上司小剣 かみつかさ・しょうけん(1874—1947)


 

本名=上司延貴(かみつかさ・のぶたか)
明治7年12月15日—昭和22年9月2日 
享年72歳 
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園4区1種57側35番


 
小説家。奈良県生。大阪予備学校中退。代々神道の家に生まれ、明治20年14歳の時大阪に出る。「浪華文学会」に入ったりしたが、30年上京して読売新聞社に入る。自らの半生や近親を描いた『鱧の皮』、『父の婚礼』で文壇にでた。ほかに『U新聞年代記』などがある。






 

 自分はたゞ一人納戸へ入つて、亡なつた母の手摺れのした道具の前に、ぼんやりとしてゐた。其處には何うしたことか、ふッくりと柔かな新らしい蒲團が長く敷いてあつたので、自分は袴を穿いたまゝ、其の上へ寝轉んだ。上を見ると、亡なつた母の半身の寫眞が、額になつて長押から見下してゐる。黒い柄に青貝を鏤めた薙刀もかゝつてゐる。自分は生れてこのかた覺えたことのない、寂しさと悲しさとに、蒲團へ頬摺りして、涙を擦り付けてゐた。
 其處へお駒が呼びに來たので、自分は涙を見られないやうにして、座敷へ出て行つた。床の前に父とお時さんとが並んで坐つてゐて、其の次ぎの空いたところへ、平七は自分を坐らした。自分の次ぎには、徳川家康のやうな顔をした千代はんが坐つてゐて、徴笑みながら時々自分の方を見た。
 平七の家内が三寳に土器を載せたのを持つて、錫の銚子を手にしたお駒がそれに引き添ふて進んだ。
『右のお足からそろり、……』なぞと戯談を言つて、先刻平七の家内がお駒を嘲弄ってゐたのを思ひ出して、自分は今泣いた顔に笑みを浮べた。
 三寳と土器とが花嫁の前へ行つた時、互ひにお辭儀し合つたお時さんとお駒との、ビラビラの附いた同じやうな簪が、纏れ合つて兩方とも抜け落ちたのには、一座が皆眼を注いだ。お駒は静かに簪を拾つて、一つを恭しくお時さんに渡し、一つを自身の頭に挿した。
 其の夜、自分は誰れと寝るのかと思つて考へてゐた。
 『竹と寝ると、温うて炬燵は要らん。』と、始終父はさう言つてゐたけれど、もう昨夜かぎり、父と同じ蒲團に寝ることは出来ぬと、幼い自分も今朝から覺悟はしてゐた。
 四畳半の居室へ、長持から客蒲團を出して、暖かさうな、廣い寝床を取つた側へ、今夜は殊に見窄らしく見える自分の煎餅蒲團が敷いてあったので、自分はまだ座敷の方のお開きにならぬ中に、其處へ潜り込んで寝て了った。
                                                            
(父の婚礼)

 


 

 堺利彦に勧められて上京し読売新聞社に入社。編集局長にまでなった。島村抱月、正宗白鳥、徳田秋声ら自然主義文学者、幸徳秋水などの社会主義者、大杉栄や徳富蘇峰らとも〈淡として水の如し〉のような交友を広げた。故に〈貴族的無政府主義者〉という非難の呼称にも〈うれしく受け〉とめた小剣の精神構造を今は良しとしよう。
 〈私は代々神道の家に生まれたので、神社の社務所に起臥し、少年の頃から、家学を教え込まれた〉という生い立ちと、母を早くに亡くし、父の二度、三度の結婚を経て、苦悩の半生を送ったことが皮肉にも上司小剣自身の文学と行動のもととなった。
 昭和22年9月1日夜半、脳溢血で意識を失い、2日の午前1時に永眠。すべての去来する事どもは永遠の彼方へと散った。



 

 〈プロレタリアートの芸術。……そんなものが、どこにある。プロレタリアートは、其の苦しく虐ひたげられたる生活の為めに、芸術を味はふことなんぞは、疾くに忘れさせられてゐる。(略)根本の療治を忘れて、芸術のみの堕落を救ふことは出来ぬ。万人が皆貴族になり、貴族が総べて芸術家になる〉と思想した上司小剣の眠る「上司家」の墓碑。
 迷いもなく開けた空から存分な陽光が、晩冬の塋域にあふれるような贈り物をしていた。目線からかなり低い位置にあるにもかかわらず、その碑面は合わせ鏡のようにあちこちの碑にむけて、もらいすぎた贈り物を配り続けている。ひざまづいてメモを取っていた私の顔から、しばらくのあいだ火照りが消えなかった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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