中村草田男 なかむら・くさたお(1901—1983)


 

本名=中村清一郎(なかむら・せいいちろう)
明治34年7月24日—昭和58年8月5日 
没年82歳(ヨハネ・マリア・ヴィアンネ)❖草田男忌 
東京都あきる野市伊奈一 カトリック五日市霊園


 
俳人。清国(中国)生。東京帝国大学卒。人間探求派の俳人。昭和4年高浜虚子に師事、のち『ホトトギス』同人。21年『萬緑』を創刊、主宰。『風船の使者』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。句集『長子』『火の島』『銀河依然』などがある。



 



降る雪や明治は遠くなりにけり

思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ
      
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川

萬緑の中や吾子の歯生え初むる
      
炎熱や勝利の如き地の明るさ

空は太初の青さ妻より林檎うく

勇気こそ地の塩なれや梅真白        

折々におどろく噴水時の中 



 

 伝統俳句、新興俳句、モダニズム俳句などを批判し、加藤楸邨、石田波郷らとともに〈自己の追求がそのまま俳句の追求になるように、自己の内面を生活のうちに詠もうとする〉、「人間探求派」と呼ばれた中村草田男。
 難解といわれた作品の真意にたどり着くことは私にとって到底かなわぬことだが、草田男は言う。〈作品とは、体験を等しくし、生きつづける念願を等しくする者同志の、遙かなる短き呼びかけ声であるに過ぎない〉と。
 カトリック信者であった夫人のすすめで教会に赴くことも度々であったが、〈信仰の世界に入りきれていない〉という言葉のようにいわば無神論者であった草田男も死の前夜、洗礼を受けカトリック信者となった。昭和58年8月5日午前7時、急性肺炎のため昇天する。



 

 カトリック墓地への急斜面の坂道、土手には細やかな匂いを漂わせた白百合が無数に咲いているのだが、勾配のある曲がり道にまとわりつく熱気がじわりと襲ってきて息が苦しい。幾段にも重なった石組の段々。棚田のように美しくもあり哀しくもある。あきる野の山あいに音響を忍んであるカトリック霊園に〈勇気こそ地の塩なれや梅真白〉、「ヨハネ・マリア・ヴィアンネ 中村清一郎」と刻まれた草田男の墓はある。
 〈まことに、文芸の世界と雖も、究極に於いては「拈華微笑」の世界であって、精神の生活体験の空白の場では、いかに努力するも精神の生活体験の真意伝達は不可能である〉とつきつけられた聖空間がここにこそあった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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