作詞 梅木三郎 作曲 高木東六 唄 鳴海俊輔 四家文子 |
1.藍より蒼き 大空に 大空に たちまち開く 百千の 真白き薔薇の 花模様 見よ 落下傘 空に降り 見よ 落下傘 空を征(ゆ)く 見よ 落下傘 空を征(ゆ)く 2.世紀の華よ 落下傘 落下傘 その純白に 赤き血を 捧げて悔いぬ 奇襲隊 この青空も 敵の空 この山河も 敵の陣 この山河も 敵の陣 |
3.敵 撃砕と 舞い降(くだ)る 舞い降る 眦(まなじり)高き 兵(つわもの)の いずくか見ゆる 幼顔(おさながお) ああ純白の 花負いて ああ青雲に 花負いて ああ青雲に 花負いて 4.讃(たた)えよ空の 神兵を 神兵を 肉弾 粉と 砕くとも 撃(う)ちてしやまん 大和魂 我が丈夫(もののふ)は 天降る 我が皇軍は 天降る 我が皇軍は 天降る |
1942年(昭和17年) |
昭和17年1月11日に海軍の落下傘部隊が蘭領印度(現在のインドネシア)のセレベス(現在のスラウェシ)島メナドに、続いて2月14日に陸軍の落下傘部隊がスマトラ島のパレンバンに降下した。この歌はその時の模様を歌ったもので、青空に純白の落下傘が次々に開いてゆく様子が絵のように歌われている。普通軍歌は勇ましいか、暗いかのどちらかが多いのだが、この曲は珍しく明るく美しい軍歌になっている。
作曲者の高木東六は雑誌「諸君」の平成13年9月号で作家・演出家の久世光彦と対談し、次のように語っている。「二,三年前自衛隊に招かれて習志野の第一空挺団の演習を見に行ったんですよ。この日は新米の隊員がはじめて実際に飛行機から降下訓練をする日だったそうです。ちょうど僕らの真上に輸送機がきた時、そこから新兵さんがどんどん降下してくる。落下傘がパッと開くのにあわせて、地上に控えていた楽隊が空の神兵の演奏をはじめたんですよ。驚きましたねえ。感動しました。まわりにいる自衛隊の人たちもみんなで歌いだして。この歌は部隊のテーマ曲みたいになっていて、ことあるごとに演奏しているそうですよ。ただ、いまの落下傘というのは白くないんですね。なんだか緑色みたいではっきりしないですから真白き薔薇のというわけにはいかなかった。」更に、「(軍歌はいやいやながら作っていたという話をした後で)ただ空の神兵は、レコード会社の人が梅木三郎さんの歌詞を持ってきて、それを読んだ瞬間僕の頭にさわやかなイメージが広がったんです。簡明、直裁、且つ美しいイメージはこれまでの軍歌にはなかったものです。これなら作れると瞬間的に思いました。・・・(中略)・・・あの曲は僕の曲作り、曲想そのもので書く事ができたから、確か十五分くらいで出来上がったと思います。」 この対談の時高木東六は97歳。現在日本の唯一の落下傘部隊である陸上自衛隊第一空挺団(千葉県習志野)が年の初めに初降下訓練をする時はこの曲(メロディーのみ)が流されるそうである。 【昭和の軍歌(http://www7.ocn.ne.jp/~gunka/showa.html)による】 |