永田耕衣 ながた・こうい(1900—1997)


 

本名=永田軍二(ながた・ぐんじ)
明治33年2月21日—平成9年8月25日 
享年97歳(田荷軒夢葱耕衣居士)
兵庫県加古川市尾上町今福376 泉福寺(曹洞宗)



俳人。兵庫県生。兵庫県立工業学校(現・兵庫工業高等学校)卒。『鶏頭陣』『鶴』『風』を経て、昭和23年、山口誓子の『天狼』同人となる。24年『琴座』を主宰。33年『俳句評論』同人。句集に『加古』『驢鳴集』『人生』『蘭位』のほか、随筆集『山林的人間』などがある。



 
 


ひとごみに蝶の生るる彼岸かな      

夢の世に葱を作りて寂しさよ       

面白うていつに死ぬるや墓参り

佇ちなやむ人間といひあやめといひ    

死蛍に照らしをかける蛍かな       

少年や六十年後の春の如し        

汝が先に死んでしもたかお元日     

死なざらむ虚空生たり梅花人 

 


 

 平成7年1月17日未明、未曽有の大地震が阪神地方を襲った。このとき永田耕衣は95歳。神戸の須磨にあった自宅は半壊状態になってしまった。階下に住む息子夫婦は大怪我を負ったのだが、幸運にも耕衣は擦り傷程度の軽傷で救い出された。しばらく後、大阪府寝屋川市の特別養護老人ホームに入居。6月には「耕衣大晩年の会」が催され、挨拶をした。
 〈私は孤独になりました。しかし孤独は永遠であります〉。孤独になってこそ、耕衣は命が熱くなっていくのを感じたのだが、同時に緩やかな終焉をも予感していたのだった。平成9年8月25日夕刻、肺炎のため死去。97年と6か月の生涯だった。辞世の句、〈枯草の大孤独居士ここに居る〉。希にみる見事な人生であった。



 

 城山三郎の『部長の大晩年』に書かれているように、耕衣は定年の日まで38年間工場勤めをしていた。三菱製紙高砂工場、その工場の蜃気楼のような煙突が対岸に二本見えるこの加古川の生地、尾上町今福。
 生家に近いこの寺の墓地隅に昭和15年、耕衣が40歳の時に建てた墓碑が閑かに座してある。「永田家之墓」、薄墨のようにくすんだ御影石の小振りな碑だった。新しく設えられた式壇、香立て、花生けが輝き始めたばかりの朝日にまぶしく映えている。
 絶吟「枯草の大孤独居士此処に居る」を遺した耕衣。初夏の日の、長閑な印南野の古寺に眠って孤独居士は何を念じているのやら。——〈少年の小便出ッたぞ死ぬまいて〉、まだまだ耕衣は生きている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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