作詞 大伴家持 作曲 信時 潔 海ゆかば 水(み)漬(づ)く屍(かばね) 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺(へ)にこそ 死なめ 顧みはせじ
1937年(昭和12年)
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万葉後期を代表する8世紀の歌人・大伴家持の万葉集巻18の長歌
「大伴の遠つ神祖の、その名をば大来目主と、負ひ持ちて仕へし官、 海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大皇の辺にこそ死なめ、 顧り見はせじ と言立て、丈夫の清きその名を、古よ今の現に、流へる祖の子等ぞ」 中の句(赤色部分)に東京音楽学校教授の信時 潔が 曲をつけたもので、昭和12(1937)年10月13日から一週間展開された「国民精神総動員強調週間」という精神運動のために作られ、 昭和12年11月22日「国民歌謡」として放送された。 この曲は大ヒットし、昭和17(1942)年12月には大政翼賛会が海ゆかばを国歌に次ぐ国民歌に指定、昭和18(1943)年からは大政翼賛会などで儀式の黙祷などに 歌われ、同年10月の学徒出陣式の際にも学徒が斉唱していた。 また、戦争末期の大本営発表のラジオ放送で、玉砕や戦況が悪いときに流すようにもなった。 『【君はアニメンタリー「決断」を知っているか】(http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/index.html)の 「BGM解説」から』 なお、明治13年に宮内省雅楽部伶人の東儀季芳が作曲した同名の海軍儀式歌がある。
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