中井英夫 なかい・ひでお(1922—1993)


 

本名=中井英夫(なかい・ひでお)
大正11年9月17日—平成5年12月10日 
享年71歳 ❖黒鳥忌 
山口県山口市駅通り2丁目1–15 正福寺(浄土真宗)
東京都台東区下谷2-10-6 法昌寺(法華宗本門流)



小説家。東京府生。東京帝国大学中退。大学在学中に吉行淳之介らと第一四次『新思潮』に参加。『短歌研究』『短歌』を編集、塚本邦雄、中城ふみ子、寺山修司、春日井健らを見出す。『悪夢の骨碑』で泉鏡花賞受賞。ほかに『虚無への供物』『幻想博物館』などがある。



山口・正福寺

 東京・法昌寺・納骨堂
 



 いま、手許に、一葉の古ぼけた写真があって、熟れた西洋いちじくの木蔭に、古武士のように端然と膝に手をおいた父と、熱烈なクリスチャンでもあった母とが写っている。立上がると足もとまであったという黒髪はもう切られているが、上代たの氏と同期の英文科を出て青踏派以前に女性解放運動と社会主義とにとりつかれ、それでいて早く海老名弾正氏に洗礼を受け、生涯を伝導に従事したいと願っていたこの母を、ひそかにわたしは自分と同じ流刑囚なのだと信じていた。だが、父方の祖父の誠太郎——小説に書いたとおりの経歴で、クラーク博士の愛弟子でありながら一度も神を信ぜず、化学と酒ばかり偏愛し、後年には岐阜で起った日本最初の学生ストライキの鎮圧に成功した、その血をまたたっぷり引いた父と、流されびと母との出逢いは、とりわけ晩年の子であるわたしにとって、地球とか人間社会とかを、よく理解させる組合わせとはいえなかった。オレはこんなところで生まれた筈はない、どこか遠いところ、たとえば他の天体からむりに連れてこられたのだと、幼年のわたしが固く信じて、その故郷へ戻るための呪文を日夜唱え続けていたのは、むしろ当然だったかも知れない。しかし、流刑の思いだけは年ごとに深くなるにしろ、もういまは、地球の空の青と、地の緑とは、何にもかえがたく美しく思えるようになった。
                                       
(虚無への供物・あとがき)

 


 

 薔薇は枯れてしまった。美しい物語を遺して。小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』に加えて『虚無への供物』は日本の推理小説・異端文学の三大希書とされる。
 〈一九五四年の十二月十日。外には淡い靄がおりていながら、月のいい晩であった〉。お酉様の賑わいも過ぎた下谷・竜泉寺のバア〝アラビク〟を舞台として幕を開けた希有の物語は、虚構と現実を彩なして「中井英夫」の美学を形成していった。
 平成5年の同日同曜日の12月10日(金曜日)午後11時50分、日野市・田中病院にて肝不全のため逝った異端の作家、中井英夫が生涯をかけて探し求めた故郷、遥か天体の彼方に煌めく星々は永遠に留まることなく流れ始めたのだ。



 

 歌人福島泰樹が住職でもある下谷・法昌寺で葬儀が執り行われ、寺には中井英夫供養塔もあるのだが、故郷山口駅前通りにある浄土真宗の寺、正福寺の墓地、区画整理されて窮屈に並んでいる墓石の間の筋引くような細路を行きつ戻りつし、ようやくに探し当てた先祖代々の碑。植物学者として高名な父中井猛之進の影に反発するかのように、山口の墓なんかには絶対に入りたくないとの遺言があったと聞くが、その父も眠るこの小さな墓に中井の遺骨は納まってある。
 ——〈眠りがなかなか訪れてこないのは 本人が眠ることを拒否しているからだ 眠りは 優しい母と美しい姉と が、一体になったものだから なかなか僕の寝室には 恥ずかしくってきてもらえないのだ〉。

 令和二年の二七回忌に分骨が法昌寺の納骨堂に納められた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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