中村光夫 なかむら・みつお(1911—1988)


 

本名=木庭一郎(こば・いちろう)
明治44年2月5日—昭和63年7月12日 
没年77歳 
東京都豊島区駒込5丁目5–1 染井霊園1種イ12号3側


 
評論家・小説家。東京府生。東京帝国大学卒。昭和11年『二葉亭論』で池谷信三郎賞受賞。13年渡仏、翌年帰国。14年吉田健一らと『批評』を発行。24年明治大学教授。私小説批判を主軸に、丹羽文雄や広津和郎らと論争。『風俗小説論』『志賀直哉論』『二葉亭四迷伝』『贋の偶像』などがある。



 



 フランスの諺に、「青年が知つていたら、老人に力があったら」というのがあります。
 力(肉体及び精神の諸能力)のある青年は生きるとは何かについて無知だし、それについて経験上多少悟るところのあった老人は、人生に働きかける能力を欠いてしまう。だから恨み呑んで死んで行くのが、人間の運命だというので、意地悪な話ですが、たしかに一面の真理です。
 同じことを二葉亭四迷は、我々は人生の真実を悟るのが、誰しも「判で押したやうに」十年おそすぎると、「平凡」の主人公に言わせています。
 しかしこの厭世的な諺を裏から読むこともできます。
 青年の持つさまざまの(大人になると消えてしまう)美点は人生にたいする無知から生まれるので、無知こそ青年の宝と言えると同様、「知って」いる老人も、もし「力」を保存していれば、人生について考え、語るのに、もっとも適した資格の持ち主である筈です。
 むろん老化の必然の現象である、能力、体力の衰えを免れるわけに行きませんが、それをできるだけおくらすこと、そこに得られた時間の余裕をうまく生かすことは可能だし、またそうしなければ現代人は老年に堪えて行くことはできないでしょう。
 現代のように人間の成熟がむずかしく、時間がかかるようになった時代には、僕らが自分であり得るのは、老年期だけかも知れないので、その自覚を何らかの形に実現する「力」を持つことは、僕らにとって死活の間題です。
                                                      
(青年が知っていたら)



 

 川端康成から〈小説は駄目だが評論はいい〉と評された中村光夫。小林秀雄らの推挙で『文学界』に連載した『ギイ・ド・モウパッサン』や、『二葉亭論』などで、批評活動を始めた。
 志賀直哉や谷崎潤一郎を徹底的に批判し、「私小説」や「風俗小説」に日本の近代文学のひずみを指摘してきた戦後批評界の中心的人物であった。
 昭和48年6月に死去した友人、仏文学者の鈴木力衛氏への弔辞に〈僕らは惰性で灰色の老年を生き、残った酒の苦がい澱を飲まねばなるまい〉と詠んだ中村光夫の老年が本当のところ灰色であったのかどうかを知る由もない。
 長患いの後、彼がいうように動かすことのできない寿命は、昭和63年7月12日午後11時40分、鎌倉・扇ガ谷の自宅で尽きてしまった。



 

 没する直前にカトリックの洗礼を受けた中村光夫。丹羽文雄との『風俗小説』論争や、広津和郎との『カミュ・異邦人』論争で気を吐いた作家の墓は東京駒込の染井霊園にある。
 夕闇が迫ってきた墓地の冷土を踏み訪ねていると、ひたすら寒さを感じるのは季節のせいばかりではあるまい。辿り着いた時には、すでに闇に包まれた孤寂の「木庭家累代墓」はあった。墓誌の中村光夫の文字がかろうじて読める程度で、低い木立のむこうの暮れなずむ空だけが明るさを保っていた。
 ——〈人々は普通青年は人生を知らぬといふ。だがかういふとき彼等は人生とはまさしく人生を知らぬ人間によつて築かれるといふ大きな事実を忘れてゐる〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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