香山 滋 かやま・しげる(1904—1975)


 

本名=山田鉀治(やまだ・こうじ)
明治37年7月1日—昭和50年2月7日 
享年70歳(香玄院潤誉滋心居士) 
東京都新宿区愛住町14 浄運寺(浄土宗)


 
小説家。東京府生。法政大学中退。昭和15年短歌誌『蒼生』に参加。歌人として出発した。21年雑誌『宝石』の第一回懸賞に応募した『オラン・ペンデクの復讐』が入選、23年『海鰻荘奇談』で日本探偵作家クラブ新人賞受賞。幻想、怪奇、秘境ものが多く、東宝映画『ゴジラ』の原作を書いた。小説版『怪獣ゴジラ』のほか『ソロモンの桃』『妖蝶記』などがある。







 

 私の魂の声は叫ぶ。かえれ、ふるさとへ! と。私はいまロカンに帰ったのだ。そして、私は何を見たか? 美しいふるさとの、美しい同族が、いまも尚たのしく、葉笛を吹き、月光に浴みしている仙境をか、照りかがやく太陽の真下に巨大な禾本科植物から飛散する香ばしい花粉に咽び乍ら、追いつ追われつして戯れる楽園をか、いな、いな。私は書くにしのびない。———油田開発の鉄道工事が何もかも目茶苦茶に破壊してしまっていた。そこは泥濘と塵挨と叫喚と闘争の地獄でしかなかったのだ。
 オラン・ペンデク族は何処へ移住したのであろうか? 生みの故郷テラ・インコグニータへか———私は信ずる。私達はそこ以外に何処へも行くところは無いのだから———再びその怒りをしずめたフェルンダ・ガルーの山脈は、そのやさしい懐にかつての住民をやさしく抱擁してくれているであろう。彼等はその父祖の地でふたたび平和な生活を初めるであろう。
 私はその希望に唯一のなぐさめを感じ、祝福を与えつつ、一路、侏羅の花咲き、アンドリアス・ショイクゼリの現存する、わがふるさとへ旅立とうとしている!


                                              
(オラン・ペンデクの復讐)

 


 

 今なお世界中を席巻する固有名詞として「ゴジラ」なる愛すべき怪獣を生み出した。異界の闇に妖しくうごめきまわる者たち、秘境に息づく男と女のロマン、怪獣や珍獣、生物学の知識を存分に生かして、怪奇と幻想の彩なす独自の世界を自由奔放に操った異彩の作家・香山滋。五十歳を過ぎてからは肝臓の悪化や胃潰瘍などで入退院を繰り返していた。昭和49年11月初めのころから体調が優れず、近所のかかりつけの医院に通院していたが、翌月、港区芝神谷町にある娘婿の兄の山口病院に入院、虚血性心不全と診断された。翌年1月初めに血栓が出て、2月6日夜中から意識が遠のき、7日午後1時30分、心不全のため死去した。



 

 香山滋の墓のある浄運寺は京の知恩院末の浄土寺で、昔時は本尊観世音立像と開運地蔵で参詣人を集め、本通りから北折する横町は浄運寺横町と呼ばれていたようだが、入り日時のせいばかりではあるまいが全く人通りがない。切石乱張りの柱山門を入ると緩やかに下るような参道がカーブしている。本堂らしき建物は高壇に新築されたのか、埃っぽい墓地だけが鎮まっている。奥まったあたり、擁壁を背にして小さな石仏が何十体か並ぶ前に妻サダが建てた「山田家之墓」があった。白髪交じりのボサボサの長髪で、いつも困ったような微笑みを浮かべ、丸い鼈甲縁の眼鏡の奥に人なつこい瞳を和ませていたというのが、香山滋を知る人達のおおかたの印象であったようだが、主張のないシンプルな墓碑にその面影を見るようだった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


墓所一覧表


文学散歩 :住まいの軌跡


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