本名=中村波魔子(なかむら・はまこ)
明治33年4月11日—昭和63年9月20日
享年88歳(淳風院釈尼汀華)❖汀女忌
東京都杉並区永福1丁目8–1 築地本願寺別院和田堀廟所(浄土真宗)
俳人。熊本県生。熊本県立高等女学校(現・県立第一高等学校)卒。高浜虚子に師事。星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女とともに四Tとよばれた。昭和9年『ホトトギス』同人となり、15年第一句集『春雪』を出版。22年『風花』を創刊し主宰。句集に『春暁』『半生』『花影』『都鳥』などがある。
中空にとまらんとする落花かな
なほ北に行く汽車とまり夏の月
よろこびて落つ水待って滝走る
外にも出よ触るるばかりの春の月
雪しずか愁なしとはいえざるも
今日に処す足袋の真白をはきにけり
花落とし終へし椿の男ぶり
熊本高等女学校卒業の頃より『ホトトギス』に投句を始めてから約70年の昭和の終わり、昭和63年9月20日のこの日、東京女子医科大学病院で心不全によって天寿と言えば天寿の死を迎えた中村汀女。
結婚後、税務官吏の夫の任地を転々、家事に追われる生活で句作を中断したこともあったが、復帰して高浜虚子に師事。星野立子とともに代表的女流俳人となった。
中村汀女の俳句世界には、境涯、高雅、理想美、ニヒリズム、人間探求などの態度は見えない。子が、母が、夫が生活する日常茶飯の抒情や慈しみ、音色、安らぎ等を自己の思いやりで包み、細やかな感情を淡々と潔く吟じ、鮮やかな印象を残してゆるりと去っていった。
関東大震災によって焼失した築地本願寺の再興にあたって、境内墓地を陸軍弾薬庫跡のこの地に移し、昭和9年に開設された樋口一葉や九條武子も眠っている築地本願寺別院和田堀廟所。
一葉の墓から少し高速道路寄りに南下したあたり、老夫婦が塋域の外柵に腰掛けて和んでいる脇を通り抜けると、背筋を伸ばしてしっかりと立つ「中村家」墓に、防ぎようもなく陽は降りかかっている。緑彩も瑞々しく、躑躅が咲く。今日の風をうけて今日の花が薫る。季節は初夏。
〈雪しづか 愁 なしとは いえざるも 汀女〉の句碑面に逆光の幕がかかっている。歳月は流れ、この庭に永遠に静まっているのは汀女。佇みを取り巻く明るさに、私もまたゆっくりと流れた。
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