昭和26年3月(1951) |
森の水車 |
作詞 清水みのる |
昭和26年4月(1951) |
山の煙 |
作詞 大倉芳郎 |
昭和26年8月(1951) |
雪の降る街を |
作詞 内村直也 作曲 中田喜直 |
昭和28年2月(1953) |
心の窓にともし灯を |
作詞 横井 弘 |
昭和34年12月(1959) |